Download【20】 言葉にしたときの重み
誰にだって、譲れないもののひとつやふたつはある。
プライドなり、信念なり。
そういったものが人間の本質だと思っていた。
でも、それすら考えが足りないだけだと。
子供の意地でしかないと。
そう教えられてなお、自分が考えを曲げないかどうかなんて、たぶん誰もわかりはしない。
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「わ~でっかいねえ!」
岩場に能天気に響いたのは、妹――リンの声だった。
「空を飛べども先端が見えぬ塔……それがこの〝神の塔〟よ。上部は特殊な結界で守られており、わらわですら覗き見ることはできぬ。中央協会ほどの巨大な組織力を以ってすら攻略がまだまだ滞っているほどのダンジョンよ」
「すごいねぇ……ね、レナちゃん」
リンは無邪気に振り返った。
そりゃあはるか上空まで伸びる塔だ。どんな建築技術でも不可能だろうといわれているほど建造物は、何度見ても圧巻だ。
それよりも。
「……なんでリンちゃんも連れてきたの?」
「頼まれたんだから仕方ねえだろ」
ズィを睨むと、目をそらされた。
横でリンが泣きそうな顔をする。
「うう……来ちゃダメだった……?」
「いや、そうじゃないんだけどさ。リンちゃんまで危ない目に合うかもしんないから……ズィ、あんた責任もってリンを守りなさいよ!」
「わ、わかってらあ」
「ごめんねズィ?」
「おめえのせいじゃねえから気にすんな」
申し訳なさそうにするリンに、ギザギザの歯を見せてニッと笑うズィ。
さてはこいつ、リンのこと気に入ってるから断れなかっただけだな。
「さて、それではいくかの」
ウィが先導して歩く。
リンのことは心配しても仕方がない。
大陸会議はつまらなさそうだけど、ほかの国の魔法使いに会えるのは楽しみだった。
レナも軽い足取りで、〝神の塔〟へと近づいていく。
「……中止?」
「はい」
塔の入口で、レナたちは足を止めていた。
近くにはほかの国々の王も待機している。
入口でしばらく待たされたと思ったら、いきなりの会議中止宣言だ。
みな困惑した顔で、説明する協会員の言葉に耳を傾けていた。
「ここまで足をお運び頂いたにもかかわらず、誠に申し訳ございません。……デトク皇国の制度改革の話はご存知でしょうか?」
「無論よ。貴族院から侯爵位を除外し、政治体系を明文化させるというものであろう? たしかリッケルレンスと貴国ミュートシスの両国上人が調定人となって、すでに新体制が開始されていたのではないか?」
「ええ、仰る通りですが……じつは昨日の夜、その新体制に反対していた上貴族の者たちが猛烈な抗議運動を起こしまして、デトク皇国政治部が小康状態になっているのです。もちろん一般市民にまで響くものではありませんが」
「ほほう。それは知らなんだ」
と、ウィは片目を閉じた。
視界を飛ばす魔眼〝千里眼〟だ。
すぐに目を開くと、
「なるほどのう。ちらと覗いたが公家は混乱状態よ。ここにリッケルレンス王とミュートシス王の姿がないのもそのせいかの?」
「はい。両陛下はただいま、デトク皇国の国内視察に向かわれております。デトク皇国の政権分化について、ご助言なされるおつもりかと。デトク皇国はなにかと資源が豊富ですので、隣り合う両国にとっては協力を惜しむ理由は御座いませんし」
「そうであったか。それなら詮無きことよの。両国人がおらぬのでは話し合いもうまくいくまいて。他の国王殿も、異論はあるまい」
ウィがうなずくと、それぞれの国の王たちも仕方ないと肩をすくめたり、舌打ちをしたりして、踵を返した。
よくわからないが、事情が事情らしい。
各国の要人たちがぞろぞろと解散していった。
「……あたしたちも帰るの?」
「是……といいたいところだが、せっかくここまで来たのだ。そもそもレナとリンは、会議に来たわけでもなかろう?」
「ってことは」
「ああ。すこし社会見学といこうかの」
ウィは片目と閉じて薄く笑むと、さきほどの協会員に開発局長を呼んでくるよう頼んだ。
すぐに飛んできたのは、見覚えのある太った狸オヤジ。
このオッサン、トレモロとかいったか……偉かったのか。
局長ってどれくらいの地位なのか知らないけど、少なくともただの協会員じゃないことは間違いなさそうだった。なんせ、周りの協会員がみんな頭を下げたんだから。
「こ、これはこれはラッツォーネ国王陛下、お久しぶりでございます。変わらずのご健在のようで安心です」
「うむ。先日はズィとレナが世話になったようよの。礼を言うぞ」
「とんでもない! 私が助けられてばかりでした!」
礼を言われたのに青ざめるトレモロ。
そういえばウィって、国王だったな。ふだんぐうたらしてるから忘れてた。
