Download【14】 大切な人の大切な場所
肌が粟立つ。
鳥肌とは少し違う感覚だ。微弱な静電気を浴びているような、そんな感覚。
赤い月、黒い空、そして濃緑の草原……さっきまでの地下空洞とは違い、突き抜けるような開放感があった。
舞台を変化させるとは……こんな魔法もあるのか。
「……〝魔界〟ですか。珍しい」
感心した声をトレモロが漏らした。
が、それよりも動揺したのはモーラだった。
『わ……わたしの、土が……』
モーラは土でできた人形のような姿だった。自分の手足を眺め、わなわなと震えている。彼女の肌に血が通っていたら、顔色はきっと蒼白になっていただろう。
戦意を喪失したのか知らないが、その場から動こうとしないモーラ。
レナは首をひねり、トレモロに問う。
「あれ、どうしたの?」
「おそらくですが……地王竜はそもそも小さな核が本体です。その核が神経を伸ばし土の生物をかたちどっているらしいのですが、土にも相性があるのでしょう。さっきもちらっと言ってましたが、彼女は〝眠りの淵〟の土以外では神経を伸ばせないはずです。地王竜にとっての土とは、我々にとっての酸素や栄養ですからね。切り離されれば、やがて死に至るのでしょう」
『う……ぐ……』
トレモロの言葉を裏打ちするかのように、モーラは胸をおさえて膝をついた。そこに核があるのだろう。苦しそうだ。
攻撃するならいましかないが、誰も手を出そうとはしなかった。
「地王竜にはフィールド魔法が効果的……良い攻略情報を手に入れられました」
「勉強熱心なこったなぁ研究者さんよ」
トレモロののんきな声に、ズィが鼻を鳴らした。
「これも本分ですからね。ありがとうございますズィ様」
「そうかよ。そりゃあなによりだ」
どこか棘々しい。
このふたり、あまり相性がよくなさそうだ。
『ア……アアアアアア!』
そんなことよりモーラだ。
モーラは地べたに這いつくばり、叫喚している。
放っておいても息絶えそうな様相だが、にもかかわらず禍々しい雰囲気が漂っていた。
『ワタシ……ノ……ッ!』
「跳べ!」
ズィが即座に叫ぶ。
またも野生の勘ってやつか。
ズィの言葉通りに横に跳ぶと、いままでレナたちが立っていた地面が爆発した。
『アアアアアア!』
土が盛大に飛び散り、雨となる。
また髪が汚れる。
帰ったらしっかり洗わないとなぁなんて頭の隅で考えながら、レナはモーラを観察する。
「……ねえ、あいつ地面にくっついてない?」
「そうですね。どうやら無理やりこのフィールドの地面と神経同化しているようです」
トレモロが首肯する。
『オトウサマ……オトウサマアアアア!』
モーラの叫びは痛みか、それとも狂気かわからない。
ただ理性を保っているようには見えなかった。
土がまるで波のようにぐねぐねと蠢く。痛みも苦しみも凌駕しさせて支配領域を拡大しているのだろう。足元の土が鞭のような形状になり、襲いかかってくる。
転がりながら避けて、周囲を見渡す。
エヴァルルはメイツのすぐそばでじっと防御に専念するつもりなのか、その場から動く気配なない。
ならばレナがやるしかないか。
できるだけ簡潔に、できるだけ破壊力のあるものを地面に叩きつける必要がある。
「あんたたち動かないでよ――顕現、隕石群」
「わお……すさまじいですね」
MACを発動させた瞬間、レナたちの周りに無数の隕石が降り注ぎ始めた。
召喚できるのはなにも兵器だけじゃない。
想像したものを創造する超上級魔法。
それがこの〝完全武装〟の特性だ。
『アアアアアアアアアアアア!』
隕石が地面に激突して爆発し、すさまじい轟音と地響きの嵐が吹き荒れる。
でも衝撃波や熱はこっちにはこない。これはあくまでレナの魔法……そういう設定ができるのも、この魔法の利点だろう。自滅はありえない。
地面を支配すればするほど、そこを破壊されたときの反動は大きい。
