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Falling【9】 学校生活ってこんなに殺伐としてたっけ

 敷地がデカければデカいほど、それだけ人の死角が増えていく。



 校舎の裏、校庭の隅、武道場の陰……ふつうに学校生活を送っていれば目につかない隙間のような場所は、どことなく湿った匂いがすることを知った。


 俺の頬にあたるのは、ひんやりとして気持ちいい土の地面。

 殴られて熱をもった部分にはちょうどいい。


「ふざけやがって、没落貴族のくせに……くそ」


 ぺっ、と口の中の血を吐きだした赤髪の少年は、腕を押さえながらフラフラと歩いていった。


 ……また負けた。


 俺はため息をついて、起きあがる。

 毎日毎日、同じことの繰り返し。


 昼休み、ひと気のないところで殴り合う。

 まだ学校生活に慣れてすらいないのに、喧嘩にだけは慣れてきた。


「きょうはなかなか善戦したじゃないかい、弟子」

「……また見てたのか、師匠」


 建物の陰から出てきたのは、幼い容姿のチビ教師。

 フルスロットル=〝マジコ〟=テルー。

『師匠』……これが俺に義務付けられた呼び名だった。かなり年下にしか見えない少年を師匠と呼ぶのは、まだ少し違和感。


「でも、まだまだだね。もっと相手の体のバランスをよく見ないと」

「つっても一週間だぞ? しかも相手は騎士志望の武芸科……勝てっていうほうが無茶だ」


 この一週間、俺は師匠の命令で自分から(・・・・)、あのいけすかない赤髪に喧嘩を売っていた。もちろん最初に突っかかってくるのは向こうだが、それを挑発するような態度を取っているのだ。


「いいかい? キミは没落貴族なんだよ。基本的に魔法に頼ることができない属性だ。なら、自分を守れるくらいの最低限の強さは手に入れてしかるべき、だよ」


 もちろん、それくらいはわかる。

 わかっているんだが……


「……せめて、たまには違うやつにしてくれよ」


 さすがに赤髪(あいつ)に殴られてばかりだと、気が滅入るのだった。



 ↓↓

 ↓↓↓↓



 学生寮とは名ばかりのその建物には、師匠(フルスロットル)以外だれも住んでいなかった。


 古くなって軋む床、染みのある天井、そして薄い壁。ベッドは固く、カビ臭い。城に泊まっていたときとは天と地の差の環境だった。しかも師匠はほとんど家事ができないらしく、最初に見たとき、寮のキッチンがものすごいことになっていた。

 俺が寮についてまずしたことといえば、寮全体の掃除だった。


 学生寮なら生活費を払わなくていい、というのは、どうやら師匠の身の回りの世話をすることが条件だったらしい。掃除、洗濯、料理……まずは弟子というよりメイドのような仕事を押し付けられた俺は、さすがに文句を堪えられなかった。


「……フルスロットル、あんたの世話をするのはべつにいいんだけどさ、魔法ほとんどを使えない俺に、なにを教えてくれるってんだ?」

「師匠と呼ぶように、と言ったはずだよ」


 食べカスや埃を綺麗に掃除したソファにふんぞり返ったガキ――もとい師匠は、薄く笑った。


「まあその質問は妥当で、じつに的確な疑問だよ。だけどキミはわかっていない。僕がなぜ教師という立場にいて、キミが生徒としてこの学校に迎え入れられたかをね」

「……どういうことだ?」

「それはおいおいわかるさ。だから弟子のキミは、黙って僕の言うことを聞いていればいいんだよ」


 偉そうな態度にかすかに怒りを覚えながらも、俺は押し黙った。

 ムカつくガキだが、フィアがこいつに頼むってことは、それなりの理由があるに違いない。


 俺は大人しく弟子として過ごすことに決めたのだが……


「基礎体力はあるみたいだね。じゃあ、まずは毎日朝食と夕食を作ること。それからしばらく、一日一度は、レシオン=スラグホンに殴られに行くこと」


 師匠が出した指示は、そんな内容だった。


 レシオン=スラグホンというのは赤髪の美少年の名前だった。

 わざわざ喧嘩をしにいく理由はわからなかったが、言うとおりにするのが約束だ。

 学校生活の傍ら、従っていたのだが。


 学校の授業は、なんとかこなした。座学は思ったより難しくなかった。高校の頃は勉強ばかりしていたからか、知識の吸収は得意だ。知らない単語はメモを取って帰ってから師匠に聞く……数日もすれば、それなりにできるようになった。


