Falling【15】 千年魔女
「うわあああ!」
また声が聞こえてきた。
森を駆け、集落へ戻る。
後ろからエヌが追ってくる気配はない。力づくで王都に連れ戻されるかとも思ったけど、どうやら無理やり連れていく気はなさそうだった。
叫び声は、予想通り、兵士たちのものだった。
『シャアアアアア!』
集落では青白い巨大な蛇が、兵士たちに向かって口から凍気を吐きつけている。
四人いた兵士たちは集落の中央に固まって、そのうちの二人が虚空に魔方陣のような光を展開させ、大蛇の凍気を防いでいた。彼らは片方だけじゃなく、左右両側にその魔方陣を出現させていて――
「二匹っ!?」
兵士たち四人を挟むように、大蛇がもう一匹、逆側にいた。
必死に叫びながら魔法壁を展開する兵士たち。なんとか防いではいるとはいえ、時間の問題だった。みるみる魔方陣の光が薄れていく。ひとりが炎のMACで氷蛇を攻撃するが、鱗に弾かれてまったく効いていない。
「〝X〟ッ!」
とっさに発動させて、地面の土を巻きあげる。
兵士たちを保護するように土が盛り上がり、凍りついていく。凍った土は彼らを守る壁となり、つぎの瞬間、魔法壁は消滅した。兵士たちはなにが起こったかわからない様子で驚いていたが、なんとか間に合ったようだ。
ただし、自然と蛇たちの視線が俺へと向いた。
逡巡する。
〝X-Move〟は移動用の魔法だが、俺以外の生物には直接作用できない。
人間なら服を利用して移動させることは可能だが、生身の召喚獣そのものは、動かすことができないのだ。
火竜のときのように、安易に動かせる固まった足場もない。
『シュラアア!』
二匹の大蛇が喉を鳴らし、両側から凍気を吐きつけてきた。
「〝X〟!」
俺は自分を五メートルほど上昇させ、後ろにあった木の枝に飛び乗る。大蛇たちは一瞬俺を見失ったようだったが、すぐに木の上にいることに気付いた。そのまま攻撃で挟み打ちを狙ってくる。
「〝X〟!」
今度は下降する。もとの位置に降り立った俺は走りだす。集落の中央で困惑している兵士の腰から剣を一本奪い取ると、そのまま方向転換。
狙うは右側の大蛇だ。
「危ない!」
後ろから兵士の声。とっさに左へ跳ぶ。
足元を白い閃光が通り過ぎる。地面が一瞬で凍りついた。さすがに俺を敵と見定めたのだろう、逆側の大蛇が目を見開いて俺を睨んでいた。
蛇に睨まれても足がすくむことはないが、二匹いるとまた違う。多方向からの攻撃をかわす練習は、武芸科のやつらとの実践体育で幾度となく経験しているけど、当たれば即、大怪我に繋がるような攻撃だ。緊張感に背筋がひやりとする。
「っと!」
正面から閃光。とっさに〝X-Move〟を発動して凍気を上空に弾いた。だが、すぐに後ろからも同じ攻撃が襲ってくる。転がるようにしてなんとか避ける。前後挟み打ちはなかなかにやりづらい。懐にさえ入ることができれば、いくらでも倒す算段はあるんだが――
「うおっ!?」
うかつだった。
凍った地面で足が滑る。
雪国育ちでもなければ、冬に好んで出かけるような性格でもない。ぬくぬくのコタツが似合う男の俺が、氷に足をとられない道理はない。
バランスを崩した俺に、前後から同時に閃光が迫ってきて。
「「〝天護障壁〟」」
兵士たちが俺の前後に立ちはだかり、緑のMACを発動させる。さきほどの魔法陣が展開され、冷気をすべて遮断してくれた。
とはいえ、さっきよりも早い速度で、みるみるその輝きを失っていく。
「我々も、もう魔力が……あまり持ちこたえられません! はやく!」
「すまん!」
すぐに駆ける。
閃光の横をすり抜けて俺は右側の大蛇の懐に入った。
ブンッ
と口から光線を吐きながらも胴体をしならせて俺を叩きにかかってくる。当たれば全身の骨が粉々になるほどの重さと速さだろうけど、予想できる動きは、ぜんぜん怖くない。俺はすでに魔法を発動させて、蛇の頭のさらに上――――上空にいた。
俺を完全に見失った大蛇が、キョロキョロと周りを見回す。
真上は、死角。そして頭部は弱点だ。
まともな生物であるからには避けられない宿命。
――支配領域にさえ相手を入れてしまえば、誰も、俺を捉えることはできない――
俺は剣を大きく振りかぶり、
「くらえ、蛇野郎!」
後は思い切るだけだった。
「――〝X-Move〟ッ!!」
蛇の真正面に瞬間移動。
巨大な蛇の目の前に現れる俺。
全力で降り抜いた剣は、蛇の眉間に深々と突き刺さった。
『ジュギャアアアアアア!』
喉の奥から絞り出した悲鳴。
眉間から血を噴き出しながら、大蛇はのたうちまわり、ビクンとひときわ大きな痙攣をして、
ボッ!
