Download【17】 ふと目があった
夜は、嫌いじゃない。
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「大丈夫?」
いくら体がデカくても、こうも弱るのか。
レナは、ズィの額に乗ったタオルをとり換えながら、そんなことを思った。
むしろデカいからこそ動けなくなるのかもしれない。
デトク皇国の小さな国境村の宿屋はかなり古くて、歩くと床が軋む。
足音を立てないように歩こうとしてもレナには無理だった。ギィギィ鳴る廊下は防犯面では役に立つが、ここは一番階段に近い部屋だ。廊下を誰かが通ると足音が響いてうるさかった。
しかも扉の蝶番はサビついてて、すこし上に持ち上げないと開かないようになっていた。ハズレの部屋を引いたようだけど、ほかの部屋は埋まっていて替えてくれるわけにはいかなそうだ。
「ああ。ふがいねえ」
ズィが薄目をあけて顔をしかめる。
ダンジョン〝眠りの淵〟から上空に飛ばされたとき、頭を打っていたズィは気圧変化に耐えられず意識を失った。
近くのこの村に運んですぐに手当てして意識は戻ったのはいいものの、まったく歩ける状態じゃなかったのだ。一晩だけ宿に泊まることにしたんだけど、あいにく空き部屋はひとつだけだった。
「すまねえな。こんなザマでよ」
「仕方ないわよ。あの状態で死ななかっただけマシじゃない?」
「……だな」
もとはといえば、レナがダンジョンを奥に進みたいと言ったからだ。MACを手に入れたときおとなしく帰っていればこんなことにはならなかったはずだ。
とはいえそれを謝るタイミングでもない。まずはズィを回復させて、はやいとこラッツォーネに帰るべきだ。みんな心配してるだろう。
レナは窓から外を眺めた。
……暗い。月明かりだけの空間だ。
夜はかなり深くなっていた。夏にしては涼しいが、ラッツォーネほどじゃない。極寒にすこし慣れていたレナからすれば、わりと暑い程度だ。
しばらくするとズィが寝息を立て始めた。
自分より一回り年上のズィだけど、寝てしまえば子どもも大人も変わらない。純粋な眠りについた姿は誰のものでも綺麗だから、レナは誰かの寝顔が好きだった。
だから夜は嫌いじゃない。
「……さてと」
レナは部屋を出て、一階の食堂に向かう。深夜なのでもちろん営業はしてないけど、宿屋のおばちゃんにご飯をとっておくように頼んだのだ。ずっとズィを看ていたので腹ペコだった。
食堂には誰もいなかった。さっきまで誰かが水を飲んでいたのか、コップがふたつ濡れているくらいしか、ひとの気配は残っていない。
カウンターのなかにある冷蔵庫をあけると、なかにパンとハムが入っていた。丁寧にサンドイッチのような形にしてくれている。レナは迷いなく口のなかに放り込み、瓶に入っていたミルクで流し込む。すきっ腹に冷たい食事は染みる。濃い味付けのハム……久々にジャンクな味付けを食べた気がした。
ごくりとすべて嚥下して、ひと息つく。
長居する気はない。皿とコップを洗って、すぐに階段を上った。
階段を上りきったとき、奥の部屋から誰かがこっちに向かって歩いてきた。フードをかぶっているので顔はほとんど見えないが、体つきは女性のそれだった。
ただそうと知る前に、レナはつい足を止めて息を殺していた。
……足音がしない。
ここの廊下は、どれだけ気をつけても軋んでしまう。しかしそのフード姿はかすかに金属音を鳴らすだけで、床を踏む音は聞こえなかった。
どれだけ体運びがうまいのだろう。素直に感心する。
つい気になって、すれ違うとき、横目でその顔を盗み見る。
すこし年上の女性だった。フードの隙間から見えた金色がキラキラと輝き、なぜか威圧感のようなものも感じてじっと見てしまった。
「……なに?」
めちゃくちゃ美人だった。
でも、どこか感情が欠落したような表情だ。レナの視線を感じて立ち止まってもまったく怪訝な表情もなく、ひたすらに氷のような視線をこちらに向けているだけだった。
人形みたいだな。
ただしそれよりもレナの視線を奪ったのは彼女の腕だ。
長い袖に隠れて見え辛かったが、たしかにその腕には錠がはめられていた。
奴隷……なのだろうか。この世界にも奴隷がいるのだろうか。これ以上ないくらいの美人さんだから、ありえなくもない。
美人な奴隷。
いろいろ想像して虫唾が走った。
しかし詮索は度が過ぎれば身を滅ぼす。それくらいは百も承知なので、聞いたりはしない。どういう事情があるにしろ、他人の人生に軽々に口を挟んでいいもんじゃない。
「……なんでも」
「そう」
首を振ると、彼女はすぐに食堂に降りていった。手首と、おそらく足にも鎖がつけられているのだろう。さすがに鎖の擦れる音は隠せないようだ。
姿が見えなくなってからレナは自分の部屋に入った。ズィがいびきを立てている。
あいかわらずの豪快な寝姿にもどって、すこしほっと息をつく。うるさいのは今夜くらいのは大目にみてやろう。
ベッドにもぐり、目を閉じた。意外と疲れていたのかすぐに眠れそうだった。
……なんとなくだけど。
さっきの彼女とは、また会うような気がした。
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「おいエヌ。どうかしたのか?」
