Falling【26】 デートのお誘い
魔法とはなにか。魔力とはなにか。
歴史の文献を紐解いていくと、それはどちらも簡単に知ることができる。
魔法とは、この世界に生まれた一定の法則。力の作用法則だ。
そして魔力は魔法作用のために必要な要素。熱、電気などの自然の中にふくまれるエネルギーと同じ、一種の物理的要素らしい。
「魔力が発見されたのは、そう昔のことではない。原理がわかっていなくても法則は作用するゆえに、魔法を生みだした太古の人々は、なぜ魔法が使えたかまではわかっていなかった。同じ魔法でも使用者によってその強度が変化する理由や、あるいは使える魔法が異なっていることに疑問を持ったものの特定には至らなかった。それを解明し、この世界に魔力という呼称を広め、その力を定義づけたのは誰か……トビラ=トハネ、わかるか?」
「……中央協会ですか?」
「正解だ」
髭をたくわえた魔力学の教師は、教卓を叩いてうなずいた。
俺が専攻しているのは学士科の魔法学。魔法学科そのものは開発と研究に特化しているけど、学士科の魔法学はあくまで〝教育のための魔法学〟だ。細かい仕組みよりも、使用理念や倫理に重点を置く。
魔力の発見やその呼称については、歴史上誰が言い始めたのか教科書になど載っていない。いつのまにかそう呼ばれるようになった……物の名前なんていうのは、そういうもんだろう。ただそれを類推することは可能だ。なんたって、いままで魔法を研究していた機関なんて中央協会以外になかったというのだから。
「ほかの物質と違い、魔力は非補完の特質を持つ。たとえば、水のなかに空気をためた袋を入れるとしよう。その袋を破れば空気が漏れて水が入る。本来空気があった空間をなにかが埋めようとするのは自然の原理だ。だがしかし、魔力にそれはあてはまらない。魔力が体から出ていっても空のまま……魔力を回復させるには必ず時間が必要になる」
ってことは、保持魔力が低い者は、それだけでこの世界では不利になるってことか。
魔力を気にしたことがなかったから、それだけでも勉強になる。メモメモ。
「そして逆に、魔力の飽和についても同じことが言える。ある物質に魔力を注ぎ込んだ場合、その物質が持つ耐久度を超えたとき、その物質は崩壊する。MACで魔法を使用した際、そのとき使われた魔力は蓄積しても出ていくことはない。この原理により発生するのがMACの〝耐久限度〟だ」
教師が緑のMACを取りだす。
「MACにも耐久限度が存在する。これを把握していなければ、万が一MACが限度に来た時に起こる際の崩壊に慌てふためくだろう。たとえば私のこの手の中にあるMAC――魔法壁を構築する防御用MACだが、これの使用限度があと一度。つぎ発動すれば、MACが壊れる」
「それ、どうしてわかるんですか?」
俺はつい聞いてしまう。
なにか表示されるならべつだが、たしかMACにそんな表示はなかったはずだ。
「もっともな疑問だな。答えよう。
そもそもMACには魔力伝達金属回路が不可欠だ。ここに魔力を流し込み、魔法を発動させる。ただし、魔力伝達金属にはそれぞれ魔力量の耐久限度があり、また魔法によっても必要な魔力量が変化する。諸君らは上級学校生……あとは言わなくてもわかるな?」
教師は魔法壁を発動させた。
MACが輝き、光の壁が生まれたかと思うと、MACもろとも崩壊した。ただの紙くずのようになって手から落ちるMAC。
……なるほど。
「大事なのは、自分の使用する魔法がどれほどの魔力量を消費し、MACになんの魔法伝達金属が使われているかを知ることだ。そして最も大事なのは、自分のどのMACを何回使用したか把握すること……そうしていなければ、大事な場面で使用限度を迎えることになるだろう」
「でも先生、市販されてるMACには、なにが使われているのかわかるんですか?」
別の生徒が手を上げた。
教師はうなずく。
「中央協会が流通させているものはカタログがあり、使用回数限度が明記されている。だがそれ以外のものについては、一切の情報はないと思ったほうがいい。たとえば個人で作ったものや、各国が軍事用に時刻開発した魔法……市販されていない召喚獣MACや空間系MACも把握するのが難しいだろうな」
「なんだ。あんまり役に立たねえじゃん」
「だな」
と、教室の隅に座っている男子生徒たち数人がケラケラと笑う。
教師は怒る――と思いきや、髭の下で口をにやりと歪めた。
「無論、日常的なMACに関しては有益とは言い難い。しかし重要なのはその原理――物質の魔力耐久には限度があるってことだ。どういうことかわかる者はいるか? ……よしトハネ。言ってみろ」
また俺か。
左右を見回す。
……手を上げたのは俺だけか。
