Falling【5】 プライド ☆
カムイ領主が姿を消してしばらくは、静寂が地下室を包んでいた。
俺はベッドの上で寝転んだまま、白いMACを手の中でひっくり返して時間を潰していた。フィアがどうするにしろ、まだしばらくはここから出られなさそうだ。
いかつい坊主頭の盗賊の兄貴は、フィアの牢屋の前に陣取っている。
手を伸ばせば牢屋の中からでも届く――そんな場所にMACを置いて、フィアをじっと眺めていた。
やがて沈黙に耐えかねたのか、
「……つっても、使わねえ理屈はねえんじゃねえのか?」
兄貴は《生贄の雨》を触りながら、フィアに問いかけた。
俺は耳を傾ける。
「おまえはなんでここまで来た? なにを求めてここまで来たんだ?」
「……それは、勇者です。それがどうかしたんですか?」
「ならカムイのやつだけが批判されるのはおかしいだろ?」
「なぜですか?」
「勇者を求めてたっても、どうせ理由はカムイと同じだろ? 勇者にしか使えないMACを手に入れたから、それで経済復興をはかろうってことだろう? 盗賊の俺たちでもそれくらいわかる」
「……それは……」
と弱々しいフィアの声。
それを笑う盗賊の兄貴。
「なら、おまえだってやろうとしてることは、カムイの野郎となんら変わりねえんだよ。特別な属性を持ったやつを利用して自分たちの利益をあげる。使うMACが法で禁止されてるか、されてないかの違いだけだろ? しかもその法はおまえたち王族が作ったもんだ。俺から言わせてもらえば、お姫様。おまえら王族のほうがカムイの野郎よりよっぽど腹黒いぜ?」
フィアは言葉に詰まった。
腹黒い。
その言葉はフィアのなかのなにかに触れたらしい。ギリギリと歯をくいしばるフィア。怒りに耐えるような、屈辱に耐えるような反応だった。
兄貴は《生贄の雨》をフィアに差し出した。
「だからこんなもん使うのに、ためらう必要はねえんだよ。おまえらが禁忌に定めたもんを、おまえらが使っても誰も文句は言えねえ。なあ、そうだろ?」
こいつは盗賊だ。
奪うか、返り討ちにあうか、捕まるか。そういうことを生業にしているからか、価値観はとてもシンプルでわかりやすかった。
そのドライな考え方は、正直、嫌いじゃない。
〝わかりやすいこと〟は、いつだってひとを惹きつける。
「たったひとりの犠牲だ。それで国が守れるかもしれねえ。このまま食料が尽きれば飢えで何人死ぬと思う? その隙を突かれて戦争でも仕掛けられたら、さらに何人死ぬ? 国民を守るのは誰の役目だ? おまえら王族は、たったひとりの命を見逃すために国民全員を危機に晒すのか? 価値の天秤を考えろよ、お姫様。こんなもん誰でもわかる問題だろう?」
揺さぶる。
金ではなく、命の価値で揺さぶってくる。
ただフィアも黙ってはいられないらしい。
「……ですが私も、王族であるまえにいち国民です! 自分の一存で誰かを殺めるなんて、そんなこと、できるはずがありません! 許されていいはずがありません!」
「許す許さないの問題じゃねえんだ。取捨選択の問題だって言ってるんだよ王女様」
「違います! 倫理の問題です!」
「……ちっ、埒があかねえ」
男は舌打ちし、
「おい、おまえら」
「「へい」」
牢屋の鍵を開け、中に入る盗賊たち。
「きゃあっ!」
ドサリ、と音がする。
フィアが地面に倒される。手はまだ後ろで縛られたままだから、抵抗はできない。
「カムイの野郎は国のために働いてる。自分が死んでも良いとも言い張ってる。それなのに、てめえは自分が嫌な思いをしたくないからカムイを否定するのか? てめえはそれでもこの国の王族か?」
「だからといって、誰かを犠牲にしていいわけがありません!」
「綺麗ごとばっかぬかしてんじゃねえっ!」
ドゴッ!
