Epilogue6 ―EX―
最後まで迷っていた。
師匠の話を聞いてなお、俺はやっぱり迷っていた。
エヌが培養人間だという事実。ただの実験体だったという事実。それにエヌが自ら望んで、大勢の人間を死なせる結果になったという事実。
俺はまだ迷ってた。
処刑を見守る兵士たちのうしろでじっと立っているだけだ。
動けない。
まだ、迷う。
動いていいのか。
自分の判断がほんとうに間違ってないのか、まだ迷っていた。
そんな俺の背中を押したのは、教えられた言葉じゃなかった。
「……トビラ」
獣人少女が斧を振り上げたときエヌ本人がつぶやいた俺の名前を聞いて、肩の力が抜けていくのを感じたのだ。
やっぱ呼んでんじゃねえか。
獣人の少女が斧を振り下ろしたときには、俺は腰の細剣をするりと抜いていた。
刀身のない柄だけの剣を、俺は抜いてつぶやいた。
「絡めとれ――『英霊の剣』」
もともとこの剣にかけられていた魔法は重さを消すだけじゃない。
重さを失わせ、形も失わせることができる。
剣という存在はそのままに、『形』と『重さ』という定義を消す魔法。
天才の魔法を組み込んだ、天才の武器。
そもそも形がないから、たしかに魔法剣としての耐久度は無限になるだろう。俺がいくら転移させても壊れるはずもない。そのかわり、誰かを傷つける部分すらない。
おおよそ武器とよばれるにしてはあまりにも粗末な武器こそ、この魔法剣の本来の姿だった。
だが、それこそがこの武器の真骨頂。
明確な形や質量がないゆえに、自由に扱うことのできる武器だ。
俺が振った魔法剣は樹木のように枝を伸ばし、斬首台の上にたつ獣人の少女の体に触れる。形も重さもないから相手は気づかない。傷つけることはできない。
――けど、触れているのがわかる。
俺は、転移魔法を発動する。
ただし転移させる場所は上や下じゃない。
存在する場所や重さに制限のない『英霊の剣』と、縦軸座標を支配できる『X-Move』。
ふたつの魔法を絡み合わせる。
「――〝EX-Move〟――」
転移魔法は座標を超える。
俺は自分の体を斬首台へと転移させ、それと同時に少女の体を地面へと転移させる。
その瞬間、体のなかから魔力がごっそりと失われたのがわかった。やっぱ多重魔法は負担がかかる。
ちょっとフラつきそうになるけど、まあ、まだ大丈夫だ。
「呼んだか?」
「べつに……呼んでないわよ」
誰もが目を見開いて俺を見るなか、俺とエヌはいつもどおりの会話を交わす。
「いまのはちゃんと聞こえたぞ。俺の名前呼んだよな」
「だから呼んでない」
「呼んだ」
「呼んでない」
「呼んだ……って、アホらし。どっちでもいいわ」
「ふん」
俺はすぐに転移魔法を発動し、エヌの拘束具を地面の下に飛ばす。
あっというまに魔女を解放する。
解放されたエヌの身体は金色に輝くことはなかった。ちょっと髪が光るくらいで、いつもみたいに眩く発光したりはしない。
「おまえ……」
「あたしもただ待ってただけじゃないわよ。魔力制御くらいやってみれば簡単ね」
「言うじゃねえか」
「――攻撃魔法、放て!」
しゃべっていると、周囲の兵士たちが魔法を発動した。三百六十度すべてからの魔法攻撃だ。受けたらひとたまりもないだろう。
そりゃそうだ。
死刑囚に、それをあきらかに助けようとする俺。
殺すのにこれ以上の理由はない。
全方位から迫ってくる魔法攻撃の数は、目でとらえられるほどの多さじゃない。
「どいて、蹴散らすわ」
「俺に任せろ」
いままで俺は、転移魔法を発動するプロセスを怠っていた。
対象の座標を目で確認するなんてのは、もう必要ない。
座標感知と干渉ならもう覚えてる。
これからはちゃんと、魔法を使ってやる。
「――〝X-Move〟――」
魔力を全方位に拡散し座標情報にアクセス。周囲から迫ってくるすべての攻撃魔法の座標情報を感知し、転移させる。
一瞬で事足りた。
俺たちに向かってくる攻撃は、すべて空の彼方に弾いてやった。
兵士たちの驚く顔が目に入る。
「――〝最後の審判〟!」
とっさに、王宮騎士『虎』がMACを発動させた。
エヌの体のなかに埋め込まれた爆弾の魔法。
それが、遥か上空で爆発した。
エヌがちらりと俺を一瞥する。
「いつのまに……やるじゃない、二番弟子のくせに」
