通学路
「セシリア、本当にこっちで合ってるの?」
「はい、そのはずですけど」
「それにしては随分と……」
レイがセシリアに案内されて辿り着いた“空気の綺麗な”道。そこには、お世辞にも綺麗とは言い難い不穏な空気が立ち込めていた。
「いつもはこんな風じゃないのに……」
「……セシリア、下がって!」
セシリアの言葉を遮ったのはレイ、なのだがそれよりも先に彼らを狙う影があった。
その正体はコウモリ……否、コウモリに似た魔物だ。
その幅、左右合わせて二メートルはあろうかという翼を広げ、それは次々と降下してくる。
「コウモリ!? どうしてここに……」
コウモリと似た性質を持つ魔物、ラージバットは本来ならば洞窟などの暗い場所を好む。
それが日中の屋外で、ましてや群れで出現するなど、本来ならば有り得ない事だ。
近頃の魔物の活発化の影響を受けているのかもしれないが、それでも信じ難い光景を目にしたレイは驚愕を禁じえなかった。
「……先輩、来ます」
ただ文章を読み上げているだけのような、そんな冷たい声に背筋を撫でられたレイは後ろを振り返る。そこには、折り畳まれていた身の丈を超える大鎌を持ったセシリアが立っていた。
が、その目は死んだ魚の様に濁り、光は消え失せている。
「早く戦闘の準備を。敵は待ってはくれません」
何処までも機械的に、無感情にそう告げたセシリアは鎌を握りしめ、魔力を集中させる。
『斬る』
極めて短い詠唱の直後、彼女の大鎌の刃が氷の粒に包まれた。それは一般的な水属性魔術。武器に冷気を纏わせるごく単純な術だが、セシリアのように強い魔力を持った者が使えば、鎌鼬のような冷気の刃で遠距離の敵を攻撃する事が可能となる。
「りょ、了解」
戸惑いつつもレイは返答する。
彼女は戦闘などの場面ではこのように全く違った人格に入れ替わる。まるで全ての感情を殺したかのような、もう一人のセシリアが姿を現した。
『射抜け、光の矢!』
拳銃の様に形作ったレイの左手から、青白い雷の矢が放たれる。先日レイが倒れてからは大分時間が経っているので、今日こそは気兼ねなく魔術を使う事が出来る。
雷の矢は育ち過ぎたコウモリの翼を貫き、魔物は地上に墜落する。それを切り裂いたのはセシリアの無慈悲な氷の刃。今のセシリアは普段の温和な彼女とは打って変わって、相手の命を奪う事に対し一切の迷いや躊躇は持ち合わせていない。
次にレイに向かって来た大コウモリに対してレイは槍を逆手に持ち、投擲の構えを取った。
彼の十八番が発揮される時が来た。
『貫け、光の槍!』
詠唱を終えると槍は青白く帯電し、レイの手から放たれる。
彼の喉元を狙って急降下していたラージバットは、勢いを殺しきれずにそのまま串刺しになった。すぐに消えると分かってはいても、その光景は見ていて気持ちの良いものではなかった。
「あと二体!」
レイが槍を回収し、セシリアの方を見ると彼女は既にもう二体の大コウモリを同時に相手取っていた。
『散りなさい』
セシリアの頭上に氷の弾丸が複数個形成され、彼女が鎌を振るうとそれらは空中で拡散する。
全身を穿たれ、蜂の巣となったラージバットは、仲間たちの後を追う事になった。
戦闘は終了したものと思いレイが安堵の表情を浮かべたところで、目の前にいたセシリアが大鎌だけを残して何かに突き飛ばされ宙を舞う。二人が見落としていたもう一体のコウモリがセシリアに体当たりを食らわせたのだ。その突進力はセシリアの小さな身体を吹き飛ばすには十分過ぎた。
しかしセシリアは空中で身を翻すと、真後ろに会った木の幹を蹴ってコウモリに向かって急降下する。コウモリは丁度緩衝材に使われる形となり、次の瞬間にはセシリアの突き出した只の手刀に貫かれて息絶えていた。
レイはというと、その目まぐるしい状況に理解が追い付かず、暫く目を白黒させていた。
「先輩、お怪我はありませんか?」
元の人格に戻ったセシリアは、レイが答える前に治療魔術の詠唱を始める。その姿はさながら慈悲深い天使のようで、戦闘中の死神のような彼女とは大違いだ。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
初めて見た時ほどは驚かなくなったものの、そのギャップには未だに慣れる事が出来そうもなかった。
「今日はごめんなさい、巻き込んでしまって……」
「いいよいいよ、こういうのは慣れて……」
今度はレイの言葉が遮られる。彼の言葉を遮ったのは学校のチャイム。魔物の襲撃に手古摺っている間に思いの外時間が経ってしまったようだ。
レイとセシリアは青ざめた顔を見合わせた。
「まずい、遅刻だ!」
「ど、どうしましょう!」
学校までは近いが、なにぶん敷地が広いため授業までに教室に辿り着く事は難しい。
それならば……
「セシリア、ちょっといいか?」
レイはセシリアを横抱きに抱える。俗に言う、お姫様抱っこだ。
体重の軽いセシリアは、レイの膂力でも軽々と持ち上げる事が出来た。
「な、何ですか?」
「このままじゃ二人とも遅刻だ、だから俺の加速魔術でセシリアの教室まで行く」
レイは片方が助かる道を選んだ。勿論、自分の身は犠牲にして。
「えっ……加速魔術ってあの光の速さのですか?」
「ああ、幸い“昇降口までは”一直線だ。しっかりつかまってろよ……」
そう、昇降口までは。
「それって曲がり角曲がれないんじゃ……」
セシリアが言い終わる前に彼は全身に魔力を行き渡らせ、無詠唱による光速移動魔術の準備を終えていた。
一瞬の閃光と、雷鳴だけを残して二人の姿が掻き消えた。
そして……
――校舎内に、けたたましい衝突音が響き渡った。
レイ「彼女は……セシリアはね、解離性同一性障害、つまりは多重人格者なのですよ」
部長「か、かい?」
レイ「解離性同一性障害、多重人格。一人の人間が同時に複数の人格を持つという一種の精神障害です」
クオン「まさか、そんなことが現実に……」
部長「誰!?」