Falling【31】 彼女の名は
魔法使い。
俺がむかしから思い描いていた魔法使いの戦いは、杖を手に呪文を唱えて魔法を放つ姿だった。カードや道具に頼ることなくその身ひとつで魔法を顕現する、空想上の物語のような姿。
それがいま、俺の目の前で繰り広げられていた。
「――――〝停詩〟――――」
「――――〝停詩〟――――」
師匠の前に立ちはだかっているもうひとりの師匠は、まるで鏡にうつしたかのように同じ魔法を繰り出していた。
するとなぜかふたりの間で爆発が起こる。
なにが起こってるのかわからん。
「……放たれた魔法が同質の魔法にぶつかったとき、それらは魔力融合を起こしひとつになる。しかしふたつの魔力が持っていた運動エネルギーのベクトルはお互いを消しあい、その場に残留するのだ。すると空気に含まれる成分が魔力を取り込み、膨大な魔力に飽和状態を引き起こし物質崩壊を始め、周囲の空気を巻きこんで爆発すると考えられている」
師匠と、鏡魔法で生まれた師匠のあいだで起こる爆発の連鎖を眺め、生徒会長が解説する。
……なるほど。
どれも大規模な爆発だ。かなり離れた俺たちにも爆風が届くほどの威力。
それを至近距離で浴び続けながら、師匠は魔法を放ち続ける。
楽しそうな笑みを浮かべて、もうひとりの自分と戦う師匠。
「――――〝衝滅〟――――」
「――――〝衝滅〟――――」
同じタイミング、同じ魔法。
また爆発が起こり、師匠の黒帽子がパタパタと揺れる。
「……師匠……」
師匠が生み出した白い空間――『無幻回廊』が、魔法の爆発によって揺れ続けていた。
巻き込まれたらタダじゃ済まないな。
「……トハネ君。私たちも、むこうの闘いに感心してる場合じゃなさそうだぞ」
俺は、生徒会長の言葉に視線をもどす。
師匠と『鏡魔法の師匠』が闘っているが、こっちは魔法ではなく魔獣が相手だ。
『仮にも自分と同じ姿の相手に、まったく遠慮なしに魔法を撃ち込むとは、怖い小僧じゃのぅ』
赤い魔獣、狒々典。
長い手足を持ったそいつは、俺たちと対峙していた。
「狒々典様……できればこの湖を守護する者として、穏便にことを済ませたいのだが」
『それは無体なことじゃよ人間。どれだけ詭弁を並べようが、剥きだした牙をおさめることはそうそうできん。それはお主ら人間とて同じことではないか?』
「どうあっても闘うというのですね?」
『無論じゃ』
やはり交渉は決裂か。
力づくで奪うしかなさそうだ。
「では行くぞ、トハネくん」
「はい!」
俺は細剣を抜く。
生徒会長がすぐに矢を放った。
『ふむ。遅いわい』
狒々典は矢を軽く避ける。
さすがダンジョンを守る魔獣だけある。その反応速度はさっきまでの魔獣たちの比ではない。
でも、それじゃ避けたことにはならないぜ狒々典。
「〝一撃全中〟」
ぐるん、と狒々典の後ろで矢は折り返し、その背中に―
『甘いわ』
狒々典が後ろ脚を蹴りあげ、矢を砕いた。
生徒会長の魔法を受けた矢は、どれだけ固い相手でも脆い部分から破壊させていくようになっている。だからこそどんな石兵にも負けない威力を持っているらしい。
だが、横から払われたら矢そのものが壊れてしまう。
「ちっ」
矢の弱点を突かれ、生徒会長はこんどは矢を三本同時に番ち、放つ。
狒々典は正面からくる矢をすべて叩き落とそうと腕を振り上げ――
「〝X-Move〟!」
『ぬ!?』
高度を変えた矢はその腕をすりぬけ、背後で折り返し、背中に突き立つ。
でも、貫通しない。
背中の筋肉で矢を止めたのだろう。後ろに手をまわして三本の矢をすべて引き抜くと手の中で軽々と折った。
……さすが猿の化け物だ。
『やりおるの。つぎはこちらからいくぞ人間……〝千鏡〟』
今度も俺たちのコピーをつくりだすのかと思いきや、狒々典の前に浮かんだのは無数の小さな鏡。
一、二、三……数えるだけ無駄な数だ。
そのすべてから、大量の矢が放たれる。
魔獣の言葉を信じるなら、千本ほど。
圧倒的な物量の矢が襲いかかってくる。
さすがに自力でかわすことはできない。
俺はとっさに会長ごと上空に転移する。俺たちの眼下を矢の嵐が通り過ぎ、
