Download【1】 姉妹と兄妹 ★
『――ユーザーの申請により、〝D3-System〟の裏コードに移行――』
『――転送座標・B000194・X052564・Y003552・Z059874を設定――』
『――座標軸のセキュリティスキャン完了。危険度・レベルGREEN。量子転送を実行します。決して電源を切らないでください――』
『――転送開始。それでは、よい旅を――』
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髪、ちゃんと編んでくれば良かったかな。
ぼんやりとした意識のなかで、なぜかそんなことを思った。
むかしから長い髪が好きだった。
妹のリンと違い、レナは男の子っぽいと言われてきた。たしかに外で遊んだり体を動かすのが好きだ。格闘技も習っているし、殴り合いのケンカだって遠慮しない。口調も荒いし性格はガサツだし、なにより女の子らしい恰好が似合わない。ファッション雑誌は好きでよく買ってるけど、お気に入りのモデルがきるような可愛い服は、自分じゃなくてリンのほうが似合う。
友達だって男のほうが圧倒的に多い。
そのほうが気楽だし、女はめんどくさい。
だけど、女を捨てたわけじゃないんだ。
小学生の頃、初恋の男の子にすこしでも可愛く見てもらえるよう、髪を伸ばしたことがあった。そのときは失恋してしまったけれど、それから髪は腰のあたりまで伸ばし続けている。
出かけるときは、いつも左右で編んでいる。動くのに邪魔だっていうのがひとつの理由だけど、それよりもリンが好きでよく「編ませて~」とくっついてくるから。ショートカットで眼鏡の妹は、そういうところがとても女の子らしい。
いいな、と思う。
そんなリンはいつも、髪を編んだレナを見て「可愛いよレナちゃん」とほほ笑んでくれるのだ。
リンのほうが百倍可愛いはずなのに。
「……よっと」
頭が冴えてきた。
体のバネで起き上がる。五体満足。なにも異常はない。
「ここは……?」
草原だった。
どこかの大草原。レナが寝転んでいたのはなだらかな丘の上だ。陽は高く、夏らしい蒸し蒸しとした空気のなか首筋を焼いてくるけど、風に混じって香ってくる草の匂いが心地よい。
空は澄んでいて、やけに青い。
空気は吸ったことのないくらいに、綺麗だった。
……転移、成功したみたいだ。
ここが違う世界ってやつか。
周囲を観察していると、いつのまにか自分のすぐそばにリンが寝転がっていた。
リンも無事にたどりついたらしい。
「起きろリンちゃん」
ゆさぶると、リンは小さく呻いてごろんと寝がえりを打った。不満そうに眉をしかめている。
頭もよくて、可愛くて、性格もいいリンだけど、寝相が悪いのが唯一の欠点だ。
「ほらリンちゃん」
「うがあっ」
「おっと」
裏拳で殴ってきたから避けた。
ふっふっふ、反射神経には自信ある。
「ほら起きなって」
「うおりゃあ」
「なんのっ! そりゃああああ!」
蹴ってきたリンの足を掴んで、ジャイアントスイング。
ぐるぐるぐるぐるリンを振り回していると、
「ふぇっ? ってきゃあああああ!」
起きたらしい。
「おはようリンちゃん!」
「やっ、やめてえええスカートめくれるううううっ!」
必死に両手でスカートを押さえるリン。
化粧はしてないものの、兄貴にあったときのために一番気に入ってる服装を着てきたようだ。レナなんてシャツとホットパンツの部屋着なのに……
女子力ボロ負け。
こなくそっ!
「せいっ!」
「あうっ」
草原に放り投げると、ごろごろと転がって草まみれになるリン。豪快に転がったくせになぜか眼鏡だけはズレてない。
「うぅ……レナちゃんひどいよぅ」
「さっさと立つ! もうここは敵地だからね! 油断しちゃだめ!」
「理不尽だよぅ……」
よろよろと立ちあがったリンは、周囲を見回して「わぁ」と感嘆を漏らした。
草原に走り抜ける風は、まるで波のように草を揺らしていく。若草色の海のうえに立っているような感覚に、息をつきたくなるのはわからなくもない。
草のさざ波の音しか、耳に入ってこなくなるのが普通だ。リンは現に目を閉じて、深呼吸をしながら空を仰いで大きく手を広げていた。
「…………。」
レナは対照的だった。
呼吸を抑え、視線を鋭く走らせる。リンのすぐそばで耳を立て、神経をとがらせていた。
なにかいる。
この草原のなか……いや、そう遠くない。
半径数十メートルだ。そのなかに、なにかいる。
わずかに風に混じった汗の匂いを嗅ぎ分けて、レナは声を張り上げた。
「出てきなさい! 覗くなんて悪趣味よ!」
かすかな沈黙が流れた。
その直後に聞こえてきたのは笑い声。
「――がっはっは。たいしたお嬢さんだな」
後ろ!?