王じきじきに礼を言われて喜ぶような能天気な性格でもないようで、トレモロは緊張した面持ちで問いかける。
「それで陛下、私にどういったご用命で?」
「このレナとリンに研究施設の見学をさせてやりたくてのう」
「見学……ですか?」
トレモロの顔が曇った。
中央協会の研究はどこの国にたいしても秘匿されているという。いくら王の命令だとしても、素直にうなずけることでもないらしい。
……が。
「わらわの眼を忘れたかトレモロよ。おぬしらの研究に口を出さないのは、わらわがそれを知らないからとでも思うておるのか? だとすればおぬしの考えはちと足りぬのう」
「いえ、とんでもございません。喜んでご案内いたします」
「だそうよ。よかったなレナ、リンよ」
ほとんど脅しのようなものだった。
とにかく世界最先端の魔法研究所というところに連れて行ってもらえることになった。
リンが目をキラキラさせて「ありがとうございます!」とトレモロの手を握っていた。
ダンジョン〝神の塔〟から馬車に乗っておおよそ一時間。
塔から離れた森の中に、隠れたようにひっそりと建っているのが研究所のひとつだった。
外から見れば学校施設のようなところだったが、結界が張られていたらしくトレモロが銀色のカードを取り出して魔法を発動させるまで、ふつうの森があったにしか見えなかった。
いきなり目の前に現れた施設に喜んだのはリン。
いちいち反応がいいから、トレモロも気分をよくしたようだ。
声を跳ねさせて、にこやかにリンに語りかける。
「じつは結界魔法は、一般的には使用許可されておりません。簡単に言いますと、幻覚魔法と防護魔法を組み合わせたような理論で構成されておりますが、構造が複雑で扱いが難しくそのぶん危険も伴うからです。これを使用するためには協会の許可が必要で、我々もそう簡単には許可しませんから、ご覧になる機会も珍しい魔法ですよ。一般施設だと、リッケルレンス王立の上級学校などに施されておりますね」
そう言われながら結界をくぐる。
結界のなかの空気はすこし冷たかった。夏だというのに、そこだけ秋のような温度差があった。その理由は教えてくれなかったけど、なにか研究に必要なことなのだろう。
「それでは、案内していきます」
施設はそれほど大きくはないが、いくつかの棟に分かれていた。研究棟、設備棟、実験棟、宿泊棟とそれから育成棟。
トレモロを先頭に、レナとリン、後ろにズィとウィがついて歩く。
まずは一番近くにあった宿泊棟からだ。
簡易ホテルのように、ロビー、廊下、各部屋といった簡単な構造になっていて、ここで働く人たちがみな寝泊りしているらしい。
結界を開けることができるのはごく一部の者だけなので、勝手に外に出ることも入ってくることもできないようで、ある意味軟禁状態で働いているんだとか。
息がつまりそうだが、よくよく考えたらラッツォーネの村よりは広い。
つぎに向かったのは設備棟。
魔法研究を進めるために必要な設備などが収納されている建物だ。重要な設備のほか、ここはすべての協会員が使用することができるように、それぞれ一つ部屋が与えられている。
「とはいえあまり使用されません。倉庫として利用しているものがほとんどですね。我々の研究は五つの課に分かれておりますが、ここをおもに利用するのは清掃のオバちゃんです」
はっはっは、と笑ったトレモロだった。
「そしてつぎは研究棟ですが、こちらで見たことは決して口外しないで頂きたい」
この施設のなかで一番大きな建物に、レナたちは入っていった。
中は迷路のようになっていた。看板も案内図もなく、狭い廊下がぐるぐると続いている。ところどころに部屋があり、すべて扉にガラス板がはめ込まれていて外から覗けるようになっていた。
「どうぞご覧になってみてください」
「……うわ」
最初に覗いた部屋には、大量の本がちらばっていた。
そのなかで眼鏡をかけた女性研究員がひとり、床を埋め尽くすほどの本を眺めてブツブツとつぶやいている。
目元は暗く、髪で顔が隠れている。
ちょっと仲良くはなれなさそうだった。
「彼女は企画室のリーダーでして、日々理論研究に励んでいます。既存のデータを眺めるのが日課でして、ああやって眺めてはインスピレーションが降りてくるのを待っているそうです」
つぎに覗いた部屋では、部屋中を埋め尽くすほどの棚に、様々な鉱石のかけらが並んでいた。そこにいた数名の研究員が、手元の資料を眺めながら石を触って会話している。
「MACを制作するのにもっとも重要なのは、この魔法金属の生成です。ここではそれぞれの魔法式に適した金属の生成を研究しております。いわば魔法制作の要になる場所ですね」
よく見ると部屋の奥には、釜のような設備があった。
