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蜉蝣の、唄  作者: ouka
3/9

葬る蝶々―脱皮―1

五年後の話。

まな?」


 手を伸ばす。たとそれがどんなに愚かしい行為であっても、彼女は止められなかった。必死で手を伸ばす。身体中から血の気が引いて、急速に体温が奪われていった。それでも手を伸ばさずにはいられなかった。長く美しい髪は彼女のおどろおどろしさを際立たせている。まるで幽霊の様だと誰もが思ってしまうほどの必死な形相。普段の時は綺麗で端整な女性なのだろうが――その面影は全く見受けられない。

「愛……」

 もう一度。今度は躊躇いがちに言葉を発する。・・まで娘だと認識していた少女の名を。・・まで大人しく、弱弱しいと思っていた少女名をを。

 少女はにこりと表情を歪ませた。笑ったのではなく歪ませた。ひどく美しく、艶かしく。それは大人でも見入ってしまうほどの表情だった。嘲笑と言う名の美しい笑み。自然と眼が釘付けになってしまうほどの恍惚とした表情。その娘の母であった女はかぶりを振って、放心しかけた身体を現実に引き戻す。


「……お母さん。なんて無様な格好かお分かり?」

 彼女は冗談じゃない、と心の内で毒づいた。少女の手に光るのは鋭利なナイフだった。少女は怯えるでもなく平然とそれを握っている。そしてそれにはすでに人間の中を巡っていた物が黒々と付着していた。フローリングには鮮やかな赤色が滴り、その存在を際立たせている。生臭い血の臭い。鼻に付いて気分が悪い。腹部を深く刺されている。隣に佇む肉の塊は生前夫と呼んでいた人だった。四肢も頭も五臓六腑も飛び散って……跡形は無い。

――彼女は恐怖で身がすくむ。そして手を伸ばすのを止めた。どんなに伸ばしても娘だった彼女に届きそうにもないと自覚したからだった。自覚して絶望したからだった。物理的に、精神的にも決して届きそうもなかった。


「……愛、どうして……」

 彼女は言葉を言い終わらない内に、眼の前が真っ暗になった。寒さも、恐怖で感じられなかった。渾身の力を使って、目を開ける、するとそこには青年が立っていた。

 彼女の夫によく似た、青年。そして、爽やかそうに微笑みながら、彼女の腹部に手を捻り込ませて、立っていた。霧のように血が大量に噴き出る。痛みはじわじわと這い登ってきて、女は堪らなくなって意識を手放した。愛、どうして、とそう言いながら。あっさりと絶命した。



「……愛さん。もう宜しいですか?」

「……ええ。ねぇ月夜つくよ。どうしてすぐお父さんを殺してしまったの?どっちかと言うと私はお父さんともう少し話をして居たかったのに。こんなひとより」

 愛は今絶命した女を一瞥しながら不貞腐れた様子で文句を言うと、月夜と呼ばれた青年はふっと笑う。頬に大量に付いた血に気も留め無い様子だった。愛は堪らなくなって、袖で彼の目元を拭う。その袖も、血に染まっていたので余り意味は成さなかったが。月夜は地面に転がった肉の塊と肉片を一瞥し、今度は少し顔を歪ませて笑みを作った。

「……単なる嫉妬ですよ。大体、僕の顔と似ている人がいるなんて気持ちが悪いじゃないですか。ねぇ、そうでしょうまなさん」

 月夜は皮肉そうに言って、そっと頬の血を拭う手を取った。ゆっくりと口付けて、まなを見据える。愛はゆっくりと口を開いた。

「……あい

 まなはそれにさして動じる様子でもなく、もう一度月夜の頬を拭った。あどけない顔、先程の恍惚とした表情は出ていない。しかし、艶かしくそして扇情的な表情はあどけない顔を持ってしてでもそれを拭い去ることができなかった。