意外と近くから聞こえてきた声に、レナはとっさに蹴りを放つ。
「っと、しかも攻撃的だ」
受け止められた。
レナの蹴りを腕で絡め取っていたのは、巨漢の男だった。
浅黒い褐色の肌に、真っ白な髪。牙のように並んだ歯は芸能人みたいに白い。背が高くやたらと筋肉質で、おそらく三十歳ほどか。
足を動かそうとしても動かない。筋肉が硬質で岩みたいな男だ。
ならば――
「フッ!」
息を吐きだすと同時に、残った足で地面を蹴る。掴まれている足が動かないのは、むしろ好都合だ。固定された足を軸に、地面を蹴った足でそのまま相手の顎を狙う。男の筋肉は固いが、レナの筋肉はしなやかだ。片足を掴まれていても、バランスを保って鋭い蹴りが放たれる。
寸分の狂いもなく、つま先は男の顎――人体急所を捉え、
「おっと」
背中ごと後ろに反られて、避けられる。
――まあ、予想の範囲内だけどね。
そのまま掴まれている足の膝を折る。相手を引きつけるか、自分が相手に近寄るか、どちらでも結果は同じだったが、やはり相手は岩のように微動だにしなかった。
ぐんと近づく。
蹴りを放ったほうの足は、男の顎を通り過ぎるとそこでぴたりと止めている。蹴りを振りきらないのは空手の基礎。近づく勢いのままそのかかとで顔面を狙う。
「っと!?」
相手はさすがに驚いたのか、さらに背を反らして避ける。
ラッキー。腕がゆるんだ。
男の腕から足を引き抜く。それと同時に上体を起こす。顔を通り過ぎていた片足が相手の肩に乗り――そのまま膝を折った。
ふくらはぎと太ももで、頸動脈を絞める。
首を絞められ、血の流れが急停止し、男の顔色が変わった。
「――っ!」
今度はさすがの大男も抵抗を見せた。当然だろう。動脈を絞められたらすぐに落ちてしまう。両手でレナの足を掴んで引きはがそうとしてきた。
そうなればもう、レナの勝ちだ。
相手の手がレナの足に触れる直前、頭を下げ、弾けるように足を広げて回避。地面に手を突きながら、逆立ちの要領でバランスをとり――そのまま両足で男の胴体を挟みこむ。
「てやああああ!」
片足をわきの下までもぐらせて、相手の足首を手で掴む。
あとは体をひねるだけだ。
「おおおう!?」
ぐるんっ。
と巨体が宙に浮き、重い音が草原を揺らした。
レナは肩から落下した男の上に座っていた。男の両手を後ろに回して、動きを取れないように体重をかけながら、さらに頸椎に爪を立てる。
体重差は意味をなさない。
「……あんた誰?」
「きゃあっ!」
その声に答えたのは男ではなく、リンだった。
すぐ後ろにいるリンを見てみると、背の低い少女に腕を掴まれていた。
短いツインテールの白い髪と褐色の肌。男と同じ人種だろう。そいつの肩には小さな猫が乗っていて、鋭い爪をリンへ向けていた。
「動くな! ズィを離しなさい!」
「……そっちこそ、こいつの腕と首をは折られたくなけりゃあ、リンちゃんを離して」
少女とレナは睨み合い――
「がっはっはっはっは!」
男が豪快に笑った。
「クォ、離してやれ。俺の負けだ」
「でも――」
「負けは負け。おとなしく認めるのも大人の務めってもんだ。それにな、俺たちはこの子たちに協力を求める側だろう。礼節を欠いちゃいけねえのは俺たちのほうなんだからな」
ズィと呼ばれた大男がたしなめると、クォと呼ばれた少女は悔しそうにしながらもリンの手を離した。
なにやらわけありのようだ。
それにレナたちに用があってきたみたいで……。
「あんたたち何者? あたしたちのこと、知ってるの?」
「誰かは知らないが、何者かは知ってるさ。だがまあ、それを話すまえにまずは自己紹介だな。できればどいてくれれば助かるが……そう睨むなや。俺たちにゃあ、おまえさんらに手を出す理由がねえ。信じてくれねえか?」
倒れながらも横目で訴えかけてくるズィ。
レナはちらりとクォのほうにも視線を投げる。クォは頬をふくらませながらも、両手をあげて地面に座った。
「……わかった」
