Falling【12】 一番弟子は囚人奴隷 ★
週末の朝は晴れだった。
春とはいえ、まだ朝夕は冷える。
とくに肌寒い休日の朝は、眠い。低血圧なのは自覚している。
布団にくるまっていたら、なにやらごそごそと音がする。部屋の鍵は閉めたはずなんだが……
ちらっと布団をめくってみると、ベッドに這いあがってくる影。
メイド服の女装貴族だった。
「おーい、朝だぞ起きろトビラ~。起きないとほっぺにちゅーしちゃうぞ」
「消えろ変態!」
問答無用に、レシオンを蹴り落とす。
「いてて……ったく、冗談だって」
「ならその女装をやめろ」
いくら師匠に言われたからといって、毎日着る必要はないと思う。自分で似合っているのがわかっているのか、それもまたイラっとくる。
レシオンはひょっこりとベッドの縁に這いあがってくると、まるっきり無視して、
「それよりトビラ、保存庫にあった緑豆、知らね?」
「…………豆?」
いきなりなんだ。
保存庫は寮のキッチンの奥にある〝冷却〟のMACが設置された部屋だ。いわゆる食料用の冷蔵室のようなもので、メイドと化したレシオンが管理することになっている。レシオンがこの寮に住み始めてからは、一度も触ってない。
「おかしいな……フルスロットル先生は緑豆嫌いだし……」
「使ったの憶えてないだけじゃねえか?」
よくあることだ。
質問をそこそこにこたえて、俺はリビングで朝食を済ませる。
師匠は休みの日になると、必ず寮から姿を消していた。なにをしているのかはわからない。この日も例外なく寮にいなかった。
玄関から「ごめんくださいませ」と声が聞こえたのは、ハーブティを飲んでいるときだった。
腰を浮かしかけたとき、レシオンがすでに対応していた。
「おまえ、誰だ?」
「わたくしはフィア様の専属メイドを務める者です。用あってトビラを迎えにきた次第でございますわ。あなたに用はございません。トビラを呼んできてくださいますか?」
聞き覚えのある声。
「オレはトビラの専属メイドだ。用があるなら、オレを通してもらいたい」
「トビラの? そんな話、聞いてませんわ」
「んなこと知るか。まずは用件を言え」
玄関に向かう。
なにやら物々しい雰囲気でレシオンと睨み合っていたのは、セーナだった。
フィアのことをやたら慕っている、上流貴族のお嬢様メイドだ。
「そもそもトビラに専属メイドなんて必要ありませんわ。豚に真珠です」
「トビラのことを悪く言う気か? 殴るぞ」
「野蛮なことを申しますのね。あんな男のどこがいいんだか」
「黙れ下女。それ以上言うと首を刎ねる」
「トビラのメイドごときが? できるものならやってみたらいいですわ」
一気に剣呑な空気がたちこめる。
俺は慌てて止めた。
「ちょ、おまえら待て待て。というかレシオン、セーナは俺のために来てくれたんだ。通してやれ」
「トビラ!?」
セーナが俺に気付いた。
久しぶりだな――と言おうとしたら、ものすごい剣幕で睨まれた。
「ふふふ、トビラ……ここで会ったが二十日目……あの日の恨み、晴らさでおくべきかっ!」
メイドスカートをひらめかせ、太ももの内側に縛りつけてあったカードケースから黄土色のMACを取り出したセーナ。
黒いタイツがちらりと見えた。
「〝ドワーフの鉄槌〟!」
セーナが召喚したのは、以前フィアが見せた巨大な鉄のハンマー。
それを力いっぱいに振り下ろしてくる。
「〝武雷の槍〟!」
すぐさまレシオンが白い槍を召喚した。
俺とセーナの間に割って入ってくる。
「トビラ覚悟おおおお!」
「させるかあああ!」
衝突する槌と槍。
ぐぐぐ、と押しあう。
「邪魔しないでくださいませ!」
「そっちこそなにをする!」
ふたつの武器が金属音を奏でて弾けた。
そのまま弾けた勢いでくるりと回りハンマーを横薙ぎに振るセーナ。遠心力で加速したハンマーがレシオンに襲いかかる。受け止められないと判断し、後ろに跳ぶレシオン。それを隙と見て、回ったまま鋭い蹴りを放つセーナ。
