Prologue2 ―プロローグ2―
二章開始です。
メイン視点がしばらく変わります。
いつからだろう。
この子がこんなにも危うくなったのは。
いつからだろう。
自分がこんなにも危うくなったのは。
ふと気がつけば前にしか道はなかった。
迷うことは許されない。
ただ突き進むのみ。
……それでいい。
この子は迷わないだろう。あのひとを求めて、ただまっすぐに進むだけ。
本当に危ういのは自分。
だから振り返らない。
いままでを――これからを否定しては、いけない。
だけど、いつからだろう。
ふたりで歩んできた道が、こんなにも険しくなっていたのは。
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玄関のチャイムが鳴った。
鳶羽麗奈は、リビングのソファに寝転びながら、発売したばかりの雑誌を読んでいた。
お気に入りの読モが特集されてて、コンビニにアイスを買いに行ったときとっさに買ってしまった。あまり小遣いは多くないとはいえ、さすがにこれくらいの贅沢は大丈夫。
チャイムの音が、もう一度家のなかに響いた。
首をあげて耳をそばだてる。とても静かだ。
……そういえば、いまは自分以外だれもいないんだっけ。
「はーい。いまいきまーす」
雑誌をテーブルに放り投げ、ソファから跳ね起きる。一度重心を下に預けてから、手も足も使わずにソファと自分の体のバネだけで跳び床に着地する。
今日も調子がいい。
夏休みに入った。空気も乾いて体が軽い。
タッタッタ、と軽い足取りで玄関まで向かう。
ドアを開けると、そこにいたのは年上の女性だ。
茶色い髪を後ろで纏め、短いポニーテールにした女性。大学生くらいに見えるけど、立派な大人だってことは知ってる。
彼女は玄関の奥を覗いて、首をかしげた。
「レナちゃんが出るなんて珍しいな。リンちゃんはいないのか?」
……そういえば、今日だったっけ。
「リンちゃんなら、いま化粧道具買いに行ってますよ。久しぶりに会うかもしれないからって気合い入れてるみたいです。とりあえず、どうぞ」
「そうか……おじゃまします」
ふたりはとりあえず家のリビングに――ではなく、階段を上がって二階にあがる。
そう広くもない家だ。すぐに目的の部屋につく。後ろの女性も、ここに来るのは何度目かになるので階段の高さや廊下の狭さにも慣れたようだった。
家族五人でむかしから住んでた、ただの一軒家。
両親はふつうのサラリーマン。この家もまだまだローンが残ってるはずだ。
「……ご両親には、言ったのか?」
「言いましたよ。あまり信じてなかったですけど、あたしたちまでいなくなったらさすがに本当だってわかるでしょ」
「そうか……」
「まああたしだってまだ半信半疑ですもん。疑うなってほうが無理ですよね」
ガチャリ、とドアノブをひねりながらレナはつぶやく。
すこしだけ埃臭い。
もう三カ月も放置されている部屋の匂いだ。いまは誰も使っていない、空き部屋……
「…………って、」
部屋の奥にはベッドがあった。
そこで枕に顔をうずめて、寝転んでる少女がひとり。
「リンちゃん! なにしてんの!?」
「あ。レナちゃん。店長さんもこんにちは」
レナの双子の妹――鳶羽凛。
すこしキツめの目つきや表情のレナに対して、リンは目元が優しく性格もおっとりしているのが特徴だ。眼鏡をかけたその奥に覗く大きな瞳は、いつもキラキラと輝いている。
二卵性双生児だったため、外見も性格もまったく違っている。男みたいな性格の自分と違い、妹は可愛いと思う。実際に男によくモテる。
……でもまあ、ちょっと変わってるけど。
レナの後ろにいる女性――兄貴のバイト先の店長は、ベッドで枕に顔をうずめているリンを見て首をかしげた。
「……リンちゃんは、そこでなにしてるんだ?」
「うぇ? なにって、お兄ちゃんの匂いを嗅いでるだけだよ?」
「だけだよ、じゃない!」
レナはつい叫ぶ。
「化粧品買いにいったんじゃなかったの!? それがなんで兄貴の枕抱きしめることになってんの!?」
「え。だって化粧してもどうせすぐ会えるわけじゃないってことに気付いたから……しばらくお兄ちゃんの匂い吸えないし」
