Falling【1】 オチタセカイ ★
『――夢食いによる世界の破損を確認。危険度・レベルRED――』
『――ユーザー保護モードへ移行。生存方法を検索します――』
『――検索終了。速やかに〝D3-System〟の裏コードに移行し、量子転送を実行します。システムの初期化を開始します――』
〝D3-System〟
そんな理論が存在するという噂は聞いていた。
〝System to Divert the Download of Dream〟
科学の進歩により生まれた、新世代の〝睡眠学習装置〟に搭載されていたという機能。
本来見るはずだった夢を歪め、違う夢に作り変えてしまうというシステムのそれは、睡眠時に様々な知識を夢として見せることにより、寝ているあいだに学習できる。
そんな使用法として発表された理論を開発した科学者は一躍有名になり、たしかノーベル章なんかも受賞していたと思う。
もちろん人間の好奇心と探究心は、止まらない。彼が開発した〝学習〟は、単なる知識だけで留まらなかった。
やがて〝D3-System〟により知識だけでなく〝人生経験〟を得ることができた富裕層の子どもたちが、驚くべき速度で成熟し、若くして世界で活躍するようになっていった。その世代は、『天才が生まれた世代』と呼ばれたこともあるらしい。
それなのに、いつのまにか〝D3-System〟は消えていった。
ひっそりと、その姿を隠すことになったのだ。
理由が憶測として飛び交った。
〝D3-System〟を搭載したゲーム機の噂は都市伝説となって、いまもなお残り続けているのは知っていた。
それがこの機械だということは、なんとなく想像がついていたんだけど――
『――システム初期化完了。すべての記録が消去されました。続いて『魔法使いと弟子』のダウンロードを開始します。ユーザーの生体信号の安定を確認。決して電源を切らないでください――』
ぷつん、となにかが途切れる音がした――
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――面倒なことはしたくない。
できることなら寝ていたい。
飯だけ食べて寝ていたい。やわらかい布団のなかで、惰眠をむさぼるだけでいたい。
世界中の地面や壁や天井が、ぜんぶ布団でできていればいいのに。すこし寒くなれば、布団の上に毛布があればいい。
寝起きには、いつもそんなことを考えてしまう。
「……さむ……」
目を閉じたまま身震い。
やけに肌寒くて、俺はゆっくりと目をひらいた。
「…………え?」
起きたらベッドから落ちていたことは、何度かある。
寝相が良いほうだとは言えない。でも、特別悪いとも思わない。
だから瞼をひらくと草原だったことに、俺は茫然とした。
周囲に広がるのはふさふさに敷き詰められた草の地面。
遠くまで続く青空に、照りつけるのは乾いた太陽。すこし寒い気温のせいか、いつのまにか布のようなものを握り締めていた。
ぼうっとした頭を振って身を起こし、脳を覚醒させる。
風が吹く。
飛んできた草を払いのけながら、俺は、寝ぼけ眼をこすって。
「……なんだここ……?」
いくら寝相が良くないとはいえ、こんな所にいた憶えは、なかった。
いつものようにバイトに行ったのは憶えている。
ただその途中からの記憶が曖昧で、ぼんやりと靄がかかったようになっていた。寝る直前になにをしていたのか、いつ寝たのか覚えがない。
なにか忘れているような気がしたが、思い出せない。
「……ん」
すぐそばから声が聞こえた。
視線をすぐ横にスライドさせる。
「……?」
目に入ったのは、澄んだ湖のような、銀色に近い青髪。
透明感のある薄い水色だ。太陽に反射してところどころ輝いていた。
その髪は一本一本が滑らかに流れ、寝息をたてる少女の体に覆いかぶさっている。
綺麗な長髪に、透きとおるような肌の白さ。しかし不健康なわけではなく、唇の血色は良い。年の頃はおなじくらいだろうか。
少女が、無防備に寝ていた。
旅でもしているのだろうか。腰には短剣。すぐ近くには馬が座っていて、背中の鞍には荷物が括りつけてられている。鉄のコップを温めているかがり火もあり、まさに旅って感じだった。
えらくアナログな旅だ……
呆けていると馬と目が合った。やたらとまつ毛が長い馬。俺の様子をうかがっているようだ。『変なことすんなよ』と目が語っている。
なぜ隣に少女が寝ているのだろう。身に覚えはない。
身に覚えはないが……この世には冤罪なるものが存在するのだ。
俺は馬と少女を見比べる。
馬が鳴く → 少女が起きる → 一緒に寝ていた俺は変態扱い
あっさりと未来予想図が描けてしまった。これはマズイ。
とりあえず馬に向かって、
「……しーっ」
『……。』
指を立てると、馬はこくりとうなずいてくれた。
よしよし、良いぞ。
「……ん、さむい……」
寝ぼけた少女がもそもそと、手探りでなにかを探していた。
ハッとする。
俺が知らず知らずに握っている布――絢爛な装飾で彩られている――は、もしかして彼女が肩にかけていたものじゃないか?
