Falling【16】 手のひらサイズ
「なあトビラ、緑豆知らねえか?」
レシオンのその言葉を聞いたのは、ベーコンエッグの最後のひときれを師匠と取り合っているときだった。レシオンは朝食のベーコンエッグをなぜかいつも四つつくる。俺たちは三人……必然、ひとつあまって取り合いになる。
その質問はこれで何回目だったっけ。それを思い出そうとして、ベーコンエッグからフォークを離してしまった。
〝幻惑の森〟が消えてから三週間。この三週間ですでに十五回は聞いただろうか。二日に一度は緑豆がなくなる現象に見舞われている。
俺は師匠の口のなかに消えていくベーコンエッグに肩を落としつつ、エプロン姿の女装メイドに聞く。
「……またなくなったのか?」
「ああ。おかげで保存庫に入ったら一番に確認する癖がついちまった……トラウマだわ」
それはご愁傷様だ。
げんなりするレシオンに、師匠がフォークの先端を煌めかせてもぐもぐさせながら口を開いた。口の端に卵の黄身がついている。
「いいじゃないかレシオン=スラグホン。緑豆なんて存在意義のわからない物質が、わざわざ視界から消えてくれるんだ。そう目くじらを立てるものでもないだろう?」
「そりゃあフルスロットル先生は、それでいいかもしんないですけどね……」
師匠の口の端を、かいがいしくもナプキンで拭くレシオン。
もちろん物が消えていく現象をよしとできるわけがない、と俺の肩に手をおいて、
「よし相棒。ここは犯人探しを徹底的にしようじゃないか」
「え、俺も?」
「盗人を許すことはできねえし、なによりこれ以上、オレたちの愛の巣を荒らす輩の好きにさせてたまるかって思うだろ?」
「べつに思わねえし、そもそも愛の巣じゃねえ」
「照れ隠しすんなって」
「……盗人猛々しいとはいうけど、盗まれ人も猛々しいな」
とはいえ、たしかにこのまま放置しているわけにもいくまい。
俺とレシオンは、とうとう本腰をいれて緑豆を盗み出す犯人を探すことにした。
まずは現場検証からだ。保存庫に向かう。なんかワクワクする。
がぜんやる気がでてきた。
「……キミたち。探偵ごっこもいいけど、授業には遅刻しないようにね」
「お、ここに緑豆の皮がいっぱい落ちてるぞ」
「ほんとだ、こっちにもある」
師匠が呆れたように言うのを、俺とレシオンはまったく聞いてなかった。
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「フィオラ様。例の件、調査結果が出ました」
経済科の教室には他に誰もいなかった。
時刻は夕刻。放課後になり、クラスメイトたちはとっくに帰っていた。数日前まで王族のひとりとして税政会議に出席していたから、すこし授業の勉強が遅れてしまった。その遅れを取り戻そうと、ひとり自習していたときだ。
教室の隅でノートをつついていたフィアに、どこからともなく声が響いてきた。
「……『隼』さん、ですね?」
「はい。僕です」
姿は見えないが、近くにいることはわかる。
情報収集を得意とする王宮騎士……『隼』。彼の声だということはわかったので、フィアは勉強を続けるフリをして声に耳を傾けた。
「続けてください」
「はい。まず〝幻惑の森〟ですが、やはり亜人たちの魔法はすべて解除され、片鱗すら残っておりません。跡形もなく喰われたのか、それともほかの理由があるのか……結局、北の森の亜人たちはその正体を最後まで明かさないようです」
「そうでしたか……それは、残念です」
正直、亜人たちの魔法は研究価値があった。姿を見せず、人間のいかなる防御を以ってしても防げない幻覚魔法。経済危機のこのリッケルレンスにおいて、優れた魔法を手に入れることは、即物的な経済効果を生むから魅力的だった。
とはいえ、亜人たちが殺されているのに、そこを利用するのも気がひけていた。むしろ安心したような息を漏らして、続きを促す。
「〝大針狼〟と〝氷蛇〟の召喚獣についてですが、所有者はわかりませんでした。ただ、生産されたのが国内ではないことが判明しています。リッケルレンスでは採ることができない魔力伝達金属を使用しておりました」
「やはり国外のものですか……どこで採取できるものです?」
「不明です。ただ〝大針狼〟も〝氷蛇〟も、北国にしか生息しない希少種です。大陸北側の国になんらかの係わりがあるのは間違いないかと」
「そうですね」