隕石の大軍を前にして、そんな大風呂敷を広げるようなことをするのは愚行だと気付いたのだろう。モーラは地面の支配を解いた。
波打ったような地面はそのまま固まり、こんどはモーラ自身が周囲の土を吸い込んで巨大化していく。みるみる大きくなり、その身体は竜の形をつくりあげた。
『オオオオ!』
咆哮する。
いよいよ地王竜らしくなってきたじゃないか。
「ならこっちも本気でいくわよ――顕現、空対空投射体!」
レナもこの魔法の要領を掴んできた。
想像はよりシンプルでいい。飛んでいく砲弾をイメージするだけで、それは具現化されるようだ。
虚空から出現したのはミサイル。土の竜がいくら固かろうがぶ厚かろうが、鉄の爆発に無傷とはいくはずもない。
砲弾がうなりをあげて竜の胴体につきささり、爆発した。
『ギャオオオオ!』
ただ相手も黙っていない。
腹に穴をあけられながらも、口から土石流を吐きだした。固体だと防がれるのを学習したのか、こんどは液状の土だ。
広範囲に吐き出された土石流。
「メイツ!」
エヴァルルがメイツを抱えて空に駆け上がったのを視界の端で捉えた。
重力無視するとかなにそれ反則じゃん。
――とはいっても驚いてるひまはない。
「――顕現、風圧飛行板!」
とっさに召喚したのは、噴出する風圧で空を浮遊する板状の道具だ。修学旅行で遊園地にいったとき一度やったことがあるので、バランス感覚はわかる。
「うおおっ!?」
「あわわわわ!?」
ついでに逃げようのないズィとトレモロの足元にも同じものを召喚してやった。ズィはなんとか乗りこなしていたけど、トレモロはバランスを崩して土石流に落ちていった。あっというまに土石流のなかに消えるトレモロ。
まあ、あの狸体型のオッサンはなぜか死にそうにないのでいいだろう。
それよりも地王竜だ。
土石流を吐き終えたと思ったら、つぎは粘土のようなものを吐きだしていた。あの粘土に触れたら簡単に抜けだせそうにないが、攻撃しているところには誰もいない。
無差別にただひたずら暴れているだけだ。
大人しくなるまでまっていようか逡巡したとき、
「苦しそうだね……エヴァ、ちょっと頼みがあるんだけど聞いてくれるかい?」
メイツがぽつりとつぶやいた。
なんだろう。
暴れまわる地王竜を見るその目は、なぜかとても穏やかだった。そういえばこの青年、自分を殺そうとしてきた竜に対しても敵意を抱いてない。そもそもダンジョンに来ているのに、自分を守る武器すら持っていないのだ。
バカなのか、それとも変なのか。
エヴァルルがメイツの体を抱えながら首をかしげる。
「なあに?」
「あのモーラってひとを包み込んだ土を、壊して欲しいんだ。たぶんあれは、毒を飲んでいるようなものだろうから。このまま放っておいてもすぐに楽になるだろうけど……そのままにはしておけない」
「それは、メイツにとって大切なことなの?」
「うん。薬師としてね」
「……わかったよ」
「ありがとう」
メイツはエヴァルルの頭を撫でた。
エヴァルルはかすかに頬を染めて、そらからメイツをズィの背中に押し付けた。
「うおっ!? やべえバランスが!?」
「落としたら殺すからね」
さらっと怖いことを言ったエヴァルルは、空中をそのまま滑り降りるように地王竜に近づいていく。
口から固体と液体と粘液の混合物を吐きだし続け、すこしずつ竜の姿が小さくなっていくモーラ。もう体力も限界なのだろうか、叫び声も弱々しくなっていた。あと数分もしていれば息絶えそうだ。
そんな竜の正面に立ち、エヴァルルはそっと手をかざした。
「地の王……あなたにはなんの恨みもないし、あなたの大切な場所に踏みいったことには謝罪する。身を守る以上のことはしたくないんだけど、あなたはもう助からなさそうだから……ごめんね」
『ォォオオオ!』
地王竜のうめき声に、エヴァルルは爪をきらめかせて、腕を振った。
ズパンッ!