「市販のMACに関しては回数が明記されているから問題ないです。それに壊れても、日常用MACはどこででも市販されてますし代換えがききますから。……でも、魔法が作用した他の物に関しては話が変わります。たとえば〝強化魔法〟で威力を高めた魔法武器、たとえば〝圧縮魔法〟で持ち運べるようにした自分だけの道具用MACなど。それだけじゃなく、もしかしたら人間自身もまた魔力耐久があるかもしれません。……これでどうでしょう?」
「なかなかな回答だ」
教師は手を叩いた。
「すばらしい視点だトハネ。そのとおり、魔法にもいろいろな種類がある。MACを経由し、物質に直接作用して効果を発揮する魔法も多々ある。その場合、耐久限度を知らなければ作用対象そのものが壊れてしまう。たとえば防護魔法を親の形見に直接かけたとき、魔力飽和で壊れてしまったらどうする? どうもできないだろう……そういうことが起きるかもしれないと知っておくことが、もっとも大切なことだよ、諸君ら」
生徒たちはペンを走らせて、それぞれの言葉で覚えていく。
俺も勘で答えただけなので、ちゃんと書きうつす。
魔力使用による耐久限度。
蓄積された魔力が飽和することによる、物質崩壊。
俺の唯一の魔法は、直接作用する移動用魔法だ。
転移させたものに魔力が蓄積する。
「……そういうことか」
俺は腰から提げている〝細剣〟の柄を、ゆっくりと撫でた。
授業が終わり、今日もまたひとつ賢くなったような気がする。
この世界に来てからは学ぶことが多すぎる。
魔法のことから、歴史、経済の基礎概念。いままであたりまえのように行ってきた文化でさえまったく違う。新鮮で楽しい半面、すこし疲れる。
寮に帰るまえに、すこしだけ涼んでいこう。どうせ帰ったらレシオンと組み手するだろうし、休んでからでも問題はない。
「なかなかいい剣を持ってるではないか」
裏庭の噴水のベンチで座ってダラけていると、校舎のほうから声がかかった。
すこしハスキーな声。首だけで振り返ると、三階の窓から白い服が手を振っていた。
「……生徒会長?」
「とうっ!」
巫女服が舞う。
三階の高さから飛び降りてきた生徒会長が、俺のすぐそばに着地した。ショートカットの猫目、細身で少し身長が高い武芸科の生徒だ。強さ、知識ともにこの学校の生徒のトップに立ち、名実ともに生徒を率いる女。なにより美人。
とはいえ俺にはなんの面識もなかった相手だ。
いきなりのことに眉をひそめる。
「そう警戒するなトハネくん。先日の礼を言おうとおもってな」
「……礼ですか?」
なんのことか怪訝に思ったが、生徒会長は笑んだ。
「ああ。あの〝魔女〟の出現でうやむやになっていたからな。過去の罪はともかく、キミとあの魔女は私たちを助けに来たのだろう? キミたちが来ていなければ、展開がまた変わっていたかもしれん」
「いや、それはお門違いですよ。どうせ師匠の魔法がみんなを守ってました。あれはそういう仕組みになってたみたいです」
「だとしても、だ」
生徒会長は俺の隣に座りこんだ。
やけに慣れ慣れしく、肩に手を置いてくる。
「結果論は好きじゃないが、過程に仮定を重ねるのはさらに好きじゃない。フルスロットル教諭の魔法がつつがなく発動したのか、じつは私たちにはわからない。だとしたら、やはり私たち生徒を守ったのはキミと魔女だよ。ありがとう」
正面から言われると、すこし照れくさかった。
どうしまして――と答えようと生徒会長と目を合わせる。
ふと、なにかが気になった。
「……どうした?」
「いえ、なんでもありません」
妙に懐かしい匂いがしたような……まあいい。
「そうか。……それとトハネくん、その細剣はフルスロットル教諭から頂戴したものか?」
「そうですけど、なにか?」
「面白い魔法がかかってると思ってな。見せてくれるか?」
「わかるんですか? 見ただけで、魔法が?」
「すこしだけな。それだけが特技なんだ」
生徒会長は自嘲気味に笑って、剣を受け取った。
鞘から抜くことなくその細剣をじっと観察する。
俺もなんの魔法がかかっているのかはわからない。ただ師匠がいうには〝俺の魔法をいくら受けても折れない剣〟の鍵となっているらしいから、なにかしら重要な魔法がかけられているんだろう。
「……ほう」
「どんな剣か、わかりますか?」
「この柄の部分……複雑な魔法がかかってるようだ。少なくとも五種の異なる魔法が重なっているな。こんなことをできるのは、フルスロットル教諭だけだろう。それに剣そのものも一級品だ。魔法抜きにしても軽くていい剣だ」
「やっぱりその羽みたいな軽さは、魔法ですか」
「体感質量を限りなくゼロに近づける魔法……ふふふ、こんな魔法があると知ったら、中央協会が黙ってないだろうな。流通経済学に革命が起こるぞ……」
楽しそうに笑う生徒会長。
「黙っててくださいよ。師匠と約束したんですから」
「もちろんだ。私と彼の仲だからな」
