Falling【17】 再びダンジョンへ
「諸君、祭りは好きか!?」
『おーっ!』
校庭から声が響いてくる。
「諸君、武芸は好きか!?」
『おおーっ!』
「よかろう!」
初夏の乾いた風が、緑の香りとともに声を運んでくる。
水の都といわれるリッケルレンス王国には、石造りの街のいたるところに草木がにょっきり生えている。もともと、小高い丘があった林の上にこの街が造られたらしく、水辺だということもあって生命力が強い自然が、残っているのだ。
上級魔法教育学校の敷地内に林があるのも、その名残だ。
そのおかげでこの初夏の時期になると、森の香りがするのだ。
そんな空気を運ぶ風に乗って響き渡るこの声は、『生徒会長』のものだった。
三学年上の女生徒らしい。たしか属性が〝巫女〟という珍しいタイプの武芸科生徒で、男女問わず人気があるんだとか。
もちろん知っているのは噂だけだ。関わったことは無いし、関わることもないだろう。名前もよく知らない。ただ集会のときなどに聞くから、声を覚えただけ。芯の通ったハスキーな女の声。
生徒会長の声は、学校の門の前にいる俺のところまで届く。
「では、ここに第三十二回、武芸祭を開催してやる!」
『おおおおおおおっ!』
怒号のような轟きで、全校生徒の声が響いた。
武芸祭。
毎年この時期に開催しているイベントらしい。
武芸科の生徒たちが己の力を試すため、トーナメント形式で闘う決闘祭。
武芸科以外の生徒たちが、自身の召喚獣を使用して闘う召喚獣祭。
このふたつが同時に開催されるのが武芸祭だ。いわば、学園祭のようなものらしい。この数日、学校内がどこか浮ついた雰囲気になっていたのはこのせいだった。どんなに国が不景気でも学生の祭りは止められないらしい。
「……まあ俺には関係ないな」
「リコ、お祭り見てみたかったなぁ」
眉尻を下げたのは、俺の肩の上に乗っている妖精族の少女だった。
蹂躙された故郷――〝幻惑の森〟の集落から逃げてきて、寮に住むことになったリコリス……リコは、すこし不満そうだった。
「それなら残ればよかったのに」
「ううん……リコ、トビラのそばがいい。トビラの役に立ちたい」
「そうか。でも、危ないかもだぞ?」
「うん。いいの」
俺の肩の上で、リコは小さく笑った。
「そんなところでひとりごと? はやく乗らないと置いていきますわよ」
と、近くに止まった馬車のなかから、セーナがつぶやいた。
その横で、フィアが手をふって馬車に乗れとうながしている。
武芸祭が始まった学校をあとにして、俺たちは、町の北側に向かうのだった。
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「あ、トビラ! お願いがあるんですが、いまいいですか?」
そうフィアに言われたのは、数日前のことだった。
その日はちょうど、武芸祭のことについて話を聞いたばかりだった。週末に開催される武芸祭というものには、『決闘』と『召喚獣戦』のふたつがある。前者は武芸科の生徒たちがMACを使用せずに闘い、自分の力を試すというもの。後者は学科関係なく、所持している召喚獣を戦わせる祭りだ。
なぜか武芸科の生徒でもない俺は、ぜひ『決闘』に出てくれと上級生の知らない先輩に頼まれて、困っていたときだった。
いきなり横槍を入れてきたフィアに、先輩は委縮してそそくさと帰ってしまった。王族って肩書きはこういうときに役に立つのか。
「お願い? なんだ?」
「今週末、ダンジョン攻略を手伝ってくれませんか?」
「ダンジョン?」
「はい。南の海にほど近い場所にある、隠しダンジョンです。つい最近発見されたんですけれど、難易度は低いみたいなんです。だから、いっしょにどうかなって」
難易度が低いと言われても、それがなにを基準にしてるのかよくわからん。
高難易度ダンジョンだったはずの〝幻惑の森〟は消えていたし、他のダンジョンもよく知らない。
「そこ、行く意味あるのか? てかおまえ外出許可はどうした?」
「ちょうどお父様は国を出ていますので、許可は大丈夫です。意味はですね、最下層で手に入るかもしれないレアアイテムが、ちょっとした値打ちになるものなんです。すこしでも国内経済を潤滑にするためにも、なるべく大きなお金を循環させないとダメなんです。だからそのアイテムを手に入れてお金にかえて、パーっと街で使うんですよ。美味しいもの、いっぱい食べましょう」
「……なるほど」
「それに、そこは〝時の神殿〟と呼ばれているようなんです。理由はまだ情報不足でわかりませんが、もしかしたら過去を視るMACとも関係があるかもしれませんので」
ほほう。
〝時の神殿〟とはいかにもなネーミングセンスだ。その真意を問いたいところだが、さすがにそこまでの情報はないようだった。