エヴァルルが触れたところを起点に、地王竜の体が裂ける。
あとは言葉もない。
雪崩のように形を失っていく地王竜のからだを見下ろして、レナたちは小さく息をついたのだった。
「いやはや……死ぬかと思いましたよ」
地面に降りると、泥のなかからひょっこりとでてきたトレモロが恥ずかしそうに笑った。
フィールド魔界はすこしずつ色を失っていた。どうやらフィールド魔法は、一定以上の物理的な影響を受けると空間情報を失って、もとの場所にもどるらしい。あれだけ地王竜が暴れたらそりゃあそうなるだろう。
「いきなりトンデモ道具をつけられりゃあ驚くのも無理はねえよな」
「それにしてもさっきのは風の魔法ですか? 武器にしてもそうですが、勇者様の使う魔法はじつにユニークです。ねえズィ様?」
「……レナはうちの国民だ。中央協会には渡さんぞ」
「ええ、そりゃあもちろんですよ」
しかめ面のズィと、にこにこ笑うトレモロ。
そのふたりを背後に、レナは地王竜の残骸へと歩いていく。
崩れ去った土のなかで、一か所だけ色がすこし違うところをかき分ける。
土に埋もれていたのは、小さな人形だった。
土というよりは岩石でできた人形だ。女の形をしている。
「モーラね?」
『……ソ……ウヨ』
まだかすかに脈打っていた。だけど死ぬ間際なのか、すこしずつ小さくなっている。
これが地王竜の本体……核ってやつか。かすかに響くモーラの声も、もう耳を澄まさないと聞きとれない。
『ゴメンナサイ……オトウサマ……ワタシ……マモレナカッタ……』
ここまできても父のことか。
「そんなに父親のことが好きだったのね」
『……アナタニハ……ワカラナイ……デショウケド』
「わかるわよ」
レナはあまり両親と仲がよくない。毎日仕事ばかりで、ろくに会話もしない両親だ。休日は道場や友達と遊ぶから、一緒にどこかにいくこともない。
だけど家族だ。
大切な家族の、大事な場所を守りたいって気持ちは、よくわかる。
そもそも家族のひとりのためにこんなところまできて命を張ってるんだし。
あのバカ兄貴も、これくらい家族思いだったらいいのに。
「悪かったわね。あたしたちがここに来たせいで、結果的にこんなことになって」
『モウ、イイノ……ワタシモツカレタ……』
「そう」
おそらくゲドが生きていたころは、娘に会いに来ていたのだろう。
だがそのゲドも死に、ひとりで地下に閉じこもっていたモーラ。ダンジョンから出ることもできずにいたのだろう。
生きるために竜になったその身体は、孤独を余儀なくされていたのか。
『デモ……アア……オトウサマノ、ソバデ……ネムリ……タカッタ……』
かすれていくモーラの声。
そのときレナはふと、納得した。
晩年になってから武器をつくらなくなったゲド。そんな彼の遺した最後のMAC〝溺れる者が掴む藁〟が、なぜダンジョン内に隠されていたのか。
彼は誰にその魔法を残したのか、わかった気がした。
「……あんた、その姿でMAC使えるの?」
『……ワカラ……ナイ』
「そう。じゃあ、使ってみなさい」
レナはカードホルダーからMACを取り出した。
魔力を込めさえすれば誰でも使える魔法道具。
その効力は『一度だけ使用者が安全だと定めた場所へ転移する』もの。
……安全だと定めた場所、か。
土の人形に触れるように、そのMACをそっと置く。
「あなたのお父さんは、どこに眠っているの?」
『……コキョウノ……ムラ……』
「じゃあ、そこを思い浮かべなさい。それであなたは、お父さんと一緒に眠れるはずよ」
『…………アリガトウ』
「ええ。さっさといってらっしゃい」
次の瞬間、MACだけが――消えた。
人形からはなにも聞こえなくなっていた。モーラの鼓動は感じない。
抜けがらのように転がった人形は、ピシリとひび割れ、レナの手から落ちていった。
「よかったのか? あんたに必要な魔法だったんじゃないのか?」
ズィが腕を組んで呆れていた。
「……いいのよ。あれはたぶん、あたしが持つべきものじゃなかったから」
「そうか」
「そうよ」
たしかに勿体なかった気もするけど、後悔はしない。