「……はい?」

「私は、あいまなは消えちゃったの」

「――そうですか。純情なまなさんも好きでしたけどねぇ。もしかして、この前の受け答えで消えちゃったのですか?愛さんの人格」

 月夜はさらりと述べて、愛を抱き寄せた。


「それとも、今……お父さんと、お母さんを殺めた背徳からですか?あいさん」

 愛は笑う。楽しそうに。頬を月夜の胸に一杯擦り付けて甘えて見せた。意外と堅い月夜の胸板。愛は密かにこれを気に入っている。月夜の微笑み以外にこんな安心できるものはなかった。


「どちらでも良いわ。私はここに居るんだもの。――ねぇ月夜?」

 何と儚い命。このようにあっさりと散って――

 愛は恍惚とした表情をした。べっとりと両手についた両親の血。不快と感じるでもなく、むしろ愉快そうに見つめている。背徳感もこの上ない美酒の潤い。殺したという震えがどうしても止まらないほど興奮する。こういう場合殺戮と言うのだろうか。ああ楽しくてたまらない。


 月夜はゆっくりと微笑む。まるで、至高の宝物を手に入れて、満足したかのように。


「ええ、愛さん。……私の愛しい人」

 月夜は夕焼に映える月を仰ぐ。ぎゅっと愛を抱きしめ、愛の首筋に舌を這わせた。




――五年後――


 無機質部屋。光もあまり彼らの部屋には差し込まず、暗鬱としている。カーテンを開けても暗く、外は雲が一杯に覆われている。不機嫌そうな太陽も弱弱しく光を発するだけで、天気が悪いのは明らかだった。しかし、この部屋の無機質さはたとえ天気の明るさを持ってしてでも拭い去る事はできないだろう。

 丸い机、椅子が二脚。食器棚と後、ベットのみこの無機質な部屋に存在していた。実用外の物と言えば、一本のポトスが隅っこで寂しそうに部屋を飾っているだけ。ふかふかとしたベッドからは二つの影。薄暗い最中、彼らは行為に及んでいた。

「はぁ……っ……」

 女の嬌声きょうせいが鳴り響く。この部屋一杯に甘い声と白い息がたゆたっていた。相手の男性は彼の特徴の微笑を湛えたまま、ゆっくりと上下する。舌を彼女の首筋に這わせ、何度も彼の印をつけた。自分の物。誰にも渡しはしないと半ば狂っているかのように激しく口付ける。嬌声を発する彼女を優しく、激しく愛撫して、愛おしそうに見つめる。


「……っ………ん……月夜つくよっ…!」

 彼は普段は聞けない狂おしい吐息が愛しく思った。彼女の喘ぎ声も、あどけなく彼の名前を呼ぶのも――ひどくそそられる。彼は強く彼女を求めた。すると、彼女は彼の首の後ろに組んでいた腕を緩め、そっと唇を彼に寄せる。

 すると青年は急に真っ赤になって、彼女を見つめていた。


「いきなりは反則ですよ――あいさん。」

 愛は美しい肢体を起き上がらせ、耳まで真っ赤になった青年を見つめた。先程まであれ程激しい情事をなしたにも関わらず、愛からしたただの接吻キス一つで酷く動揺している。もっと濃いのをしていたのに、と愛は揶揄やゆすると、青年はそっと愛の頬を包んで顔を逸らした。照れ隠し。


「愛さん。反則ですってば。僕をそんなに見つめないで下さい」

 愛はそっと月夜を抱きしめる。小学生の頃の物とは違った二つの豊かな膨らみが揺れた。愛は美しい長い髪をなびかせる。五年も前に靡いていたものとは格段に違う艶かしさをかもしていた。

「見つめなきゃ、月夜の顔が見えないでしょう」

 愛は高校二年生とも思われない幼い表情で彼に言った。抱きしめているので彼は彼女の表情は窺えていない。それでも彼は彼女の口調で分かったのか、爽やかに微笑んで彼女を抱きしめた。


