Falling【X】 謎の美少女と肝試し・後篇 ★
妖精族がいくら成長しても人間になることはない。
猫が狼にならないように、犬が虎にならないように、それは当り前のことだ。
そんな当たり前のことを引っくり返せるようなやつは、俺はこの世界で一人しか知らない。
「……師匠だろ?」
「ボクは関与してないよ」
肝試しが始まる直前、俺たちは寮の前にいた。
思ったより人数は集まっていた。数十人が寮の前で待機している状態だ。
リコリスはあれからずっと俺の腕にしがみつきっぱなしだった。終業式のときも離れなかったし、いまもずっとくっついているので、ずっと好奇の視線を浴びている。もういまさら変な視線はどうってことないけど、さすがに息が詰まる。
リコリス自身、人間サイズになったのは心当たりがないらしい。なりたいなぁと思って夜寝て朝起きると、こうなってたんだって。
どんなサプライズだ。
師匠が寮の横に立っていたので問い詰めると、にべもなく否定した。
「リコリスがこうなっているのを見つけたのは、キミが学校に向かった直後さ。ボクが寝坊して朝食をとってたら、部屋からこのリコリスが裸で出てきてね……レシオン=スラグホンが慌てて服を貸してやったのさ。そしたら自分の姿を見て嬉しそうにそのまま寮を飛び出して――」
「いやちょっとまて」
いろいろツッコミどころがあったぞ。
でもやっぱ一番気になるとこは、
「おまえなんでそんな服持ってんだよ」
「うっせえな」
レシオンは始終仏頂面だ。
なにが気に食わないんだろう。
もしかして、肝試しのペアがたまたま招待されたフィア専属メイド――セーナ=レティスメティスだったからだろうか。そのセーナもかなり不満そうな顔をしてるな。……なんだおまえら、気が合うじゃねえか。
「原因はおおかた予想はつくけどね……ま、どうせすぐに戻るよ。だから弟子、いまはそんなことより、ボクの前に立たないでくれるかい? ボクが喋らないと始まらないんだよ」
そこをどけ、と暗に言われて俺は大人しく下がった。
師匠は視界が開けると、寮の前に立っていた生徒たちを見回して、
「それでは夏季休暇直前、納涼大会を始めようとしようか。ルールは簡単だ……ボクが魔改造したこの寮のなかに、ふたりひと組で入ってもらう。襲い来るお化けから身を守りながら最後まで進むことができればゴールだ。もちろんゴールした生徒にはボクからささやかなプレゼントを用意してあるよ。存分にはげみたまえ……それではボクはゴールで待っている。フィオラ様の指示にしたがい、順番に挑みなよ」
師匠は寮のなかにはいると、扉をバタンと閉めた。
けっきょくリコリスがこうなった原因はわからず。
「それじゃあ最初のペア、お願いします」
フィアが司会進行を務めていて、まずは最初のひと組目――レシオンとセーナがなかに入っていく。大貴族と王女専属メイドは、微妙に離れながらもかすかに顔を緊張させ、寮のなかへと消えていった。
直後、セーナの悲鳴が響いた。
びくっ、と生徒たちが体を震わせた。夏の昼間だというのに、林のなかっていうのもあるせいか、周囲が暗くなっている。
雰囲気がでてきた。
「……それでは、つぎのペア、おねがいします」
そうして順番につぎつぎと中に入っていく。
ちなみに最後は俺とリコリスだ。
くじ引きではフィアとペアを組んで最後に入るはずだったんだけど、リコリスが意地でも俺から離れないので、しかたなくペアを組みかえた。おかげでフィアが余ることになったんだけど……ドンマイ王女様。
どんどん生徒たちは寮のなかへと飲みこまれていく。
いろんな悲鳴が聞こえてくる。そう広くないはずの寮なのに、数十名が一度に入っていく。誰もでてこない。俺たち以外のすべてのペアが中へ消えると、
「ではトビラ、いきましょうか」
「おう……ってなんでおまえもくっついてんだよ」
「私ひとりで行けるわけないでしょう?」
リコリスの反対側に、フィアがつかまってる。
足が震えてる。
「……それに、リコリスさんがトビラに襲われないよう、見張る必要もありますから」
「んなことしねえよ」
失敬な。さすがに妹と同じ歳のやつにはふしだらなことは考えないし。
……たぶん。
「あ、いまリコリスさんの胸、見ましたね? 肘に当たってるの意識してますね?」
「…………気のせいだ」
「柔らかいですか?」
「まあフィアよりはデカ――って痛ええ冗談だって!」
腕の肉をねじるな!