その姿を、赤いMACに変化させた。
―――――――――――――――――
《氷蛇》 ☆☆☆☆☆
状態:瀕死
攻撃力:3200
防御力:2200
個能力:増殖
―――――――――――――――――
「召喚獣か!」
もしかしたらと思っていたが、やはり野生ではなかった。つまり、こいつを召喚したやつがいる。
大針狼のつぎは氷蛇……どちらとも、並みの強さの召喚獣ではない。
どんなやつがこいつらを呼びだしたのか気になるところだったが――
「ぐあっ!」
悲鳴に振り返る。
逆側にいたもう一匹の氷蛇の攻撃が、反撃しようと勇敢にもとびかかっていった兵士の一人を襲った。肩から腰にかけて真っ白に凍りついた兵士。倒れた兵士をかばって魔法壁を形成する兵士の顔にも、疲労の色が浮かんでいた。
別の兵士が急いで土の壁のなかに連れ込み、そばで立ちすくむ医療兵に声をかけていた。
「なんでもいいから温めろ!」
「は、はい!」
すぐに応急手当が始まったが、胴体をほぼ凍らされている。助かるかは……わからない。
もうひとりの兵士はなんとか攻撃を凌いでいるけど、逃れる手段があるわけじゃない。
いまにも消えそうな魔法壁。涙目になりながら振り向いて「た、助けてください!」と俺に懇願してくる。
同じ手が通じるとは思わないが、やってみるしかない。
俺はすぐに駆けだそうとして――
『シュアアアアアア!』
横から飛び出してきたのは、青白い蛇だった。
目の前に立ち塞がったもう一匹の氷蛇。
三匹目。
そしてその横から、さらに一匹が姿を現した。
四匹目。
「……マジかよ」
二匹の氷蛇が、口を開く。どちらも標的は、俺だ。
上空に退避すればやられることはないだろう。逃げ続けるだけならそう難しいことではないし、上空から兵士たちを守ることもできる。でも、それだけじゃ間に合わない。氷蛇を撃破してはやくきちんと手当を受けさせなければ、攻撃を受けたあの兵士は助からないかもしれない。
つい焦ってしまう。
『シャアッ!』
俺を睨む氷蛇が、同時に凍気の閃光を吐きだした。
二対の閃光が迫る。
――多少のダメージは、避けられない――
「バカね」
パアァンッ!!
弾けたのは、閃光。
ふわりと降りてきたのは、白い囚人服だった。こんどは暗闇じゃないから、その背中がよく見える。
エヌが、俺の目の前に降り立っていた。
「没落貴族が勇者にでもなったつもり? あんたの役割は自分の記憶を取り戻すことでしょ。誰かを助けて栄光を得るなんて、絶対的強者がするものよ」
ひややかな目を向けながら、全身で凍気を浴びる。でも、エヌは凍らない。体が凍ることを拒否しているかのように、氷蛇の攻撃をほとんど受け付けていなかった。
「……おまえ……」
エヌの体に当たって弾けた閃光は、周囲を凍てつかせていく。
ただし、かくいうエヌも、完全に防いでいるわけではない。すこしずつその体には氷が張りつき始めている。体温は奪われているのだ。
でもおまえは、なんで、そんな平気な顔をしている?
