Falling【21】 フィールドカード
「――フィールドカード〝魔界〟――」
ずぐん。
腹の底に、衝撃のようなものが響いた。
「……なんだ?」
景色が塗りかわっていく。
土に囲まれた地下空間を、黒い空と赤い月の浮かぶ大草原が浸食していく。その中心に立っているのは筋肉質の男、ズィ。手には一枚のMACが握られていた。
黒いMAC。
「黒は空間系……俗に言うフィールドカードです。空間を丸ごと召喚する、極めてレアなMACなんですが……」
フィアが言葉を濁したときにはもう、俺たちは草原に立っていた。
黒い空。赤い月。そしてどこか鼻につく空気。
この世のものとは思えない光景だった。
……でも、すこしだけ懐かしいのは、なぜだろう。
「ズィ、そんなもん使って余計にやられるんじゃないの?」
少女が眉をひそめる。
「安心しろ。こいつの正体、わかったぜ」
ズィはニヤリと笑みを浮かべた。
その歯が、まるで牙のようにすべて尖っていた。
「おまえ『大罪の魔女』だな? 大陸に災厄をふりまいた、あの〝人類の敵〟だろう?」
「…………。」
エヌは答えない。
「沈黙は意味をなさねえぜ。がはは……まさかこんなとこで出会えるとは思わなかったぜ。ここでおまえを殺せば俺は英雄になれる。人類の敵を倒した英雄として、これ以上ない名誉が与えられるってわけだ!」
人類の敵。
それがエヌの立場。
焦って声をあげたのは、クォだった。
「ちょ、ズィ、そんなやつ相手に〝魔界〟はダメじゃない!? 殺されるわよ!」
「慌てんなクォ……こいつの腕、見てみろ。この古臭い錠……こいつあ〝裏切りの錠〟だぜ」
「っ! てことは!」
「ああ。むしろ〝魔界〟は好都合ってこった」
ズィが、今度は自分からエヌに向かっていく。
速度で敵わない相手に、自分から拳を握って駆け――
「――――〝流星〟――――」
エヌは横に向かって地を蹴った。
「甘いっ!」
遅かった。
エヌの速度が、あきらかに落ちている。半分以下……いや、もっとだ。お世辞にも〝閃光のように〟とは比喩できないほどになっていた。
すぐに迫ってくるズィ。
エヌは足を振り抜く。
「――――〝迫撃〟――――」
「弱えんだよお!」
衝撃波を、拳で弾き飛ばす。
さっきは避けるしかなかったのに、今度は真正面から歯向かって競り勝った。
エヌの表情がかすかに歪む。
なにが起こってるのか、わからない。
「……あっ!」
フィアがハッとした。
「なにかわかったのか?」
「はい! 〝魔界〟は等空間の魔力総量が私たちの世界よりも大きいんです。つまり、魔法そのものが力を増すフィールド……エヌさんの腕の〝裏切りの錠〟は、拘束者の魔力を抑える効果を持ちます……」
ってことは、いつもの数倍も力を制限させられているわけか。
「それに対して、私たちが使う魔法は――」
「がっはっは! こんどはこっちからだ!」
ズィは、それまで背中に背負っていた巨大な荷物を、地面に置いた。
どずん、とすさまじい音。かなりの重さだったらしい。
その袋のなかに手を突っ込んで勢いよく引き抜く。
バサッ!
空に舞ったのは、たくさんのカード。
数十枚の緑のMACだった。
「派手にいくぜええええ!」
空中に舞い、落ちてくるそのMACたちを、ズィは拳を握り――殴った。
カッ!
拳がぶつかった瞬間、MACは光り、弾丸となって飛来する。
エヌは飛んできたMACをとっさに蹴り落として――
ボンッ!
「っ!?」
爆発した。
鎖をつけた足が、赤く焼けていた。
「っひょう! いまなら並大抵のやつなら手足が吹っ飛ぶ威力なんだがな! さすが化物、体も頑丈ってわけか!? だが、まだまだいくぜえええ! オララララララ!」
舞い散るMACを連続で殴る。
そのすべてが爆発する弾丸となって襲いかかってくる。
ひとつ蹴り落とすだけで相当なダメージを負うのは分かっている。エヌはなるべく避けるように努めるが、やはり間に合わない。直撃を避けるために数発の弾丸を蹴り落とした足は、みるみる血と熱傷で赤く染まっていく。
だがズィの連打は止まらない。それどころか激しさを増していく。
次第にエヌの対応力を超えてゆき――
「死ね化物!」
エヌの体に、数十枚の弾丸が一気に殺到する。
さすがにヤバい。茫然としていた俺はハッとして、
「〝X〟!」
エヌの体に当たる直前、MACの弾丸をすべて上空に弾いた。
空で爆音が木霊する。
すぐに上から、灰になったMACがパラパラと落ちてきた。
「ほほう……おい、おまえ……面白いMAC持ってんな……?」
……マズイ。
ズィが俺を見る。
「そうよ。あいつ、おそらく〝転移系〟の……しかもかなりの高位魔法のMAC持ってるわよ。今回の獲物よりもおそらく希少価値が高いわ……どうする?」
「ほほう」
バレた。
ズィとクォの興味が俺に向いていた。爆発で足をやられたエヌは、この空間じゃまともに戦えないってことをわかってるんだろう。
こうなりゃ背に腹は代えられん。
「〝X-Mo――」
ふたりを揃って上空に飛ばそうと魔法を発動して――
「遅えっ!」
それよりも早く、ズィの殴った弾丸が襲来する。
俺は発動を中断し地面に伏せる。すぐそばで爆発し、キーンと耳鳴りがした。
くそっ。
耳鳴りは……ヤバい。
ぐらり、と平衡感覚が傾くのがわかった。バランス感覚をやられた。つい舌打ちする。
〝X-Move〟の発動に必要なのは空間把握能力だ。図らずも、それを削がれた。
「はっはっは! 死んでくれ小僧!」
ズィが全力で殴ったMACの弾丸は、俺の顔面にまっすぐ飛来し――
ドオンッ!