レシオンは蹴りを槍の柄で受け止めた。槍を絨毯に突き立て、力いっぱいに引いた。
ずるり、と絨毯が滑る。
足元が動きバランスを崩したセーナに、今度はレシオンの槍の柄が殴りかかってくる。
しかしセーナはハンマーの重さに身を預け、わざと倒れるようにして槍をかわした。もともとはセーナの武器なのだろう。使い慣れているようだ。
バックステップで退避し、ハンマーを肩にかついで距離を置いた。
お互いに構えを取りなおす。
……なんか、ふつうにバトってるんだけど。
「たかがメイドがやるじゃねえか」
「当然ですわ、王女専属メイドが弱くて務まるものですか。そちらこそ、なかなかのお手前ですわね」
「ご主人様を守ることがオレの仕事だからな」
目の前で火花を散らすメイドたち。
まあ喧嘩するのは勝手だが。
「おまえら……壊すなよ」
弁償とか言われたらどうしよう、と思う俺だった。
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『《過去を視るMAC》のことなんですけど』
フィアからそんな手紙を渡されたのは、放課後だった。
授業が終わり、クラスメイトたちはバラバラに帰っていく。
あしたが休みだからか、そのまま街へ遊びにいくやつらも多いようだ。「あそこに新しいMACショップができたんだ」とか「商店街寄っていかね?」とか話しながら出てくのを横目に、俺はひとりで寮に向かう。
校舎から中庭に出たとき、フィアとばったり会った。
経済科のクラスも解散したらしい。
「トビラ! これ、いまから渡しに行こうと思ってたんですよ」
フィアがパタパタと走ってきた。
白と薄桃色の装飾の封筒を、手の中に押しつけられる。
「予定もあるのでちょうどよかったです。では、私はこれで失礼しますね! 手紙、すぐに読んでくださいね!」
ひそひそとこちらを見て話す周囲の学生たちの視線なんてまったく気にしないフィアは、手を大きく振りながら去っていった。
寮に帰って開封してみると、手紙とともに地図が同封されていた。
『《過去を視るMAC》のことなんですけど、それが〝幻惑の森〟にあるという噂を耳にしました。情報源は王宮騎士の方たちなので、信頼できる情報だと思います。ちなみに地図に印がついているところが〝幻惑の森〟の入口です。』
地図には、デカデカと【ココが〝幻惑の森〟ですよ!><】と記されていた。
『それほど危険な場所じゃないので、私が直接お手伝いしたいのですが、あいにくお休みの日に出かけることは禁止されちゃいました。この前の件で、お父様にすごく叱られてしばらく外出禁止なんです。……その代わりと言っては何ですが、念のために心強い護衛をつける許可を頂きました。フルスロットルさんにも了承済みです。彼女を迎えに行くために、明日の朝、そちらにセーナをお送りしますね』
護衛か。
少しでも安全に旅ができるのならそれに越したことはない。
彼女というからには女なのだろう。
でも、なんとなく、嫌な予感がした。
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「そうならそうとはやく言えよ。あしたの夜には帰ってくるんだろ? じゃ、シチューでも用意して待ってるからな、怪我だけはすんじゃねえぞ」
レシオンに事情を説明して納得してもらい、ようやく学生寮を出る。
セーナとレシオンは、始終喧嘩腰だった。メイドとしてのプライドがぶつかるからなのかと思ったが、そもそもレシオンってメイドじゃねえ。「これだから……女は嫌いだ。女に近づくんじゃねえぞトビラ」とつぶやくレシオンに「べつに、メイドを雇おうがとやかく言うつもりはありませんが」と小言を垂れてくるセーナ。なぜだ。仲良くやれとは言わないが、せめて俺を挟んで喧嘩をするな。いったい俺が何をした。
とにかく俺はそそくさと馬車に乗り込み、セーナと共に街に出た。
「なあ、護衛ってどういうことなんだ」
「行けばわかります」