「そのシナプスが謎だわ。いいからほら、さっさと枕離してこっちくる!」
「うう……レナちゃん怖いよぅ」
怯えたようにシュンとなったリンが、とぼとぼと歩いてくる。
「……あいかわらずだなリンちゃんは。ほんとに大丈夫なのか」
「そろそろブラコン治せって言ってるんですけどね」
呆れる店長の杞憂は、とてもよくわかる。
むかしからリンはトビラを慕っていた。兄貴はとても真面目で、模範的な性格だった。言われたことはきちんとするし、誰かに迷惑をかけるようなことはあまりしない。気分がいいと冗談をよく言ってたけど、誰かをバカにしたりすることはなかった。そういえば愚痴もいったことがない。
ようは、邪気のない人だったと思う。
もっともレナもトビラのことを慕ってなかったわけじゃない。
けど、やっぱりトビラは兄。いるだけでイライラすることもあったし、やけに真面目すぎるのもちょっとウザかった。
ていうか、真面目すぎだったんだ。
言われるがままに勉強して、受験して、そして失敗した。
意志が弱いところは大嫌いだった。優柔不断とはちょっと違う。意見がないひとだった。
そうして受験に失敗した兄は近所のゲーム屋でバイトをし初め、そこでようやく少し変わったような気がする。
よく笑うようになったし、バイト先の話もするようになった。
むかしからお兄ちゃんっ子だったリンほどではないけど、バイトを初めてからの兄貴なら、レナも好感が持てた。
……なのに。
「最後に確認するけど、ほんとうにいいんだな?」
そのバイト先の店長は、ポニーテールを纏めているシュシュを外して髪をほどきながら、不安そうに言った。
「もちろんです」
リンが即答する。この子はいつも迷いがない。
数か月前から兄貴はいない……いや、いなくなった。
兄貴はVRゲームにハマっていた。
数週間ほど毎日、バイトとゲームと勉強に忙しそうだった。ゲームを始めてからさらによく笑うようになったし楽しそうにするようになったけど、それ以外をしている姿は見たことなかった。
いなくなったその日もゲームをしていたようで、夜になっても一階に降りてこないのを不審に思ったリンが部屋を訪ねて――消えているのがわかった。
両親はなにか事件に巻きこまれたと思い、警察に捜索願を出しに行った。レナは家出だろうしどうせすぐ見つかるだろうと思っていたけど……まったく足跡もなく音沙汰もなかったのだ。
それから数日が過ぎたとき、店長が家に訪ねてきた。無断欠勤している兄貴を心配してやってきてくれたらしい。兄がいなくなったと事情を説明したら、店長は慌てて兄貴のゲーム機を調べて――顔を青くして言ったのだ。
『……すまない。あたしのせいだ』
このゲーム機にはいろいろな都市伝説があった。
いわく、天才になる。いわく、半年使うと目が覚めなくなる。いわく、ゲームの世界に消える。
もちろんそれはただの噂だったのだ。本気にしているひとはだれもいなかったし、店長の知り合いも使っているという。だから珍しいゲームを気兼ねなく貸したつもりだったらしい。
でも、兄貴はゲームの世界へと消えた。ゲームにはそういう痕跡が残っていた。
それから店長は数カ月をかけて、その原理と元に戻す方法を調べていた。店を違う人に任せ、兄貴のためだけに尽くしてきてくれた。
そしてレナたちが夏休みに入ったと同時――ようやく兄貴を連れ戻す方法がわかったのだ。
『……同じようにゲームの世界へ行き、同様の方法で量子転送して戻ればいい……』
それに一番に反応したのはリン。
兄貴がいなくてずっと元気がなかったリンは、その言葉を聞くや否や自分が行くと言いだした。危ないかもしれない、なんて言葉では説得できない。それほどまでに真剣だった。
『なら、あたしも行く』
レナもまた、放ってはおけなかった。
リンだけで行かせることができなかったのもある。だけど、その前にトビラは家族だ。ただのつまらない兄貴だけど、やっぱり家族だ。もしその兄貴が助けを求めていたらどうする。もし兄貴が窮地に陥っていたらどうする。そう自問したとき、おのずと答えはひとつだった。
『あたしたちで行きます』
リンとレナは、覚悟を決めた。