やけに親しげな口調だった。そりゃあ生徒会長だ。すべての教師といわないまでも、それなりに付き合いがあるに違いない。
ま、生徒会長の人脈にはさほど興味ない。
ひととおり剣を見せたら寮に帰ろう。
そう決めて背もたれに体重を預けると、生徒会長が剣を眺めながらつぶやいた。
「トハネくん、キミは生徒会に興味はないか?」
「ないです」
即、否定する。
なんか嫌な予感。
「まあそう邪険にするな。いやな、私は生徒会長なわけだが、」
「知ってますから結構です」
「だからそう邪険にするなと言っておろうが。話だけでも聞いていけ」
「だいたいそういうときは話だけじゃ済まなくなるんですよ。フラグって知ってますか生徒会長」
「フィオラ様を助けて手篭にして、敵対してたレシオンくんをたぶらかしてはべらかし、あの魔女ですらもキミの言いなりだった。立派なフラグメーカーだなキミは」
「知ってるならもう喋らないでください」
「というわけで、だ。生徒会に入らないか、トハネくん」
言いやがった。
とはいえ入るつもりは毛頭ない。そもそも、学校のことすらまだよくわかってない俺がそんなもの務まるとは思わないし、なにより必要ないだろう。
生徒会はすでにちゃんと活動してるんだから。
「それがそうでもないのさ。学校内だけの活動なら、無論問題はないが……校外活動に関しては別問題だ」
「校外活動?」
この学校がそんなことをしてるなんて、聞いたことがなかった。
「そうだ。あくまでこの学校は〝王立〟だからな……上級学校生として、王族が開催する式典などに生徒会が招待されることがままある」
「……それがどうかしたんですか?」
「生徒会長の私が出席するのはもちろんだが、おおよそのパーティはふたりで出席するものだ。ただ、私の相方を勤められるような男がいないものでな」
「それで俺ですか? 俺でも役者不足でしょう」
「なにを言うか。あのレシオンくんを素手で負かし、天才の弟子に認められ、魔女を制御する……そこまでの男、なかなかいまい。それに有事の際にはキミの魔法はとても役に立つのだろう?」
試すような視線だった。
俺は、なにも答えない。
生徒会長がなにを知っているかはわからないが、むやみに情報を与えるつもりはない。
ようは王族へのお伺いを立てろ、というわけか。たしかに王立である以上、スポンサーである王族への配慮は忘れてはならない。
もっともフィアを助けた俺をそういうパーティに出席させたいっていうのもあるんだろうけどな。点数稼ぎにはちょうどいい。
とはいえ、俺はさらさらそんなことに協力する気はない。ここに世話になっている手前、フィアから直接頼まれたりしたら話は別だが、フィアがそんなことを頼むわけもない。
「お断りさせていただきます」
「そう言うと思ったが、やはりそう言われると残念だな……ではもうひとつだけ」
生徒会長は、これが本題だと言わなくてもわかるように居住まいを正した。
「これは生徒会とはまったく関係のないことだが……ここ最近、各地のダンジョンの異変が起こっているらしいのだ。近くの〝幻惑の森〟の消滅を始め、いきなり現れて消えた〝時の神殿〟。デトク皇国の〝毒迷宮〟では入口が塞がったらしい。それでだな、つぎはミュートシス王国がその異変に巻きこまれていてな。ダンジョンから出てきた魔獣が近隣の街や村を襲っているらしい。あきらかに自然のバランスが崩れている」
ミュートシス王国といえば、大陸中部を支配する大国だ。中央協会が居を構えている国でもある。
「私はミュートシスに縁があってな……夏の長期休み、調査に来てくれと依頼を受けているのだが、キミも一緒にどうだ?」
「俺も?」
なぜ俺を誘う。
そう目で語りかけると、生徒会長は言い切った。
「そこは〝鏡の海〟と呼ばれる湖のダンジョンでな……そのなかにいるといわれるある魔獣が、珍しい鏡魔法を使うらしいのだ。それはただ魔法を写すだけじゃなく、その持ち主の過去や思考もトレースしてくれるらしい。もしもうひとりの自分を生みだし、そいつに質問できるとすればどうだ? ……キミはたしか、記憶喪失なんだろう?」
なるほど。
もちろん俺のために誘ってるだけじゃないだろうけど。
しかし生徒会の話を持ち出したのは、このためのワンクッションだったってことか。突拍子もない誘いだったが、こっちはただの遠征みたいなもんだ。生徒会に入るよりもいくらかうなずきやすい。
「まあそれくらいなら付き合いますよ。夏休み、どうせやることないですから」
「それは有難い」
「にしてもなかなかやりますね生徒会長。ブラフを交えて会話するなんて」
「ふふふ、キミなら気付くと思ったよ。キミはそういう目をしている……それでいて、断らない目をしているよ」
「……そうですね」
魔獣が街を襲っている。
ダンジョン調査。
そして、過去をも読み取る鏡魔法。
断る理由が、ひとつもなかった。




