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Falling【13】 消えたダンジョン



『――かつて、(ランク)7の冒険家リヒトリフが〝幻惑の森〟についてこう語っている。


「この世界に存在する〝ダンジョン〟のなかで、危険度においてはかなり低い分類になるだろう。しかし攻略の難易度はとても高い。そこに住まう亜人たちが、足を踏み入れた我々の五感すべてを惑わせ、正しい道を悟らせまいとしてくる。幻を見せることに長けた彼らは、魔法の進歩を道具に頼った我々人間には破ることのできない魔法を使い、入口へと押し戻す」


 そしてリヒトリフはまた、その亜人たちについて、気になる記述を残している。


「運よく、我々のチームはそこに住む亜人をひと目見ることができた。その姿を美しいと、我々の誰もが口にした。だが、その姿が彼らの本当の姿であるとは言い切れない。あの美しさもまた、彼らに魅せられた幻だったのかもしれないのだ……」


 今回〝幻惑の森〟に挑んだ私たちは、亜人の姿どころか、森の深部にすら入ることができなかった。冒険家として恥ずべきことだが、〝幻惑の森〟は人間にとって探究することのできない聖域なのかもしれない。そう考えると、リヒトリフがそこで見たものの姿を、なにひとつ具体的に書かなかったことがうなずける。少なくとも、リヒトリフはその最奥で、なにかを見つけたのだから……。


                         アドマイル=ベドス著【蒼き冒険録】より抜粋』



 ↓↓

 ↓↓↓↓



 セーナに外壁まで見送られて街を出た。

 運河に架かる橋を渡り、河に沿って北を目指して歩く。


 そう遠くはないらしい。

 たいした獣にも出会わずに北の平原を一時間も歩いていると、森にさしかかる。そこまでの道はきちん舗装されていて、歩くのも疲れなかった。

 森を迂回するように舗装した道が続いている。安全に北の山を越えるための迂回路があるあらしい。そっちには行かずに、森へ足を踏み入れる。

 一本の獣道がのびていた。

 果実が豊富に生る森なのか、甘い香りがふわりと漂ってくる。


「……にしても、歩きにくくないのか、おまえ」


 木の葉が落ちた土を踏みしめながら山を登っていく。

 俺は、白っぽい囚人服の背中に問いかける。


 囚人番号01502番……エヌと呼ばれる少女。


 彼女はちらりと振り返り、小さく「べつに」と答えただけだった。

 両手を拘束されたまま歩いているエヌは、ただ無言だった。


〝幻惑の森〟で俺を護衛すること。

 それがエヌの仕事だ。俺と仲良くすることは義務じゃない。その無関心な態度に文句をいうことはできない。


 とはいえ俺がいま話せる相手はこいつしかいないのだ。

 ただ黙って歩くのも、正直疲れる。


「……なあ、疲れないのか? そんな服と手錠で」

「べつに」


 声は冷たく、拒絶の色。


 ふむ。

 この一番弟子(・・・・)のそっけなさは、どうしたものか。


 セーナからは「彼女のことは気にしないほうが身のためです」と警告されている。どういう意味かは理解できないが、たしかにエヌからはどこか危険な匂いがする。あの師匠が弟子に認めたのだから、それなりの理由があるのだろう。俺のことはよくわからないが、この少女ならありえなくもない。鎖で繋がれている猛獣のような、そんな気配だった。

 とはいえ、都を離れて護衛を任せるのだ。逃げたり、仕事を投げ出したりするようなやつじゃないんだろう。長すぎる懲役は、なにをしたのか知らないけど、少なくともフィアが護衛として適していると思う相手だ。

