Epilogue3 ―逃げるな―
「メイツは、イヤじゃないの?」
後ろから聞こえてきたいつもの声は、すこしだけ震えていた。
中央協会が居を構えるダンジョン『神の塔』の地上三階部分。
宿屋のようにたくさんの部屋が並んでいる。ほんらいは大きな空洞だったダンジョン三階部を、中央協会員が泊まり込むために廊下と部屋につくりかえたらしい。
その一室の部屋。
入口からすぐにキッチンがあり、トイレとシャワー室もついている。部屋はそれほど広くはないがベッドふたつとテーブルと椅子、それと本棚を置くスペースはある。長期滞在のために用意された部屋だった。
メイツ=トッテナンは薬草をすりつぶす手を止めて振り返る。
「なにが?」
「ぼくが……ぼくが魔女を殺すんだよ? メイツはそれでもいいの?」
ベッドの縁に腰かけて、獣耳を垂れさせ目線を下げるエヴァ。
昨日の裁判で魔女の死刑が決まった。
魔女は異常な生命力を生み、ただ殺しただけでは死なない可能性がある。万が一のときにも魔力を暴走させないために、特殊な道具をつかって処刑しなければならないのはずっと前から聞いていた。そのために中央協会は魔女を封じるための道具をつくり、処刑人としてエヴァを迎え入れた。
メイツは実際にその道具を見たし、その機会がきたことも知った。
エヴァはもともと魔女に大きな恨みを持っている。いまさらその役目を担うことに抵抗はないだろう。
彼女が恐れてるのは、そんなことじゃない。
「べつに気にしないってば」
メイツにはわかっている。
エヴァは強い。
強いからこそ迷うんだ。
迷うってことは、優しいってことだ。
それを気にする必要なんてない。
だから、メイツはエヴァの頭をぽんと撫でる。
「エヴァにはやるべき理由があってその役目を担うんだろう? 前にも言ったとおもうけど、エヴァがどんな顔をしてどんなことをしようとも、君がそう望む限り、僕は君のそばにいるよ」
「……うん。ありがとう」
エヴァは気持ちよさそうに目を閉じて、メイツの手に頭をゆだねてくる。
すこしの沈黙。居心地は悪くない。
エヴァがそのまま、メイツの体をひっぱってきてベッドに座らせる。メイツが隣にくると、彼女は腰に手をまわして顔を近づける。首筋に顔をうずめて唇を鎖骨のあたりに押しつけてくる。吐息とともに、首の根元を甘噛みされる。
すこしくすぐったい。
そのとき部屋の扉がコンコンとノックされた。
「……むぅ……」
もう時間か。
名残惜しそうにエヴァが離れた。
扉のむこうから、男の声が聞こえてくる。
「失礼します。メイツ様、エヴァルル様。そろそろ出発のお時間です。ご準備は整いましたでしょうか?」
「ああ。うん。すぐ行くよ」
メイツはすりつぶした薬草を瓶に入れると、鞄とローブを抱えて部屋の灯りを消した。
これから二日後、リッケルレンスで魔女は死ぬ。
エヴァの手によって処刑されるのだ。
部屋を出るまえに、最後に振り返ってエヴァに言う。
「どれだけ悩んでもいい。どれだけ頼ってもいい。でも、僕は君に自分の心を裏切ってほしくないんだ。いままでのように自分が正しいと思った道をひたすら進んでいく君だからこそ、僕は君のことが好きになったんだ」
「……うん。ありがとう」
メイツとエヴァは指をするりと絡めて、扉をあけた。
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「人造人間7式……人間ごっこはもうおしまいです」
監獄の壁や天井に言葉が反射して木霊する。
薄暗闇のなか見る限り、エヌの表情は硬いままだった。動揺しているようには見えないが平然を取り繕ってるようにも見える。彼女の表情は変化が乏しく、ここからじゃあ読み取れなかった。
ホムンクルス。
それがなにを意味するのか、俺には理解できない。
ただとてつもない事実を聞いた気がした。聞いてはならないことを聞いてしまったような、腹の底が震える感覚。
