Falling【6】 魔法 《X-Move》
『――魔法名、《X-Move》――』
「……エクス、ムーブ?」
俺はつぶやいた。
するとかすかな振動が、どこからか響いてくる。
顔をあげると、俺を閉じ込めるために石の壁にはめ込まれていた鉄格子が、ゆっくりと動いていた。
まるで見えない力に持ちあげられるかのように、その鉄枠は天井を突き破って上がっていく。ひび割れた天井からパラパラと石の破片が落ちる。
静かに、だが確実に鉄格子は硬い天井をものともせずに進んでいった。
止まったのは、目線ほどの高さ。
これで……外に出ることが、できる。
いまのが、このMACの力なんだろうか。
それがこの魔法の力なのだろうか。
……それなら、迷うことはない。
「使わせてもらうぞ、フィア」
俺は白いMAC――《X-Move》を手にしたまま、格子をくぐった。
フィアが男たちに組み伏せられていた。
服は破られてボロボロで、なんとか下着だけはまだ身に着けていた。手足を押さえる盗賊の男ふたりと、フィアの顔をつかんで恫喝する領主。このままフィアが《生贄の雨》を使わなければ、どうなっていたかは想像に難くない。
静かに、牢屋の前に立った。
フィアと目が合う。
彼女は、嗚咽もあげずに、歯を食いしばって泣いていた。
殴られても蹴られても、ずっと悲鳴も嗚咽も漏らさなかった。それはたぶん、隣の牢屋にいる俺を少しでも不安にしないようにしていたのだろう。こんなことになってもなお、俺を気遣う心を失わないのだ。
それはフィアの、優しさだった。
だから、迷わない。
ぐっと閉じられたフィアの唇が、わずかにひらく。
そこから漏れたのは、か細い声だった。
「トビラ…………たすけてっ」
「ああ。まかせろ」
領主たちはようやく俺が背後にいることに気付いた。
盗賊の男たちふたりが、フィアの腕や足から手を離し、腰の短剣を引き抜いて、俺に飛びかかろうとする。さすが盗賊だけある。領主よりもはるかに、反応が速かった。
だが、それでも遅い。
俺はすでに白いMACを掲げていた。使い方はなぜか、頭のなかに入っていた。
「MAC発動――〝X-Move〟!」
「「――がっ!?」」
ふたりはなにかに引っ張られたように勢いよく浮き上がり、天井に激突する。
全身を天井に打ちつけるなんて体験、そうできはしないだろう。鈍い音を立てて男たちは白眼を剥き、そのまま床に落下した。
あっさりと気を失う。
「――ちっ!〝火竜〟召喚っ!」
領主がようやく我に返ったようだ。懐から赤いMACを取り出して、地面に叩きつけた。
『ガアアアッ!』
紅蓮に燃える、小さな竜が姿を現した。
全身から炎を吹き出し、牙を光らせる。体長は大型犬くらいだろう。そうデカくはないが、全身の鱗は硬質なのかギラギラと光り、触れば火傷だけじゃなく切り傷も負いそうだ。トカゲのような体格だが背中には翼が生えていて、まさしくドラゴンだった。
凶暴そうな目つきで俺を睨んでくる。
召喚獣ってやつだろうか。
「トビラ、逃げて!」
「焼き殺せっ!」
『ギアアアアアアアアアッ!』
領主が命じると、竜は大口を上げて炎の塊を吐きだした。
俺はとっさに横に跳び、炎を避ける。炎は地下室の石壁にぶつかり、壁をドロドロに溶かしていた。
なんて温度だ。ただの炎よりもよっぽど高温で獰猛だった。
すぐに火竜が牢屋から飛び出してくる。俺を敵と見定めているのか、よそみひとつすることなく、地下室の奥に追いやられた俺をまばたきひとつせずに睨んでいる。
たしかに逃げた方がよさそうだ。まともに戦って勝てる相手とは思えない。
……だが。
俺は《X-Move》を掲げた。
「悪いなトカゲ。〝X〟――」
『ギッ!?』
竜の足元の床石がメリメリと剥がれ、浮きあがる。
バランスを崩した火竜。逃げようとしても、石は浮きあがったまま、ギュンとその速度を上げて――
「――〝Move〟!」
ドンッ!
