Falling【29】 真髄
湖の底の洞穴は、石壁のダンジョンに繋がっていた。
「――――〝覇砕〟――――」
師匠が掲げた杖の先から放たれた振動波が、通路に立ちふさがる鉱石の兵士をミクロ単位まで打ち砕く。
「〝一撃全中〟」
後ろから迫ってきたもう一体の石兵は、俺の剣で動きを止めたところに生徒会長の矢が貫いた。
砂のように分解されて跡形もなくなった石兵を跨いで、師匠はダンジョン内部を苦も無く進む。俺の魔法が直接効かないところをみるに、おそらく石兵は魔法でつくられた疑似生命なのだろう。ゴーレムとかそういう類だってのはわかった。ダンジョンを守るために配置されたものだったけど、師匠の足止めにはならなかった。
「……まったく。貴様の魔法はデタラメにもほどがある。もっと苦労というものを知れ」
「文句はこのダンジョンの主に言うんだね。ボクのレベルにあった敵を用意しろってね」
高難易度のダンジョンのはずだ。
遭遇する魔獣や石兵は、ひとつひとつが恐ろしく強い。小型のものばかりだが、すこしだけ剣を交えてみて十分にわかった。すくなくとも、かなりの硬度を誇る石兵は、ふつうの武器じゃどう頑張っても傷一つつけられなかった。
そんな相手が、まるで鏡合わせにしたかのように、必ず前後から同時に現れて攻撃をしかけてくる。
さすが鏡のダンジョン。
ふつうの冒険者なら一瞬で全滅しかねない状況を、前は師匠、後ろは俺と生徒会長で対処していた。
「それにしても数が多いね。魔獣たちにボクの威嚇魔法すら効果がないところをみるに、一種の錯乱状態に陥ってるみたいだ。理性がひどく薄れて凶暴化してる」
「どうやらそのようだな。異変の正体はそれか……ということは、その元凶がどこかにあるに違いない」
生徒会長はぐるりと周囲を見渡す。
湖の底につくられた迷宮。壁や天井は硬質の石でできているのか、まるで鏡のように光を反射していた。
光源は師匠が掲げる杖の先にともる魔法の光だけなのに、じゅうぶんに明るかった。
「さてさて。何階にあるんだろうね」
十階まであるらしいが、まだまだここは三階だ。先は長い。
ダンジョンクリアが目的じゃないので、すべての階を隅々まで調べなければならない。一階に要する時間は長く、ここにきてすでに数時間は経過していた。
「ほら、また来たよ。つぎは理性を失った『毒虎』だ」
凶暴化と言われてみればたしかにそう見える。
赤紫色の虎が、牙から涎と毒液を垂らしてこちらを睨んでいた。後ろを振り返ると、同じのがもう一匹。
「毒があるからな、気をつけろ。あまり攻め込もうとするなよ……ここはまたさっきのパターンでいくぞ」
「はい」
前の敵は師匠に任せ、生徒会長は矢を番えた。
俺が剣を交えて動きを止め、その隙に会長が狙い撃つ。
このダンジョンの魔獣たちは、反応速度がケタはずれに優れてる。そのうえ通路はそう広くない。まんがいち矢が外れても、会長の魔法で修正が効くように相手の動きを制しながら闘う。
今回も狙い通り、うまくいった。
難なく毒虎を倒して振り返ると、師匠は倒した毒虎の目を除きこんでいた。
殺したわけじゃなく、石のように固めているらしい。毒虎の眼球だけがしきりに動いていた。
「瞳孔は開いてないね。錯乱状態というよりは、忘我状態といったほうが正しいのかな。魔獣は他の生物と違って魔力を取り込み続けないと身体が動かないから、肺器官に乱れがあれば致命的に衰弱するはず。なのにそういったものは見当たらないところをみるに、自己機能としての忘我じゃないようだね。寄生虫……いや、これは魔法だね。何者かの魔法で強制的に凶暴化してるとみて間違いはなさそうだ」
とん、と師匠は杖の先で毒虎の胸を押すと、毒虎はゆっくりと眠りに落ちていった。
「この階が終わったら、私たちもすこし休憩するか。そろそろ疲れも出てき始めただろう」
「そうだね。ボクもすこし眠りたい」