それならまあ、週末の武芸祭を断る理由もできると思って、とくに深く考えずにいいぞと答えてしまった。
「ありがとうございます。では、また週末に迎えにいかせますね」
「おう」
とスキップ混じりにフィアが去っていった。
これでまた週末はダンジョンか……とため息をついたとき、
「……いまの、だれ? お友達?」
ひょこん、と俺の胸ポケットから顔をのぞかせたのは、妖精族のリコだった。
寮に住み始めたリコは、なぜか一人になることを嫌がっていた。誰かのそばにいないと不安になるらしい。せめてリコが平気になるまでは交代でそばにいてやろうという話になったのだが、師匠はあっさりと拒否し、レシオンはなぜか不機嫌になるので、自然と俺が面倒をみることになったのだ。
まあ自分でいいと言った手前、いまさら前言は撤回できない。俺はずっとリコと行動を共にするようになった。
もっともリコの得意な色植魔法というのが〝透明化〟だったため、いまだリコのことは周囲にはバレていない。
「フィアだ。この国の王女様のひとりだぞ。すごいだろ」
「おうじょさま?」
「……長老の娘みたいなもんだ。いただろ、そういうひと」
リコは緑色の髪をしゅんとさせて、うなずいた。
「う、うん……リコのこといじめてた……怖いひとだった……」
「そうか。でもあいつはリコのこといじめないから、安心しろ」
「ほんと?」
泣きそうな顔で言うリコ。
「じゃあ、仲良くできるかな?」
「ああ。たぶんな。おまえも友達つくれよ。がんばれ」
「うんがんばるっ」
リコはにかっと笑った。
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とはいえ、リコはできるだけ隠せというのが、師匠の指示だ。
なんでも妖精族の魔法は幻覚系の最上位魔法で、その原理はいまだ謎に包まれている。
戦略的意味でも保護的観点でも、リコを隠していて損はないらしい。「高度に政治的な意味合いでも、彼女が生き残っていることが明るみになると、厄介な展開になるだろうね」との師匠の言葉で、俺とレシオンは黙っておくことに決めた。
だから、もしフィアに話すとすれば、ふたりきりになったときだろう。胸ポケットのなかで透明になっているリコの重みを感じてそう決めていた。ダンジョンに入ったときに言おう、と思っていたんだが……
「……おまえもか」
「あたしもよ」
それがなにか?
そう言わんばかりの表情で馬車に乗り込んできたのはエヌだった。
南の海岸にあるはずのダンジョンに行くのに、街の北側に向かった時点でうすうす気づいていたけど、いざ刑務所の前で金髪の手錠少女を見たときには、息が漏れるのを我慢できなかった。べつに嫌いってわけじゃないけど、エヌはいつも黙っている。ジョークをかませとは言わないけど、ずっと黙っていられると空気が重たくなるのだ。
「どうしたんですかトビラ? なんだか複雑な顔をしてますけれど」
「そうか? いたって質素な顔だと思うが」
「そういう意味じゃありません」
「……質素な顔は否定しないんだな」
カタカタと音を立てる馬車は西の門から王都を出発し、海が見えるところまで南下した。そこから海岸沿いの道を西に向かって進んでいく。
「海が綺麗だなあ」
「そうですか? 海はこういうものでしょう?」
「もっともトビラの心よりは綺麗だと思いますわ」
馬車の窓から見えた海は、エメラルドグリーン。
俺が感心したように言っても、フィアとセーナは当然のようにつぶやいた。
科学によって汚染された海ばかり見てきた俺にとって、この世界の海は眩しかった。
西へ進むにつれて、馬車はすこしずつ目線を高くしていた。大陸の南端は長い砂浜の海岸線だが、西へ進むほどに丘が多くなっていく。草木が生えてない荒野の地面が続いたと思ったら、いつのまにか海を見下ろすようになっていた。
前方に巨大な林が見えたあたりで、馬車は止まった。
なにもない場所。
「着きましたわ」
セーナがそう言って馬車を降り、俺たちもあとに続く。
切り立った崖の上。波が崖に押し寄せる音が聞こえ、潮の香りが強い場所だった。
「……なにもないぞ」
「最近できたのか、それとも偶然見つからなかっただけなのかはわかりません。ただ、このダンジョンの入り口は非常にユニークなようです。トビラ、そこの崖から飛び降りてみてください」
めちゃくちゃ無茶な注文をされた。
「身投げしろと? おまえ、そこまで俺のことが嫌いだったのか……?」
「なに泣きそうな顔してるんですか」
苦笑したフィア。
「違いますよ。そこがダンジョンの入口なんです。いいから飛び降りてください」
真面目は顔をして言うフィア。
これがもし嘘だったら本当に泣いてやる。
そう心に誓って、俺は崖から身を乗り出して下を覗いた。波が打ち付ける絶壁の崖。落ちたら間違いなく死ぬだろう。こんなところの入口を発見したやつの顔が見てみたい。
