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Epilogue5 ―魔女が求めたモノ―

  

 とめどない破壊が訪れる。



 あたしの身体からあふれ出した金色は肉の化け物を消し去り、折れた肋骨と潰れた内臓も一瞬で治してしまった。足も動くようになっている。

 研究所の外から、なにかものすごい音が聞こえてくる。この建物の外は森になっているらしいんだど、その森がバキバキと潰れるような音が聞こえてきた。

 あたしが何かを呼んだせいだろう。強烈な気配が外で暴れている。

 けど、あたしにとっては外の世界はまだ遠い。


「……お姉ちゃん……」


 壊れてしまった『フラスコ』のなかで、あたしはお姉ちゃんに近づいた。

 原型をとどめていないお姉ちゃん。

 大好きだった、お姉ちゃん。


「ああ……」


 まだ温かい肉片に触れる。

 ひとりになってしまった。

『フラスコ』のなかしか知らないあたし。

 自分が何者かすらよくわかっていない。

 研究所の建物が、轟音とともに消える。

 まるで巨大ななにかに食べられたかのように天井を失い、空から光が注ぎ込んでくる。

 金色に輝く月の光だった。


「……あ……」


 はじめて空というものを見た。

 その瞬間に思い出す。

 お姉ちゃんの最期の言葉。自由(ほんもの)になれ、という言葉を。


 ……行かなきゃ。


 あたしは立ち上がる。

 全身から金色が漏れる。足はいつもより軽く、いまならなによりも速く走れそうだ。

 研究所の上には透明ななにかがいる。

 見えない巨大な気配を感じる。

 けど、そんなのはどうでもいい。


「……自由……」


 言葉の意味はよくわからない。

 けど、どこか遠くへ行けと言われた気がして。


「――〝流星(ソニック)〟――」


 あたしは地を蹴った。






 世界は広かった。

 見たこともない、聞いたこともない世界。

 広大な森、荒んだ砂漠、天を衝くほどの高山、悠久な草原。

 あたしは走った。

 目的もなく、行く先もなく、ただ駆け抜けた。

 着ている服はただの布。すこし肌寒かったから、暖かそうな方角を目指す。

 風が気持ちよかった。

 高山地帯の飛ぶように抜ける。

 あたしより速く動くものはいない。

 これが自由なんだろうか。

 これが、『本物』の感覚なんだろうか。

 あたしにはわからないけど、ただ気持ちよかった。






 どれくらい走ったか、よくわからない。

 かなり長い間走り続けたのは覚えている。

 人間の街をいくつか通り過ぎた。

 しばらく走っていると、あたしの目の前に広がったのは平野だった。

 巨大な河が流れる場所。

 その先には大きな街。


 人がいる場所は怖い。

 あたしは避けようと方向転換しようとして――ふと気づく。

 様子がおかしい。

 夜の世界は初めてだった。

 暗くて、涼しい世界。

 だけどその街の真ん中あたりだけが明るかった。


 燃えていたのだ。

 なにが起こってるのかはわからないけど、それが自分のせいだということをあたしは感じていた。

 あたしが呼び出してしまった三体の魔物たちの気配は、感じ取れているから。


 一体は研究所のところで暴れている。

 一体は東のほうへ現れて、どこかへ逃げていく。


 そして一体は、目の前の街にいるようだった。

 少し近づいてみる。

 騒がしい正体はわかった。

 悲鳴と慟哭。

 よくないことが起こっている。

 少し迷ったけど、あたしはすぐに駆けた。

 なにかをしようとか、あまりハッキリと考えていたわけじゃない。

 ただ近づかなければならない気がした。

 あたしは空を蹴り、飛ぶように駆けた。


 眼下で起こっているのは乱戦だった。

 街の中央にあるおおきな建物の敷地内で、異形の獣たちが武装した人間を襲っている。人間たちも武器や防具で武装し、魔法を使って獣たちに対抗している。

 あたしが召喚したモノの気配はいつのまにか消えていた。人間を襲っている獣たちは、ただ暴れているように見える。


 誰かが獣に喰われ、誰かが獣を殺す。

 そんな風景をそこらじゅうで見ることができた。

 混沌とした乱戦の風景のなか、あたしが見つけたのはひとりの少女だった。


「――スラグホンさんっ!」


 中庭のような場所だった。

 そこで叫んでいたのはすこし年下の少女。銀色の髪を左右でくくり、垂らしている。

 彼女はすぐそばで倒れた男を揺さぶっていた。男の身体にはいくつもの巨大な針のようなものが刺さっていて、いまにも死に絶えそうだった。

 その周りには獣が大勢いた。十や二十じゃ足りないほどの多さの獣が、ふたりを囲んでいる。

 このままじゃ食べられるだろう。


 ……でも、関係ない。

 無視してそのまま通り過ぎようとして――


「誰かっ! 誰かいませんか!? 医療班はどこです!? スラグホンさんが、スラグホンさんが……っ!」


 ふと、足を止めた。

 必死に叫んでいるその少女の声に呼び止められた。

 お姉ちゃんのことを思い出したからかもしれない。

 ただここで少女を無視して行くと、お姉ちゃんに怒られるかもしれないと思った。

 お姉ちゃんがあたしを守ったように。

 あたしも、この子を守らなければならないような、そんな気がして。

 だから。


「誰か――きゃあっ!」


 少女に殺到する獣たち。

 小さな少女の身体なんて、大きな獣たちからすれば餌にしか見えないのだろう。涎を垂らしながら少女を食いちぎろうと牙をきらめかせ、襲いかかる


 ギャゥンッ!