寝ている間に奪い取ったらしい。返しておこう。
ゆっくりと布を彼女にかけてやると、満足そうな笑みを浮かべた少女。そのまま熟睡していてくれ。
ちらっと馬をみると、馬は『そうそう』とうなずいた。
俺は物音を立てないようにゆっくりと立ち上がる。
少女の眠りは深い。この心地よい風が吹く大草原で昼寝すればそうなるだろう。気持ちはわかる気がする。
そのままゆっくり寝ていてくれと、俺が忍び足でそろそろと歩き出した、その瞬間だった。
『ヒヒ――――――――ンっ!』
馬がいななきやがった。
「だれっ!?」
少女が跳ね起きた。
言うまでもなく俺に気付く。
「あ、あなただれ!? ここでなにしてるの!? 私、いま寝て……まさか痴漢っ!」
物騒にも、短剣を背中に突きつけられた。
俺はとっさに身を固めて両手をあげた。あたりまえだ。剣を突き付けられるなんて経験は初めてだ。ふつうにビビる。
「……おい、そこの駄馬」
ただ、さっきの以心伝心はなんだったのか。
信頼を返せ馬野郎。
そんな俺の心の声を知ってか知らずか、馬はぶるると鼻を鳴らして、ニヤリと笑った。
「……見慣れない格好ですね……」
よく周りを見回してみると、俺たちが寝ていたのは丘の上だった。
前後左右がなだらかな傾斜になっており、遠方はすべて森で囲まれている。森のむこうは山だったり、森が続いて見えなかったりする。草原のど真ん中に隆起したここは、とても見晴らしがいい。照りつける太陽を遮るものはなにもない。
違う言い方をすると、目立つ。
そんな丘のてっぺんで、俺は正座していた。
……ちぢこまって正座。
「上下ともにラフな格好……他国の技術ですか?……それにしては軽装ですね。旅の者とは思えないです。馬もいないし食料もなく武器もない……」
短剣をつきつけられたまま、じろじろ見られる。
そういう少女だって妙な格好だ。
ブーツにズボン、長袖のシャツと、あとさっき肩から掛けていたのは腰に巻く布だったらしい。それだけを身につけていた。
こう言えばふつうだが、そのひとつひとつが妙だ。素材が古いというのか……どうにも化学繊維でできた服じゃない。
短剣の柄には紋章が描かれていて、革の鞘当てはそこらじゃ買えなさそうななめらかな質だった。腰にはもうひとつ、上質な革のケースが下げられている。なにを入れているのだろうか。
質素だが、さりげなく豪華な少女。いや、質素を装っているだけな気がする。
「……おまえ、さては金持ちか? しかもかなりの」
「っ!?」
驚かれた。
短剣を近づけられる。あぶねえなおい。
「な、ど、どうしてですか……?」
「いや、なんとなく……それで、ここはどこなんだ?」
「し、質問するのはこっちです! あなたの名前は? 故郷は? 国は? 職業は? 属性は? 好きなおかずは? どうやってリュードくんの鼻をくぐりぬけて近づいたんです!?」
「リュード?」
「愛馬です! リュードくんです!」
少女が俺のすぐ後ろを見ていう。
うしろには馬がいた。さっきの馬。
リュードというのか。
「リュードくんはすごいんですよ。泳ぎがすごく速いんです。鼻もよく効いて、わたしの言葉も理解してくれるんですからね!」
「そりゃすげえ馬だな、リュード」
「まあそのかわり、足は遅いんですけど」
「それ馬としてどうなんだ」
『バルッ!』
頭に噛みつかれた。
言葉がわかるのは本当らしい。
「……痛いぞ、馬」
「りゅ、リュードくん、離しなさいっ!」
リュードが不満そうに口を離す。『ケッ』と顔をしかめた。
なんて馬だ。
「それで、あなたはどこのどなたなんですか? よだれくさいひと」
「よだれくさいのは馬のせいだ。俺の個性みたいに言うな」
まるで俺が年がら年じゅうくさいみたいじゃねえか。
「いいから答えてください」
「わかった。わかったからそれをしまえ」
さすがに短剣をちらつかされていれば、答えるしかない。
「俺は……鳶羽トビラ。どこっていえば……日本だ。職業はフリーター。属性ってのはよくわからんが……たぶん浪人だ。あとそれから…………好きなおかずは、白ごはんだ!」
「ごはんはおかずじゃありません!」
ぴしゃりと言われた。
冗談が通じないやつめ。もっとアニメを見ろ。
「しかしニホン……ですか、聞いたことないですね。ロウニン……そんな属性あったかしら。トビラというのも珍しい名前ですけど……」
「自分の無学を嘆くまえにそっちも名乗ったらどうだ。礼儀くらい身につけておけよ」
「いまなんとおっしゃいました!?」
少女は頬をふくらました。
「あなたみたいな粗野なひとに礼儀知らずと言われるのは鼻持ちなりません! いいでしょう聞かせてあげましょう! 私はフィオラ=リッケルレンス十七歳、リッケルレンス王国王女にして属性は『王』。好きなおかずはゆで卵です! 半熟じゃだめですよ? 完熟ゆで卵こそ最高のおかずです!」
「ほう。ゆで卵で飯を食うとは、おまえもなかなかやるな」
「うふふ、そうでしょう? 塩も水もいりません!」