「俺もだ」
夜通し動いていたのを思い出して、あくびをひとつ漏らした。
三階の最後の部屋を調べ終えたところで、俺たちは横になって軽く睡眠をとった。
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ミュートシス王国領土、その南部に位置する湖。
聖海とも呼ばれるその湖には、浄化の魔法がかけられている。その水で体を清めれば数日は汚れないともいわれるほどに澄んだ水は、近隣に住む村の人々の信仰の対象にもなっている。
近年ではその浄化の原理が魔法であることが分かったので、昔ほど湖の力を盲信する者はいなくなった。
それでも、まだまだ湖を聖なる場所を考える者はいる。
とくに部外者が立ち入るのを嫌う者も多い。
冒険家リヒトリフは、それを重々知っていたのだ。
「……だからこそ、彼は〝鏡の海〟について警告の文を残したんだ」
湖畔の森で息をひそめるメイツの視線の先には、同じ村人たちがたむろしていた。
それぞれに武器を持っている。
もちろんダンジョンそのものがとても危険だってことくらいわかっている。生存率が極めて低いのはダンジョン自体が高難易度だってことは百も承知だ。
ただ、それだけじゃない。
ダンジョンから抜け出てきた者――とくに近隣の村々の者でない人たちを、湖そのものを盲信している信者が〝穢れの対象〟として排除しようとするからだ。
排除……つまり、殺すのだ。
「……サク……」
サクだって、知らないわけじゃない。六年間ともに過ごしてきて、そういった場面を目撃することもあった。異を唱えたら殺されるかもしれないとわかってて、間違ってると反論したこともあった。そのときは子どもの戯言だ、と数日間の懲罰で済まされたけど、今回ばかりは許されないだろう。なんせ他国の者をつれて入ったのだから。
メイツは、臆病だ。それくらい自覚している。
彼女の兄として育ってきた。魔法と武術に才覚があったサクが十二歳でリッケルレンスへ留学するまでで、それは十分に身に染みついた。誰と喧嘩しても勝てない。逃げ足が速いだけの臆病者と呼ばれてきた。
だけど、今回ばかりは黙ってみてるわけにはいかない。
血はつながってなくても、サクは大事な妹だ。
たしかにサクは強くて立派で、誰にも負けることはないだろう。この村人たちになんて殺されるわけがない。
だからといってメイツがなにもしないわけにはいかなかった。
「……僕は、兄なんだから」
メイツは草むらから出た。
数人の村人たちは、武器を手に警戒してきたが、それがメイツだと知ると笑った。
「どうしたメイツ。武器も持たずに、なにか用か?」
メイツたちの村は狩猟と農作で自給自足する村だ。
みな健康的な肉体をもっているし、もちろん狩猟のための武器が似合う。
細身なのはメイツくらいなもんだ。
だけどメイツはひるまない。
「みんなこそ、なにしてるの?」
「なにって。サクのやつがとうとう禁忌を犯しやがったからな。出てきたところをとっちめようって算段だ。なあおまえら」
屈強な大人の男たちが武器を片手に、真剣にうなずく。
「とっちめるって……サクを? 僕らの仲間だよね?」
「つっても、あいつは拾い子だろう。それに俺たちに育てられた恩を仇で返すなんて、やっぱり村から出したのは間違ってたってことだ。みっちり再教育してやる。連れてきたリッケルレンスのやつらはもちろん殺すが……まあ、湖が洗ってくれるだろう」
さも当然のように言う男たち。
メイツだって彼らの言い分が理解できないわけじゃない。
古くからの村の掟。伝統。
それがあたりまえだと思って疑わないのだ。いままでここに帰ってくるたび、サクがいろんな国や人の話をしてくれなければ、メイツもそれがふつうだと思ってたに違いない。
……でも。
「……間違ってるんだよ。それは」
「は?」
メイツは言う。
ひるまず。億さずに言う。言わなければならない。