鈍い音がして、フィアがうめき、ごほごほと咳き込む。
「苦しいだろ? 痛いだろ? その苦しみはすぐに飢えに変わるんだよ。それなのにおまえは、なにもしようとしないのか? 誰も救おうとしないのか!?」
「……だって、私は……」
「てめえらがそんなんだから、この国は飢えてるんだよ!!」
ドスッ、ゴスッ。
鈍い音。
壁のむこうで、フィアのうめき声が漏れる。
必死に押し殺したうめき声が、漏れる。
……誰かに訊かせないように、押し殺したうめきだった。
「こんどはだんまりか? おい」
「…………。」
ドゴッ、とまた音が響く。
「ちっ、この女……強情張りやがって。めんどくせえ」
「では、わたしに任せてくれないかね?」
「あん?」
階段から降りてきたのは領主だった。
杖を牢屋の前に立てかけて、兄貴の肩を掴んで入れ替わる。
「……俺らに任せるんじゃなかったのか?」
「プライドの高いお姫様だからね。ただの暴力ではうなずいてくれなさそうだ。きみの怒りが勢い余って、蹴り殺してしまっては意味がない」
「フン……それくらい、ちゃんと制御できてるつもりなんだが?」
兄貴は不満そうに、牢屋の外に出る。
腕を組んで、壁にもたれた。その顔はいかにも盗賊の兄貴分としてふさわしい荒々しい様相だった。だが、視線はどこか冷めている。俺が見ていることに気付いて目を合わせても、とくになにも反応しなかった。
「フィオラ様、意見を変える気は?」
「……あ、ありません……」
「そうですか」
領主の失望した声。
「ならしかたありません…………きみたち、犯してあげなさい」
「あ? なんていった?」
兄貴はぴくりと眉を動かして、とびきり低い声を出した。
「犯してあげればいい、と言ったんだけどね。聞こえなかったかな?」
俺とフィアは息をのんだ。
地下牢だ。なにをされても声は外に漏れない。フィアは最悪の覚悟はしてきたと言っていたが、そこにはコレは含まれてないのだろう……息遣いが聞こえなくなった。
盗賊の兄貴は壁から背を離した。
そして領主を……睨みつけた。
「ふざけろ。俺は盗賊だ」
「盗賊だろう? ならず者なのは変わりないとは思うけどね」
「もう一度言うぞ? 俺は盗賊……盗むのが仕事だ。説得こそ手伝うが、強姦なんて真似はできるか。それは俺じゃなくてそこらのチンピラでも雇うんだな」
「この仕事の契約はフィオラ様に《生贄の雨》を使用させることだよ。それができないとなると、報酬は支払えないが」
領主と兄貴が睨みあう。
ジリジリとした空気を破ったのは、兄貴だった。
「……ならこんな仕事、やってられるか」
兄貴は怒りながら階段をあがっていった。
小屋の扉が乱暴に閉められた音が、地下まで響いてきた。
どうやら仲間割れしたようだが……だからといって形勢が良くなるわけでもない。
領主は大きくため息をついた。
「……仕方ない。きみたちに頼むよ」
「「でも兄貴が……」」
「きみたちの兄貴は仕事を投げた。本来なら契約は打ち切りだけど、きみたちが協力してくれたらきちんと報酬は払おう。もともと成功報酬だしね」
「「わ、わかった」」
ビリビリと服が破られる音。
盗賊の兄貴は、あれでも手加減していたのだろう。
服が破れる音が響くにつれて、この場のタガが外れていく気がした。
「フィオラ様。あなたは、なにがあっても他人を犠牲にしないのかね?」
「し……しません!」
「そうか。そうだね。もし自分が弄ばれたというだけで誰かを犠牲にしてれば、そりゃあそれこそ劣悪な行為だからね」
「――っ!」
フィアの息が、怒りで荒くなる。
フィアが使えるものはいま《生贄の雨》しかなく。