「……そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったわね」
俺の疑問に答えるように、エヌは、つまらなさそうにつぶやいた。
「あたしは囚人番号01502番、生まれたときから名前はない。住んでいる場所は地下牢獄の最下層。看守やほかの囚人からは〝地の底の魔女〟と忌諱されてるわ。名のとおり、属性は……魔女」
魔女。
それは知っている。
その属性は、勇者に匹敵するほどの希少なものだと聞いていた。希少で、奇異なる属性のひとつ。
その魔女たる条件はただひとつ。
どんな立場でも構わない。
どんな性格でも構わない。
ただ、抱えた魔力が、常人の数百倍あるだけでいい。
常に錠で封じていなければならないほどの魔力を持っていればいい。
氷蛇の口から吹きつける風が一層強くなる。
パキパキパキッ! と周囲が真っ白に染まっていく。
それでもエヌはどこまでも無感情で、無愛想だった。
与えられた使命だけをこなす機械人形のようだった。
「これはただのシーソーゲーム。氷蛇の魔力が尽きるのが先か、あたしの魔力が尽きるのが先か。……あたしが獣よりも先に魔力が尽きるなんて、ありえない」
俺が聞いた話が本当なら、それは正しいだろう。
それでも、エヌの腕は、完全にとはいえなくても凍り始めている。魔力の前に、体力が尽きたら元も子もない。
痛くないはずがない。辛くないはずがない。
それなのにエヌはまったく感情を顔に出さなかった。まるで痛みを感じてないかのように。まるで痛みを忘れてしまったかのように。
氷蛇の冷気が、さらに勢いを増す。
後ろに俺がいなければ、エヌはとっくに氷蛇を砕いているはずだ。さっきのように、すぐに敵を破滅させることができるだろう。それくらいの実力があることは間違いない。
だから、つい、言葉が漏れる。
「……俺なんか放っておけよ」
「なぜ?」
「役割を無視した、ただの足でまといだろ?」
「ええ」
迷いなくうなずく。
ちらりと、俺を一瞥する。
「でも、それがあたしのするべきことだから」
エヌの声は、明瞭に響いた。
「それが、あたしに与えられた役割だから」
役割。
無味乾燥なその言葉に、俺は、ハッと気付く。
それは人間としてではない。
手と足を錠で繋がれた、ひとりの囚人奴隷として、彼女の口から漏れた言葉だった。
エヌは、自由の与えられてない囚人なのだ。
彼女に行動を選ぶ権利は……もとよりなかった。
パキィッ!
と、二匹の氷蛇の攻撃が途絶えた。
吐き尽したのだろう。長いあいだ吐き続けたせいか、周囲の空気が冷えきっていた。
「もう終わりなの?」
エヌの息が白む。
でも、凍えてなどいない。むしろ身体から溢れ出る魔力が、彼女の体温をすぐに戻す。魔法によって傷つけられた皮膚は、彼女の持つ絶対的な魔力によってすぐに再生を始めていた。
金色に輝くのは髪だけではない。
肌もまた、うっすらと黄金色の輝きを放っていた。
光の粒子を纏ったエヌの姿に、俺だけでなく、兵士たちや氷蛇も、その視線を惹きつけられた。
黄金の魔女。
「……すげえ……」
これが師匠の一番弟子。
懲役1085年の、魔女。
「あんたも、しょせん飼い犬ね」
エヌはまた、つまらなさそうにつぶやいて。
「――――流星――――」
流星のように、残像をうねらせて、跳んだ。
すべての氷蛇の頭を砕くまで、そう時間はかからなかった。
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「……フルスロットルさんを〝技を極めた魔法使い〟とするなら」
王都に戻り、エヌを刑務所まで送り届けた。
そのまま城まで連れてこられると、城門の前でフィアが心配そうな顔をして待っていた。
結局、エヌのおかげで兵士たちは死ぬことはなかった。胴体を凍らされた兵士も、応急手当のおかげで助かり、なんとか体力を回復させているらしい。馬車から降ろされた負傷兵士たちは、すぐに治療室へと運ばれていく。
帰りの馬車では無言だったエヌ。今回の行動が無駄に終わったことを悲しんでいるようには見えなかった。ただ、言われたことを果たしただけ。最低限の行動を果たしただけ。そんな表情だった。