と冷たい態度のセーナ。馬車は無言で、パカパカ街をゆく。
王城の北側にある上級学校から西に向かい、〝水の都〟と比喩される下町へと入ってゆく。水路のせいで複雑な迷路のようになっている道を進み、王都の北東にたどり着いた。
街を囲む運河の防壁のすぐそばに、それはあった。
針金のついた鉄の壁。高さは数メートル。要塞のように厳重な建物の前で、馬車は止まった。
『国立中央刑務所』
セーナが馬車を降り、門兵になにやら書状を見せると、俺を手招きする。
門兵のジロジロとした視線と鉄門をくぐりぬけると、
「……なんだここ」
空き地だあるだけ。草も生えてない土の地面。
ただ、空き地の中央に、塔の先端のような小さな建物が、地面から生えていた。
三角形の、尖った建物。
扉ひとつで、ほとんどその建物の役目は終わっているような小ささだった。
俺とセーナが立ち止まったのは、その建造物のすぐそばだった。
地上にはほかになにもない。
刑務所。
囚人を収容する施設の……これは、入り口だろう。それはつまり、施設自体は地下にあるということで。
「トビラ。ひとつだけ言っておきますが、あまり期待はしないほうが身のためです」
「……どういうことだ?」
セーナの言葉に耳を傾ける。
「そのままの意味です。あなたと同じ師範に師事するとはいえ、彼女はれっきとした犯罪者。贖い切れぬ罪を犯した、最悪の犯罪者ですから」
「え」
いま、なんて言った?
聞き返そうとしたとき、その建物の扉が重たい音を立てて開いた。
視線が移る。
「うっ」
一瞬、眩しさに目がくらんだ気がした。
金色の髪。
そいつは星をちりばめたような輝く髪色を片側でくくり、無造作に流していた。
肌は白く不健康なほどにくすみがない。背は高いほうだろう、俺よりもすこし目線が下という程度だった。驚くほどに長い睫毛に、すらりと鼻筋は細く、唇は薄い。不自然なほどに完全すぎるバランスで、まるで人形のように美しい表情の少女だった。
つい、目を惹かれる。
でも、そんなものはついでだ。
それより視線を奪われたのは、彼女の恰好だった。
ドレスのような長さの、ゆったりとした囚人服を着ていた。足元がまったく見えないほど長い裾。動くたびに、ジャラジャラとした金属音が聞こえてくる。
体の前で交差した両腕の手首には、デカくてゴツい黒錠がつけられている。
両手の自由を奪われて、背中を看守に剣でつつかれながら、彼女は太陽の下へ姿を現した。
空を見て、うっすらと目を細めた少女。
「おい、止まるな」
看守が怒鳴ると、少女は俺とセーナの前まで歩いてくる。
「……まずは自己紹介してください。囚人番号01502番」
セーナに囚人番号01502番と呼ばれた少女。
年下だろうか。すこし幼さが残っていた。
「囚人番号01502番、NO NAME……名前は持ってない」
声は氷のように冷たく、抑揚がない。
俺にはまったく興味を持ってないようだ。一度も俺を見ない。
ただ世界を恨んでいるように、なにかを哀しむように、その表情には色がなかった。
「……名前がない?」
俺がセーナを見ると、セーナは頷いた。
「はい。彼女にはもともと名前がありません。わたくしやフィア様、フルスロットル様は便宜上、彼女のことを〝エヌ〟と呼んでおりますわ」
名前の無い少女……エヌ。
囚人。
同じ師匠を持つということ。
つまりこいつは……
「……それで、今回の要件は?」
つまらなさそうにつぶやいたエヌ。
「護衛です」
「あたしが護衛?」
「ええ」
セーナは俺を手で示した。
エヌがはじめて俺を見る。その目に宿るのは無感情か、もしくは無関心だった。
「あなたには、このトビラの護衛をしてもらいます。〝幻惑の森〟で彼を守るのがあなたの役目です。とくに難しいことではないので、引き受けてくださいますよね? それに……なんたってこれは、あなたの懲役1085年を少しでも減らせる機会なのですから」
セーナの言葉に、エヌは少しだけ黙って、かすかにうなずいた。