 なんてことはない。

 獣を蹴り飛ばして、あたしは少女の前に立った。

 なにをすればいいのかなんてわからない。

 なにができるのか、わからない。

 それならあたしは、いまできることをやるだけだ。


「……えっと、あなた……誰ですか?」


 背中から問いかける少女の声。

 あたしが誰かなんて、あたしにもわからない。


「さあ」


 あたしはそう短く答えて、興奮して襲ってくる獣をかたっぱしから蹴り飛ばしつづけた。






 光に虫が集まるように。

 獣たちは、あたしの魔力につられてどんどんと集まってくる。


 少女は動けないだろう。少しでもあたしから離れたら、獣たちの牙にかかってしまうかもしれない。倒れた男はもう死んでしまったようだが、この状況では悲しむことも嘆くこともできないだろう。少女はぐっと涙をこらえて、身を固くし続ける。

 獣たちはすこしずつ数を減らし始めたころには、もう空は明るくなり始めていた。

 あたしはただ獣たちを蹴りつづけながら、初めて『フラスコ』の外で朝を迎えたのだ。


 感動もなにもない。

 血の匂いが充満したこの中庭で迎えた朝日は、さほど綺麗ではなかった。


「――いつからこの国は獣相手に戦争するようになったんだい?」


 ただならぬ気配を感じて、あたしは顔を上げる。

 獣たちも、ぴたりと動きを止める。


「せっかくアホ親父(ルカ)の故郷を訪ねたっていうのに、とんだ歓迎だよ。ねえ、キミもそう思わないかい〝魔女〟?」


 空に浮かんでいたのは子どもだった。

 杖を持った十歳ほどの少年が、黒いローブを羽織って浮かんでいた。

 ふわふわと浮かび、あたしのことを見つめて意地悪そうに笑っていた。

 魔女っていうのはあたしのことだろうか。


「……あんた、だれ?」

「ボクかい? ボクは通りすがりの天才だよ――〝凍血(スリープ)〟」


 少年が杖を振る。

 すると獣たちが一斉に動きを止めた。

 いや、動きじゃない。

 息の根を止めたのだ。


「ただの仮死状態だよ。それより〝魔女〟、せっかく施設を壊してまで自由になったところ悪いけど、ボクはキミに用がある」

「……あたしに用?」


 こいつ、あたしのことを知ってるみたいだ。

 初めて会ったはずの少年に、あたしは訝しむ。

 そのとき誰かがこっちに駆けてくる音がした。「フィオラ様!」と叫ぶ少女の声と、そのあとから複数の足音。

 少年はその音に気づきながらも、とくに気にする様子もなくうなずいた。


「そうさ。おそらくキミはまだ、自分のしたことや自分の立場をわかっていない。キミが育った場所から逃げてくることはできても、まだ自由になれていない」

「……自由になれてない?」


 そんなはずはない。

 お姉ちゃんは自由になれと言った。

 だからあたしは、ここまできたんだ。


「キミはまだ不安定だ。崖の上に立つような危うさで、キミという存在はいまこの世界に在りつづけている。このままどこかへ流れても、危険こそあれ誰の役にも立ちはしない」

「なにを言ってるの?」

「つまりこういうことだよ。――〝施錠(ロック)〟――」


 ガチャリ。

 と、いきなりあたしの腕が――いや、体が重くなった。

 腕に錠がつけられていた。さっきまで金色に輝いていた体も、ふつうの状態に戻っている。


「キミはキミという存在を確立させなきゃならない。だからフラスコの小人(ホムンクルス)から、極悪の罪人として生まれ変わるんだ。ちょっと環境は劣悪になるかもしれないけれど、閉じ込められることには慣れてるだろう?」


 少年は不敵な笑みを浮かべていた。

 逃げようと思えば逃げられるかもしれない。

 あたしはそう考えたけど足は動かなかった。

『フラスコ』の外の人間なんて誰も信じられない。お姉ちゃん以外の人間を信じることなんてできない。


 でも、なぜかわからないけど、この少年には逆らえなかった。

 不思議な力を持つ少年だ。

 この少年なら、あたしが生まれた意味を知ってるんじゃないかと思った。


「だからしばらくは大人しく過ごすんだよ、名前のない〝魔女〟」

「……それで、あたしはどうなるの?」

「どうにもならないよ。キミの力だけではね」


 少年はさぞかし楽しそうに言った。

 まるで未来が見えているかのように。


「でも心配はいらないよ。いつかキミの状況をひっくり返すことができる者が現れる。それまでキミは〝魔女〟として毎日を闘っていればいい。そうすることで、キミはキミで居続けられる。キミが誰かにとってただ一つの存在となったそのときこそ、キミは本物になれるんだよ」


