Download【25】 幻覚
交易の街レグレナード中央通りから、人々がわらわらと逃げていく。
あんたらの日々の営みの邪魔をして申し訳ないが、近づけば命の保証はできない状況だ。派手にやったが許してくれ。
「〝臥竜の咆哮〟!」
「――〝天堕〟――」
地上にいる騎士の手から魔法の竜巻が空に放たれ、落下加速するエヌと正面衝突。
あっさりと弾け飛んだのは魔法のほうだった。
竜巻を突き破ったエヌは、そのまま地面に蹴りを叩き込む。
すさまじい揺れが街を襲った。
レンガ畳はエヌを中心に凹み地割れが起こる。その衝撃波が周囲の建物の窓をつぎつぎに割り、近くにいた騎士のひとり――竜巻の魔法を打った青年が、その風圧に声をたてて笑った。
「っひょう! おっもしれえじゃねえか!」
この破壊を恐れないどころか、おもしろいとは。
俺はエヌの後ろにゆっくりと着地する。
ぬるい夏の夜風に火と煙と破壊の熱気が混じりあい、俺たちの肌を焦がす。
地面に降り立った俺たちを取り囲んでいるのはハプスブラン家の近衛騎士たちだ。
大剣の男だけは動く気配はないが、残りの四人はいまにも俺たちに襲いかかってきそうだった。
「どこからでもかかってきなさい」
兆発するエヌに、MACを取り出した四人の騎士。
それを止めたのは大剣の男だった。
「……待て、対象が見当たらない。おそらくこのふたりが我々に気づかれないように逃がしたのだろう。クラマ、探せ」
「え、オレかよ? オレもこいつらと戦いてえんだけどよぉ。めちゃめちゃに斬ってやりてえんだよぉ」
嫌そうに答えたのは、上半身が裸の刺青男。
セリフのとおり、いかにも戦闘狂っぽいやつだ。
しかしギロリと大剣の男に睨まれると「おおこわ」と身震いさせて、あっさりと姿を消した。
俺は舌打ちする。
さすがに冷静なやつがいると違うな。全員を完全にひきつけるのはさすがに無理か。
とはいえ、すでにフィアは街の混乱に溶け込んでいるからアクシデントでもない限りは見つけられないだろう。
見つからないことを祈るしかない。
この騎士たちの統率は黒鎧の大剣の男がとっているようだ。雰囲気もひとりだけさらに鋭く、こいつが間違いなくリーダー格だろう。
その次に強そうなのは「もう戦ってもいいか!?」と槍を携えた青年騎士。
見た目からしてみょうちくりんなのは、武器らしい武器を持たないが全身にMACケースをつけた初老の騎士だ。
そして巨大な鉄球がついた鎖を持つ細目の女騎士も、一癖ありそうなやつだった。
フィアの話が本当なら、それぞれが王宮騎士並の力を持つらしい。ってことはおそらくいまの状態のエヌと互角かそれ以上ってことだ。
「オレはあの女と戦るぜ!」
「では吾輩は少年を」
「アタシは女同士、タイマン張りたいんだけどね」
「……貴様らの好きにしろ」
どうやら向こうは準備万端なようだ。
数的に不利なこの状況、まずは先手必勝だ。
「――〝流星〟――」
「〝X-Move〟!」
予備動作も一切なくエヌが閃光と化した。大剣の男を除く騎士たちはすぐにMACを構えたが、その瞬間に俺は魔法を発動。
まずは鉄球を抱えた女騎士を、はるか上空に飛ばす。
じつをいうとついでに大剣の男も同じように飛ばそうとしたんだが、なぜかそいつには効果がなかった。
「ほほう」
ジロリと睨まれた。
座標をとらえきれずに魔法が不発だったのか、それともあいつに俺の魔法が効かないのか……?