「僕らの考えかたは間違ってるんだよ。ここはミュートシス王国開放領土の湖だ。僕らの村の持ち物じゃないし、もしそうだとしても、誰かを殺すとかとっちめるとか、自分が傷つけられたわけじゃないのにするなんて、それは間違ってるんだ」
「てめえ……なに言ってんだ?」
男たちの視線が鋭くなる。
「メイツのくせに、俺らに意見しようとでも?」
「うん」
まっすぐ睨み返す。
怖いとは思わない。彼らは仲間だから。
――でも。
「そうか……おい。反逆者だ」
男たちが一斉に、メイツの体を抑えにかかった。
掴まれて、引きずり倒される。メイツは抵抗できない。
「臆病メイツが偉そうに……そうか。おまえもあいつらの仲間なんだな?」
「だから、その考え方が――うぐっ」
顔を蹴られる。
痛い。口のなかが切れた。
けど、止めるわけにはいかない。
サクはもちろん、トハネくんやフルスロットルくんは、このダンジョンの異変を解明しようとしてここまできたのだ。それはこの周辺の村々のためにもなるし、なにより国の調査団がサクに以来してきたからだ。
それなのに村の住民がこんなことするのは、間違ってるから。
「みんな、僕の話を聞い――っがは!」
腹を蹴られて、息が詰まった。
ダメだ。聞く耳をもってくれない。
どうすればいいんだろう。これが間違ってるって、どうしたらわかってくれるんだろう。
しかし、メイツの必死の考えとはうらはらに、一度始まった粛清の暴力はヒートアップしていく。
腹を蹴り、肩を踏み、頭を殴り、〝反逆者〟に鉄槌を下す村人たち。
「おい。汚れた心を清めてもらえよ」
首を掴まれて、湖の水に顔を押し付けられる。
それも間違ってる。
メイツはうすうす気づいていた。ここの魔法は、汚れを浄化するための魔法じゃない。たしかにそういう効果があるけれど、もともとはそんなものじゃない。
他を排除する魔法だ。
だからこの湖には魚がいない。虫もプランクトンもいない。飲むくらいなら影響はないし、水浴びしたり潜ったりするくらいなら問題はないだろうけれど、おそらく中にずっと浸かっていれば、人間だって汚れと判断されて消されてしまうだろう。
浄化とは、そういうものだ。
汚れてることが、ぜんぶ悪いことじゃない。
メイツはそれを伝えたかった。
「ぶはっ、げほっ!」
顔を上げられて、水を吐く。
息継ぎも満足できないあいだに、また顔を水のなかに沈められる。
どうしたらわかってもらえるだろうか。
酸素を吐きだし、水を飲んでしまう。
苦しい中でメイツは必死に考えながらも、次第に意識を失っていった。
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迷宮は悲鳴がよく響く。
ぐっすりと眠っていたところを、甲高い声で起こされた。
師匠の擬態フィールド魔法で防護されているとはいえ、さすがに安心しすぎだったのかもしれない。慌てて身を起して細剣を構え、キョロキョロと左右を見渡す。
師匠は気にせず眠っている。生徒会長はとっくに起きていたようで、悲鳴が聞こえてきたほう――部屋の外を睨んでいた。
「会長、いまのは」
「ああ。おそらく他のダンジョン攻略者か調査隊だろう。入口が濡れていたからもしやと思ったが、やはり先客がいたか……おいチビ起きろ。いくぞ」
「……ねむい……」
目をこすって起き上がった師匠。
寝起きはふつうの子どもだってことは知ってるが、高難易度のダンジョンでもいつも通りだとは。肝の据わりかたが筋金入りだ。
「眠くてもいくんだフルスロットル。女の悲鳴だぞ」
「キミがボクの名前を呼ぶなんて……そうとう怒ってる?」
「怒ってる。悲鳴を無視するやつはなにより嫌いだからな」
「意外と正義感が強いんだね。てっきり学校だけだと思ってたよ」
「そんなんじゃない。ただの兄のようなやつからの、請け売りだからな」
