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04 過去が記憶で夢

『…り、くん』


 夢を見た。誰かが俺を呼ぶ夢。苗字に“くん”付けで呼ばれているのに親しさがあって、俺はその人に名前を呼ばれるのが堪らなく心地好くて大好きだ。


『森、くん』


 でもその人の顔は見えない。顔がないとかじゃなくて、俺がどれだけ体を起こしてもその人の首から上を見ることができない。柔らかくて気持ちのいい声は、何か一言紡ぐだけで安らぎを与えてくれる。それが俺にとっては“名前”だと今は十分、分かっている。

 今、顔の見えないあなたは彼で、俺は彼であなたを必死に思い出そうとしているのに、あなたは俺に姿を見せてはくれない。


(どうして姿を見せてくれないんですか)


 俺が何を思っても、彼は答えてくれない。


『ねぇ森くん。僕、猫を買ったんだ』

『へぇ、名前何て言うんですか?』

『んー、内緒。知りたかったら、僕の家で久しぶりに呑もうよ。そうしたら紹介してあげる』


 なぜ彼が応えてくれないのかは、すぐに分かった。見ているものは、今の俺ではなくて、過去の俺。そしてその俺の前には彼がいる。彼は俺に歩み寄ると口元を悪戯っぽく緩ませる。彼が俺に近づいてくれれば、俺は彼を少しずつ見ることができた。


『いいですよ、ーーさんはこの現場で終わりですか?』

『うん。森くんは?』

『俺もここで終わりです』


 俺が憧れつづけた役者という職業に彼もついているのに彼のことは思い出せない。同業者のことはだいたい覚えているというのに、彼のことだけ綺麗さっぱり記憶が抜け落ちていて、過去の俺ですら、その記憶は教えてくれない。


 とりあえず俺は過去の俺の視線のまま、彼の家に行った。


にゃーぉ


 彼に続いて部屋にお邪魔すると可愛い猫が彼の足元にやってきて、彼はその子を抱きしめる。


『ただいまー』


 正直、俺は猫は苦手だったけれどこの子は素直そうで、彼にしがみ付いては顔を擦り寄せていた。彼が『ほーら、僕の大切な人の森くんだよー。ちゃんと挨拶しよーねー』と猫の手を持って俺に手招きをする。


(…あ、)


『ねぇ、森くん。この子の名前“きゃん”にしようと思うんだ。できるって意味の“きゃん”。僕はきみとならどんなことでも乗り越えられるって信じてるから。だからそれをきみにも聞いてほしくて、回りくどく誘っちゃった。どうかな? この子にとっていい名前かな?』

『すごく、素敵な名前だと思います。そっか、俺とのことを考えてこの子に名前を付けてくれたんですね。嬉しいです。…それに、上地さんが素直じゃないのはもう知ってます。それでも俺はあなたのそばにいるんですよ』


(あ、)


 “名前”が、聞こえた。ずっと知りたかった。大切で、大好きなあなたの名前。



 俺はその日、寝坊をした。変化が訪れた日から初めてのあの場所に行けない日だった。

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