もしこれがいずれかの国の組織がとった行動となると、国家間の問題にもなってくる。なんせひとつのダンジョンが消されたのだ。経済や政治にほとんど影響がないとはいえ、国土の蹂躙と言う意味では、許されることではない。
「この件、陛下にはお伝えしますか?」
「お願いします。あとの判断はお父様にお任せします」
フィアは自分の手に余る問題だと即断し、そう言っておいた。
ただ、腑に落ちないのは、なぜ〝幻惑の森〟を狙ったかということだ。
経済危機のさなかにあるリッケルレンスを潰したいと思う国は少なからずあるだろう。潰さなくても、なにかしら恩を売って経済復興を支援し、その後の力関係でアドバンテージを得ようとする国も多い。国王である父は、先を見据えてあまり他国の援助を受けてはいないが、その意地も通じにくくなってきていた。
この二年間でも、失業率が高まり、納税率、そして出生率が目に見えて下降している。このまま有効的な対策を取らなければマズイ。それどころか、いまどこかに戦争を仕掛けられたらとてもじゃないが、無事に切り抜けられるとは思わない。
ただそこを狙ったのならまだしも、理由もなく〝幻惑の森〟を消すなんて……目的が見えない。
「……では、僕は陛下のもとへ参じます。なにか他にご用件は?」
「ええと、フルスロットルさんの週末のご予定は?」
「軍事部の会議と、陛下の隣国訪問の護衛です」
ただひとつ、この国に大きなアドバンテージがあるとするなら、それはあのフルスロットル=〝マジコ〟=テルーがリッケルレンス王家に忠実に仕えていることだろう。
彼は大陸のなかでも最高峰の魔法使いとして、非常に有名だ。MACを使用せずともあらゆる魔法が使え、その力は絶大で、彼の力を欲しがる国も多い。彼独自の魔法をMACに変換できれば、それだけでも相当な利益を生むだろう。一か月前に見せた〝結合爆破〟と〝巻き戻り〟の魔法も、とてもじゃないがいまの魔法技術じゃ再現できない。
リッケルレンス王国はフルスロットルの力があるからこそ、各国とは友好的な関係を築けている面もある。
「わかりました……行ってください」
「失礼します」
すぅ、と『隼』の声が薄くなり、消える。
経済科の教室に残ったのは、なんとも言えない空気。
週末のフルスロットルが国外にいるということは、彼の弟子達を自由に連れだせるということだ。服役囚人の一番弟子は、行動の命令権を王族が握っている。二番弟子の没落貴族は大切な恩人だ。どちらも逢うことに躊躇いはないし、ふたりとも信頼している。
「でも……ちょっと忙しすぎますかね?」
三週間前、彼らは危険を冒したばかりなのだ。
フィアはため息をついて、ペンの先をノートのうえで迷わせるのだった。
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「なんか見つけたか?」
「いや、なんも」
学校が終わると、俺とレシオンはすぐに寮へもどって捜索を開始した。
なにかが潜んでいるかもしれない、と保存庫のなかを徹底的に探ったけど、なにも見つけることはできなかった。
保存庫にはふだん動かしていない小さな換気扇がついているだけだ。レシオンが鍵を管理しているから、もし保存庫の外から忍び込もうとするなら、換気扇を使わないと不可能だろう。
「念のため、寮のなかも全部探してみるか」
「そうだな」
俺たちはひとつひとつ、部屋を開けて探ってみた。
寮にはかなりの空き部屋がある。師匠、俺、レシオンの三人しか住んでいないので、それも当然だった。
「フルスロットル先生もいままでひとりで住んでたんだよな、さぞ寂しかっただろうぜ」
「あの師匠に限って、それはないだろ」
「でも、トビラが入寮することは認めてくれたんだろ?」
「弟子とはまた別問題だったよ、それは」
あくまで師匠は、片づけのできないお子様なのだ。
とはいえ、いまはレシオンが師匠の部屋を毎日掃除しているため、師匠の部屋は綺麗に片付いていた。歴史教師らしく重厚な本をいくつも本棚に並べているが、天才的な魔法使いらしい書物や持ち物はいっさいなかった。
「先生の凄いところは、魔法理論をすべて頭のなかに叩きこんでるところだぜ?」
「やけに詳しいな」
「そりゃあ先生のファンだからな」
レシオンがこの部屋を毎日掃除するとき、どんな気持ちでやっているのか想像してみた。
……なんか、イケない想像が浮かんでしまった。
そんなふうに冗談を交えつつ、寮のなかを探っていく。
なにも見つけられずに終わったのは、なかば予想通りだった。
カタリ
