Download【22】 道中の草原にて
「旅行に行きたい、と?」
「うん」
ラッツォーネは山国だ。
北にそびえ立つ山脈を越えれば凍てつく海があるらしいけど、そっちはすでに人間が生活できるような環境にない。
自然と手に入る食料は山の幸だけだ。海で採れたものなんてこの国に来てから一度も口にしていない。
でも今日は珍しくクラムチャウダーだった。ズィが買い物に出かけたとき、そこで安く海鮮類が手に入ったんだとか。
海の幸のないこの村ではズィしか調理できないから、ズィが村人全員分のクラムチャウダーを大鍋で作って村の広場で配っていた。
村のみんなで同じ料理を食べての団らん。
レナは熱々のスープで温まったカップを両手で持ち、白く息を吐き出しながらうなずいた。
「このまえ中央協会を見学させてもらったときに思ったの。あたし、ここに来てからダンジョンにしかほとんど遠出してないでしょ? それに、そろそろリンちゃんにもいろいろ世界を見てほしいと思ってさ。だから、旅行」
「なるほどのう」
ウィは長い髪を地面につけないよう、自分の体に巻き付けて広場のベンチに座っていた。レナの言葉に納得したようにうなずいて、ちらりとリンを見る。
リンはむこうで子どもたちと楽しそうに話していた。
反応がすこし薄い気がする。
「……だめ?」
「否、あまりこの国ではそういった発想はないので驚いただけよ……よいのではないか。無論、わらわが帯同してやることはできぬが、できる限りの援助は致そう。リンは武器を持つことを嫌がるゆえに、彼女だけは誰かが守ってやらんとならんしのう」
「いいの? ありがとう」
意外とすんなり許可がとれた。
ウィにはとくにメリットのない提案だったので、もっと渋られるかと思っていた。
「しかしデトク皇国は情勢が不安定ゆえ、治安も悪くあまりおススメせぬ。いまズィのMACで気軽にゆける転移先はミュートシスくらいなものだが……」
「いいわミュートシスで。そんなに長く旅行するつもりもないし、とりあえず外の世界を見てこようと思っただけだしね」
もとよりプチ旅行のつもりだ。
リンも連れていく手前、なるべく安全で、こことは違った風景を見せてやりたい。
クラムチャウダーをすすりながら飲んでいると、片目を閉じたウィが「ほほう」となにか感心したような声をあげた。にやりと笑みをうかべて、こっちを見上げてくる。
「……どうしたの?」
「わらわからひとつ提案がある。行先なのだが、有名な観光地になっておるミュートシスの『赤い森』にしてはみんか? 転移先から少し歩くが面白い体験ができるかもしれぬぞ」
「うん? べつにいいけど……」
レナはとくになにも思わずうなずいた。
危険なことじゃなければなんでもいい。
とにかく決まってよかった。リンも喜ぶだろうが、ズィは一緒に行かなければならないので、めんどくさいとか言われるだろうけど。
まあ、今回はリンがいるから口に出しては言わないだろうな。
「そうそう。土産は珍しい食べ物がよいからな。海の幸もよいが、彩ある野菜なども食べてみたい」
「わかったわ」
レナはそのとき、気軽な気持ちでそう思っていた。
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馬車ってのは乗っているとかなり尻が痛くなる。
旅が長ければ長いほどそれは実感する。とくに一泊してどこかに向かうとなれば、より疲れは溜まるし馬も歩きが雑になってくる。
「そういうときは、お尻を軽くマッサージすればいいんです。ようは筋肉がかたくなるから痛いんですよ。よければ私がしましょうか? ほら、お尻を出してくださいはやくお尻を!」
「セクハラだ!」
手をワキワキさせながら迫ってきた王女様に、俺は後ずさった。
ミュートシス王国の東部の景色は、草原が多い。