 よくわからなかったけど。

 あたしはこうして、人間たちに捕まった。

 魔女と呼ばれ、囚人番号01502番を与えられ。


 そしてあたしはNo Name――『エヌ』と呼ばれるようになったのだ。



 ↓↓

 ↓↓↓↓

 ↓↓↓↓↓↓↓↓



「……いまさら、ね……」


 昔のことを思い出して、あたしはつまらない感傷を切り捨てた。

 お姉ちゃんの匂いはもう思い出せなくなっている。


 死刑の日は晴れていた。

 雲ひとつない快晴だ。

 あたしを殺すためだけに造られた装置が、刑務所の地上に設置されていた。土ばかりの地面に備え付けられていたのは一見、ただの台のように見える。

 その台にはいくつもの拘束具がつけられていた。両手両足どころか頭部や胴体まで拘束できるように、特殊な金属の拘束具がつけられていた。


 あれがあたしの魔力を封じるための道具だろう。

 もし一瞬で死ななければ、あたしの魔力は暴発する。それを恐れて中央協会が開発したものだ。かつてあたしが魔女になったとき、あそこにいた者たちはみんな死んでしまった。だからこそ恐怖を感じて、ここまで厳重にやるのだろう。

 斬首台を取り囲むのは、屈強な兵士たち。


 そして各国の騎士たち。

 それぞれの国の王宮騎士が、万が一に備えて武装している。

 そこまで念を入れてあたしを殺そうとするなんてバカみたいだ。こんな偽物の人間をひとり消すためにここまでするなんて、考えてみれば滑稽だった。

 フルスロットルの姿はない。


 斬首台の横には、ひとりの少女が立っている。

 あたしが召喚した獣人の少女だ。

 彼女にもかわいそうなことをしたと思う。でも、いまさら謝ったところでどうにもならないだろう。


「膝をついて、横になりなさい」


 あたしは斬首台の上まで歩かされ、リッケルレンスの王宮騎士の老人――『虎』に言われるがままにする。

 拘束具がつけられ、より一層あたしの魔力が薄れていく。

 首を固定され、斬首台の上から無理やり前を向かされる。

 あたしを取り囲む兵士と、各国の要人たちが視界に入る。


 そのなかにフィオラ様を見つけた。唇をかみしめてこっちを見ている。

 あのひとは優しい。まるで、お姉ちゃんみたいに明るくて優しくて、楽しいひとだ。

 一緒にいるとすこし安心する。


 あたしは死にたいと思ったことはない。

 でも、もし死んだらお姉ちゃんのところへ行けるというのなら死んでもいい。

 あたしの拘束具をすべてつけ終えた老騎士『虎』が、斬首台を降りていく。


「これより囚人番号01502番の死刑を執行する」


 沈黙すら挟まず、すぐに号令が下る。

 獣人の少女は大きな斧を持ち、斬首台に上がってくる。

 さすがに彼女の力で斬られたら即死するだろう。

 獣人の少女はあたしの首の横までくると、すぐに斧を振り上げた。

 静寂の視線が、すべてあたしに注がれる。


「……ラ……」


 無意識だった。

 生きたいと願ったことも、とくにない。

 どうせなんのために生まれてきたかわからない人生だ。

 なんのために死ぬかもわらかず死ぬなんて、当たり前。

 だけど、あたしは呼んでいた。


「……トビラ」


 いつからだろう。

 あたしが、死にたくないと思ったのは、いつからだったのだろう。

 たぶんあいつに出会ってからだ。

 トビラに、出会ってからだ。


「……トビラ」


 お姉ちゃんみたいに優しいわけでもない。

 フルスロットルみたいに魅力があるわけでもない。

 だけど、あたしの口から漏れるのはお姉ちゃんでもフルスロットルでもない。

 ただの二番弟子。

 あいつの名前が、なぜか口から出てくるのだ。

 なぜだろう。

 その疑問に誰も答えてくれないまま、斧はあっけなく振り下ろされた。







「呼んだか?」







 いつの間にか。

 獣人の少女は斬首台の下(・・・・)にいた。


 振り下ろした斧は土の地面をえぐり、地面に大きな亀裂をあけている。

 グラグラと鳴動する地面。 

 その代わりに斬首台に立っていたのはトビラ。

 カッコつけて笑う、二番弟子だった。


「……べつに、呼んでないわよ」


 ほんとうは嬉しいくせに。

 あたしはそれを認めたくなくて、いつものように憮然とした表情で横を向いた。



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