「わお。意外と正義感なのは彼のほうだったか」
たしかに意外だった。
とにかく師匠の寝袋をMACに戻して、すぐに出発する。
生徒会長の聴覚は鋭かった。一度の悲鳴で、どれくらい離れた場所か理解していたらしい。四階を飛ばして五階に降り、そのまままっすぐに奥へと進む。
でてきた魔獣は師匠が一瞬で砂に変えて突き進んだ。
「――ダメえっ!」
声が聞こえた。若い女の子の声。
正面の部屋の扉を躊躇なく開ける師匠。つづいて俺たちも入り、足を止めた。
〝鏡の海〟の名にふさわしい、数多の合わせ鏡がぐるりと取り囲んだ部屋。どこを見ても誰かが映っている。
目がチカチカするその部屋の中央で叫んでいたのは、少女だった。
「まさか、あれが天獅――」
いや、違う。
短い真っ白のツインテールに、幼い体躯。
その後ろ姿にまさかと思ったが、彼女の腕のなかで倒れている巨漢の男を見て確信に変わった。
「やだ! 死なないでズィ! 目を開けてっ!」
――クォだ。
時の神殿で俺たちを襲ったどこかの国の王族。
エヌを苦しめた肉体派の男――ズィが腹に大きな穴をあけて横たわっている。その横には爆破用のMACが散らばっていた。
なんでこんなところに――と思う暇もなかった。
ズィを抱きしめるクォに、黒く輝く石兵が、巨大な剣を振り降ろそうとしていた。
生徒会長がとっさに矢を番えて、
「〝一撃全――」
「〝X-Move〟!」
俺はそれより先に走りだしていた。
魔法で、黒石の兵士の剣を上に弾く。
とはいえ兵士には直接効かない。
どういう原理か知らないが、俺の魔法は生物や自分で動くものには効果がないのだ。武器を弾くので精いっぱい。
だから黒い石兵が、自分の拳でクォを潰そうと振り下ろしたのは――
「クォ! 伏せろ!」
自分で止めるしかない。
振り上げた細剣と、石の拳がぶつかり合う。
かなりの硬度だろう。細剣がしなる。
重い。
「あんた……どうして……」
驚いて見上げてくるクォ。返事をしてる暇はない。
「会長! いまです!」
「〝一撃全中〟」
ぴったり狙い通りのタイミングで、生徒会長が矢を放った。
石兵の頭部を破壊した矢は、そのまま追尾ミサイルのように石兵の腕、足、胸を砕いていく。そのうちに俺はズィとクォをひきずって石兵から離す。
ただ、石兵もそれだけじゃ止まらない。
体のいたる部分を砕かれながらも、クォを追うためにずるずると歩く。さっきまでの兵士と違って粉々に砕けないから硬度は高いのだろう。それに執念深い。
「クォ! 頭守っとけ!」
俺はふたりの体を遠ざけてから、石兵の懐に潜り込む。
細剣じゃ石兵の硬度には勝てない。
だからこいつを完全に砕くには――
「……集中しろ」
座標を決めろ。
俺の魔法は、転移魔法だ。
座標を決め、そこにあるものを移動させる強制魔法。
ただ移動するだけじゃいままでと変わらない。
それじゃダメだ。
それじゃあ、ぜんぜんダメだ。
より精度を高める。
より速度を高める。
俺に必要なのは具体性。
なにをどこに、どれだけ移動させるのか。
それにより起こる、因果律。
これを掴め。
因果を支配すれば、ここは、俺のフィールドだ。
「いくぜ、〝英霊の剣の鍵〟」
寸分の狂いもないように、細剣だけ移動させる。
真下から真上に、絶対的な速度で、相手の硬度なんて意味を持たさないように。
転移の軌跡にあるものはすべて切り裂く。
それがこの魔法と剣の、真髄だ。
「〝X……Ripper〟」
シュピンッ!
小さな音とともに、俺の手の中から剣が消えた。
同時に、天井に突き刺さる細剣。
胴体を縦に寸断された石兵が、ぱっくりと左右に割れて、バランスを崩した。
豪快な音とともに倒れた石兵は、もはやぴくりとも動くことはない。
……うまくいった。
小さく息をつく。
「クォ、大丈夫か?」
俺は天井に突き刺さった細剣を手元に転移させ、カチンと鞘に仕舞った。