「僕は倖せ者ですよ」

「『愛さん』を抱けて――でしょ。何度聞いたか」

 愛は言葉とは裏腹に嬉しそうに言った。

「……それ以外の言葉は見つからないんです。良ければ中国語で違う表現で言って差し上げたいんですけど、愛さんは分からないでしょう。それに、僕本当に倖せですから。愛さんの全てが手に入って」


 愛は少し溜息を吐いて呟いた。

「……私も」

 愛が恥らってそう言うと、月夜はこれ以上ないほど顔を真っ赤にさせた。先程よりも。今にも爆発しそうだった。明らかに動揺して、穴が開くほど愛を見つめた。信じられない。そして、戸惑いと喜びを隠せないという表情をしている。


「ど、どうしたんですか?愛さん。今日はやけにその、素直ですね。そんな事を言ってくれたのは初めてですよ」

 嬉しそうに愛の耳朶を甘噛みする。愛は甘い吐息を漏らしながら、月夜にすがり付いた。



「お願いが、あるの」



 月夜はお願い、と感慨深そうに其の言葉を反芻はんすうした。愛ははぁと艶かしい息を漏らす。

「それはまた――なんですか?言ってください。できる限りのことならしますよ」

 月夜はまさか甘えられているのはその目的があったのかと悟っって少し気を落とした。しかし「お願い」を叶えてしまえば、甘えた愛を見る事ができるかもしれない、期待で胸を膨らませた。

 女に高級バッグを買い与えるような男の悲しい性だと、ちょっと思ってしまった。


「で、お願いとは?」

「………ママ、が欲しい」

「………『ママ』ですか。『お母さん』ではなく?」

 どうしてだろうと彼は思った。彼女に母親が居たころ彼女は母親の事を『お母さん』と呼んでいた。わざわざ『ママ』と言い直すなど――しかも、父親は要らないのかと少し疑わしい。

 男は僕一人で十分なのに。『ママ』を手に入れたら『パパ』が欲しいと言い出したら困る。例え何者であっても自分以外の異性など愛の近くに置きたくなかった。急に沸々としたものがこみ上げてくる。多分独占欲や嫉妬心などといった類のものだろうと彼は容易に想像できた。こんな少女の一言で揺さぶられる自分もよほど狂ってるのだなぁとひとごとのように考える。


「私の『お母さん』は一人よ。今度は『お母さん』じゃなくて、『ママ』が欲しい」

「『パパ』は要らないんですか?」

 ちょっと恨めしそうに彼は言った。愛はふふっと微笑む。

「……『パパ』は要らないわ。だって月夜はとーっても嫉妬深いもの。『お父さん』を殺した時、月夜とても嬉しそうだった。『嗚呼、僕のライバルを一人抹殺できましたよ』何て言ってたし」


 彼は見透かされたな、と心の中で思った。少しバツの悪い顔で彼女を見つめると、彼女はもう一度彼の頬にキスした。

「……もう月夜は私の『パパ』よ」

 彼女はこれ以上ないほど甘い甘い声で呟いた。まるで≪愛している≫と言うかのように。月夜は全身が快楽で痺れた。実際喜んでいいのか落ち込んでいいのか分からなかったが、彼女を手に入れられた事を後悔しなかった。苦々しい笑みで彼女を見つめる。

「――分かりました。分かりましたよ。『ママ』探しましょう。My dear……愛さん」

「まぁ、英語を使うなんてそれこそ卑怯だわ。私英語なんて習ってないもの。」

 愛は少し苦々しそうに不服を申し立てる。中国語の次は英語なんて――分かるはずがない、と月夜に文句を言った。



**



side:陽菜ひな


 蝶が、ふわりと舞っていた。このような小春日和には仕方がないが、季節でも間違ったのだろう。ひっそりと、清らかに翅を動かしている。あまりに頼り無さそうで、私は無意識に花を探してしまうほどだった。しかし今の季節は冬。到底見つかるはずもない。するとその蝶は私の手前までやって来て、指に舞い降りた。とても厳かで尊い命。私はそれを壊さぬよう道路の傍にある草に蝶を載せた。