「俺だってただじっとしてただけじゃねえよ」
とはいえ、危険なのはここからだ。
ぐるりと囲まれている視界の端で、各国の王宮騎士たちが武器と魔法を取り出したのが見えた。ただでさえ恐ろしいほどの気配が、ざっと数えて二十を超えるの殺気を放っている。あの破魔騎士がいないのは助かるが、それにしたって多すぎるだろう。
それだけでなく、獣人の少女――天獅エヴァルルもこちらを睨んでいる。
「さて、ここからどう脱出するか……」
「ほっほっほ」
と考えを巡らせている俺とエヌの横に、いつの間にか座っていたのは老人だった。
白い髭を撫でながら、周囲を楽しそうに見渡す老父。肌にまとわりつくような独特な魔力を発しながら笑っている。
こいつが誰か聞くまでもない。
老人――魔人二コラフランは楽しそうに笑った。
「さて魔王の器よ。おぬしの素質を生かすためならば、わしもひと肌脱ごうぞ。人間どもが約束してくれた魔女の魔力も、どうやら手に入らぬようだしのう」
魔人が指を空に向ける。
その瞬間空に光の門が出現し、そこから大量の魔獣が姿を現した。
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「一般兵は市民の安全の確保を! 王宮騎士ならびに有資格騎士は、魔獣の殲滅に急げ!」
息を呑んだまま、フィオラ=リッケルレンスはその光景を見守っていた。
もしトビラがエヌを助けるとするならもっと早くだと思ってた。こんな誰もが注目するなかわざわざ助けるなんて、思ってもみなかった。
王である父――リト=リッケルレンスが周囲に指示を与え、上空から現れた魔獣に対処しようとする。さすがに数年前と同じ惨劇は繰り返したくないだろう。
「死刑囚と手引き者の始末は後回しでいい! まずは誰も死なせないようにすることを考えろ! 各国来賓の方々はくれぐれも護衛の騎士たちから離れないようにして頂きたい!」
「そう叫ばんでも聞こえておるよ」
と、混乱を始めたなかで聞こえてきたのは幼い声だった。
リトがハッと振り返ると、慌て始める他国の要人たちのなかで悠々としているのは、髪のやたらと長い少女――ラッツォーネの魔眼王ウィだった。
「ズィ、トビラが暴挙に出た以上、妹のレナとリンが心配よ……あのふたりはいま王城で待機しているようだが、もし危険なようであればラッツォーネに連れて戻れ」
「おう!」
彼女のとなりに控えていたズィは、すぐに走って姿を消す。
トビラの妹たちを城に移動させたのはフィアだ。こんな大事に勇者のふたりには勝手に動かれては困るから、王宮騎士『蛇』に監視させている。
「さて、政治的な話をしようではないかリッケルレンスの王よ」
「……国民の安全のためなら、なんなりと」
「はははっ! 話が早くて助かるよ」
父がすぐに頭を垂れると、ウィが高らかに笑った。
「さすが噂に名高い王の鑑よ、リト=リッケルレンス。そんな言葉を迷いもなく返されては、同じ王として立つ瀬がないではないか。利益を求めるわらわが愚かだと思われてしまう」
「そんなことはありません。あなたにはあなたの国民がおられるゆえ、当然でございましょう」
「その言葉もまた、王のなかの王のものよ」
ウィは満足そうに笑みを浮かべる。
「感服したぞリッケルレンスの王よ。なれば今回は、わらわのサービスということにしておこう。わらわとて罪のないものが傷つけられることなど望んではいまいからのう」
ウィはそういって、空を見上げる。
魔獣たちが王都中に降り立とうと広がっていた。リッケルレンスの王宮騎士たちだけではとても殲滅できない数と範囲。
そのすべてを視界に入れて、両目を燃えるような色に染めたウィが、つぶやいた。
「焼き尽くせ――〝焔眼ディーノヴーベ〟」
空が赤く光る。
叫ぶ間もなく、ウィの魔眼はすべての魔獣たちを焼き払った。
あまりに圧倒的な攻撃。
その威力に、すべての兵士たちが足を止めて口を開く。
他国の王たちですら言葉を失っているようだった。
「……なにを驚いておる皆の者。大陸三指に入るわらわの実力、よもや忘れたとは言うまいな?」
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「せあっ!」
