Falling【4】 地下牢
なだからな隆丘に、穀物が植えられた地。ところどころに立つ家はそう大きくない。雨が少ない地域なのだろう……川は細かった。
森の先にあった町は、ひどく寂れていた。
道は舗装されていない土道だ。農村がいくつか集まった町。畑がいくつもあり、町の中央に宿屋と道具屋があるが、それ以外はすべて農家のようだった。
「……何回来ても、辺鄙なところだなまったく」
盗賊の兄貴がつぶやいた。俺たちを運ぶ馬に乗り、つまらなさそうに周囲を見渡す。誰かとすれ違うことはない。畑のなかで仕事をしている姿は見ることができたけど、こちらに視線を送ろうとする者はいなかった。
リッケルレンス王国。
それがこの国の名前。ここは、その東側に位置する農村だった。
海路の発達で栄えている西側に対して、東は人口密度がひくい農業区域……らしい。馬車の荷台に揺られつつ、フィアがそう説明するのを鎖に縛られたまま背中合わせで聞いて、俺は頭に地図を思い浮かべた。
「東側には未踏の地がまだまだ残ってます。でも、ここは東側でも比較的安全なところなんですよ。領主が住んでいるうえ、ときどき兵士も見回りに来ています」
なんでもフィアは、その領主に会いにここまで来たらしい。
理由は、まだ聞いていない。
「……それで、あなたたちがわたしを狙っていた理由はなんですか? なぜわたしがここにいると知ってたんですか?」
「じきにわかる」
「どうせわかるのなら、いま教えてください。おとなしく捕まってるのは性に合いません」
「威勢のいい王女様だな、おい」
まったくだ。
俺は激しく同意した。
「まあいいだろう。あいつが説明する手間もはぶけるしな」
含ませた物言いにフィアがむっとする。なにも言わなかったけど。
「王女様よ、王国がそうとう財政難っていうのは、間違いないんだな?」
「ええ……そうですが」
なんでも、数年前にとつぜん現れた〝魔人〟により、国庫の貴重な鉱石がすべて盗まれたらしい。そのせいで国は大打撃を受け、経済管理がかなり厳しい状況になっているらしかった。その煽りで国全体の物価が下落し、国民の収入がかなり低くなってしまっているらしい。
この町に若者の姿がないのも、そのせいなんだろうか。
「なら納得だな」
「だからなぜわたしがここにいると?」
「おまえ、誰からここに来いと指示を受けた?」
「……まさかっ!」
フィアは立ちあがろうとする。縛りつけられているのでよろめいただけに終わったが、俺はフィアの動きにいちいち引っ張られるので、鎖が食い込んでけっこう痛い。
「そのまさかだ。おまえ、経済難を救うべく〝勇者召喚〟のMACを求めてたんだってな? それを聞いたアイツが、使えると思ったわけだ。だからおまえに近づいてMACがあると嘘をついて、こんな辺鄙なところまでおびき出した。考えても見ろ、〝勇者召喚MAC〟なんつうバカな伝説が、本当にあると思ったか? 王女といえどまだまだガキだなおまえは」
「……そんな……」
「社会勉強が足りねえぞ王女様…………お、そろそろか」
男は前方を眺めた。
フィアも、正面に見える丘の上のひときわ大きな建物を見て、唇をかみしめた。
「……カムイ領主……」
馬は領主の邸宅へと、まっすぐにむかっていた。
「……トビラ」
領主の家の門前で、盗賊の男たちは出迎えたメイドとなにやら話している。どうやら俺たちの幽閉場所の指示を受けているようだった。
その隙に、フィアが小声で話しかけてきた。
「……これを」
フィアが袖の下から取り出したのは、一枚のカード……白色のMACだった。
後ろ手で俺の手の中に押しつけながら、フィアはつぶやく。
「隙を見て、これを使って逃げてください」
なにを渡されたのか、俺にはわからなかった。白いMACということ以外は後ろなので見えなかった。
ただなんとなく、かなり大事なもののような気がする。
いいのか――と口を開きかけたとき、兄貴が戻ってきて、なにも聞けなくなった。
「おいおまえら。暴れようとか逃げようとか思うなよ」
馬は領主の家の敷地内に入る。
ばれないように、渡されたMACはそっと手の中で握りしめておいた。
馬が止まったのは、庭先にある小さな石造りの小屋の前だった。庭のむこうには大きな邸宅がある。とはいえ、相変わらずひとけがほとんどない。さっきのメイドは門番を兼ねているのか、門のあたりから動く気配がなかった。