気にはなったが、熟考している場合じゃない。
「オレは〝竜殺し〟クレナイ! 手錠女、オレと熱いバトルしようぜっ!」
「――〝噴火〟――」
エヌを迎え撃つのは槍使いの青年騎士。
エヌの蹴りが槍の男――クレナイとぶつかったときには、無数のケースを体に巻き付けた初老騎士がMACを取り出していた。
それも両手に四つずつ、合計八つだ。それを俺に向けて構えてくる。
「吾輩は〝闇王〟アオイ。……少年、貴殿も名乗りたまえ」
「トビラ。〝没落貴族〟トビラだ!」
「そうか……では吾輩、推して参る」
カードケース男、アオイはMACをすべて放り投げた。なにをする気だ。
油断は禁物。俺は神経をとがらせて――
「〝吸集〟」
キラキラと空中のMACが光った。
そう思ったら、周囲の街灯りがみるみる薄れていく。空に浮かぶ月の輝きさえもうすれていく。
MACが光を吸収しているのか、周囲がどんどん暗くなっていく。
「おい〝闇王〟! オレらも戦ってんだぞ!」
「吾輩の魔法は万物に平等なり。〝竜殺し〟、貴殿こそ吾輩を巻き込むでないぞ」
「ちぃっ!」
エヌと激しくぶつかりながら、クレナイとやらが舌打ちする。
さすがに光を失ってまともに戦えはしないだろう。それは誰だって同じ。
もちろん俺も暗いのは苦手だ。
「〝X-Mo――」
「〝踊り狂い泣き喚く夜〟」
俺が光を吸収するMACを地下に弾き飛ばそうとした瞬間、アオイは別のMACを発動した。
……多重発動、か。
召喚獣以外のMACを同時に発動すると、魔力を必要以上に消費するのは俺も知っている。魔力が尽きれば瀕死状態になるから、戦いといえどふたつの魔法を同時に使うやつはいままで見たことがなかった。並大抵のやつにできることじゃない。
アオイが発動したMACは、黒い霧となって周囲に広がっていく。
俺が『吸集』のMACを地下深くに転移させて真っ暗になることは防いだが、黒い霧のせいで結局なにも見えなくなった。
ただ、この霧がただの霧のようには思えない。
俺は暗い視界のなか目を必死にこらし、細剣を構える。
「〝霞む雲と震える吐息〟」
霧のむこうからまたMACを発動する声が聞こえてきた。
こんどはやたらと肌寒くなってきた。気温がぐんぐん下がるのがわかった。
……でもそれだけだ。俺にはダメージがない。
真正面からぶつかってくるようなファイターじゃないことはわかる。
だが、少し違和感。
「〝沈みゆく月光のソナタ〟」
またMACを発動する。
つぎはなにが起こったのか、まったく俺にはわからない。感じない。
しかし相手が動く気配はない。じっと建物の上で立って、こちらと距離をあけているだけだ。
少し離れたところでエヌとクレナイがぶつかっているのは音と気配でわかるが、そちらも動きが少しゆっくりになってる。この視界の影響だろう。
……どうするか。
一度空まで飛び、ここから脱出することも考えた。どこまで薄暗くなっているかはわからないが、さすがに街全体の灯りを消したってことはないだろう。
ただ、そうすればエヌがひとりになる。
それは避けたいところだ。
「〝X-Ripper〟」
試しに、剣を振るって空気を切り裂いてみる。
しかし形のないものはさすがに分断できない。すこし黒い霧が揺れただけで、それまでだ。
「……ふむ」
〝闇王〟とやらも、MACの発動をもうしてこない。さすがに四つ同時に発動するのが限度だろうか、動かずにいるだけだ。
いや、それともすでに他の魔法も発動しているのだろうか。
視界も悪く、魔法の正体がつかめない。
……迷う。
攻撃されないってだけで戦いに迷いが生まれる。
ふつう〝竜殺し〟みたいに、相手とぶつかってこその戦いだ。殺し合いならなおさら、お互いの視界を奪っただけでじっとしているなんて腑に落ちない。