天井と床石に挟まれた火竜。悲鳴すら上げることができないのだろう。圧迫されて窒息し、口から小さな炎が弱々しく吐かれて、火の粉になって落ちてきた。
気を失ったからだろうか。火竜は赤色のMACに姿を戻した。天井からパラリと落ちてくるMACには火竜のイラストが描かれていた。ちなみに☆が四つ描かれている。
俺はそのMACを蹴って地下室の隅に弾くと、茫然としている領主と目を合わせた。
領主は喉の奥から言葉を絞り出す。
「わ、わたしの邪魔をして、どうなるかわかっているんだろうな? この国の危機を救うチャンスを逃すんだぞ!? 国が滅んだら……おまえは、どう責任を取るつもりだ!」
「責任? 知るか。んなことより、俺には目の前の危機を救うほうが大事だ」
「ひっ」
また《X-Move》を掲げると、領主は頭をかばって身をすくめる。
そのときフィアが、ゆらりと、領主の後ろで立ち上がった。
涙に濡れる彼女の視線が、隙を見せた領主の背中をとらえた。
大丈夫か――と聞こうと口を開いたが……どうやらその必要はなさそうだった。
女ってのは……思っている以上に、強い生き物らしい。
フィアは涙を払うかのように、足をおおきく振りかぶり、
「せやああああああああ!」
「はうっっ!?」
蹴りが、領主の股間を撃ち抜いた。
豪快な蹴りだった。なんの迷いも手加減もない。同じ男として領主に同情してしまいそうなほどの一撃が、領主の大事な大事な部分にクリティカルヒットした。
これがゲームなら『りょうしゅのきゅうしょにあたった』と表示されることは間違いないだろう。
泡を吹いて、痙攣しながら倒れる領主。
「……トビラっ!」
フィアはそのまま、まだ濡れている頬をぬぐわずに、俺に抱きついてきた。力いっぱいに抱きしめられる。
服をビリビリに破られ、穢されかけて、怖かったのだろう。あのままだったら自分がどうなってしまうのか、それはフィアが一番よくわかっていたに違いない。俺が背中をぽんぽんと叩いてやると、ようやく声をあげて泣き出した。
フィアの体は、思ったよりも細かった。小さかった。
ただ、気絶した領主の白目を剥いた顔を見て、俺はすこし身震いしてしまう。
「……おっかねえ」
フィアの背中を撫でながら、こいつは怒らせないでおこう、と強く誓った。
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「フィオラ様っ!」
俺とフィアが地上にあがったとき、そこにはなぜか、兵士のようなやつらが何人もいた。
鎧と剣を装備して、なにやらおもっくるしい雰囲気だった。馬を庭のあちこちに止め、大半は邸宅のなかへと突入しようとしているところだった。
小屋から出てきたフィアに気付いて、兵士たちは波のように一斉に近づいてきた。
下着姿のフィアに、兵士のひとりが慌てて布をかける。
「フィオラ様! 駆け付けるのが遅くなって申し訳ございません……すぐに手当てをいたします。馬車へ」
「ありがとう……でも、どうしてここが?」
『ヒヒンッ!』
とフィオラの声に返事をしたのは、一匹の馬、リュード。
ただ逃げたわけじゃなかったらしい。
……ふん、やるじゃないか。
目を合わせると、リュードは歯を見せて笑みを浮かべた。
そこでようやく、兵士たちは俺にに気付いたらしい。
「貴様! 何者だ!」
剣を突きつけられる。
「いや……ええと……」
なんていえばいいのだろう。
仲間? 違うな。
友達? 違うな。
巻きこまれたとか言っても信じてくれなさそうだし、ここは……
「ただの通りすがりです」
「戯言を! 怪しい奴め!」
「やめて!」
とフィアが兵士の腕を掴んだ。
「彼は私を助けてくれたんです! 恩人に無礼をすることは許しません!」
フィアが叫ぶと、兵士たちしぶしぶ剣先を下げた。
だが、周囲の兵士たちの警戒は解かれていない。
そりゃそうだ。下着姿になった王女様の後ろに男がいれば、誰だって怪しいと思う。
周囲の睨むような視線に、フィアも気付いたのだろう。
「安心してください。彼は基本的に無害です」
「し、しかし!」
「本当です。なんせ属性が……没落貴族ですから!」
ざわざわ。
ざわめきが兵士たちの間に広がったと思った、つぎの瞬間。
「「「「「「スキャン! みすぼらしい小僧!」」」」」」
兵士たちが一斉に属性判別をしかけてきた。
みすぼらしい小僧っておい。
「ほんとだ」「よかったザコだった」「どおりでみすぼらしいと思った」「……ふっ」
彼らのくちぐちから漏れる本音。とくに誰だ最後、鼻で笑ったやつ。
「……なあフィア」
「なんでしょうトビラ」
「おまえのときとずいぶん反応が違わないか?」
「そうですね、私は口に出しませんでしたから」
「おまえも思ってたのか!?」
みすぼらしかったのか。
べつに容姿に自信はないが、そこまで思われていたなんて。
「…………いや、まあそのまえにだ」
俺はひとまず気になったので、聞いておく。
「なあフィア。没落貴族って……そんなにひどいのか?」
「ええ。まあ……理由がありまして……」
「理由?」
兵士に連れられ、馬車へ向かうフィア。
その途中で足を止めて、振り返った。
苦笑いだった。
「……没落貴族は、ほぼすべての魔法に、嫌われてるんです……」
こうして俺は魔法を手に入れたのだが。
フィアの言葉の意味は、まだよく理解できなかった。