……痛みは、なかった。
とっさに閉じてしまった目を、薄く開く。
見えたのは白い背中。
俺の前に立ち塞がったのは、やはり、エヌだった。
「おまえ、なにしてんだ……?」
「べつに」
エヌの声はいつものように平坦だった。
蹴り落とすヒマもなく、腕で受けたのだろう。いくら体内の魔力が高く、体が頑丈だからといえ、あれだけの爆発を受けて無事なはずはない。
「まだ動けたか化物め! 平和のために、死ね!」
ズィがまたMACを大量に空に放り、落ちてくるそれを連続で叩く。
弾丸が飛来し、俺の前に立つエヌの体を直撃する。
爆発。
爆発。
爆発。
だが、エヌは一歩も動かない。
「……なにしてんだよおまえ……」
「さっさと回復させなさい」
エヌは冷ややかだった。
ありえない。
「おまえ……命令にしか従わないんじゃなかったのか……今回は、フィアの護衛だろ? なんで俺を守ってんだよ?」
「べつに」
爆発に、エヌの全身が燃えていく。
血が飛び散る。皮膚が焼ける。
だが、エヌは微動だにしなかった。
「俺なんか無視しとけよ。おまえ、自分の役割だけに忠実になってればいいんだよ! なんでいまだけ、その役割を放り出してんだよ!」
「わかんないわよ。そんなの」
エヌはつまらなさそうに吐き捨てた。
「ただ、こうしたほうがいい気がした……それだけよ」
後ろで、フィアが息を呑んだ。
「……意味がわからん」
「理由が欲しいの? なら、あたしは一番弟子だから。あんたは二番弟子。一番が二番を守るのは、当然でしょ?」
「エヌさんっ!」
フィアが叫んだ。
その顔は蒼白だった。
まるで、意思を持って動き出したマネキンを見たときのような恐怖。
「……それは、その自由は、あなたには……」
「許されてないんでしょ? わかってるわよそれくらい。あんたちがあたしを怖がってることだって知ってる。フィオラ様も怖いんでしょ? 隠しててもわかってたわよ。そりゃあ怖いわよね? あたしが暴走したらみんな死ぬんだもの。あたしに自由を与えたら、いろんなひとが死んで行くんだもの。あなたにとってあたしは誰の仇? あたしが生み出した魔人に、誰を殺されたの? そうよね……あなたも、あたしが憎いんでしょ?」
「エヌさん! それ以上は許しません!」
フィアはなぜか、ズィとクォの様子をうかがってから、彼らにアピールするように大声で叫んだ。
その手にいつのまにか一枚のMACが握られている。
それを見た途端、エヌは口を閉ざした。
俺にはそれがなんなのか、今の言葉がなんなのか……理解できなかった。
「おいおい、俺たちを無視すんなよな」
ズィが呆れたように言って、数枚のMACを同時に殴り飛ばした。
ひときわ大きい音を立てて、エヌの体に直撃して爆発。
「……っ」
よろめいて、膝をついたエヌ。
爆風で全身が焼けていた。裂傷で血が滲んでいた。ふつうなら激痛どころじゃないはずだ。
「ようやくか……」
それでも俺は……無傷だった。
まただ。また守られた。
これじゃダメだ。こいつに守られてるようじゃダメだ。なぜかわからないけど、こいつに守られるだけじゃ、ダメな気がする。
師匠なら、こんなときどう言うか。あの口うるさい子どもなら――
「そろそろ死ね、化物」
憎しみの籠った声でズィがつぶやき拳をふりかざしたとき、俺の脳裏に閃いたのは、師匠の顔だった。
わずか十二歳の師匠の、すべてを見透かしたような、薄い笑みだった。
「――リコ! 任せていいか!?」
「うん!」
視界の端で、フィアの姿ごとリコが〝透明化〟したのを確認して、俺はエヌの腕をつかむ。
「〝X-Move〟」
ブン、と、俺たちは上空に跳んだ。
触れていれば空間把握の必要がない。自分ごと跳べばいいんだから。
フィールドには天井はなかった。万が一のことを考えて数千メートル上空まで跳びあがったが、地下から脱出することもなく、そこは変わらず赤い月が浮かぶ空。
異様な空。
そしてすぐそばには、ボロボロのエヌ。
落下はすぐに始まった。
「……おい」
「なに?」
いきなり空に移動しても、慌てない。
どこまでいっても、声に抑揚がない。