「――陽菜ひな


 ふとした瞬間後ろから名前を呼ばれる。恐る恐る振り向くと、やはり思った通りの人物が視界から現れる。私と違ったこもった声。すらりとした男性が座っていた私を無理やり立たせる。

「……陽大(はると

 私が名前を呼ぶと、彼は嬉しそうに笑った。私とそっくりの笑顔で。私とそっくりの仕草で。ふいに彼は私の腕を強く掴んだ。とても痛かったけれど、この人の前では絶対声などあげるものか、と口をつぐむ。

「蝶を愛でるのも可愛らしいが――俺の事ももっと見て欲しいね」

 彼は、先程の頼りない蝶を手繰たぐり寄せた。私はぞっとして、彼に掴まれた腕を引っ張る。

「――離して!!!」

 彼は愉快そうにこの上なく嬉しそうに顔を歪ませ、蝶をぐしゃりと握り締めた。彼の手が開かれると、鱗粉りんぷんがべったり付いた光景が目に飛び込んできた。とてもあっさりしていて――先程守った命が何なんだろうという絶望感を抱かせた。渾身の力を込めて、彼を睨む。

「君は俺の双子なんだ」

 そう言って、私を抱きしめる。恐怖と嫌悪で背筋に鳥肌が立った。


「……双子?あなたは双子でも抱くの?最低ね」

「……なんととでも。陽菜を見つめるものはなにも赦さない。幸い陽菜を繋ぎ止める財力はある」

 彼は私の長い髪を手繰り寄せて匂いを吸った。こんなことのために髪を伸ばしたんじゃない、と心の中で叫んだ。

「放して。あなたなんか大嫌い」

「……俺は好きだ。それで十分だ」

 彼は私そっくりの笑みで、私を向いた。私も彼と出会う前はこんな風に笑っていたのに――どこで間違えたのだろう。どこで狂ってしまったんだろう。どこでなにが捻じ曲がってしまったのかしら。



**



「――陽菜ひな!」

「……陽大はると!」

 車を縫って走る姿。足を一生懸命走らせ、後ろに続く父親に抱きしめられた。私とよく似た大切な大切な双子の片割れ。少し違うのは……ふわりと揺れる髪色と、篭った声。私の兄、大好きだった陽大はると。太陽みたいな兄弟ね、っていつも言われていたわ。

 私たちの両親は仲が悪く、私たちが物心付いたころから喧嘩ばかりしていた。毎晩、怒声が響き、金切り声が耳に付く。そんな毎日だった。


 しかし、彼らはそれでも別れようとしなかった。彼らは私たちを愛してくれていた。私たちも両親を愛していたし、喧嘩もして欲しくなかった。

 なによりも離婚して陽大と離れるのが嫌だった。陽大は先生ようで、教え子のようで、恋人のようだった。全てが陽大。何もかもが陽大。私は兄中心に世界が廻っていた。どこに行くのも、何をするのも、いつでも兄がいた。兄も私の事を愛してくれたし、篭った声で陽菜ひなと呼ぶ声がとても愛おしかった。陽大と呼ぶと、はにかんでぎゅっとしてくれるのが大好きだった。兄とは一生、一緒なのだと思っていた。ずっと双子。ずっと二人で一つだったら良いのにと子供ながらに思っていた。


 しかし、ある日。つい喧嘩ごとに耐え切れなくなった両親は、離婚した。

 私たちは引き離された。

 陽大は父親に、私は母親に引き取られた。父と陽大に会う事にはゆるされず、私たちは離れ離れになった。多分こんな夕陽の空に月がぽっかりと浮いていた日だったと思う。車の後に走ってきた兄のシルエットは一生忘れない。車の窓を開けて、叫んだときの喉の痛みも忘れない。そして何よりも、陽大が言った最後の言葉を忘れなかった。