レナはズィのうえから退いた。そのままリンの隣までいくと、リンに怪我がないことを確認してほっと息をつく。
「それにしても、えらく強えじゃねえか嬢ちゃん」
「格闘技なら自信あるからね。オジサンこそ筋肉モリモリじゃん」
「鍛えてるからな」
体を動かすのは得意だし、格闘技は趣味みたいなもんだ。
ズィもまた、武に心得があるのだろう。なんとなくわかった。
「それでオジサンは、あたしたちに何の用?」
レナたちはこの世界に転移してきたばかりだ。
自分たちを知ってる――その言葉が嘘じゃないように思えて、少し気になって眉をひそめた。
ズィは小さく笑みを浮かべて、
「そのまえに非礼を詫びよう。まずは驚かせてすまなかった。どんなものかと姿を隠して近づいたが、まさかそれほどの腕があるとは思わなかったな。それとショートカットのお嬢さんはとくにすまなかった。ほらクォも謝れ」
「……ごめん……ブス」
「それでよし」
「ブスはいいのっ!?」
ついツッコんだ。
男は聞こえてないのかそのまま話す。
「俺はラッツォーネ王国から来たズィ=エラ=ロロ=アッサーだ。こっちは妹のクォ=チア=ロロ=アッサー。見た目も大きさは違うが、ちゃんと血の繋がった兄妹だ。属性はふたりとも王。属性ってのはわかるか?」
「ええ、もちろん」
属性。
レナはちゃんと、この世界に関する説明書を読んできた。
ここは魔法が支配する世界。MACと呼ばれるカード型魔術錬成端末を使用して、みなが魔法を使って生きている。日常的なものから、戦闘などに使うものまで、ほとんどすべてをMACによって行っている。
そのMACを使うための条件が属性だ。日常的なものは誰でも使えるらしいけど、発展的な魔法――たとえば攻撃魔法だったり、召喚魔法だったりは、向き不向きがあるらしい。それを区別するために使われているのが属性。
そして王族ってのは数ある属性類のうちの〝身分類項〟のなかの、最上位属性だ。
珍しく、かなり強力な属性。
もしこのゲームをプレイしていたとすれば、最終的に目指すような高レベルな属性でもあるらしい。
「その王族とやらが、あたしたちに何の用なの?」
「用があるのは俺たちじゃない」
「……どういうこと?」
肩をすくめたズィに、レナはいぶかしんだ。
その手に持つ白いMAC――〝転移用〟の魔法を掲げながら、ズィは言った。
「あんたたちに用があるのは、俺たちの王――ウィ=メア=ロロ=シュバイン……ウィ様だ。ウィ様はあんたたちの力になれる、と仰っている」
力になる?
レナたちはこの世界に来たばかりだ。誰もふたりが来るなんて知らなかったはずだし、もし知ってたとしても、目的がわかるはずもない。
「疑うのは無理はない。ウィ様の力は、実際に見てみないことには理解できないだろう。だからもうひとつ、伝言を預かっている」
「……なに?」
「『汝らの探し人なら、わらわが行方を知っておる。いまはこの世界で最も安全な立場にいるので安心しろ。詳しく知りたければ、この者たちについて参れ』……だそうだ」
探し人。
レナの脳裏に浮かんだのは、言うまでもなくただ一人。
鳶羽飛良。
兄貴のことだった。
この言葉が真実なのか、それとも出まかせか。
それは判断に悩むところだったが……。
「……それ、本当なんでしょうね?」
「ああ。俺の魂に誓ってもいい。ウィ様は、あんたらの力になってもいいとお考えだ。だから俺たちと一緒に来てくれないか?」
嘘のつけなさそうなこの男の言葉なら、少しだけ信じれた。
……それに。
手掛かりかもしれない情報がさっそく手に入って、兄貴と一番に逢いたがっているリンが黙っているわけがない。
「……レナちゃん……」
「わかったわよ」
そわそわし始めた妹のためにも、レナはうなずいた。
「その代わり、あたしたちこの世界のことほとんど知らないから、ちゃんと教えてよね」
「もちろんだ。感謝する」
頭を下げたズィの横で、クォがすこしだけ熱の籠った視線でレナたちを見つめていたのには、そのときは気付かなかった。




