バーベキュー
天使(?)との戦闘を終えたレイ達は、拾い集めた薪を手に無事、治安維持部と合流した。
遅れた事情を説明した彼らを咎める事もなく、デイブレイクスの夕食の準備が急ぎ足で始まった。
「場阿部急? 何だ其れは」
「バーベキュー。肉や野菜を鉄板の上で焼いて食べる、キャンプの定番だよ」
慣れない単語に疑問符を浮かべたクオンの質問にはゼプターが答える。
「成る程、では僭越ながら私も腕を振るわせて頂こう」
「あ、私も手伝います」
彼らは一切の遅れを感じさせない手際で準備を進めていく。
力仕事をフェーゴとジオスが、火の元の管理をレイとベルリッツが、調理をクオンとセシリアが、その他雑用をイーノが、というように各々が自分の役割を弁え、その中で全力を尽くしていた。
「クオン、調理の方、人手が足りなかったら手伝うよ」
「貴様は駄目だ」
そして、顧問のゼプターが手を出す事も殆どないまま、間もなく夕食の準備が整った。
「イスルギさんが作ったこれ、おいしいわ」
治安維持部の食卓に、クオンが鉄板で焼いた手料理が立ち並ぶ。どれも絶品である。
彼女が幼い頃から炊事を一人でこなしているからというのもあるが、鍛錬やギルドの依頼で野宿する際も食事はその場で調理して作っていたため、自然に料理の技能は磨かれていたのだ。
「強くて綺麗で料理も出来て……お嫁に来て欲しいくらいだわ」
「ぶ、部長……!?」
クオンに流し目を送ったベルリッツの冗談に慌てふためくレイと、それをからかう部員達。ヴィルヘイズでの悲惨な出来事が嘘だったかのような光景だ。
「このデザートも美味しそうです」
セシリアが手に取ったのは、緑色に透き通った弾力のある物体だった。
「お、ゼリーもあるのか」
フェーゴを始めとし、部員達はそのデザートと思わしき物体に手を伸ばす。
「ああそれ、俺が作ったんだけど……旨そうだろ、“カレー”」
「何!? おい、それを口に入れるな!」
レイが作った、という言葉にクオンがいち早く反応し、皆を制止するが時は既に遅し、部員達はレイがカレーと呼んだその物体をを口に含んでしまっていた。
「へ? カレ……え……?」
一番初めにそれを口に含んだフェーゴは、自分の身に何が起こったのかも分からず、その場に崩れ落ちた。
「……ぐふっ……!」
次にジオスが泡を吹いて倒れる。そしてセシリアが無表情のまま突然狂ったように笑い出したかと思えば、ゼプターが親指を立てながら轟沈する。
「舌が……舌が溶ける……」
他の者より少し長くその味を堪能したベルリッツは、全て吐き出さずに飲み込んだ上で気を失った。
「みんな、気絶するほど美味しいなんて、嬉しいよ」
「レイ、貴様……其処に直れ!」
クオンがテーブルを叩いて立ち上がる。
「あれ、クオンは食べないの?」
「ああ食べてやる、だがその前にだ、レイ。貴様、此れを味見したか?」
「味見? してないよ。だってみんなが食べる分が少なくなるだろ?」
レイの返答を聞いた直後、クオンの手元にあった箸が粉々に砕け散った。
「そうか、ならばとくと味わうがいい……貴様が生み出した物の怪を!」
彼女は自分の皿に盛ってあった緑色の物体を躊躇なく素手で掴むと、レイの口に押し込んだ。
「これは……ああ、綺麗な川と花畑が見える……」
レイは天を仰いで料理の感想を述べると、そのまま仰向けに倒れた。
「さて、私は此奴等を片付けなくてはな……捨て置けば魑魅魍魎を呼ぶ」
クオンは部員達が食べ残した危険物を自分の皿へと移し一気に口に流し込んだ。
暫しの静寂が続いた後、結局クオンも腹部を抑えて悶え始める。
「……ぅぼあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
淑女にあるまじき断末魔の雄叫びを残して、クオンも力尽きた。
無数の屍が積み重なる中、たった一人茫然と立ち尽くしたイーノは――
「食べなくて良かった……」
―――心の底から、そう呟いた。
誰かに肩を叩かれる。闇に呑まれていたレイの意識はゆっくりと光を取り戻していく。
「レイ、大丈夫か?」
クオンの声で意識は完全に覚醒する。見渡すと周りの部員達も曇り気味な表情で頭を抱えていた。
「あれ、みんなどうしたの?」
「いや、それがどうも皆いつの間にか寝ちまったみたいでよ、何で急にそうなったのか全然分かんねぇんだ」
フェーゴが首を回しながら答える。他の部員達についても同様で、何故気を失ったのか、その切っ掛けになる物が全く思い出せないらしい。
「不思議な事もあるものね……まあいいわ。片付けはイーノがやってくれたみたいだし、火を消して寝る準備を……」
「少し、いいですか?」