奇妙な音が聞こえたのは、夜中の寝静まったときだ。
ドアには鍵をかけているから、誰かが侵入してくることはない。すべての部屋の鍵を管理しているレシオンならあり得るが、さすがのあいつも夜中に訪ねてくることはないだろう。隣の部屋かと思ったが、そういえば隣の部屋は無人だ。
うっすらと目を開けたら、また小さな物音が聞こえてきた。
壁越し。やはり隣の部屋から。
「……?」
学生寮は、学校の敷地内にある。
どうやらこの学校には防犯設備があり、その強度の機能がすさまじく高いらしく、登録されている人間しか長時間の滞在ができないようなシステムになっているんだとか。この寮に入るにしても、じつは玄関の途中に防護壁がある。住民の俺たち三人が招かないと、中に入れないようになっている。無駄にセキュリティが高いが、フィアに言わせてもらうと、師匠の身を守るためらしい。
俺はそっとベッドから起きて、ドアを開ける。
隣の部屋のノブをひねってみると、鍵があいていた。
そっと中を覗く。
誰もいなかった。
「……おかしい」
音はたしかにこの部屋から聞こえてきた。
レシオンや師匠がいるなら姿が見えないのは変だ。
ということは、招かれざる客ということになる。
部屋のなかは家具もなにもない。ただの部屋。なにかいる気配のようなものが漂っているが、それも確かとは言えない。
もし寮の防護壁を破って侵入している何者かがいるのなら、見逃すわけにはいかないだろう。
「なら……」
俺は部屋のなかをじっと見つめて、イメージする。
家具もなにもない、壁に囲まれたがらんどうの空間にあるモノ、すべてを上に〝移動〟させるイメージを。
「〝X〟」
魔法は作動した。
部屋のなかの空気が上昇して――
ゴツッ
「あうっ!」
声が、聞こえた。
なにかが天井にぶつかる音、そして落下し、べちゃっと床に落ちる音。
「……誰だ? でてこい」
警戒は維持。
見えないけど、なにかがいることはわかったのだ。
俺はもう一度、同じことを繰り返そうと意識を集中させる。
「ご、ごめんなさいっ!」
高い声が聞こえてきたのは、そのときだった。
「解く、解くからぁ浮かさないでぇ!」
慌てた声とともに、部屋の中央の景色が歪んだ。つい魔法を解除する。
なにもない部屋――ではなかった。
部屋の中央に、小さな人形用のリュックサックのようなものがあった。手のひらサイズのリュックサック。その周りに散らばっていたのは、緑豆の皮。
そしてリュックサックの影で、震えたように怯えている小さな緑色だった。
緑色の髪の小さな少女が、俺を見上げていた。
「ごめんなさいごめんなさい! リコ、行くとこないのごめんなさい!」
必死に謝ってくるそのミニマムサイズの人形のような少女に、俺は開いた口が塞がらなかった。
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「彼女は妖精族だよ」
眠そうに目をこすった師匠が、あくびをしながら言った。
夜中、パジャマ姿でリビングに集まった俺と師匠とレシオンは、俺の手の上に座っている怯えた少女を眺めていた。
寮の侵入者を捕らえた――とはいうものの、まさかこんなサイズの少女とは思わず、俺は途方に暮れてふたりを起こした。レシオンは興味深そうに観察していたけど、師匠はそんなことより寝たいとばかりに、あくびを連発していた。
「妖精族は、幻魔族とも言ってね、色植魔法を得意とする一族なんだよ」
「色植魔法?」
「いわゆる幻覚作用を持つ魔法のなかで、最上位の魔法だね。視覚、聴覚、嗅覚など、ありとあらゆる感覚を植え付ける強制魔法。妖精族は、たしかこのあたりでは北の森に集落を構えて〝幻惑の森〟を形成していたんだよ。数百年前から絶滅が危惧されているほどに、貴重で美しい種族だね」
〝幻惑の森〟の亜人。それが妖精族だったのか。
「ってことは、」
「う、うう……リコ、長老たちが逃がしてくれたんですぅ」
リコというらしい。
「……おまえ、大針狼から逃げてきたのか?」
聞くと、リコは首をぶんぶんと振ってうなずいた。
美しい種族というのは納得だ。どちらかといえば可憐な様相だが、それはこのリコがまだ幼いからかもしれない。
「リ、リコ、行くとこなくて、お腹すいてぇ……人間の街すっごく怖かったけど、食べ物なかったから……ううっ」
それで王都に入って、そのままこの学校の敷地にたどり着いたということか。