「マジかよおい!?」
「私の魔法をっ!?」
およそ千本の矢は、後ろで折り返して俺たちに迫ってきた。
会長はとっさに矢を放ち、〝一撃全中〟を発動させた。だが生徒会長の矢は千本のひとつと正面衝突し、互いの威力が相殺されて砕け散って力を失う。
人間をコピーするだけじゃない。
技もコピーして、しかも千倍にして返してくるなんて規格外すぎる。
「厄介な魔法だなおい!」
俺は会長と地面に転移し、矢の雨を避ける。
つっても、矢は俺たちを追撃するために背後で折り返してくるのだ。このままいつまでも逃げ続けるわけにはいかないし、俺では対処のしようがない。
「仕方あるまい……〝千本桜〟!」
生徒会長が取り出したのは、緑のMAC。
それを弓に貼り付け、矢を番えずに、弦を弾く。
ビィイイン……
と震えた弓の弦。
瞬間、襲いかかってくる千本の矢がすべて粉々に弾け飛んだ。
パラパラと、矢の残骸が落ちてくる。
まるで千本桜の花が一斉に舞い散るようだった。
こんなMACもあるのか。すっげえ。
「防御用の高位魔術だ。反動で袖が破れるのであまり披露したくなかったのだが……私も出し惜しみしている場合じゃなさそうだ」
たしかに巫女服が破れ、二の腕がむきだしになっていた。
細いけど筋肉がしっかりとついた腕だった。なんかエロい。
『ふうむ。これを防ぐとは――』
と狒々典がまた手を合わせようとしたときには、俺はとうに駆けていた。
闘いにおいて、複数で挑む最大の利点は、相手の視線をひとつに絞らせないことだ。
片方が注目に値するほどの技をくりだしたとき、もう片方から自然と注意は逸れる。それに、もともと俺の方が弱者だと見ていただろう。狒々典は死角にまわりこんだ俺を、すぐ近くに接近するまで気付かなかった。
『ぬ!?』
気配に気づいたときには足元。
狒々典の足首の腱にむかって細剣を薙ぐ。
神経でも断てれば、という甘い希望はなんなく避けられる。
もちろんこれはよほどの幸運がないと当たらないだろうとは思っていた。狒々天はギリギリでかわす。
だから、狙いは初めからこっちだった。
狒々典の真下に潜り込んだ俺は魔法を発動する。
ただし、こんどは真上に転移させるだけじゃない。
攻撃のためだけに武器を転移したままでは、まだまだダメだ。
そんなもんじゃ師匠の及第点はもらえない。
発想は武器。
そして発想は防具だ。
「〝X-Ripper〟!」
転移の軌跡をすべて切り裂くと同時に、転移させた細剣をもとの位置に戻す。
その間、コンマ一秒もない。
『ぬうっ!?』
ブシュゥと狒々典の血が舞う。
しかしさっきからみせる動物的直観からか、狒々典は体をのけぞらせていた。切れたのは転移軌跡上に残っていた肩口だけ。
――仕留め損なった。俺は舌打ちする。
そのままカウンターの拳が飛んできた。
狒々典の巨大な拳を、細剣を盾にして受け止める――が、威力を受け止めきれずに殴り飛ばされる。それこそ数メートルは一気に飛ばされた。
「っくそ!」
受け身をとり、転がりながら起き上がる。
肩の傷をおさえた狒々典と睨み合う。
もうちょっとで勝てたのに……さすが高難易度ダンジョンのボス。
一筋縄ではいかない。
『わしに手傷を負わせるとは、ふん……おぬしらもなかなかの強者よのぅ。じゃが、わしもまだまだこんなもんじゃないわ』
「……そうかよ。次はどんな手品見せてくれるんだ狒々典?」
強がってみたものの、かすかに声が震えた。
狒々典は笑ったように見えた。
『〝裏鏡〟』
また手を叩くと、こんどは狒々典のそばに巨大な鏡が現れる。
なにがでてくるかと思いきや、そこに映っていたのは相手そのもの。
青い毛色の狒々典だった。
『ゆくぞ狒々』
『まかせろ典』
『『〝烙鏡〟』』
本物の狒々典と、鏡のなかの狒々典が、ふたりそろって手を叩く。
ぞわっと、背筋に寒気が走った。
強烈な予感だった。あまり勘がいいほうだとは思わない俺でも感じとれるほどの、危険の気配。
「会長!」
とっさに会長の手をとり、上空数千メートルまで退避してしまうほど。
さっきは狒々典をのけぞらせたが、今度は俺がのけぞる番だった。