あそこで魔法金属の生成を試すのだろう。
つぎの部屋は、すこし様相が違っていた。
職人のようなひとが、机に座ってなにか作業に没頭している。よくよく観察してみると、溶けた金属を型金に流し込んで、それを細かい棒をつかっていじくっている。部屋のなかの空気がひときわ熱そうな部屋で、汗水を流しながら研究員が作業していた。
「ここはさきほど制作された魔法金属と、魔法式を形にする部屋です。世間でMAC職人と呼ばれる人々はこの作業を担当するもののことを言います。もちろん、職人のなかにはすべてをひとりで行う研究気質なものもいますが、ここは団体としての効率化を進めているため、すべて分担作業として行っております。ここでカード型の魔法具ができて初めて、魔法を作るという行為が完成に近づきます。そしてその魔法が実用化できると判断されて初めて、企画案や金属の生成比、カードの型金が複製され残されて、初めて大量生産の準備が整うのです」
「魔法を……作る」
レナは腰から下げたホルダーを触った。
魔法っていうのはすでに存在するものだとばかり思っていた。誰かが作ったりするんじゃなく、すでに完成されてそこにあるものだとばかり。
でも、そうじゃない。
自分たちで式を組み立てて、素材を作り出し、そして形にする。
日常的に使っている魔法すら誰かの手で作られたものだとは、いままで考えなかった。
レナが持っているMACも、誰かが汗水垂らして作り上げたものなんだ。
「こうして我々は、ようやく魔法が使えるようになります。歴史のなかでは音声魔法や書式魔法が使用されていましたが、いまではこの魔法具に頼らなければなりません。かといってそれが悪いことではありませんよ。使用可能属性を明記し、効果を明記し、耐久度を明記することによって、だれでも魔法が手軽に使えるようになるのです。生活はより便利に、文明はより進み、我々はさらなる進化を歩んでいくのですよ」
研究室のなかをじっと見つめる。
誰もが真剣で、誰もがまっすぐに自分の手元を見つめている。そこに書かれている文章や形は、決して他人には知られたくないほどのものなんだろう。自分たちが作り、自分たちで時代を切り拓いていく。
「…………すごいな」
これだけ熱心になにかを追ったことが、レナにはあっただろうか。
「それでは、お見せできる最後の棟です」
勉強の時間もそろそろ終盤か。
最後にトレモロに案内されたのは、一番奥の小さな建物だった。
実験棟。
家が二つ分ほどの小さな建物。
そのなかには部屋がふたつあるだけだった。
手前の部屋は観察用につくられているのか、すこし高い位置にあった。対して奥の部屋は半分地下のようで、見下ろす形につくられていた。ふたつの部屋を遮るものは鉄製の手すりだけ。落ちないようにつくられたその部屋構造を観た瞬間、すこしだけ嫌な予感がした。
「ちょうど実験中ですね。どうぞ、こちらでご覧ください」
トレモロが部屋の奥に招き、レナたちは手すりをつかんで下の部屋を見下ろした。
部屋のなかには子どもがいた。
五歳くらいだろう。
小さな女の子だ。
少女は杖をついていた。足を怪我してるのだろう。それでもなんとか立っている。
そんな少女を眺めるのは、手元にノートやら資料やらを揃えた研究者たち。
なにをやっているかはぱっと見ただけじゃわからない。
でも、これはまるで――
「ええ。人体実験ですよ」
トレモロが先んじて話した。
レナとリンは息をのむ。
「これもまた、MAC開発に重要な要素です。魔法を使うのは人間なのですから、その魔法に欠点や副作用がないかどうかを確かめなければなりません。いまあそこにいる彼女は、新魔法を使用する実験台としております。魔法を使用した効果で使用者に反動がないような術式であることを証明するには、こうして実験しなければなりませんから」
「…………。」
言葉がでなかった。
研究者たちはみな、真剣に少女を見つめていた。
少女もまた真剣に魔法を使おうとしているが、手に持ったMACをなかなか発動できないでいる。怖いのだろうか……震えていた。
レナはトレモロをじっと見つめる。
トレモロ開発局長はうなずいた。
「魔法とは薬のようなものです。新しい薬が作り出されれば、必ず誰かを救うことになる。ただしその薬が本当に有用かどうかは、誰かが使ってみないとわからない。こうして進化していくことが開発ということです。我々の成果はけっして一人で作り出していくものではないのですよ」
「――そうじゃない」
そうじゃない。
説明なんて求めてなかった。
「子どもを使うなんて……ひどい」
「そうですね。でも、本当にそうでしょうか?」
トレモロは首をひねった。