兵士たちを見送って、俺はフィアに見たことをそのまま話した。隠すようなものはなにもない。
フィアは安堵の息をつきながら言った。
「エヌさんは〝速度を極めた魔女〟です。身体能力、魔力の伝達、そして魔法発動までの速度。おそらく彼女よりも素早く力を発動させる者はいないでしょうし、そもそもMACを使わずに魔法を使用できるのは、この国には、あのお二方しかいません」
「そこだ。なんであのふたりは、MACを使わずに魔法が使えるんだ?」
「わかりません」
フィアは首を振った。
「私にはその理由はわかりません。私たち人間は、魔法技術を進歩させることでここまで発展を遂げました。生活はより便利に、経済はより潤い、戦争より激しく……魔法を使うための条件さえ整えば、あとは苦労はいりません。ただその代わり、長い間魔法を道具に頼ってきたことで、私たちは自分自身の力だけで使うことができなくなりました。それがいまの世界の常識です」
進歩による退化。
文明の利器による体の劣化は、俺がいた世界と同じ。自然の摂理だ。
それが師匠とエヌにだけ通じないというのは、すこし疑問だが、理由がわからないのならしかたない。
「なら……エヌの懲役の長さ。あいつ、なにをしたんだ? 教えてくれるか?」
「ええ、すぐに聞かれると思ってました。お教えします」
フィアは首肯した。
「この国がいま、かなりの経済危機に立たされていることは言いましたよね? 『魔人』が国庫から貴重な貴金属をすべて持ち去った影響により、国内で出回るはずの貨幣を鋳造できなくなったためだ、と」
「ああ。そのせいで、おまえもなんとかしようとしてカムイ領地に向かったんだろ?」
「はい。……彼女は数年前、とある事件をきっかけに、彼女が持つ膨大な魔力を押さえきれなくなり、ある三体の召喚獣を呼び出してしまいました。それが『魔人ニコラフラン』『天獅エヴァルル』『神眼アポカリプ』です。その三体はこの大陸のさまざまな国で暴れまわり、各方面に甚大な被害を与え、そしていまだ捕まえられていません。……三体を召喚した彼女は、厳正に裁判にかけられ、千年を超える懲役を科せられました。死刑制度を廃止したこの国で捕まっていなければ、とっくに処刑されていたでしょう」
三体の、召喚獣。
「しかし懲役といえど、実質は終身刑……彼女が今後、釈放されることはないでしょう。就労囚人として、罪をつぐない続けることが法律で義務づけられています……」
経済危機を招いた原因は、エヌだったのか。
その彼女はもう、陽の目を浴びることはない。
まだ俺より年下だ。一生をふいにするのにはすこし早すぎる。
そう思ったけれど、俺はなにも言えなかった。
彼女がしたことをちゃんと知っているわけじゃない。知っても、実感できるわけじゃない。言えることなんてなにもなかった。
黙り込んだ俺の腕を、フィアが取る。
「まあ、エヌさんのことは考えてもしかたありません。私たちがどうにかできる問題ではないのですから。……それよりトビラ! 無事に帰ってきてくれてなによりです! 大変だったでしょう?」
ひっぱられて歩く。
「土で汚れているようですし、お風呂にでも入って、一緒に夕食にしましょう。そうだ! ついでにお姉様たちにも紹介しますね」
夕食か。
そういえば、この城で食べた料理にうまい肉料理があった。財政難だからか、王城とはいえ豪華な食事が出てきたことはないが、またぜひ食べたいと思っていた。
でもそのまえに……
「さすがに紹介はやめてくれ」
「なんでですか? お姉様たち、すごく優しいですよ?」
「なんとなくだ。あまり良い予感がしない」
なんと言っていいかわからないが、俺の大事な一生を決めてしまう気がする。
「わかりました……では、セーナを呼びましょう。三人で、お庭でおしゃべりしながら食べましょうね」
「それなら、まあいいか」
そういえば、レシオンがシチューを用意して待ってくれていたような。
まあ、レシオンよりも強引なフィアを断ることはできなさそうだ。
俺は苦笑しながら、フィアに手を引かれて歩くのだった。