それを使わないということは、何もしないということで。
「ほんとうに、愚かなひとだね、あなたは」
「……っ!」
黙って凌辱されることを、認めたということで。
「泣いて許されるとでも、お思いかな?」
領主の嘲笑う声。
「悔しいかな? 悲しいかな? 怖いかな? フィオラ様はまだ処女のようだね。どうです? こんなところでわたしたちみたいな穢れた大人を相手にする気分は?」
「こ、怖くなんかありません!」
「そんなわかりやすい嘘を。……いまなら《生贄の雨》を使っていいと思えるんじゃないかね?」
何かが千切れる音が最後に響く。
ジャラジャラと鎖を外し、フィアの両手足を押さえつける男たち。
フィアは完全に自由を奪われ、体を隠すこともできなくなる。
「つ、使いませんっ!」
「声が裏返ってますよ? それでも、プライドを捨てない、と?」
「捨てません!」
フィアはかたくなに拒む。
「わ、私は……私はフィオラ=リッケルレンスとしての誇りを、死ぬまで守り通しますッ!」
「ははは……安いプライドだ。王族としてのプライドなんて捨ててしまえばいいものを」
「……王族としての? なにを言ってるんですか?」
と。
フィアの口から洩れたのは、予想に反した震えた笑い声。
恐怖で押し殺された――嘲笑。
「あなたにはないのですか? こんなに大事なものを、持ってないのですか? 王族とか、領主とか、盗賊とか、没落貴族とか……そんな属性は関係ありません! これは、これは――」
フィアは憐みの声とともに、言い捨てた。
それは涙と嗚咽の匣に閉じ込められた彼女の鉄の意思。
彼女の、誇りだった。
「――ひととしてのプライドです!」
フィアの言葉は、なによりも強かった。
ああ……
思えば、俺はダメなやつだった。
言われるがまま生きてきた。
流されるまま過ごしてきた。
目標も持たず、信念も持たず、やりたいこともなにもなく。
自分の意思なんて、ほとんどなかった。
だけどこいつはそうじゃなくて。
自分を守るものがない場所に、ひとりで飛び出して。
盗賊相手に戦って。
逃げる可能性を捨ててまで、愛馬を逃がして。
こうして捕まっても折れることなく。
自分の大切なものを失おうとしても、折れることなく。
それでも悲鳴を……俺に聞こえないように、悲鳴を上げていて。
なんの役にも立たない俺は、ただここでじっとしているだけしか能がない。ただじっと、隣の様子に耳を立てているだけしか、できない。
それは……イヤだ。
流されるままに生きてきた。
自分からはなにもしてこなかった。
それはもう、イヤなんだ。
だから。
だから俺は――
「――フィアを、助けたい――」
俺は、白いMACをぐっと握りしめた。
その瞬間だった。
『――申請を受諾。所有者検知、認証に成功。適合情報を抽出開始、抽出完了。魔術練成式を生成します――』
突如、白いMACが震えた。
同時に音声が頭のなかに直接流れ込んできた。
聞き憶えのあるような、ないような声。
機械音のような、声。
『――プロダクトコード設定完了。属性・没落貴族 使用権限☆7 既存分類項の該当はナシ――』
ハッとして、手元のMACを見る。
表面に書かれている『???』がすべて消えていく。
『――よって魔法色は白と認定されます――』
イラストも、変換される。
『?』から、『↑↓』に。
『――使用効果は〝物質の縦軸方向への移動〟――』
MACに浮かんだ文字を見る。
輝く金色。
【☆☆☆☆☆☆☆ 属性・没落貴族】
それは、新しく生成された魔法。
その白いMACの名は――
『――魔法名、《X-Move》――』