 ただ問題なのは、実技だ。


 この学校には五つの学科がある。


『学士科』

『経済科』

『社会科』

『魔法科』

『武芸科』


 それぞれその名の通りの専攻になっている。

 俺が所属しているのは学士科で、学校教師などを目指す教育学特化だ。この学校で一番デカイのは、学士科。

 経済科は政治・経済学特化、社会科は歴史・社会学特化、魔法科は魔法そのものを特化して学ぶ。

 そして武芸科は、騎士や兵士を目指す『武闘派集団』なわけで。


 俺はなぜか、実技体育のときだけ、その武芸科とともに授業を受けているのだった。どうやらカリキュラムの影響らしい。


 実技体育とは、体育とは名ばかりの戦闘訓練だ。まさに実技。

 

 剣や槍の訓練、基礎体力訓練……それを騎士志望のやつらと共に受けるのだから、正直いうと体力が持たない。むろん、俺だってそれほど運動能力が悪いとは思っていないが、さすがにいきなりコレは厳しかった。


 へろへろになりながらも、授業を終えたあと、師匠の指示で赤髪(レシオン)と喧嘩するのはめちゃくちゃ疲れる。あいつも同じ授業を受けているのだが、体力が違うのかいつもピンピンしていた。

 もちろんその状態で喧嘩して勝てるわけもなく。


「……おまえ、マゾだろ?」


 一週間前に師匠に言われたのを同じ台詞を、レシオンにも言われた。

 俺は地面に這いつくばりながら、鼻で笑った。


「だとしたら?」

「死ね」


 舌打ちして、レシオンは俺に一発殴り返されて腫れた右頬をさすりながら、その場を去っていった。






「……どうしたんですか? その顔」


 フィアが心配そうにのぞきこんできたのは、昼休みだった。


 薬学、歴史学、実技のあとの昼休み。

 中庭のベンチでひとり昼飯の弁当を食べていると、一週間ぶりくらいにフィアに遭遇した。フィアは経済科のクラスだから、もともと教室が違って会う機会がないのだ。


 俺が「ちょっと転んだんだ」とあからさまな嘘をつくと、フィアは鞄をごそごそと探った。


「ちょっと染みますけど……〝天使の息吹〟」

「痛っ」


 緑のMACを取り出して、俺の頬にかざした。

 冷たい空気のようなものが皮膚に流れ込んできて、腫れた頬に染みた。


【☆☆☆☆ 属性:―― 《天使の息吹》】


「治癒魔法です。副作用もなく、けっこうなレアものですよ? 一日の回数制限こそありますし、そもそも(ランク)が四つだから、使えるひともそう多くないんですが」


 にっこりとほほ笑むフィア。


 (ランク)というのは、MACを発動するための第二条件だ。

 第一条件が属性だとすれば、第二条件は(ランク)。その属性のなかでも七段階の分類があり、強い効果を持つ魔法や珍しい魔法などは、必要な資質――つまり(ランク)が高くなっていく。


 ちなみに俺は没落貴族の☆☆☆☆☆☆☆(最高ランク者)だ。

 サラブレットの没落貴族……ぶっちゃけ、喜んでいいのかわからない。


 その治癒魔法は、使用属性に制限こそないものの、☆が四つ。

 フィアの言うとおり、たしかに頬の痛みがあっというまに消えていた。


「……ありがとな」

「いいえ」


 礼を言うと、膝の上に広げた弁当箱から、卵焼きをひょいとつままれる。師匠の朝食を作る時に、自分の昼飯も一緒につくっているのだ。

 口のなかにぽいっと放り込んだフィア。


「これ、食べたかっただけですから」

「……あっそ」


 たいして料理は得意でもないから、王女様の口に合うかはわからなかったが、マズいともウマいとも言われなかった。まあよしとしよう。

 フィアは持参していたサンドイッチを隣で食べ始めた。


「いいのか? おまえ、友達は?」

「せっかくトビラを見つけたんです。今日はトビラと食べます。……それよりどうですか? フルスロットルさん、すごい先生でしょう? あの方は歴史上にもそういない天才なんですから」