最近、この王女様がだんだん素を見せてきた。いいことなのか悪いことなのか……痛いから後者だな。
とにかく俺たちは、三人ぴったりとくっついて寮に入る。
扉を開けて中に足を踏み入れると、そこはいつもの玄関……ではなく、なぜかボロボロの屋敷のなかにいた。
暗くて古くて、デカイ屋敷だ。
蜘蛛の巣がそこらじゅうに張っていて、ホコリが積もった白い床にはいくつも足跡がついていた。右と左に廊下、正面には階段があり、足跡はバラバラに分かれていた。
「さて、どっちに行――」
言いかけた俺たちの真上に影。
ふと見上げると、そこには俺たちより巨大な蜘蛛がいた。
足がカサカサと蠢き、口からはべとりとした唾液が垂れている。
「っきゃああああああ!」
フィアが絶叫して抱きついてきた。
……すまんフィア。おまえ見た目よりけっこう胸あるな。
いや、まあ冗談はともかく、
「リコ、こいつ本物に見えるか?」
「うん。呼吸してるもん」
「そうか。なら逃げねえとな」
「そうだね。食べられちゃう……あ、誰か食べられたのかな? 革靴が口のなかに――」
「イヤアアアアアア!」
フィアが我慢できずに走っていった。
俺は小さくため息をついて、
「リコ、遅れるなよ?」
「大丈夫だよ。かけっこなら負けないもん」
「そうか」
フィアを全力で追った。
とてつもなく広い屋敷だった。
廃屋だろう。壁や床はところどころ腐ってて、棲みついてるのは蜘蛛だけじゃない。いろんな虫がところどころにうろうろしていた。寮の原型どころか広さまで変えやがって……どんな魔改造だよ。もちろん俺の部屋もない。元に戻せるのかちょっと心配してしまった。
フィアに追いついたのは、廊下を突き当たったところだった。なぜか壁から人間の足がいくつも生えているところで、フィアは腰を抜かしていた。
「と、トビラぁ……うえええん」
「はいはい」
ふつうに泣いてやがる。
泣き顔を見たのは数ヶ月前――初めて会って以来だなぁとか思いながら、泣きついてくるフィアを撫でてやる。あのときはまだこの世界のことなんてまったくわかってなかったっけ。それでもこうして同じようにフィアを慰めていたのが、すこし懐かしい。
「ねえトビラ……みんな、どこにいったんだろうね?」
あまりに静かなことに疑問を持ったのか、リコリスが首をかしげた。
「さあな。死んだってことはないだろうけど」
「ちょっと探してくるね」
「そのままゴールしてもいいぞ。こっちは任せろ」
「うん!」
リコリスは楽しそうに走って、近くの階段を上っていく。
人間サイズになったのが嬉しいのだろう。とにかくいつもより好奇心が旺盛だった。
フィアが落ち着くのを待ち、手を握ったままリコリスのあとを追う。
二階につく。リコリスの足跡っぽいのは三階に上がったようだ。そのまま三階にいくと、廊下を曲がって進んでいく。
赤ん坊のような泣き声が聞こえてきたり、腕が三本ある死体がとびでてきたり、目玉がころころ転がってきたと思えば爆発したりと、とにかく仕掛けが満載だった。
俺もけっこう驚いていたけど、それ以上のオーバーリアクションをフィアがとるから、いちいち驚いてもいられない。
「うう……もう無理……」
ただ体力の限界らしく、フィアはぺたりと座りこんでしまった。
そんなに怖いのなら来なければよかったのに。
ていうか企画しなければいいのに。
そういうと、フィアは申し訳なさそうにうつむいた。
「だって……みんなを、楽しませたかったんです。せっかくフルスロットル先生がなにかしてくれるのなら……みんなで楽しみたかったんです」
「そうか」
どこまでも優等生なやつだ。
その根性は嫌いじゃない。
この世界にきてなにもわからない俺に魔法を与えてくれたのは、そんな真面目な王女様だってことも思い出した。
俺はフィアを背負って、続きを歩く。
長い廊下だ。もうリコリスの足跡がどれかわからん。
背中にフィアの体温を感じながら、半透明で血みどろになった人間をやりすごす。
怖いけど、たしかに面白い。
こういう状況は、建前と理性で固められた人間の感情を、むき出しにしてくれる。
あいつなら……どう感じるんだろう。
ふと浮かんだのは一番弟子の顔だった。
「……エヌも、誘ってみたかったな」
どうせ、ふんと興味なさそうに無表情で突き進むだけなんだろうけどさ。
廊下をまっすぐ進むと、また階段に突き当たる。
下りのない階段。迷わず登っていく。
「……トビラは……」
「ん? どうした?」
さっきから黙っていたはずのフィアが、ぽつりとつぶやいた。
耳元でなければ聞こえないほどの小さな声。
「…………いえ、なんでもありません」
なにか言いかけて、俺の肩に顔をうずめた。
会話が止まり、俺の足音だけが屋敷のなかに響く。
なにが言いたかったのか気になったけど、どうせ俺には教えてくれないだろう。俺は黙って進むのみ。
階段を登りきると、そこに待ちうけていたのは人形だった。
包丁を持った、男の子の糸繰り人形。
ケタケタケタケタと笑いながら、俺たちに近づいてくる。その包丁からは血が滴り落ちていた。生々しい匂いと不気味な笑い声に、思わず足を止めてしまいそうになる。