俺たちは馬車でリッケルレンスの東部――カムイ領地を抜けて北上し、ミュートシスへと入国した。このあたりの国境は比較的平和で、警備兵もそれぞれの国が二人いるくらいだ。
なだらかな傾斜の草原がずっと続いていて旅行しやすい道にもなっている。
「まったくトビラは素直じゃないですね。仮にも王女の私がマッサージしてあげると言ってるんですから、すこしは喜んだらどうですか?」
「じゃあ逆に聞くが、俺がはいそうですかと嬉々としてお尻を差し出したら、おまえどうする?」
「セクハラで訴えます」
「それみたことか!」
王女にそんなことされたらシャレにならん。
「よかったわねトビラ。次の属性は『痴漢』に決まりよ」
「真顔で言うな!」
エヌが淡々と毒を吐いて、フィアがけらけらと笑った。
属性が没落貴族っつう底辺なことはどうでもいいが、さすがにセクハラ犯罪者にはなりたくない。就職できないどころか社会的に死ぬだろう。
「まったくおまえら、俺をなんだと思ってやがるんだ」
「え? 没落エロスですよね?」
「それはただのエロだ」
「……そういえば、あんた〝時の神殿〟で相手のスカートを魔法で持ち上げてたわね」
「なんですって!?」
「そうだけどそうじゃねえ! だからナイフをしまえフィア!」
誤解だ誤解。
そういえばクォとズィは元気だろうか。湖のダンジョンで会って以来、国も遠いし姿を見かけていないが、死にそうな怪我をしていたからさすがにMAC集めは当分休業してるかもしれないな。
「でも男のひとって、やはりスカートのほうが好きなんでしょうか? 私、ファッションや若者文化には教養がないのでわかりません。この格好だってセーナが選んでくれたのですけど……変じゃありません?」
フィアは自分の服を眺めて首をかしげる。
旅行なので疲れないよう気を付けているのか、わりと軽装だ。シンプルなシャツにポンチョのようなフードのついた服をかぶり、どこかの民族が愛用していそうな派手なデザインのロングスカートを履いている。ただし足元は動きやすいようにブーツ着用だ。
旅行のときにはいつも巻いている腰布には、護身用の短剣がつけられていた。
「格好はふつうだろ。そういや、最初に会ったときもその短剣つきつけられたっけな」
「懐かしいですね。あのときもトビラは痴漢してきましたよね」
「言いたかったのはそこじゃねえけどな」
もう半年ほども前のことになるのか。
そんな時間が経ったようには思えなかったが、それも不慣れな生活だったせいだろう。
この半年間いろいろあったな。
「……私、あのときトビラに出会ってなければ、どうなってたんでしょうか」
「さあな」
俺だって、あのときフィアに出会ってなければどうなってたのか。
没落貴族としてなにもできずに、ただ廃れて死んでいたかもしれない。魔法だって手に入らなかっただろうし、なによりこんなに恵まれた生活は送れなかっただろう。
考えても同じことだが、たしかにあのときあのタイミングであそこにいたからこそ、いまの生活を享受でいているわけだ。
「……ってなんかこれ死亡フラグ――」
とつぶやきかけたとき、馬車が急停車した。
「きゃっ」
「おっと」
フィアがつんのめって倒れかかってきたので、その小さな体を受け止める。
急停止にもエヌが微動だにしなかったのは、さすがとしか言いようがない。
「あ、ありがとうトビラ……どうしたんでしょうか?」
「ちょっと見てくる」
俺は馬車の外に出た。
見渡す限りの草原の道だ。本来ならいきなりなにかが飛び出してくることはない。
盗賊でも隠れていたかと思ったが、馬車の前にいたのは子どもだった。
八歳くらいの兄と、五歳ほどの妹か。
服はボロボロで、ただの布を巻き付けているような印象すら与える。体も痩せていて、なにより腕や足には傷跡があった。
「ご、ごめんなさいっ!」
少年は少女を守るように抱きかかえ、怯えながら叫んだ。