「……そうなのか?」


 ただ偉そうにするガキにしか見えないんだが。


「ええ。史上最年少でこの学校を卒業してるんです。すこし大人びて見えますけど、まだ十二歳ですよ」

「……じゃあ、俺は十二歳を師匠と崇めさせられてんのか」


 というか見た目通りの年齢だったのか。

 驚きのせいか、返答がすこし自嘲気味になってしまった。


「でも、びっくりしたんですよ。あの方がちゃんと弟子と認めるなんて、ほんとのこと言うと思ってませんでした。フルスロットルさんの身の回りのお世話だけでもタダで泊めてくれるとはわかってたんですが……よっぽどのことがないとないんですからね? これまでも何人もの方が弟子入りしようとして断られてるんです。それこそ十二歳を師匠と崇めたいって方、この学校にもたくさんいますよ?」


「ショタコンのマゾが多いんだな」


「それはどうかはわかりませんけど……上級生のカーロマイン兄弟とか、同い年のレシオン=スラグホンさんとか……じつは、私も弟子入りしようとして、断られました」


 てへ、と笑うフィア。

 赤髪(レシオン)も弟子になりたかったのか……。


「フルスロットルさんが弟子にしたのは、トビラで二人目ですよ。たぶんこれ以上増えないんじゃないでしょうか」

「ふたりめ? ってことはひとりめがいるのか? んなこと聞いてないし、寮にもいないぞ?」

「ええ。一人目の方はちょっと理由(わけ)あって……学校にはいられませんから」


 はぐらかされた。

 まあそこまで気にならない。自分からアレを師匠としたいやつのことなんて、無理に聞こうとは思わない。


「そうか。……それよりフィア」

「なんでしょうトビラ」

「セーナは元気か?」


 城での数日間が、かなり懐かしい。まだ一週間前だとは思えなかった。

 フィアはくすりと笑って、うなずいた。


「ええ……『つぎトビラが城に来るときは、完全武装で迎え撃ちますわ!』って意気込んでますよ」


 やっぱり根に持ってたか。

 さすがにいろいろふざけすぎたかもしれないと思っていた。セーナの反応が面白くてついやってしまったんだよなぁ。


 ……まあ、元気ならいいや。

 そのまま昼休みが終わるまで、俺はフィアといろんな話をした。俺に友達ができないことを心配してくれているようだったが、いままでもそうだったので、俺は気にしていないのだが。


 もちろん『過去を視るMAC』について聞いたけど、フィアもまだなにもわかっていないらしい。俺の記憶を取り戻すのは、まだ先になりそうだった。



 ↓↓

 ↓↓↓↓



『学士科』一年のクラスは四つに分かれている。


 俺はD組。教室は校舎の一番真ん中にある。

 隣が『武芸科』のA組になっていて、教室を出たそのタイミングで、ときどき赤髪(レシオン)と鉢合わせすることがあった。


 このところ毎日昼に喧嘩しているからか、顔を見たらついお互い睨んでしまう。向こうは明らかに嫌悪感をもって睨んでくるが、正直、俺はレシオンのことを嫌っているわけじゃない。「図に乗るな」「没落貴族の分際で」「学校なんざ辞めろ」という態度が、すこし気に食わないが、ほとんど義務のように「うるせえ女男」と挑発してるだけだ。師匠に指示されているからで、べつに美少年という容姿に嫉妬してるわけでもない。


 ただ、なぜそうも俺を敵視するのかはわからないが、レシオンはいつもひとりでいる。誰かといるのを見たことがない。レシオンがひとりでいるというより、周りがレシオンを避けているように見えた。


 口が悪いことや他人を見下したように言うのがデフォルトなら、それも仕方ないだろう。けど、それだけじゃない何かがあるような気がするのは、たぶん俺の気のせいじゃなかった。


「……おい、没落貴族(おちこぼれ)


 レシオンは今日も俺に、見下したような顔を向けてきた。

 ちょうど昼休みだ。俺はいつものように「どうしたオカマ野郎」と返す。レシオンが『ついてこい』と先をゆき、俺がそのあとを歩く。校舎を抜けて中庭を通り、武道場のあたりで周囲に誰もいないことを確認して、レシオンは俺に向き合った。