上空数千メートルまで逃げたはずなのに、いきなり下に吸い寄せられる。
あっというまに落下速度が最大に達する。あきらかに自然落下じゃない状況に、地面を見上げてみると、そこにあったのは巨大な穴。
白いフィールドに空いた大穴。よくみてみれば、穴のそこのほうで真っ赤な火が燃えたぎっている。
「あれは……烙穴か!?」
生徒会長がひきつった声を上げた。
穴に向かって引き寄せられる。
「なんすかそれ!?」
「地の底への穴だ! 落ちたら重力とガスで即死だぞ!」
その穴が、俺たちが立っていたところに直径数十メートルほど空いていた。
とっさに跳んでなければと思うと、ぞっとする。
「……君を連れてきて正解だったな。ここまで大規模な攻撃ができる魔獣がいるとは思いもしなかった」
「そうですね。俺も驚きました」
落下の速度は、穴が吸い寄せる風にひかれてぐんぐん上がっていく。
どこまでも真っ白なフィールドのなかで浮かぶ穴。
「ただ、君に謝っておかなければならないことがある」
黒い不吉な穴を見つめて、生徒会長がつぶやいた。
いつも以上に風が強い落下のなか、俺はその声を聞き逃さないように耳をそばだてた。
「なんですか?」
「私は……君に黙っていることがある」
破れた巫女服が風ではためくなか、会長は弓に矢を番えた。
まっすぐ落下していきながらも、その番えた矢をギリリと引いて真下に切っ先を向ける。地表で待つ狒々典を真上から狙い撃つつもりだ。
狙いをつける視線は切れるほど鋭かった。
轟々と、風が耳元でうなる。
「鏡魔法は狒々典にしか使えないだろう。いまフルスロットルが闘っているように、思考回路、経験、能力ともに同じ力を持つ相手と戦えば、勝敗など滅多につくものではない。ましてや魔法同士の戦いなら、魔力融合が起きて爆発合戦になるのは目に見えていた。もちろん他人が横から入りこむ隙はない。たとえ狒々典が君のコピーをつくりだしたとしても、君が失った記憶を聞きだせるとは、そもそも思っていなかった」
「……そうでしたか」
あるいは、考えてもなかったのかもしれない。
でもそれじゃあ、俺をここまで連れてきた意味はないだろう。
俺の魔法を知らなかった生徒会長にしてみれば、役に立つかどうかわからない男をここまで連れてくるメリットがない。
じゃあ、なぜ俺が必要だったのか――
「もちろん君が戦力になると考えたのもある。だが一番の目的は、ふたりきりになりさえすればよかったのだ」
生徒会長は、こっちを見た。
目と目があう。
見つめ合う。
「フルスロットルがいなければ、もっと早くに言うつもりだったのだ」
ふと、脳裏を走ったのは既視感。
この前感じた、懐かしい匂いのようなもの。
「君が自分の記憶をみることはできなくても、私は君に教えることができるのだから」
「それってどういう――」
「同じだからだ」
生徒会長は、また視線を真下に上げた。
まっすぐ頭から落下しながら、その弓を限界まで引き。
「〝一撃全中・墜閃〟」
放った。
狒々典は俺たちが上空にいることを気付いていた。
気付いた上で、俺たちにむかって鏡魔法を発動させようとしていた。
高難易度のダンジョンのボス。その実力は間違いなく俺たちひとりずつじゃ及ばないほどの強さだった。
だけど生徒会長の放った一本の矢は、今度は止まらない。
俺が誘ったはるか上空からの重力と、そして決して外れないという特性を背負った矢は、凄まじい速度で風を切り裂き、真上を見上げた狒々典の口のなかへと飛び込んだ。
びくりと体を震わせ、目を見開く狒々典。
地に空いた大穴が、するりと消えた。
……派手なことなどなにもない。
最後はただ静かに、まるで大和撫子のようなつつましさで、生徒会長の矢はこの闘いの幕を閉じた。
『…………見事じゃ、人間…………』
着地した俺と生徒会長に、狒々典は小さくつぶやいて、その身体を地面に倒れ伏した。
俺は、もう狒々典なんて見てなかった。
「私も君と同じなんだよ、トハネ君……いや、鳶羽飛良君」
ただ凛とした花のように立つ生徒会長から、目が離せなかった。
「私の本当の名は桜ノ宮響。君とおなじくこの世界に落ちた……日本人だ」