 もう一度話しかけてみる。


「なあ、一応俺、二番弟子なんだけど、なんか言ってくれねえか?」

「…………。」


 まるっきり無視された。興味もないらしい。同じ師匠を持つ仲……すこしでも仲良くしてくれたって損はあるまいに。

 気まずい沈黙のまま歩いていると、やがて山の中腹あたりまでたどり着いた。


「……ここが……?」


 俺は首をひねる。

 なんの変哲もない森の途中。すこしだけ、木々がない開けた場所。


 エヌはそこから獣道を逸れ、木々がやたらと茂り、森が暗くなっている方向へと首を向けていた。

 見た感じは、とくにふつうの森と変わらない。


「行くわよ」


 エヌはうなずく代わりに、道なき道を進んでいく。


「お、おう」


 俺はすぐにエヌの後を追った。

 話によると、〝幻惑の森〟には亜人とやらが住みついているらしい。人間とは違う種族の生き物で、そいつらの魔法によってこの森の一部が迷宮になってるんだとか。

 ひとを惑わせる森……そういう話を聞いていたので、俺はけっこう身構えていた。


 だけど。


「……おかしい」


 エヌがぽつりとつぶやく。

 美麗な表情を鋭くして、暗い森の先を見据える。


「なにがおかしいんだ?」

「魔法の干渉がないわ」


 無感情な言葉のなかに、警戒の色が混ざる。

 ここは惑わされ幻に逢う森。まっすぐ歩くこともできず、気付けば入口に戻っているはずだ。それなのに、俺たちはふつうに森をかき分けて歩くことができていた。


「「…………。」」


 鬱蒼と茂る木々をかきわけ、まっすぐ進んでいく。

 なにか鼻腔を突くような匂いが漂い始めたのは、かなり奥まで入ってからだった。

 その匂いは、俺も何度も嗅いだことがある。鼻につくツンとした匂い。鉄が錆びたような強烈な異臭……。


 俺たちは顔を合わせ、さらに慎重に歩く。

 森を抜けて、小さな集落に辿りついたとき、その理由がわかった。


「……なんだ、これ……」


 やはり間違ってなかった。漂っていたのは、血の匂いだった。


 集落というにはすこし小さい気もしたけど、そこには誰かが住んでいたのはわかった。人工物だったと思われる木の残骸が、そこらじゅうに散乱していたから。


「……残酷ね」


 そしてそれよりもはるかに多い量の血痕が、飛び散っていたから。地面や残骸にべっとりと染みついた血のあと。時間が経っているのか、乾いている。なぜか、匂いだけが生々しく残っている。

 血が、ここに住んでいた亜人たちのものだってことくらい、俺にもわかった。


 ひとつの〝ダンジョン〟を造っていたはずの小さな集落は、破壊され、蹂躙され、そして殺戮されていた。


 この森はもう、〝幻惑の森〟ではなくなっていた。


「どうする?」


 エヌが問いかけてくる。

 俺の目的は《過去を視るMAC》だ。ここの最奥にあるという情報の真偽を、これじゃあ確認できない。


「……慰霊碑でも立てて、帰るか」

「そうじゃない」


 と、エヌは首を振った。


「あそこからあたしたちを狙ってるやつを、どうするかって聞いてんの」

「え?」


 エヌにつられて、森の奥を見る。

 そこに蠢いていたのは、黒い影だった。木々の背後に隠れ、草の隙間からじっと俺たちを見つめていた。

 そいつは俺たちの視線に気づいたのか、ゆらりと姿を現した。


 黒い影……その比喩は、比喩じゃなかった。


 全身真っ黒で、狼のような姿をした獣。


 大きさは俺の二倍はある。巨大な体に、毛並みは針のように鋭く尖っていた。体当たりされただけで全身を貫かれ、死ぬだろう。そいつの体にところどころ赤黒い染みのようなものがあったので、たぶん大袈裟じゃない。