それに、初めてのダンジョンで目的のものが手に入るなんて、都合がよすぎるじゃないか。せっかくきた魔法の世界、楽しめるだけ楽しもうじゃないか。
「さ、帰るわよ」
「ああそうだ――」
とズィがうなずきかけたときだった。
いきなり地面がパックリ割れた。
レナたち全員が立っていたのは、さっきまで地王竜が住んでいた空洞だ。その地面が割れてそこから噴き出してきたのは――高熱の蒸気。
とっさに後ろにとんで回避する。ちょっと腕が焼かれて痛い。
凄まじい勢いで吹き出たそれに、またもやズィと分断される。
「レナ、無事か!?」
「ええ」
念のために左右を見回すと、すぐそばにメイツとエヴァルルがいた。トレモロは地割れのむこうがわ、ズィと同じ場所にいるのだろう。姿が見えない。
地割れは空洞の入口まで続いていて、部屋がまるっきり二分されたようになっていた。
それだけじゃなく、地響きまで起こり始めた。
まるで主人を失った部屋が、自ら跡を濁すまいと潰れようとしているかのように。
「めんどくせえな……おいレナ、なんとかしてこっちにこい! 転移して帰るぞ!」
「わかった!」
パラパラと天井から石と砂が落ちてくる。
レナがMACを取り出して、蒸気を渡るための耐熱板を召喚しようとしたとき、なにか大きな鈍い音が蒸気のむこうから聞こえてきた。
「ズィ様!?」
トレモロの叫び声が木霊した。
ただごとではない声色だ。
「トレモロ、なにがあったの!?」
「ズィ様が落盤で頭を打ちました! ……でも大丈夫、意識はあるようです!」
無事ならよかった。
レナがほっと息を撫でおろしたそのときだ。
ぐらり。
と、ひときわ大きな揺れ。
とっさにしゃがんでしまうような揺れだった。つい頭上を警戒して、足を止めてしまう。
それが仇になった。
地割れが増し、蒸気がそこらじゅうから噴き出した。
その場から動くのもままならない。それに加えて、揺れも次第に大きくなっていくようだった。しかしよくよく見てみれば、揺れも地割れもこの空洞だけのことのようで、入口からむこう――鬼雷竜の洞窟のほうはなにも異常がない。
なら、この部屋を脱出してしまえば――
「――上だ!」
メイツが叫ぶ。
退路を確保しようと目を離していた。
蒸気のむこうではズィが倒れている。そのズィを起こそうとするトレモロ。こちらでは上を眺めて顔を蒼白にするメイツ。メイツだけは守ろうと彼に寄り添うエヴァルル。
その五人に、天井が降る。
崩落だ。
エヴァルルだけはとっさに天井を吹き飛ばそうと腕を構えた。エヴァルルとメイツは生き残ることができるだろう。エヴァルルにとって、自然災害すら脅威ではなさそうだ。
でも、さすがにレナは無理そうだった。
とっさ箱形の掘削機を思い浮かべて作りだそうとしたけど、そうなるとズィとトレモロを見殺しにすることになる――と思うと手が止まった。
もう間に合わない。
一気に崩落した天井が、目の前まで迫っていた。
死ぬ――――と、思った。
「〝X-Move〟!」
「え?」
なにがあったのか、よくわからなかった。
ただ、聞き覚えのある声が耳に入ってきたと思ったら、レナはいつのまにか、空の上にいた。
空だ。
雲よりもすこし上。
肌寒く、澄んだ空気。
「えええええ!?」
「うおおおお!?」
「あわわわわ!?」
「うわああっ!?」
「しっかりつかまって」
レナだけじゃない。
ズィも、トレモロも、メイツも、エヴァルルもいた。
自分たちの状況を把握したときには、落下はとっくに始まっていた。加速して落ちていく一同のなかで唯一冷静だったのはエヴァルルだった。彼女がとっさに全員の服をつかみ、落下そくどをゆるめていく。
意味がわからない。
地下にいたと思ったら、上空にいるなんて。
このなかの誰も、なにもわからなかったに違いない。
ただレナは落下の恐怖のなかで、どこか安心感を覚えていた。
さっき、最後に聞こえた声。
あれはたぶん……兄貴だったから。
随分前にいなくなって、それからずっと声も聞いていなかった馬鹿兄貴の声だったと思うから。
「……兄貴……」
胸がすこしだけ、熱くなった。