俺は無意識に後ずさってしまう。
自分が壁ギリギリに立っていることも忘れていた。
腰に提げたカードホルダーが、壁にコツンと当たった。
「――誰だ!?」
看守がすぐにこっちを見る。
暗闇で見えないはずだ――が、さすがにマズイ。
俺はすぐに〝X-Move〟を発動し、地上へ戻った。
寒い地下から、ぬるい空気の街へ出る。
「…………ふぅ」
いつのまにか月が出ていた。
まだ街は活気づいていた。繁華街のあたりからは喧騒が風に乗って聞こえてくる。
気づかれたのかはわからない。姿は見られてないだろうしエヌが話すとは思えない。
気のせいってことにしてくれればいいんだけど、念のためはやくここを離れておくべきだ。
「にしても、どういうことだ……?」
さっき聞いたことを頭のなかで整理しながら、街の喧騒を避けて帰った。
俺はその夜、変な夢を見た。
この魔法の世界に来たときの記憶がない。
この世界にくる前の記憶がない。
レナとリンが俺を追ってこの世界にやってきたと聞いた。その方法も、店長が協力してくれたことも聞いた。生徒会長に聞いた通り、『ドリセレ』というVRゲーム機を使ったらしい。
俺の記憶があるのはその機械を手に入れる前までだ。手に入れてからの二週間、俺はゲームに熱中していたらしい。
そのときの記憶だろうか。
それとも、関係のない映像だろうか。
巨大な樹が立っていた。
一本の樹だ。
その枝にぶら下がっているのは人間だった。
いろんな人間が樹に成っている。
若い者。
老いた者。
女。
男。
様々な人間のなかに、ときおり混じるのは腐った人間だった。
腐敗した頭が枝にぶらさがり、いまにも落ちそうに揺れている。
妙にリアルなその光景に吐きそうになって飛び起きたのは、明け方ごろだった。
「……はぁ……」
精神的に参ってるのかもしれない。
俺はぶんぶんと頭を振って、窓を開け放した。
夜風ですこし頭を冷やす。
……もうすぐエヌは死ぬ。
中央協会がエヌを殺す道具をつくっていた。
魔人の策略が背後にあった。
政治のために、エヌは切り捨てられた。
それがすべて――――俺のせいだったのか。
自分のなかで気持ちの整理をつけないと、考えすぎてどうにかなりそうだった。やるべきことは決まっているのに、本当にそれでいいのかと疑ってしまう。
レナとリン。
彼女たちも、俺のせいでこの世界に来てしまった。帰れる保証なんてどこにもなかったのに、この世界へ足を踏み入れてしまった。
彼女たちを無事にもとの世界に送らないと。
やりたいことと、やらなければならないことが、多すぎる。
「……暑っ」
いつのまにか寝汗をかいていたらしい。
べたつく肌がうっとうしくて、俺はシャツを着替えた。
窓の外はうっすらと明るみ始めている。寮のなかはまだ寝静まっているようで、ひとの気配はしない。
俺は細剣を腰に差して、リビングにむかう。
水でも飲もうかと思って階段を降り切ると、リビングのソファに小さな影が座っていた。
「やあ、おはよう弟子」
「ああ……こんな時間に珍しいな」
師匠がティカップを傾けながら本を読んでいた。
エヌの処刑が明日に迫っているというのに、やはりいつものようにリラックスムードだ。きのうの夜も帰ってきてなかったから、いま仕事から戻ってきってことだろう。眠たそうにあくびをかみ殺しつつ、指先で本のページをめくる。
とくに話すこともない。
そのままキッチンに入ろうとすると、師匠が小さくつぶやいた。
「その細剣、いつまで腰に提げてるつもりなんだい?」
俺は、ぴたりと足を止める。
「もうわかってるんだろう? ボクがキミに与えたその魔法剣の本来の姿をさ。キミはバカなように見えて存外鋭いから、とっくに感知魔法でその細剣の正体も探ってみたんじゃないのかい?」
「……ああ」
やっぱりバレてたか。
俺は腰の『英霊の剣の鍵』を撫でる。