「さっきの……フィアが持ってたMACはなんだ?」
「…………。」
エヌは問いには答えない。
感情が籠らないように、気をつけているのだろうか。
「なんだ? あれ、おまえにとって、よくないものじゃねえのか?」
「……べつに」
そればっかりだ。
まあでも、予想はできる。
「おまえの行動を制御するためのものだな? おまえを従わせるためのなにかだろ? 違ってるか?」
エヌは答えない。
沈黙は……是だ。
「おまえの意思は……どこにある? 役割に従うのはおまえの意思か? それとも強制させられてるだけか? どっちだ? 知らぬ顔してないで、答えろエヌ」
「勘違いしてるみたいだけど」
エヌは冷ややかに言う。
落ちていく感覚に怯えることもない。
ただ、冷静に。
沈着に。
「あたしは囚人。懲役1085年の囚人奴隷よ。あんたを守ろうとしたのは、あくまであたしじゃなくてあの師匠の意思よ。それを警戒したフィオラ様は正しい。あの方だって、好きであたしを脅したわけじゃない。あたしの影響で、また国民を失いたくはないでしょう? 彼女は王族として、国民を守っている……それだけのことよ」
「国民の……命?」
それ以上の言葉は出なかった。
俺はまだ、なにも知らなかった。ただ魔人を生んだだけじゃないのか。ただ経済危機に追い込んだだけじゃないのか。
エヌが犯した罪のこと。1085年という意味を。
彼女とぶつかるには、まだまだ足りなさすぎた。知らなさすぎた。
「……それで?」
と、黙った俺に、今度はエヌが語りかけてくる。
「あんたはそんなことを話すためだけに、こんなところまで移動してきたの?」
上空と呆れるエヌは……正しかった。
俺は気をとりなおして、首を振る。
「いや、違う……」
「なら、目的はなに?」
「おまえを信じる」
俺はエヌの腕を離さずに、言う。
「一瞬だ。一瞬だけおまえを信じる。おまえが一番弟子として俺を守ったのなら、俺は二番弟子としておまえを信じる。師匠だって俺のこの魔法の使い道を知ってただろう。俺のこの魔法を、おまえのためにどう使えばいいか、たぶん出会った瞬間にわかってただろう。それで俺をおまえに逢わせた。こうして、協力するように仕組んだのも……あいつの思惑通りだ」
「そうかしら」
そうだろう。
あの天才少年が、この可能性に気付かないわけがない。
だから、俺はエヌの手を――手首の〝裏切りの錠〟に触れる。
「一瞬だ。俺を助けてくれた礼はでかいけど……一瞬だけだぞ」
「……わかったわ」
エヌも俺がなにをしようとしているのか、わかったのだろう。
上空数千メートルからの落下。
そのさなか、俺たちはしばし見つめ合って――
「いくぞエヌ……〝X〟!」
俺は、〝裏切りの錠〟だけを移動させた。
その瞬間、まばゆい金色の光が、あたり一面を照らした。
それがなにかを確かめる前に、俺はすぐに〝裏切りの錠〟をエヌの腕に戻す。
すぅっと、輝きが消える。
「……一応、礼を言っておくわ」
たったほんの一瞬。
それだけで、溢れ出た魔力は、彼女の怪我を完全に治していた。
赤くなっていた肌は白く、滲んでいた血はさっぱりと消えて。
不死身の魔力。
伝説の属性。
それが――魔女。
「……仕上げといくわよ」
エヌはほんのわずかに――たぶん自分でも気づかないほどに薄い笑みを浮かべて、地面を見下ろした。地面はかなり近づいている。
さっきの光で、俺たちの場所に気付いたのだろう。
眼下で、俺たちを見上げているズィとクォ。
ズィがまた攻撃しようと、MACをばら撒いた。
「やれるか?」
「当然よ。手を離しなさい、二番弟子」
エヌの言葉に、なぜか安心できた。
俺は少しずつ減速する。着地のことを考えると、余裕をもっていたほうがいい。
エヌはそのまま落下していく。
まるで流星のように。
まるで隕石のように。
ズィの弾丸は空に向かって放たれるが、さすがに真上に打ち出すのは難しいのか、俺たちには当たらない。
「――――〝天堕〟――――」
重力を味方につけたエヌの蹴りは、ズィやクォでなく。
地面を――このフィールドを、撃ち抜いた。