「……なんでも」
揺れが激しい。
デトクの街道は道が狭く、馬車の速度はゆったりとしている。
にもかかわらずの揺れに辟易しながらも、俺たちはデトクの山道を進んでいた。
速度は歩きとそう変わらないが、急いでるわけでも疲れたいわけでもない。御者にも事故だけに気をつけていればいいと言ってあるから、おおむね安全運転だった。
エヌはしきりに窓の外に視線を送っている。なにか気になるものでもあるのかと顔を出したが、変わらぬ山並みと山道が続くだけだ。
まさか馬車の振動に酔ったわけでもあるまいに。
「……王宮騎士が嫌なのか?」
「べつに」
仏頂面を崩さないエヌ。どうやらこれも違うらしい。
フィアは俺たちには内緒に、王宮騎士をふたり監視につけている。俺たちを信用してないってことじゃなく、エヌの懲役囚人としての体裁を保つためと万が一のためにつけざるを得ないのだろう。
しかしあまり尾行がうまい騎士ではないらしく、エヌにはバレバレのようだ。
「にしても王宮騎士も大変だよな。俺たちの尾行なんて面白くもなんともないぞ」
「……そうね。トビラが面白くないもの」
「おまえにだけは言われたくねえよ」
エヌの辛辣な言葉は、そっくりそのまま返す。
しっかし、王宮騎士を二人もここに配置させて大丈夫なのだろうか。王宮騎士ってのはリッケルレンスの騎士のなかでも、最大十人までにしか与えられない栄誉だと聞いている。いまその称号を持っている王族専属騎士は、たしか七人だった。
『虎』『豹』『蛇』『鷹』『熊』『狼』『隼』
その名を冠された騎士たちのうち、俺たちを尾行しているのはエヌいわく鷹と熊。どちらも隠密には向いていないらしいのに、こんなところまで監視任務を任されるとは。いやはやリッケルレンス王政にも余裕がないのがうかがえる。
「……隠密特化の『隼くん』ってやつは、どこでなんの仕事してんだかなぁ」
フィアとの会話でたまに出てくる王宮騎士の彼が、いつもは隠密任務についているらしい。ふつうならそいつがこの任務につくような気はするんだが……どこかでもっと大事な任務を遂行しているのかもしれない。
騎士も人手不足か。
「……なあエヌ、俺も努力したら王宮騎士なれると思うか?」
「無理ね」
「即答かよ」
「……あんたは騎士ってガラじゃない」
「そうか? 細剣も様になってきたと思うんだけどな」
「ちがう。あんたは忠誠心を抱くやつじゃないってこと」
「忠誠心か。まあべつに、王家に忠誠とか誓うような関係はまだないけど……でも、いざってときはフィアくらい守ろうとすると思うけどなぁ」
「……ほら、ちがう」
エヌがあきれたように息をついた。
忠誠心ってのはよくわからんが、とにかく俺には騎士は向いてないのか。
ぼんやりと先のことを考えてみる。
もしこのままリッケルレンスで仕事につくなら、騎士や兵士はやめておいたほうがいい気がする。となると、本格的に『没落貴族』から属性転換しないとリッケルレンスで職につけなくなってきそうだ。
それに〝X-Move〟以外の魔法を使ってみたいし、いい機会かもしれない。
「つぎはどんな属性になれるかな。『剣士』とか、あるいは『賢者』とか……」
「『ドブネズミ』が似合うわね」
「手厳しいな!?」
そんな属性ありえねえ。
エヌが『家畜』『地下室の壁』などと俺の属性候補をあげているうちに、馬車は目的の街についた。
それほど広い街ではない。というかリッケルレンスの王都が広すぎるだけで、デトクの狭い土地からすれば、大きな建物が街の中央にふたつそびえているだけでも充分すぎるほどだ。
街の中心になっている建物の片方が、銀行だ。
路肩に停めて、馬車を降りる。
「ここにいろよ」
俺はフィアから預かったとおり返還依頼書と証明通帳を銀行に持っていき、預けていた金額を鉱石に交換してもらった。こうすればどの国に行っても価値は保たれる……どころか、希少価値があるほど国を持ち出したとき値は上がるらしい。袋いっぱいにもらったエメラルドグリーンの鉱石を抱えて、俺は馬車に戻った。
「……あれ?」
それほど時間は立ってない。むしろスムーズに事が運んだので、ものの数分だ。
それなのに、馬車のなかにいたはずのエヌの姿がなかった。
「おーい、エヌ?」
姿も返事もない。
トイレにでもいったのだろうか。
御者に聞いてみると、馬車のなかからは出ていないはずだ、と首をかしげて後ろを覗きこんできた。
じゃあどこいったんだあいつ。かくれんぼしたいわけじゃあるまい。
単独行動は禁止されているはずだが、もし故意にどこかにいってるのなら、王宮騎士が追っているだろう。
そう思って周囲を見回してみると、かすかにどこからか視線を感じた。
……二人分の違和感。
俺も気配ってもんを感じられるようになったのかもしれない。ちょっと成長したことに気分がよくなると同時に、王宮騎士がふたりとも俺を監視しているってことははつまり、馬車からエヌが消えたことに気づいていないのだろう。
「……〝X-Move〟」
とりあえず探さないと。
かすかに胸によぎった不安を振り払うように、すぐに上空に飛び上り、周囲を探した。
だが、見つからなかった。