「わかった……けど、ちょっと深呼吸させてくれ。高いところはじつは苦手なんだよ。飛び降りるとか落ちるとか本当は俺の得意分野じゃないんだよな。だからあと十秒待ってくれ。十秒したらいくから。自分のタイミングで行かせて――」
「エヌさん」
「ええ」
「ぐへっ!」
ドン、とエヌに背中を蹴られて、俺は崖から落ちた。
――はずだった。
「ぶっ!」
すぐに顔を打ち付ける。
冷たい床だった。
すぐに起き上がって周りを見る。
そこは、石でできた四角い部屋だった。
「……なんだ、ここ? 崖はどこいった?」
「転移魔法なの」
と、胸ポケットから顔をのぞかせたリコがつぶやいた。
「さっきの崖と、この部屋が繋がってるの。だから飛び降りたらここについたの。転移魔法は珍しいけど、リコも何回か見たことあるよ。長老が他の集落に移動するために使ってたから」
「ってことは妖精族の魔法なのか?」
「ううん。もともとは違う種族の魔法だったって。長老はすごいひとだから、使えたの」
「なるほど」
ってことは、このダンジョンはまた違う種族が作ったということになるのか。
灰色の石に囲まれた狭い部屋。あきらかに人工物だということはわかる。それに、この部屋には出入り口のようなものがない。
「なにしてるんですか?」
どこかに仕掛けでもないかと石の壁を探っていると、いつのまにかフィアとエヌが後ろに立っていた。ポケットのリコがまた透明になる。
「入口が見当たらないからな、探してる」
「……そうですね」
フィアもぐるりと部屋を見渡した。そこに扉がないことを確認すると、肩に掛けていた小さな革のバッグから小さな本を取り出した。
こんなところまで読書かと思いきや、
「入口は、待っていれば開くそうです」
「そうか……って、おいまてフィア。それはなんだ?」
「これですか? 攻略書ですよ?」
きょとんとした表情のフィア。
攻略書、だと?
「おまえ、初めてのダンジョン攻略にそんなもん持ってきたのか!? ていうかそんなもんあるのか!?」
「ありますよ。攻略されたことのあるダンジョンなら、その方法や内部の地図を載せてある本だってあって当然でしょう。いくら危険度が低いとはいえ、油断すれば死ぬことも十分にあり得るんです。すこしでも危険を減らしてダンジョンを進むことができるなら、攻略者の書いた本くらい買いますよ?」
「そ、それはそうだけど……ロマンってもんがねえだろ」
なんか納得がいかない俺だった。
フィアは肩をすくめる。
「冒険者たちはそれでいいかもしれません。でも私たちは明確な目的があってここにきてるんです。危険を避けて効率的に進むには、こうするのが一番なんです」
フィアが本をぱたりと閉じる。その直後、壁の一部がゆっくりと動き出して、そこに穴ができた。ちょうど人間ひとりが通れるほどの穴だった。その穴のむこうには、廊下のような空間がまっすぐにのびている。
「では、〝時の神殿〟の攻略開始といきましょうか。攻略書があるとはいえ……くれぐれも死なないように気をつけましょ――」
『ぐあああああああああっ!』
フィアの声を遮ったのは悲鳴だった。
石壁に囲まれたダンジョンの奥から聞こえてきた。フィアがとっさに入り口から顔を出そうとするのを止めて、俺は廊下の様子をうかがった。
地下神殿の廊下だろう。床も壁も天井も、すべて同一の石が囲んでいる。灯りは天井部分にところどころ貼り付けられているMACが発しているだけだ。このMACもそれほど光量があるわけじゃなく、廊下はすべて薄暗い。
まずは分かれ道があり、この部屋を出ると右、左、そして真っ直ぐ伸びていく廊下だった。そのどこから声が聞こえてきたのかはわからないが、穏やかな雰囲気じゃないことは間違いなかった。
攻略書なんてロマンがないとか、たしかに言ってる場合じゃないかもしれない。
「先に攻略者がいたのか……。フィア、まずは罠を教えてくれ」
「は、はい!」
慌ててフィアが攻略書をめくって、本の内容を読み上げる。
「ええと、『まずは部屋から出ること。そこは吊り天井のトラップが』……っ!?」
ずずず、とその声に反応するかのように、俺たちが待機している部屋の天井が動き、一気に落下してきた。
「〝X〟! フィア、エヌ、すぐに出ろ!」
落ちてきた天井を跳ね返す。
俺が吊り天井を食い止めている間に、ふたりは部屋を脱出した。
すぐに勇まぬものは用済みってわけか。どうやらここには〝行動の制限時間〟があるらしい。さすが時の神殿だ。時間には厳しい。
「ありがとうございます」
「あたしが蹴り砕いてもよかったのに」
「それより、油断するなよ。こんなところで死ぬのは嫌だぜ」
俺たちはゆっくりと歩き出した。止まるとろくなことがなさそうなダンジョンだ。
右の道。左の道。中央の道。
誰が言ったわけでもなく、前に伸びている道を選んだ。