「あのパサパサに打ち勝つとは尊敬するぜ」
「でしょう?」
腰に手を当てて胸を張る少女――フィオラ。
なるほど。変なやつだ。
「ああ。しかし、おまえ……………………王女様なのか」
スルーしようかと思ったけど、やはり突っ込んでおく。
フィオラは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべてから、
「……あ」
「あ?」
「あああああああ~っ!」
頭を抱えた。
「い、いまのなし! いまの聞かなかったことにしてください! なしなし、ストップです! 忘れてください忘れてください! オフレコなんですよぉ! お忍びででてきたんですよぉ! 見つかったら連れてかれちゃうんですよ~っ!」
「そうなのか?」
「そうなんです! ぜひ、内密におねがいします!」
「わかった……わかったぞフィオラ。おまえがフィオラ=リッケルレンスってことは秘密なんだな! そういうわけでよろしくなフィオラ=リッケルレンス! おやっ、そこにいるのはフィオラ=リッケルレンスじゃないか! こんなところでどうしたんだいフィオラ=リッケルレンス!」
「だめ――――――っ! 時よ戻って―――――っ!」
飛びかかって口をふさいでくる。
本気で時を戻そうとしているのか、息を止めて顔を赤くしている。窒息しかけている小動物みたいだった。
「冗談だって」
「ほ、ほんとですか!?」
「ほんとほんと。まあ、言うなって言われるほど言ってしまう可能性が……」
「ダメ―――――っ!」
と。
フィオラは手を後ろに回した。
なにをする気だろうと見ていると、腰から下げている四角い革のケースに手を入れ、そこから一枚の紙のようなものを取り出した。
黄色のカード。少し土色にも近い。
フィオラはそのカードを掲げる。
妙な気配がした。ピリリと肌に痺れるような感覚。
威圧感のようなものを覚えた瞬間、フィオラが叫んだ。
「〝ドワーフの鉄槌〟っ!」
カードが、光った。
その瞬間、手に握られていたカードが一瞬で形を変え、巨大なハンマーになった。装飾はほとんどなく、なにかを打ち砕くためだけに作られたかのような純然たるハンマー。
手品かと思った。
一枚の薄いカードが鉄の塊になったことに、茫然としかけて――
フィオラはさも重量がありそうなそれを、俺にむかって振り下ろしやがった!
とっさに我に返る。
「うおおおおっ!?」
なんとか横に跳んで避ける。
地面がひび割れてへこんだ。
「な、なんだいまの!?」
夢でも見てるような気分だ。
フィオラはふしゅぅううううと口から息を吐き出して、
「……イマノウチニ、シトメテシマエバ……」
「カタコトになってるぞおい!? お、落ち着け! 冗談だ! おまえのことは絶対に言わない! 約束する! だからその手に持っているハンマーをおろせ!」
「……ほんとですか?」
きょとん、と首をかしげるフィオラ。
俺は首を上下にぶんぶんと振る。
「……そうですか。それならいいです……アップロード」
フィオラはにっこりと笑って、ハンマーを黄土色のカードに戻した。
カードを腰のケースのなかに仕舞うと、
「ではトビラ、失礼ながら、念のために〝スキャナMAC〟を使わせていただきますね」
「…………ん? すきゃな……えむえいしい?」
「はい。〝スキャナMAC〟です」
「なんじゃそれ」
「えっ?」
驚かれた。
こっちが驚きたい。間違いなく聞いたことのない単語だった。
目をぱちくりとさせたフィオラは、腰の革ケースからまた一枚の四角い紙をとりだした。さっきのとは違うカード。
よく見ると、妹たちがいつも遊んでいたカードゲームと似たような形や大きさだった。デザインは違っているが、なんとなく似ている。
「……これがスキャナMACですけど……見たことありますよね?」
「いや、初めてみた」
「ほんとですか?」
かなり怪訝な顔をされた。
嘘を疑う視線だったが、もちろん意味がわからない。さっきのハンマーのことといい、理解できないことばかりな気がする。
しばらく俺の目をじっと見ていたフィオラは、
「トビラ……あなた、どこかで頭打ちませんでした? MACを知らないなんてありえないですよ。もしかして記憶喪失……ですか?」
「そうかも、そういえばなにも思い出せないなぁ、うん」
少し前の記憶がないのは本当だ。嘘は言ってない。
フィオラは「お気の毒に。何があったのかわかりませんが」とうなずいて、
「じゃあ実際に使ってお教えしますね。使ったら思い出すかもしれませんし」
そのカードを俺に向けてかざし、叫ぶ。
「――スキャン! 『トビラ』!」
カードが、光った。
おもわず目を薄める。
すぐに光はおさまって、フィオラがカードの正面を見せてくれた。
【 《トビラ》 属性:没落貴族 ―― 適性属性:没落貴族 】
そんな文字が浮かんでいた。
「なにか思い出しましたか?」
「……いや、まったくわからん」
俺は腕を組んで、首をひねった。