限りなく質量のない剣の意味を、俺はもう知っている。
「なら、どうしてまだそんな剣の形にこだわるんだい? キミの座標支配とその剣があれば、キミが直面してる問題をいともたやすく打破してくれるとボクは思うんだけどね」
「だから……だよ」
師匠の顔は見ない。
きっと、悪い笑みを浮かべているだろうから。
「そんなことしていいのか、まだわからないんだ。俺なんてもともとこの世界の人間じゃないし、まだまだ他人に生かされてる側のガキだ。そんな俺がたいそれたことしてもいいのか、わかんねえんだ」
「じつに弟子らしい悩みだ……くだらないね」
「くだらないって、ひとが真剣に悩んでんのに」
「どこが真剣なんだい?」
後ろから聞こえた声に、すこし、怒気が含まれていた。
「キミはただ逃げてるだけなんじゃないのかい? 自分で選択をせず、周囲の人間に流されるがまま生きているようにボクには見えるよ。レシオンを倒したときのような勇敢さはどこにいった? それこそこの世界に慣れて甘えて、キミはなにかを犠牲にしようという気概がなくなってしまったんじゃないのかい?」
「そんなことねえ」
口から出た返事は、自然と小さくなってしまった。
「そんなことない、はずだ」
「いいや、逃げてるね」
断言する師匠。
「だからそんなこと――」
「フィオラ様の好意に気づきながら、答えを出そうとしないキミのどこが勇敢なんだい? 自分の気持ちに気づきながら否定しようとするその心のどこを見て、逃げてないなんて言えるんだい?」
喉まで出かかった反論が潰される。
言葉が胸に突き刺さる。
深くまで、えぐってくる。
「ボクにも聞きたいことがあるんだろう? それなのに、なぜ聞かない? 教えてくれと一言言われたのなら、ボクがいつだって答えてあげる気でいることくらいわかってるんだろう? それなのに、自分の行動を後押しする理由からなぜ逃げるんだい?」
……見透かされてる。
この生意気な少年に、すべて。
それはただ、俺が認めたくないだけだ。
知りたくないだけだ。
知らなかった過去を知るだけで、いまの気持ちが変わってしまうのが怖かっただけだ。
ああ認めよう。
俺は臆病だ。
「怖いのなら立ち向かえばいい。恐れるものには近づけばいい。キミの妹たちは一切の迷いなく、まるで当たり前のようにそんな行動ができる子たちだ。だからこそ勇者の才覚を持ち、魔を従えることができる。その兄であるキミにもその才能が眠っているのに、キミはわざとそれに蓋をしてしまう。その蓋を誰かにはずしてもらおうとするばかりで自分からは怯えて手を触れようとしない。奥底に眠るものが強靭でありながらも、表面はひどく脆弱……キミの誰にも負けないその反面性が『没落貴族』という特異を生んでいるんだよ。本当の属性は、おそらく他にあるだろうに」
言い返せない。
なにも言うことができない。
「そりゃあ『没落貴族』を捨てろとは言わないよ。その弱さもぜんぶひっくるめてキミの力だ。キミが絶対的な強者ならレシオン=スラグホンは強くならなかっただろうし、一番弟子はキミを守ろうとはしなかっただろうし、フィオラ様は恋なんてしなかっただろう。だからこそ、キミは弱いまま強くならなければならなかった。いままでも……そして、これからもだろう?」
これからも。
俺は腰の細剣を見る。
もっと強く戦うための武器がある。
俺はポケットのなかのMACを服の上から触る。
もっと強く戦うための魔法がある。
「弱くてもいいんだよ弟子。逃げることが悪いことなんて思わない。だけど、逃げながら立ちむかうこともときには必要だ。大事なのは弱さを捨てることじゃない。覚悟を決めることだ」
踊らされてるような気分になる。
だけど、それでもいいと思える自分もいる。
「……じゃあ聞かせてくれ。教えてくれ」
あと必要なのは道具じゃない。
もっと強く戦うための――理由だ。
「人造人間って、どういうことだ?」