フィアと繋がれたまま立たされて小屋の中に入る。カビ臭い小屋だ。思わず顔をしかめた。
そのまま地下に伸びる階段を歩かされる。
予想はできたが、やはり地下牢だった。
家に地下牢があるとは意外だったが、そういえばここは農村の領主の家……不都合があった場合、なにかを閉じ込めておくために作っていても不思議じゃない。
鉄格子がふたつ並んでいる。
「おまえはこっちだ」
俺は鎖を解かれて、奥の部屋に背中を蹴られて倒れ込んだ。
壁を挟んだ手前の牢屋には、フィアが縛られたまま入れられた。
「大人しくしてろよ。カムイの野郎を呼んでくるからな」
鉄格子に鍵をかけられる。まあ、閉じ込めるための牢なのだから、当然といえば当然だろう。
盗賊たちは三人とも、地下牢から姿を消す。
牢屋にはベッドとトイレが備わっていた。おおかた、村で罪を犯した者をとらえておくような場所だろう。それでもベッドのシーツは綺麗に整っていた。カムイというやつは几帳面らしい。
まあ、それはどうでもいい。
俺はひとまず、手の中にあったMACを眺める。
白い。とにかく白い。
裏はなにやら複雑そうな模様。これは黄土色や緑色のMACにも描かれてあったものだ。だが表には、ほとんどなにも表記がなかった。
『☆☆☆☆☆☆☆ 属性:??? 《??????》』
情報がなにもない。☆がたくさん並んでいる。
イラストすら描かれていない。絵の部分も『?』が描かれているだけ。
これじゃあ隙を見て逃げるどころか、使うことさえできないだろう。
もしかして間違って渡したとか? 見えない状況だったから、あり得なくもない。
「……まあいいか。それよりも、だ」
俺はとりあえず、壁をコンコンと叩いた。
「フィア、平気か?」
「トビラ……んっ」
フィアが壁の向こうで身を起こすのが気配で分かった。
牢屋は並んでいるから、様子は見えないが。
「ええ……トビラこそ、いきなりこんな状況になって戸惑ってるんじゃないですか?」
「そりゃあそうだけど……すまん、フィア」
「なぜ謝るんですか?」
「いや、俺がいたせいでリュードの足も遅くなっただろうし、戦いもお荷物だったみたいだし……」
「気にしないでください。どちらにしろ、速度じゃ負けてましたし、三対一でした。速いか遅いかの違いです」
フィアの声は毅然としていた。
なにも気にするな――と、わざとそうふるまっているのは明白だった。
なら俺も、なるべく明るくふるまったほうがいいのかもしれない。
「おいフィア。このベッドやばいぞ気持ちよすぎる。布団もふわふわだ」
「ええ……隣のエリアル領地はリッケルレンス随一の羽毛の産地なんです。おそらくこのあたりの領地のベッドはぜんぶ、こんな感じですよ」
「ほほう、そりゃあ良い場所だ。ここが牢屋じゃなきゃ良い睡眠がとれそうだな」
「そ、そうですね」
苦笑したフィアだった。
わざとおどけたのは逆効果だったのか、フィアはむしろ声を固くしてしまった。
「……トビラは……」
「うん?」
「……不安じゃないんですか? ここがどこだかわからないのに、自分が何者かもわかってないのに、この世界で生きる要であるMACのことすら分からないのに……そんななかで、こんなところに閉じ込められることになって不安じゃないんですか? いつ殺されてもおかしくないのに『ベッドが気持ちいい』だなんて、怖くないんですか?」
フィアの声は弱かった。
喉の震えを、堪えられないのだろう。
「私は正直……怖いです。カムイ領主が《勇者召喚》のMACを見つけたと連絡をくれて、リュードくんを連れてこっそり城を抜け出しました。いまごろはお母様が血眼になって捜してるでしょうし、お姉様たちにだって心配してくれてるでしょう。でも、私にはどうしても勇者が必要でした。勇者様さえいれば、みんなの助けになるから……だから、こっそりと抜け出してきたのに」
「…………。」
「……でも、カムイ領主に騙されてて……」
「そうみたいだな」
「むしろ巻き込んだのは私のほうです。ごめんなさい、トビラ」
壁の向こうで、フィアが頭を下げた気配があった。
俺は肩をすくめる。
「気にすんな。結局お互い様だしな」
「すみません」
なおも謝るフィアだった。
沈黙が落ちる。
とはいえ、巻き込まれたどうこうはともかく、ここに俺は必要がないのは、間違いない。