両手がふさがってるけど、まあ、俺には意味がない。
「〝X-Move〟」
天井のシャンデリアを落とし、人形を押しつぶした。
その横を通り抜け、つきあたりの部屋を開ける。
ギギィ、と重たい音を立てて開いたそこは、壁や天井が崩れた部屋だった。
なぜか、背景は夜だ。
崩落した天井と壁のむこうには銀色の月が浮かんでいた。部屋の奥にはひとつだけ椅子があり、そこに不敵な笑みを浮かべ師匠が座っていた。いつもの黒帽子は外し、グラスを手に持って血のような何かを飲みながら。
まるで古城に鎮座する吸血鬼だった。
「……ゴールか?」
「さすが僕の弟子。おめでとう」
師匠は不遜にその椅子に腰かけたまま、手を二度叩いた。
「これで二組目……いや、二組とひとりだね」
「トビラっ!」
師匠の後ろから、リコリスが飛び出してきた。
「あんまし怖くなかったね!」
平気な顔をするリコリスに、師匠は苦笑した。
「例外は一名いるけれど……キミたちはみな、一様に同じ感情を得たはずだね。今回のように様々な恐怖を感じたとき、人間はその真価を問われる。こういう場での対応力こそ、その人間の本質だよ。ただしその本質を理性で変えることができるのもまた人間だ。ここから逃げたいと思った者、じっさいにパートナーを放り出して逃げた者、逃げようとして踏みとどまった者、逆に勇んだ者……キミたちは自らの行動を顧みて反省し、また誇り、これからも成長してゆきたまえ」
師匠はトビラの後ろに視線を送った。
そこは部屋の入り口――じゃなく、いつのまにかロビーだった。
いつもの寮のロビー。見慣れた場所に、きょとんとした表情の生徒たちが集められていた。さっきまでの崩れた部屋も、不気味な屋敷もなにもない。誰もがなにが起こったのかわからないようだ。廃墟にいたと思ったら、こんどは寮のなかにいた……茫然とするのは無理もない。
師匠は満足そうに俺たちを眺めると、
「それではクリアした者には褒美を与えよう。ボクのポケットマネーを使ったものだ。ぞんぶんに感謝するといい。ではひと組目、レシオン=スラグホン、セーナ=レティスメティス」
師匠が呼んだのは、やはりあのふたり。さすがだ。
どことなく微妙な距離感は変わらずに、不機嫌そうに顔を背けている。
「ふたりにはペアルックのペンダントをあげよう。外したら呪われるから気をつけなよ」
「「なっ!?」」
師匠は手早くふたりの首にペンダントをかける。
しかも、ハートが二つに割れたやつ。くっつけたら完成するよくあるカップルのアレだ。
「フルスロットル先生! いくらなんでもこれは――」
「そ、そうですわっ! わたくしがこんなやつと――」
「おめでとう。みんな拍手!」
パチパチパチ、と師匠の言葉に拍手が起こる。
みんな、めっちゃ楽しそうなゲスな笑顔。
……うん。俺も参加しとこ。ぱちぱち。
「それでは二組目、フィオラ様、あと弟子」
雑な紹介だな。
まああまり良い予感はしないので、黙って前にでるだけにしておく。
「キミたちには、とくべつにボクの弟子を一日体験させてあげよう。存分に成長するがよい」
「いいんですかっ? 私、トビラに頼ってばかりでなにもしてないですよ?」
「運も実力のうちとはよくいうだろう? 遠慮は無用だよ」
「わあっ! ありがとうございます!」
フィアは顔を輝かせた。
俺は……なにも言うまい。どうせそんなことだろうと思ってた。
「では最後に、謎の美少女リコリス」
師匠はちらっと周囲を見回した。
言うまでもなくリコリスが妖精族だってことは、内緒にしておくようだ。
「キミには好きなときにその姿になれる、特別な花を授けよう」
そう言って師匠が取り出したのは、白い小さな花。
俺がリコリスにあげたやつと同じものだった。
「あれって……〝転生花〟……!?」
フィアが口に手をあてて、驚きの声をあげた。
ざわざわと周囲がざわめく。
「なんだそれ?」
「食べたつぎの一日だけ、好きな姿に転生することができるといわれる花です。幻の変身薬として、指定保護花になってるんですけど……あれひとつで家が買えますよ」
「……マジかよ」
そんなに高価なものだったのか。
というかそんなものが一輪とはいえ寮の横に生えていたとは……知ってれば売ってたのに。もったいないことしてしまった。
俺だって学校帰りに商店街で買い食いとかしたいんだ。お小遣いなんてないから、自分でなにかを買うことなんてできないんだよ……。
ちくしょう。悔やんでも悔やみきれない。
そんな俺の心境とは裏腹に、リコリスはとても嬉しそうにその花を受け取っていた。
こうして夏季休暇は始まった。
俺は生徒会長に誘われているから、すぐに大陸の中心にある王国のダンジョンに向こうことになるんだけど、その前日にリコリスがまた人間になっていろいろ波乱を起こしたことは……機会があったら語るとしよう。
ちなみに。
謎の美少女転校生がやってきたという噂が男子生徒たちのなかで、ささやかに流行ったらしい。
次話から本当に二章になります。