店長は自分でいくつもりだったらしいけど、さすがに店を持つ立場として、そこまではできないだろう。それにゲーム機を調節する役割も必要だった。
だから、行く。
レナもゆっくりとうなずいた。
ただ、すこしだけ気になることはある。
「……店長さん。ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「なんでここまでしてくれるんですか?」
ちょっとだけだ。
べつにどうということもない。聞いておかないとかすかにモヤモヤするだけのこと。
「あたしたちは、兄貴の妹です。兄貴のしりぬぐいくらいはして当然です。……けど、店長さんはただの上司ですよね? 兄貴にゲームを貸したとしても、その使い道を誤ったのは兄貴です。なら、ここまでしてもらう必要はなかったと思うんです。一生懸命になる必要なんて、なかったと思うんですよ」
「そんなことはない。トビラはあたしの店の店員だし、あいつにはいつも感謝してたんだぞ。仕事は真面目にこなすし献身的だしな。ちょっと冗談が過ぎるところは珠に傷だが、そう悪いものでもない」
言いながらうんうんとうなずく店長。
その表情には迷いがない。
レナは笑みを浮かべた。
「……好きなんですね。兄貴のこと」
「なっ!? そっ、そっ、そそそそんなことあるわけないだろうが! あたしは上司だぞ。それにれ、れ、れれ恋愛などゲームのなかだけにしておけっ! けしからんっ!」
顔を真っ赤にして否定する店長。
べつに深い意味でもなくただの好意って意味だったんだけど……。
鼻息を荒くして「れ、恋愛などというものはだな、二次元にあるものであって三次元にはほんらい存在しないはずのまやかしのようなもので――」と謎な台詞をつぶやく店長。どうやら恋愛感情に耐性がないようだ。綺麗なひとなのに、勿体ない。
まあともかく。
「……店長さんが下心なく本気で兄貴を助けたいって考えてることはわかりました。なら、あたしたちも安心して身を預けられます」
「そ、そうか……それならなによりだ」
ゴホンと咳払いした店長。
ここからが本番だ。
「……では始めるとするか」
「はい」
店長がゲーム機のスイッチを入れる。ディスクは兄貴が使ったときのまま、同じものが挿入されている。『魔法使いの弟子』という魔法世界。その座標情報が記録されているソフトだ。これで座標を合わせ、あとは量子情報ごと転移するだけ。
リンとレナは、ふたりともベッドに腰かけた。
最初はレナがヘッドセットを装着する。
なにも見えない画面。すこし大きい。
「……ほんとうにいいのだな? まず意識だけを飛ばし、その世界の座標情報を見てみることもできるんだぞ。いきなり実際に向かって、大丈夫なのか?」
「かまいません」
意識だけを同調させてその座標に飛ぶのは、実際にそこへ行ったことにはならない。あくまで仮想的にその世界を体感するだけだ。そこでもし危険な目にあっても死ぬことはなく、ただゲームオーバーとして強制的にログアウトするだけだ。
ただそうしているあいだの自分は、本当の向こうの世界には関わることはできない。むこうの世界の情報をゲーム機内にダウンロードし、意識だけで遊ぶんだ。たしかにその世界のことには慣れるかもしれないだろうけど、そんなことしてるあいだに兄貴が危ない目にあうかもしれない。
だから、そんな暇はない。
それにどうせいつか体ごといかなければ、兄貴を連れ戻せないのだ。
「ではいくぞ。ただし〝D3-System〟の量子転送は裏コードだから外部からの操作はできん。直接『案内役』に頼むんだぞ」
「わかってます」
レナがうなずくと、店長がゲーム機の後ろをカチャカチャと触る。
真っ暗だった画面の左下に、「Now Loading...」と文字が浮かんだ。しばらくしていると文字が「Standing...」に切り替わる。
眠くなってくる。
脳波を操作する機械。兄貴も毎回、この感覚を味わっていたのだろうか。
いま、兄貴はなにをしてるんだろう。
兄貴のいるところは、どんなところ……なんだろう。
……魔法の世界、か。
不安がないわけじゃない。
だけどほんのすこしだけワクワクしながら、レナは眠気に身をゆだねた。