じっとしていればそのうち空に飛ばした鉄球の女騎士も落ちてくるだろう。せっかく人数を減らしたのに、意味がなくなってはどうしようもない。
なら、やはり。
「ここはエヌに任せ――」
「トビラ!」
「え?」
耳元でエヌの声。
とっさに振り返える。
……誰もいない。
「やめなさいトビラ!」
「……エヌ?」
耳元で叫ばれている。耳の奥がキーンと鳴った。
だが、俺の近くには誰もいない。相変わらず黒い霧が立ち込めているだけだ。それに、ずっと聞こえてくる激突音を信じるならば、エヌはまだ〝竜殺し〟と激しくぶつかり合っているはずだ。
ってことは敵の罠だろう。
「……騙されるかよ」
気をしっかり持て。
〝闇王〟の発動した最後の魔法は、もしかしたらこれが効果なのかもしれない。相手の視界を奪い、体温を奪い、そして平常心すらも奪っていく魔法。じわじわと嬲り殺されるイメージが頭に浮かんだ。〝闇王〟って名前がぴったりじゃねえか
俺は幻聴に負けないよう、周囲を睨むように細剣を握りしめる。
「馬鹿!」
パンっ。
と、頬をぶたれる感覚。
なにも俺に近づいていないのに、頬に痺れるような痛み。
意味が解らん。
だが、それでも俺は油断しない。これも幻覚かもしれない。相手が使う魔法がなにかわからない以上、ちょっと頬を殴られた衝撃がきただけで揺らいではならない。
より一層、細剣を強く握りしめる。
「放しなさい!」
だが、柄をしっかりと持つほどに響くエヌの声。
こんどは手首を強く握られた。
「その手を放しなさい! はやく!」
見えない力が、俺の手首を締め付ける。
なるほど。
武器すら奪おうとする幻覚魔法か。
その手には乗らない。俺のこの『英霊の剣の鍵』は、師匠からもらった大事なものだ。あの師匠がわざわざ俺のために用意した武器。そうやすやすと手放してやるもんか。
「やめなさいっ!」
今までで一番悲痛なエヌの声。
エヌがそんな声出すものか。あいつはいつでも淡々としてるし、叫ぶときでも激しさを込めない。
よほどのことがない限り、そんな声を出すわけがない。
……よほどのことがない限り。
「……トビラ……」
エヌの声がようやく静かになった。
声で俺の武器を放させようとするのは諦めたのだろう。相変わらず手首をしめつける力は強いが、この視界のない状況で武器だけが俺の生命線だ。それくらいじゃ手放さない。
さあ、つぎはどんな幻覚で俺の武器を奪おうとしてくる?
そう身構えた俺の体に走ったのは、衝撃でもなんでもなかった。
「んっ!?」
唇にやわらかい感触。
つい目を見開く。
さっきフィアにされたキスよりも、すこし乱暴なキスだった。
押し付けられるような武骨な感触だったが、やたらと熱かった。
目には見えない誰かにされたキスに、俺は一瞬、脳が麻痺する。
それと同時に、口の中に流れ込んできたのは暖かい力の奔流だった。唇から胸のなかへと染み込んでいく熱いなにかに、俺は身体の芯が奮えた。
自分の体のなかから、なにかが溢れてくる。
金色の、光――――
「…………え?」
俺は、呆然とした。
視界がいつのまにか明るくなっていた。
薄暗い闇も、黒い霧も、体温が下がっていることもない。
さっきまで警戒していたはずなのに、見ていた景色が一瞬で塗り替わった。
いつからか、俺はレグレナードの中央通りで膝をついていた。
手に持った細剣を、自分の体に突き刺して。
肩と胸のあいだに深々と突き刺さった細剣。傷口から血がどろりと垂れ、肩の骨すら露出している。
剣を肩から心臓にめがけてくいこませようとしている俺。
自分の手で、自分を殺そうとしている俺。
そんな俺に口づけていたのは、やはりエヌだった。
なにが……起こった?