「ふん!」
槍同士がぶつかり合う。
リッケルレンス王城の中庭で、レシオン=スラグホンは舌打ちをした。
かなり実力はついてきたほうだと思う。自分でも自覚できるくらい、ここ最近の成長はめまぐるしい。
ただそれでも、まだ王宮騎士には勝てないか。
「そう悲観するな。お前は数十年にひとりの逸材だ」
壮年の王宮騎士『狼』がくるりと手の中で槍をまわす。
ほどよく筋肉がついたバランスの良い身体に、しなやかで長い手足。槍をあやつるに最適な体格の王宮騎士は首をふる。
「さすがスラグホン家の跡取りだということか。さぞかしオヤジさんも喜んでいるだろう」
この王宮騎士『狼』は、王宮騎士の一番槍だった父ともっとも仲がよかったひとだ。スラグホン家にもよく遊びにきていて、レシオンにとっても顔なじみだった。
「一年前までは俺に手も足も出なかったんだからな……驚くべき成長だ、レシオン」
「まだまだ!」
レシオンは満足していない。
昨日、トビラと戦った。
いつもは渋るくせに、なぜか昨日は自分から決闘しようと提案してきたのだ。
『俺が負けたらなんでも言うこと聞く。でも俺が勝ったらひとつだけ頼みを聞いてくれ』
そう言ってきたトビラ。
並々ならないなにかを感じて、レシオンは勝負を受けた。
トビラの妹たちが見守るなか、魔法ありの真剣勝負――結果は、負けた。
同じ職人がつくった魔法武器を持ち、それぞれ得意とする魔法をひとつだけ使った。
レシオンはトビラの手の内を知り尽くしている。転移魔法は座標管理だ。トビラが捉えられない速度で移動すれば問題ないはずだった。
でも、捉えられた。
あっさりと空に転移させられたときは、思わず笑いがこみあげてきた。
上空から落ちる感覚は二度目。
トビラと友達になったあのとき以来だった。
それでもレシオンは諦めなかった。
重力すら味方につけてトビラへと攻撃した。『武雷の槍』のなかに溜め込んだ電撃を全力で地面にいるトビラに打ち込んだのに。
それすらも切り裂かれた。
『すまんな、レシオン』
トビラはそう言って、レシオンにひとつ頼みを言った。
『もし俺がいなくなったら、妹たちの面倒をみてくれ』
それがどういう意味か、レシオンには聞けなかった。
ただ魔女の処刑が明日に迫っていることは知っていたから、トビラがなにかするだろうことは想像できた。
その今日、レシオンは王城でトビラの妹たちとともにいる。
「レシオンさん、がんばって~」
眼鏡をかけたほうの双子――たしかリンが叫んでいる。
レナとリン。ふたりの妹の隣には、まだ若そうな王宮騎士『蛇』が座っている。やる気のなさそうに四肢を投げ出して「『狼』のオッサンもまけんなよ~負けたらカッコ悪いぞ~」とグダグダ応援している。
『狼』が苦笑する。
「レシオン、お前はすでにあの『蛇』よりは強いぞ。強さなら王宮騎士の一員になれる資格がある。あとは気持ちと適性だけだ。卒業が楽しみだな」
まるで息子の成長を見守るように、笑みを向けてくる。
レシオンはすこし照れ臭くて視線を逸らした。
一息いれてから、もう一度槍を合わせる。
体捌きは参考になる。相手の技量を読み間違えないようにしっかりと観察するのも怠らない。勝負のための勝負じゃなければ、いかに強くなれるか相手を見る。
そうやって何度か槍を合わせていると、いきなり南のほうの上空が輝いた。
振り返ったレシオンと『狼』の視線の先には、
「――なんだ!?」
空から、大量の魔獣が溢れてきていた。
魔女の魔力は感じない。しかしあのときと同じように、魔人が現れたのだろう。
ドクン、と脈打つ鼓動。
父を殺した魔人が近くにいる。
そう思うだけで、レシオンの手が汗ばむ。
「『蛇』! おまえは勇者たちをしっかり守っておけ! レシオンは私とともに、魔獣殲滅に――」
と『狼』が言いかけたそのときだ。
空が赤く染まり、魔獣たちが一瞬で燃え尽きた。
「…………え?」
誰かの魔法だろうか。
レシオンが知る限り、そんなことができるやつは一人くらいしか思いつかないけれど。
ただなんにしろ、良い予感はしなかった。
「……トビラ、おまえなにしようとしてんだ……?」
いきなり王城の一角が爆発したのは、レシオンがそうつぶやいた直後のことだった。