「なんだ、こいつ……」

針狼(ニードルフ)ね」


 エヌは冷静に観察していた。

 グルルルル……と喉を鳴らす針狼。いまにも跳びかかってきそうな気配だった。


「雪の多い地域で出没する獣……ふつう、せいぜい大型犬くらいの大きさのはずなんだけど」

「……成長期なんだろ」


 俺は軽口を叩いて、ポケットに手を入れた。

 ただひとつだけ装備しているMACを確認して、針狼とどう戦うか思案していると、


「こんな雑魚、構ってる暇はない」

「おい、エヌ!?」


 エヌは針狼のところへと歩いていく。

 自殺行為としか思えない。

 両手を拘束されたまま、針狼の近くまで進んだエヌ。彼女の歩みに迷いがないことを、さすがの針狼も警戒したのだろう。そのまま姿をひるがえして森の奥へと消えていった。


「……逃げたぞ」

「知性が高いってことは、警戒心が強いってことでもあるの」

「そうなのか」


 俺が感心してうなずくと、


「ただし、中途半端に知性が高いと、墓穴を掘る結果になる」


 エヌは針狼が消えていった場所を眺めて、冷たく言い放った。


「あいつの〝飼い主〟がいる方向は、おおかた予想はついたわね」






 集落の先へさらに進むと、森の最深部にたどり着いた。


 そこからは岩の壁が行く手をふさぎ、本格的な山へと姿を変える。岩の壁を登ることは、翼でも生えないと不可能だ。空を見上げてようやく断崖絶壁の山を視野に入れることができる。


 森が途切れたところで、俺とエヌは足をとめた。

 岩の壁には洞窟があった。その洞窟の手前には、ご丁寧にも針狼の足跡が残っている。


「なあ、ひとつ聞いていいか?」

「あとにして」


 エヌは迷いなく、洞窟のなかへと足を進めた。俺もついて歩く。


 一気に暗くなる。視界が暗順応するのにしばらく時間がかかるが、そのあいだにもエヌはひたひたと前に進んでいく。自分がどこかにぶつかることを心配していないのか、たいした度胸だ。