「おまえ、昨日はフィオラ様と食事をともにしていたな……」


 見られていたのか。


「……どんな卑怯な手で近づいた?」


 声はいつものように高かったが、腹に響くような迫力があった。

 気に入らない。そう目が語っている。


「べつに。ただ、草原で友達になっただけだ」

「ふざけんな!」


 一歩。

 レシオンが俺に近づいてくる。


「ふざけてねえよ。俺がふざけるのは、面白いやつにだけだ」

「それがふざけてるってんだよ!」


 また一歩近づく。

 いつもより怒りが増している気がする。


「没落貴族のおまえが、フィオラ様の友達だと!? 馬鹿げてる!」

「なにが馬鹿げてるんだ? 属性なんて関係ないだろ?」

「――なん、だとッ!?」


 レシオンの目が、見開いた。


 初めて見る本当の怒りだった。レシオンは唇をかみしめ、顔をゆがませた。

 せっかくの綺麗な顔が台無しだったが、あいにくそんなことに気を使うほど、俺は男に優しくない。


「それに、フィアが相手の属性で友達を選ぶとでも思ってんのか? あいつはそんなやつじゃねえんだよ。それくらい、すこし考えりゃわかるだろ」

「おまえがッ――」


 レシオンが拳を振り上げた。


「没落貴族のおまえが、フィオラ様を――語るなッ!」


 怒号と共に、ふりおろす拳。

 なんのひねりもないパンチ。


 一週間だ。

 そのあいだ、こいつのもっと鋭い拳を見てきた俺には、かわすのに、苦労はいらない。


 空振りしてバランスを崩したレシオンは、そのまま裏拳を横に薙ぐ。俺はその手を受け止める。

 目が合った。

 とっさに防御態勢に入ったレシオンの胸を、俺はトン、と軽く押してやった。


 たたらを踏んで後ろに下がったレシオン。まさか手加減されて押されるだけとは思わなかったのだろう。


「っ! 没落貴族のくせに……っ!」


 地面を蹴って突進してくる。


『体のバランスを見ろ』


 師匠が言っていた言葉を思い出す。踏み出した足にのる体重が、わずかに右に傾いていた。相手の体の軸の傾きと逆に、流れるように移動する。

 拳は、また空を切る。


 俺はすれ違いざまに、レシオンの肩を軽く押した。


「貴様っ!!」


 レシオンは回し蹴りを繰り出すが、そもそも射程外、届かない距離だ。冷静さを失っているのは明白だった。

 蹴りも外れ、さらにバランスを崩したレシオンの懐に、俺はもぐりこむ。

 また押されると思ったのだろう。重を後ろに移動させたレシオン。


 体の軸の傾きが、はっきりと見えた。


 パンッ!


 俺は、レシオンの足を払った。

 体がふわりと浮く。

 驚いたレシオンは、声をあげることなく、なすがままに地面に仰向けに倒れた。


「…………」


 倒れたレシオン。

 それを見下ろす俺。

 いつもとは逆の立ち位置。


 自分の鼓動が、おだやかに澄んでいく。


「え?」


 そのとき、俺たちがいる武道場の裏に武芸科の生徒が顔を出した。

 昼休みに自主トレでもしにきたのだろう。物音に気付いて覗いたのか、数人の武芸科の生徒は、俺とレシオンを見て、


「……大貴族(レシオン)様が、没落貴族にやられてんじゃん」


 嘲笑するようにつぶやいた。


 大貴族がどうかはわからないが、そいつの言葉通り、いまのレシオンに負ける気はしなかった。いくら喧嘩が強くても、冷静さを欠いた相手。手に取るように動きが読めた。


 レシオンの顔が、蒼白になっていく。


 立ち上がる気配のないレシオン。戦意を失ったのか、それとも怒りが頂点に達して動けないのかはわからない。

 ただどちらにしても、喧嘩する気のないやつを殴る気は、ない。


 俺はその場から去ろうと、レシオンに背を向ける。


「…………まて、没落貴族」


 レシオンが小さくつぶやいた。


 その声からは、感情が消えていた。

 怒りに震えることもなければ、悔しさに歪むこともない。

 ただ無感情で起伏のない言葉が、レシオンの唇から漏れていた。



「決闘だ……決闘しろ……トビラ=トハネ」



 決闘。


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、いきなり空から降ってきたのは、幼い声だった。


「受けて立とうじゃないか」


 一陣の風が吹いた。


 土煙が舞いあがる。

 武道場裏の空間に、吹き上げる風。


「その決闘、ボクが調停させてもらおう」


 神出鬼没という言葉が、お似合いだった。


 つむじ風を纏い、奇術のように俺とレシオンのあいだに姿を現したのは、小さな容姿の黒帽子。

 幾重にも服を重ねたその姿は、マントのようにふわりとひらめいて、俺の視界を埋め尽くす。


「さあ弟子……これからが本番だよ」


 十二歳の師匠が、笑んでいた。


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