《ふざけきれるかが重要》
200に限らず、コメディーならばワリカシそうだが、ふざけきれるかが大事になってくる。
俺のコメディー200は予定とは違うものになる事がある。SFとは逆で、大きな話を200に納める事より、200に合わせる意識が特に強くなったと感じるのは【ガソリンスタンド】というコメディー200からである。
200ばかり作る俺の作品集から見れば、たかが1つのコメディー200かもしれないが、書き手だけにしか分からない決意表明的な意思があるなど、1本1本に対しても、思い入れが強くなったのは、俺が真剣に200を考え出したせいなのかもしれない。
ニヒャッカーズ…。
200帝王…。
この2つを結び付けられる面倒臭さを予想し、片側、ニヒャッカーズの方を断ち切った。
無論仲間と研究は続けさせてもらうし、1人より2人であり、どんな形でも良いので俺の目に掛けたユーザーをサイトで1人きりにするのは悲しく、また、そんな部分を0にする意味でも【200帝王の秘密基地】を作ったりはしたのだが、そこまで読み取ってくれる人間などいるはずも無く、ジコマン的悲しさに浸るしか無いのである…。
良いのか。悪いのか。
いつもながら、何かのキッカケになれば良いと【とーよー200】という、俺に成りきっての200や(俺のトップページに貼っているのでよければ見てください)【ヒャッコメルーマー】とーよートピックの100コメを、チャット形式ストーリーで書いて頂くなど、分かりやすく、書き手側にメリットを与えなくてはならず、宣伝マンの様な立ち位置から、俺を踏み台にし、一時的に有名になるユーザーも、その後無名になるユーザーもいるが、ココは俺自信予想も付いたりしながら、行くとこまではいけよ、―と、勝負所でアクセル全快になれる新人はそれだけで有望ではあるが、誰に対してであっも、そこを伝える事はしないし、俺自信、思考自体を変えれるなら考えたくもないわけである。
1つ、2つ、言いたいと思っても、俺の1つは根本的な部分だったりする為、躊躇うのである。
俺はほとんど意味のある繋がりしかしない。そう書くと逆に深く捉えられそうではあるが、意味とはなんでも無い事で十分であり、一見なんの利益にもならない様な事ばかりである。
シグレという中学生の女の子がいる。俺の作品に度々感想を書いてくださるユーザーであり、無論、俺だけでは無く、その他の方の板にも積極的に感想を書き、ココを一概に評価するわけである。
内容は関係ない。人物が良ければ人間は愛される。
もう1ユーザー文字を交換する中学生ユーザーがおり、「ばツ」君である。
非常に可愛い。感情的な部分が良く、感情という部分では、ワイニスト氏も非常に面白い。
カレの努力の仕方が好きである。
コスミ君の200連載が4話まで進んだ。感想やレビューは今の所俺だけであり(その為なのか?)それ以上続いてはいないが、勝手にランキングでは良い感じになっていた。(逆に俺はソチラでは全く良い感じになっていない)
俺がユーザーと繋がりを持とうとする基準は能力が高い事は勿論、常識があるかどうかであって、200というものを通して知り合ったユーザーがほとんどではあるが、良い200を書く作家とは、どの話を、どう捌くか、その基準や感覚を保てるだけのバランスがあり、そこがあるからこそ、ふざけきれるわけである。
そして、最後に、なぜ、俺が、こういったユーザーと繋がりを持っているかを書けば、単純に楽しいからである。
ふざけきれる力があるこそ、真面目に一緒に200を掘り下げる事が出来、俺自信も楽しいのである。
By/200帝王