ベルリッツの指示をセシリアが遮ると、全員の視線が彼女に集中する。セシリアの目からは光が失せ、貼り付いたような無表情からは感情と呼べるものは一切感じられない。彼女の人格はネフィリムに切り替わっていた。
「……こうして、皆さんの前に出るのは初めてですね」
もう一人の彼女、セシリアの主人格であるネフィリムが戦闘以外の場面で自ら姿を現すのは、今回が初めてだ。部員達は上がりかけた腰を再び下した。
「セシリア……もう一人の方かしら?」
ベルリッツが尋ねるとネフィリムが首肯する。
「はい、ですがこれからはネフィリムとお呼び下さい。セシリアの名前は、もうあの子のものだから……」
「そんな事……!」
部員たちが揃って俯いた。
そんな、もう自分はセシリアではない、というような言葉は口にして欲しくはなかった。
「いいんです。それで今日は、皆さんにどうしてもお伝えしておきたい事があって、この子には替わって貰いました」
ネフィリムは一呼吸置き、また口を開く。
「私は、もう少し兄を……ウィブロンを信じてみようと思います」
彼女の口から飛び出した言葉は、その場の空気を凍り付かせるには十分過ぎた。
「ちょっとセシ……ネフィリム、あなた一体何を考えてるの!?」
ベルリッツが思わず音を立てて立ち上がった。
「あの男に何されたのか、忘れた訳じゃないでしょ?」
「ええ、勿論。ですが、これはセシリアに聞いても同じ事です」
そうは言うが、ネフィリムの方がセシリアよりもむしろ当事者である。それでも彼女には、ウィブロンを信じ続けたいと思う理由があった。
「実は……彼はまだ、私に薬と生活費を送ってくれているんです。それに……」
ネフィリムは顔を伏せる。その表情は完全に読み取れなくなり、彼女がそのまま話を続けているのか、セシリアに戻ったのかは判別がつかない。
「あの人が去り際に残した言葉、あれは私を気遣っている様にも聞こえました」
自分を追って来るな、とウィブロンは言った。確かに、セシリアをこれ以上の危険に巻き込みたくないという意味にも取れる台詞だ。
「優しかった兄の記憶……もう私には何処までが本当で何処までが嘘なのかも分かりません。でも、どうしても彼が悪い人には思えなくて……」
それは、セシリアとネフィリム、両方の口から聞こえた様にも思えた。
「皆さんにまで彼を信じて欲しいとは言いません。でも、私達がこう思っている事だけは知っておいて欲しかった……この子にとっても私にとっても、あなた達は信頼できる人達ですから」
それだけ言うとネフィリムは目を閉じ、そのまま眠りに就いた。どうやら肉体をセシリアに譲渡したようだ。
「この子にとって、ウィブロンはまだお兄さんなのね……」
ベルリッツが、眠るセシリアに歩み寄って凍った薔薇を扱うようにそっと肩に触れた。
その時、フェーゴの方からテーブルを叩く音が聞こえ、セシリアを除く全員がそちらを見る。
「俺は……チビ、いやセシリアをあんな目に遭わせたたアイツを、とてもじゃないが許せそうもねぇ」
フェーゴは唇を噛み締めて憤りを抑えていた。彼としては、セシリアはもっとウィブロンを憎んでもいいと考えていた。何よりも自分がその男を許せなかった。だが、当の彼女があの男を信じたいと言うのだから、フェーゴはやるせなさを隠せずにいるのだ。
「でも、あの男がいなければ今のセシリアさんはいなかったという事にもなります……もし、セシリアさんがあんな目に遭わなかったら、それは幸せな事ですけれど、そのセシリアさんと僕達が出会えていたとは限りませんから……」
「止せ」
クオンが制止する。
「過去にもしもなど存在せぬ。ここで意味のない事を言うのは止めろ」
彼女がそう言うと、そこから先はただ沈黙が続いた。
火を囲み、誰も答えを導き出せぬまま時間ばかりが過ぎて行く。だが、永遠にも等しいその静寂を断ち切る者がいた。
「信じようじゃないか、その、ウィブロンではなくマクスウェルをね」
口を開いたのは、顧問のゼプターだった。彼は更に続ける。
ウィブロンを信じられずにいるのなら、今、自分達に出来る事はセシリアを信じ続ける事と、セシリアを裏切らない事だ。と。
「たとえ君達に、彼女と同じ事が出来ないのだとしても、それを無理にやろうとする必要なんかない。ただ、それでも彼女の為に出来る事はある」
それを聞いたレイは何となくだがその意味が分かった気がした。自分たちに出来る事がセシリアを否定せず信じ続ける事ならば、自分達はそれをやるまでだ、という事だろう。
そして、それはセシリアに限った事ではないとレイは思う。この場にいる治安維持部の仲間達、その全員を信じ、信頼し合えるような、そんな関係を築いていこうと、彼は真夏の夜に誓った。
六章はもう一話あります。