「なあ、針狼を追ってどうするんだ?」


 針狼のことは気になる。全身にこびりついていた浅黒い血の跡……亜人の集落を襲ったのはあの獣だろう。

 とはいえ、そのことで俺たちがどうこうする理由はないはずだ。

 エヌはその言葉を、跳ねのけた。


「あたしは、あんたの目的を遂げさせるだけ。あとは興味もない」

「目的って、でもMACは――」

「ダンジョンの最奥にある情報が本当なら、ここにある可能性が高い。そうでしょ」


 たしかにそうだけど。

 奥に進むたびに暗くなっていく洞窟。そろそろなにも見えなくなってきた――というところで、奥のほうからぼんやりと明かりが漏れてきた。

 広くも狭くもない洞窟だ。

 この奥に針狼がいるなら、警戒したほうがいいが……


「いる」


 まっすぐに速度さえ上げてエヌは進んでいき、角を曲がった。

 ……洞窟が、広がった。

 天井が高く広い空間だった。奥には大きな湖が広がっていて、その手前で火が焚かれている。


 焚火の灯りが、ゆらゆらと地底湖を照らしていた。


「ふうん。こんなところが……」


 エヌが周囲を見回していた。広大な空間には、針狼は見当たらない。


 そもそもなにもない。焚火がなければ、誰かがここにいるなんて思えないほど静かだった。天井から落ちる水滴が湖に落ちる音ですら、遠く離れたここまで聞こえてくる。


「……なあ、おいエヌ」

「なに」


 そっけない返事に、


「あれ……なんだ?」


 俺は真上を指差した。


「……見ればわかるじゃない」


 そのとおり。

 天井に張り付いていたのは、まぎれもなく針狼だった。


 狼が忍者のように天井に足をくっつけていた。真下にいる俺たちを睨んで『グルルル』と喉を鳴らした。


 視線が合うとすぐに聞こえてきたのは、シャコン、と硬質の毛を引き抜く抜く音。どうやら針のような体毛を刺して、天井にくっついていたらしい。

 落ちてきた針狼。

 俺は回避しようとして――


「えっ!?」


 つい声を漏らす。


『グガアアッ!』


 降ってきた針狼の大きさが……さっきの五倍ほどあった。


 巨大も巨大。ひとつの建物よりも大きな姿になった針狼が、俺たちの頭に降り注いできた。

 その牙を剥きだしに、爪を尖らせて、真下にいる俺たちに襲いかかってくる。

 デカすぎる。避けられない。


「そこを動かないで」


 ただ、エヌは冷静だった。

 重力を味方につけて迫ってくる針狼を見上げ、その手を拘束されたまま、


「――――〝流星(ソニック)〟――――」


 地面を、蹴った。


 舞い上がったのは白い囚人服。


 人間の脚力とは思えない速度で、そのつぶやき通り白い流星のように針狼に突っ込んでいったエヌは、針のような体毛に躊躇せず蹴りを叩き込む。


 服の隙間から、鎖がつけられた足首が見えた。


「――――〝噴火(ブースト)〟――――」

『グギィィッ!?』


 その細い脚は、爆発のような音をたてて針狼を軽々と蹴り飛ばした。折れた体毛が、バラバラと降り注いでくる。

 そのあとを空中を走るようにして追い、地面に落ちた針狼へとまた蹴りを加えるエヌ。

 巨大な狼が、さらに悲鳴を上げる。


 これは、魔法……だろうか?


 このまえの師匠と同じように、MACを使用せずに魔法じみたことをしている。この世界ではMACが魔法を使うための道具だと聞いていた。それが事実だと、フィアやレシオンの闘いを見て知っていた。


 でも、この闘い方は、それとはまったく違っていた。


「――――〝迫撃(インパクト)〟――――」


 ズゥウン!

 とかかと落としを針狼に振り落としたエヌ。

 洞窟がぐらぐらと鳴動する。


 巨大な針狼は、エヌの蹴りに抗う術を持たなかった。その図体が蹴られるたびに体毛を折り、その姿はみるみる小さくなっていくようだった。


 獣を圧倒する強さは、まさに護衛として申し分ないだろう。


 ……ただ、一方的に攻撃を加えるエヌの顔を、俺は見ることができなかった。






「――――〝殲弾(ショット)〟――――」


 最後の攻撃まで、手加減は一切なかった。


 エヌは地底湖のほとりでよろよろと立ちあがる巨大な針狼に向かって、すこし離れた場所から蹴りを放った。

 空気が振動する。


 真空の弾丸が飛んでゆき、破裂音とともに針狼の顎を砕いた。


『ギィッ……!!』


 血を吐き、倒れる針狼。

 地面を揺らして昏倒すると、その姿をMACに変えた。


 焚火のそばに落ちたMACを、エヌが回収してくる。

 赤色だった。


 ―――――――――――――――――

 《大針狼(ギガニードルフ)》 ☆☆☆☆☆

       状態:瀕死

       攻撃力:2600

       防御力:3000      

       個能力:巨大化    

 ―――――――――――――――――


 エヌの予想通り、誰かの召喚獣だったらしい。


 この前見た〝火竜〟よりも明らかに強い相手だったはずだ。〝火竜〟の攻撃力と防御力の数値の、ちょうど倍あった。

 亜人の集落が全滅させられたのも納得できるほどの相手だったのだ。


 それでも、エヌは一方的だった。

 まさしく護衛そのものとして役目を果たしていて、俺は一歩もその場から動いてない。


「……おまえ、すげえな」

「あんたも同じ師匠を持つ弟子でしょ?」


 だとしても、た。


「べつに、これくらい普通よ」

「…………。」


 いうなれば、かすかな恐怖だった。奥深くに潜んでいる本能が感じる脅威。淡々と、感情を動かすことなく怪物(モンスター)を淘汰する。ルーチンワークのように、ただ無感動に敵を破滅へと追いやっていく。その姿は、およそ人間のものではない気がした。


「おまえは……」


 どうして、1085年もの、永久とも思える懲役を負ったのか。



 その質問は……まだ、できずにいた。


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