こんななにもないところで、いったいどうしたんだ。
「ど、どうしましょう?」と御者が眉をへの字にして顔で振り返る。
どうするっても、放っておくわけにもいかない。
かな~り面倒事の気配はするが、これを無視するのは王女様が許さないだろうしな。
「……おまえら迷子か?」
俺が前に出ていくと、ビクリと体をすくませた兄妹。
何も言わなくなってしまった。
つられてこっちも黙り込む。
……子どもは嫌いじゃない。
かといって得意でもない。
怖がっている子ども相手にはどうすればいいのか、誰か教えてくれ。
適材適所という言葉があるように、それぞれ得意分野がある。
俺やエヌはフィアよりも戦いにおいて秀でているが、だからといって不測の事態に対処する力がフィアよりあるかといえば、そうでもないようだ。
子どもたちは俺たちが近くにいると、怯えてなにも話さない。
彼らが怯えなかったのはフィアだけだった。
「……どうやら、逃げてきたようです」
フィアは事情を聞き終えると、離れたところで待っていた俺たちへとすぐに駆けてきて、神妙な面持ちでつぶやいた。
「あの子たちの両手足に鎖の跡がありました。奴隷として使役していたのか、どこかの家で逃げないように拘束されていたのでしょう。ろくな食事も与えられてないようでした……許せません」
少しフィアは怒っていた。
ただしフィアも声を荒げることはない。
リッケルレンスでは奴隷制度は廃止されているが、ミュートシスでは『家仕』という名目で、行く当てのない孤児を買い取ることができるのだ。一定の条件さえ満たしていれば、彼らに労働を義務づけることが可能だという。
「おそらくどこかの貴族の『家仕』でしょうが……あの様子から察するに、かなり酷い扱いを受けていたようです。妹さんを連れだして逃げたお兄ちゃんはとくに疲弊しています。すぐにでも休ませてあげたいところですが……」
「なんか不都合でもあるのか?」
言い淀んだフィアは、俺の質問にすこしだけ沈黙をはさんで首を振った。
「……いえ、なんでもありません。急ぎましょう」
俺たちはすぐに馬車を走らせた。
馬車の中は四人掛けだったので、俺は御者席の隣に座って馬の背中を眺めながら道を急いだ。次の街まではかなり距離がある。
ときおり御者台から車内を覗く。
震える兄妹の後頭部が見える。
正面に座るフィアが彼らに優しく言葉をかけているのが耳に届いた。
話の内容までは聞こえないけど、まあ、暴れたりしないようでなによりだ。
……妙なことになったが、これも仕方ない。
ミュートシスの大草原を抜けるのにさらに半日かかり、空が茜色になり始めたころにようやく大きな街へ到着した。
ミュートシス王国東部『レグレナード』という、街のすべてがレンガ造りの街だった。
レンガのせいでただでさえ赤い街並なのに、夕焼けを反射してさらに真紅に染まったその風景は、活気ある商店街を中心とした交易の街として、それらしい喧騒にあふれていた。
客を呼び込む店員。
魔法屋が数多く軒を連ねているあいだに、珍しい食料を売っている店なども見える。
ふつうに観光先としても楽しそうな街だった。
「人が多いな……」
混み合った通りをゆっくり馬車で進む。
近くに宿屋を見つけると、俺たちはすぐに部屋をふたつとった。
「トビラは情報屋がないか探してきてください。私とエヌさんは子どもたちを看ていますから」
「はいよ」
宿屋から出て、混雑した街を歩く。
南はリッケルレンス、北は〝ディーヴ連合の森〟、南東はデトク皇国、そして東にはミュートシス王都。
その中心になっているこの街は、それぞれから運ばれてくる交易品が集まっているようで、人も者も様々なものが溢れていた。
これから夜になれば、違う意味で街もにぎやかになってくるだろう。
そのまえに宿に戻れたらいいなと思いつつ、俺は街を進むのだった。