領主はフィアになにかしらの用事があって、ここまでおびきだしたんだろう。王女誘拐のリスクを伴ってまで必要とするなにかが、そこにあるはずだった。
それに対して俺完全なイレギュラー。
ここにいるはずのなかった存在だ。
なんにせよ、じっと静かにしておこう。
ベッドで静かに目を閉じたとき、地下牢に降りてくる足音があることに気付いた。
カツン、カツンと響く音は、盗賊たちのものではない。
それが杖の音だとわかったのは直後。
黒い杖を携えた三十代のやつれた男が、地下牢に姿を現した。まるで栄養失調のように頬はこけていて、目の周りはくぼんでいた。
「……カムイ領主……」
「ひとまず謝っておくよ、フィオラ様」
ただし、その眼孔だけは鋭く光っていた。
「騙してすまなかったね。なにぶん、事情が事情だから」
「……謝るくらいなら最初からしないでください」
「もっともだ」
虚勢を張ったフィアに、カムイは嘲笑気味にうなずいた。
そこでようやく、カムイ領主はこっちを見た。しばらく観察するように眺めてから、後ろに立っていた盗賊風の男たちに問いかける。
「……こっちの彼は?」
「さあな。お姫様の連れだが、見たことのない格好してるしどこかの旅人だろ。少なくとも王族関係者や護衛には見えねえ」
「そのようだね」
そのとおりだ。
俺は無視して寝転んだままにしておく。カムイは興味をなくしたのか、すぐにまたフィアのほうに向きなおった。
「……それで、カムイ領主、私になにか用ですか?」
「そりゃあここまでしたんだ、用がないわけないだろう?」
「それならさっさと済ませてください。こんなところで油を売ってるほど、私はヒマじゃないんです」
「良い威勢だけど、声が震えてるよフィオラ様」
薄く笑うカムイ。
「まあ火急を要するのはこちらも同じことだ。だからひとつ、提案があるんだけれどね」
「……命令の間違いじゃないですか? この状況で」
「提案だよ。いくら命令しようとも、キミがその気にならなければ実現できない事柄だからね」
と、カムイは後ろの男たちになにやら目配せをする。
兄貴分の男が、抱えていた箱のなかから一枚のカードを取り出した。
緑色のMACだ。
カムイはそれを受け取りながら、
「そのまえに知っているかなフィオラ様。うちの領地はね、しばらく前から降雨量が激減してるんだよ」
「……それが、どうかしたんですか」
「農地であるうちの領地でそんなことがあれば、作物の不作は目に見えている。だからついこのまえ、リッケルレンス王には国税の納期引き延ばしを許可してもらってね」
「だから、それがどうかしたんですか? 自然の気まぐれなんてよくあることじゃないですか」
「その自然の気まぐれに一番振り回されるのは、我々、農家なんだよ」
カムイはすっと目を細めた。
「このまま雨が降らなければどうなるだろう? 作物は枯れ、わずかな芋類しか残らないだろう。そうなればわたしたちの収入は失われる。……それだけじゃない、国の食糧庫にだってそれなりの打撃を与えるし、なにより経済破綻しかかっている国だ、もしいま食糧危機をむかえてしまえば、国そのものが滅びるかもしれない。……だからね、手段は選んでいられないんだ」
「……まさか……」
「そのまさかだよフィオラ様」
カムイはMACを、フィアの牢屋の前に置いた。
【☆☆☆ 属性・王 《生贄の雨》 ※禁書】
「――人間ひとりの生命と引き換えに、恵みの雨をもたらす禁忌のMAC。しかし残念ながらこの国には、王属性の人間は数えるほどしかいない。わたしだって領主だが、属性は商人。……だからあなたなんだ、フィオラ様。これを使えるのはここにあなたしかいない」
「……わたしが使うと思いますか?」
「さあね。ただ、わたしは使ってもらうよう、あなたにお願いするだけだよ」
ぐっ、とフィアは歯を食いしばった。
「そう怖い顔をするんじゃない……なんなら生贄の役はわたしでもいいんだ」
「正気ですか!?」
「わたしはいつだって正気だよ。この町が……この国がよくなるために尽くすのが領主の仕事だからね。君だって王族だ。その義務はある」
「それは……っ」
「ではゆっくりと考えたまえ。あと数時間すればまた来るよ。それまでに決断してくれることを祈ってるよ、フィオラ様」
カムイはそう言い残して立ち去った。
「……くっ」
フィアの小さなうめき声は、石の床に反射して、残滓とともに滲んだ。