 “いつか一緒に――”


 陽大のその言葉を信じて、私は待ち続けた。何秒も何分も何時間も何ヶ月も何年も。いつまでも。彼を待ち焦がれて待ち遠しく思って、高校三年生になった時、陽大を待ち続けるだけだった私の日常に変化が訪れた。――母が倒れたのだ。過労で倒れた母はとてもほっそりしていて、TVドラマでよくある今にも死にそうな……そんな表情をしていた。私は自分を恨んだ。どうしてここまで彼女を放っておいたのか――自分でも分からない。自分自身がゆるせなかった。陽大を待ち続けていらけれど、生活の困窮と母の容態の悪化から私はアクションを起こさなければ、と危機感を抱いた。


 私は働こうと思った。母に止められながらも、高校をやめ、色々な所にアルバイトをしに行った。しかし、母の容態は悪くなるばかりで、治療費も上がっていくばかりだった。やがて、高額になっていく治療費を払う術がなく、父親に頼らざるを得なくなってしまった。


 そうだ、と思った。


 待つより、私が会いに行けばいいんだ。なんて私は馬鹿だったのだろう。自分から会いに行くと言う単純明快な答え。私は今までそれを掠めもしなかった。――私から、会いに行けば良い。


 私は意を決して、歩き出す。陽大に会えるという喜びと、少しの不安を携えて。片手に財布と地図を持って、きょろきょろと見回した。バスに乗り、電車二駅乗り換え、歩いた。私ははたと立ち止まる。父の今の住所はここら辺りだと聞いたんだけど――私は訝しく思った。周りには高級住宅が立ち並び、倉庫の車も高そうなものばかりだった。私の父がこの近くに住んでいるとは思い難い。そう思って、庭掃除をしている品のいいおばさんに聞いてみることにした。


“嗚呼、長門ながとさんか。この前の葬式の――?”


 私は思わず“えっ?”と聞き返していた。葬式など寝耳に水のことだからだ。私はその話の詳細を聞くと、どうやら父は最近亡くなったと知った。しかも父は大金持ちになっていて、再婚までしていた。母はそんなこと一言も言わなかった。母は寝たきりだったから、仕方ないけれど。……私ぐらいには連絡が来るだとうと思っていた。とても不思議だった。奇妙にも思える。私はおばさんに“ありがとう”と言って、ふらふらと歩き出した。呆然として、眼の前が真っ暗だった。


――お父さんが、死んだ?しかも再婚まで?

――じゃあ、陽大は?どこ?どこにいるの?

 夕闇も出かかった頃、私はふと豪奢で、綺麗に整った家を見る。

――…陽大はると

 兄らしき人が庭にいた。幼かった面影はいまや全くない。しかし私は確信できた。間違いない。あれは陽大だ!良かった、彼は大丈夫だったのだ。少し歩幅を広め、駆け寄って、声を掛けようと、一歩。


「ねぇ!陽大お兄ちゃん!」

「分かったよ。あおい。待てって!」

「こら、葵。お兄ちゃんの邪魔をしてはいけません。葵!」

 少し篭った声のはずの陽大の声は立派な青年の低い声になっていた。傍らには可愛い可愛い義妹らしき少女。優しそうなお母さん。とても楽しそうな笑い声。暖かな雰囲気。嗚呼、だから私のお母さんはこのことを言わなかったのだ。私を絶望させたくなかったから、私に黙ってたんだ、と。悟った。


 私は打ちひしがれて、泣きながら帰った。嗚咽で顔がぐしゃぐしゃにして、眼を兎のように真っ赤にさせながら必死で歩いた。


 嗚呼、あの約束も彼は覚えていてくれないだろう。彼は倖せなのだ。私が彼を巻き込んじゃいけない。足を引っ張ったらいけない。想い焦がれてはいけない。



――もう、私は、彼を待てない。



 そう思って、私は夜の世界に足を踏み入れた。


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