「ここには育成施設があります。そこには実験を担当する子どもたちが何人もいますが、彼らはもともと施設ですら受け入れられなかった孤児です。各国の福祉施設の許容量を超えた子たちは、こうして中央協会が引き取ってるんです。ただ我々は彼らの生活を保障する代わりに、こうして実験台となってくれる契約を交わしているのですよ」
「契約? そんなの倫理的におかしいでしょ?」
すこし声が大きくなった。
近くの研究員に睨まれたけど、むしろ余計に腹が立つ。
「たしかに人体実験は倫理的に正しいとは言えません。ですが必要なことなのですよ。お互いに必要だから、こうなっているだけです」
はっきりと断言するトレモロ。
そんなの、絶対におかしいじゃない。
子どもを実験台にするなんて馬鹿げている。保護して、生きるために必要だからと実験台にするなんて、弱みを握って無理やりやっているだけじゃないか。
ありえない。
こんなのやめさせないと。
「ねえ、リンちゃんもそう思う――」
同意を求めて振り返った。
……でも。
きっとうなずくだろうと思っていたリンは、泣きそうな顔で目をそらしただけだった。
「……リンちゃん?」
戸惑う。
あの優しいリンが、こんな酷い仕打ちに反対しないなんて。
そんなの、おかしい。
おかしいはずだ。
「おぬしは間違ってはおらんよ、レナ」
ウィが横からつぶやいた。
「間違ってはおらん。ただし、正しいとも思わぬ」
レナは隣のウィを見下ろす。
王として経験を積んだ少女。彼女は目下の子どもを眺めて、小さく唇を動かす。
「おぬしのその考えは理想じゃ。倫理を持ち、正しさを求める。それは人間としてもっとも美しい姿であるが……それはおぬしが育った国だからこそ、通じた理論よ」
「国って……でも」
「おぬしが育った国はじつによい国だったのであろう。福祉や文明が進歩し、倫理がまかり通る。だが考えてみよ。おぬしの国ではなく、おぬしの世界ではそれはどうよ? すべての国でその理屈がとおるか? すべての人間に、その理想が通じるか? ……そんなことはないであろう。飢えた国もあれば、争いが絶えぬ国もある。倫理を通すことができるのは、恵まれた国であったからこそよ」
たしかに、それは、そうだったけど。
でもこの国だって、大陸でもっとも大きい国だ。ここは世界最大の組織なんだ。
その倫理くらい通せるはず。
「おぬしはなにか勘違いしておらんか? 捨て子を拾うということの意味を倫理だけで捉えてはいかん。子を育てるのには食料がいる。安全がいる。金がいる。それを用意するのは誰か考えたことがあるか? 中央協会は非営利組織ゆえ、どの国も助けられぬ子を助けることができても、無償で育てることはできぬ。それゆえ実験を続けて成果を得るしかないのよ。そのために必要なことは……言わんでもわかるよの?」
「でも――」
「ではおぬしの言葉をここでつぶやいたとして、おぬしは自分の言葉に責任を持てるか? かわいそうだからと、あの子どもを自分で引き取ることができるのか? 育てることができるのか? あの子と同じような環境の子たちを、みな同様に扱えるのか?」
「それは……」
できない。
レナもまだ子どもだ。できるわけがない。
「……それはあまりにも無責任よ。思うは自由、抱くは自由……しかし本人らを前にそれを言葉にしたときの重みは、おぬしよりもリンのほうがよほどわかっておる」
レナはもう一度、リンの顔を見る。
リンはやはり泣きそうな顔で、うつむいていた。
「なにも心を痛めておるのはおぬしだけではない。ただし、おぬしがそれを言葉にしてよいのは、自らの手でこの仕組みを打破したときだけよ。上に立つ者とは、施政者とは、そういうものよ」
ぽん、と肩を叩かれる。
曲げられぬものは曲げなくてもいい。けど、主張するのはまた話が違う。
下の部屋で、少女はようやく魔法を発動した。
MACから耳障りな高音が響き、警告を周りに与える。どうやら防犯ブザーのようなMACだったらしく、少女は自分の体になんら影響がないことを、こっちを見上げてブイサインで研究者たちに示してみせた。
実験は成功。
研究者たちは手を叩いて喜んでいた。
「……それに、安心するがよいレナ」
ウィはトレモロを悪戯顔で睨みながら、唇の端を上げた。
「こやつらは、度が過ぎた実験はせぬよ。まえによほど痛い目を見てるからのう。それに危うい実験などすればわらわも黙ってはおれん。幼子こそが未来を背負うという考えは嫌いではないゆえ、もしそんなことがあればおぬしに伝えよう。そのときは勇者として中央協会の制度を一刀両断してしまえばよい。そのときはわらわも手伝おう」
「……ありがとう」
うまく慰められたのだろうか。
わからないけど、すこしだけ沈んだ心は晴れた。
魔法とは。
国とはなにか。
レナはすこしだけ、考えさせられる日だった。