「この建物は、すごく強い結界があるからぁ……安全だと思ってここに隠れてたの……ごめんなさい」
「ほほう。つまりボクの魔障壁は妖精族には通じないのかい?」
師匠が興味深そうに聞いた。
リコは、ふるふると首を振って、
「ううん……リコ、そこの女のひとの買い物袋に潜んで入ったから、大丈夫だっただけ……ここの魔障壁、見たこと無いくらい綺麗で強いよぅ?」
女のひと、と指したのは女装したレシオン。どうやらレシオンが連れて入ったらしい。
師匠はそれを聞いて納得したのか、
「ふうん、そういうことなら、改善する必要もないかな。……じゃあボクは眠いから寝るよ。その妖精族は、キミたちの好きにするといい」
「ちょ、師匠!? 投げやりかよ!」
「任せたと言ってるんだよ。おやすみ、弟子」
勝手気ままにリビングから出ていった師匠。
本来は起きているはずのない夜中だとはいえ、子どもじゃあるまいしこの状況で寝るかふつうと文句を垂れそうになって――
「……そういや子どもか」
まだ十二歳だったな、とあきらめた。
とにかくいまは、この妖精族とやらだ。
俺の手の上で涙目になっているリコのお腹が、ぐぅっと鳴った。恥ずかしそうに両手で抑える。
レシオンがため息をついた。
「……オレたちの緑豆、食ってたんじゃないのか?」
「ご、ごめんなさいっ!」
リコはまた謝る。
よく考えてみたら、こいつは集落が襲われてから三週間、ずっとこの寮のなかにいたわけだ。そのなかでここから盗まれていたものは、緑豆だけ。しかもそれほど量があったわけでもない。むしろその緑豆だけで過ごしていたと考えるほうが、正しいだろう。
「……どうする?」
レシオンが困ったような顔をして聞いてくる。
腹をすかせた妖精族の少女。
故郷を失って、ひとり生き延びた。
あの集落の血は、彼女を逃がした者たちのものだったのだろう。もしかしたら同じように逃げることができた者もいるかもしれない。亜人の集落にそれほど興味を持っていなかった俺も、さすがにこればかりは、無視することはできなかった。
「えっと……リコ、だったか?」
俺が手のひらの妖精族の少女をゆっくりと持ち上げる。
彼女はお腹を抑えたまま、首を横に振った。
「リ、リコリス……リコは、リコリス……でも、リコって呼ばれてる……」
「そうか。じゃあ、リコ。おまえ、いくところないのか?」
「う……うん」
帰りたくても、帰る場所がない。
仲間がいない。知ってるひとも誰ひとりいない。
……それは、まさしく俺と同じだった。
「おい、まさかトビラ!?」
慌てるレシオンに、俺はいいじゃねえか、と笑った。
「師匠は好きにしろって言ってくれたんだ。なら、俺の好きにさせてもらうぞ」
「ふぇ?」
リコの体を、そっと俺の肩に乗せる。
重さなんてほとんど感じないその体は、まさしく妖精だった。
「俺はトビラ、こいつはレシオン。さっきのチビは師匠っていうんだよ。どうせ部屋は余ってるんだ。いくあてがないなら、ここにいればいい……なあレシオン?」
「ふん……勝手にしろ」
すこし不満そうなレシオンだったが、こいつも根はいいやつだ。受け入れてくれるだろう。
「……いいの?」
戸惑うリコの声に、俺はふと、フィアに会わなければならない気がした。
「ああ。よろしくな、リコ」
フィアに会って、あの〝大針狼〟のMACの持ち主のことを聞いてみよう、と思った。
――その後のリコリス――
「ほらよ」
リコリスの前に、メイド服の綺麗な赤髪のお姉さんが、ドンと皿を置いた。皿のなかには野菜を刻んでご飯と炒めた食べ物が入っている。
びくっと体を震わせて、リコリスはお姉さんの顔をうかがった。髪がつやつやで長くて美人なんだけど、目つきが怖い。
「ほらリコ、食べていいぞ……っても、スプーンでかくて持てないなこりゃ」
トビラという、ぼんやりとした表情の少年が笑った。このひとは優しい。スプーンですくってくれて、リコリスの口に近付けてくる。リコリスは「あ、あーん……」と、すこしだけ食べた。
「あっ……」
「どう、美味しいだろ?」
まるで自分のことのように自慢するトビラ。
人間の作るものは初めて食べた。妖精族として、いままであまり味にこだわりがなかったリコリスはその味の彩りに驚いてしまった。
「も、もうひとくち、食べていい……?」
「だってさ、レシオン。よかったな」
「ふんっ」
リコリスはトビラに食べさせてもらいながら、口いっぱいに頬張るのだった。
温かい食事と優しさに、すこしだけ涙が出たのは……秘密だ。




