《難しく考えるな/遊ばせ…》
俺の作品に感想を書く人間、ポイントを入れる人間、お気に入りユーザーにする人間、落書き帳で楽しく絡める人間には、沢山の可能性を感じてしまえるのは事実であり、例え文字であっても、時間は疎らであっても、知り合えて良かった、その瞬間に文字を交換出来て良かったとは思えてもいる。
そして、こんな人間達の大概が、200という部分での繋がりである為、俺自信も他人の200を見させてもらい、大袈裟では無く、良い物である事が多いのである。
とーよー200…。
なんでも無いイベントである。
俺の名前を外すと、なんの変鉄も無いただの200であるが、それを1本書いた事により、器のデカさと、自信を読み取り、全力で戦わなければならないと改めて感じさせてもらえる…。
ほとんどが若い人間であり、小説の形に囚われず、面白さや作品の良さを感覚的に感じ取れる人間だからこそ、飛躍もするし、可能性もあるのである。
もちろん部分的には駄目な物もある。
それは、俺にも言える話だが、全部が全部その人間にハマるかどうかを考えるまでも無く、そこは無理な話でしかないのである。
見せ方の話をする。
最近の200は、やたら見せ方に凝った物が多い…。
幾つか前に【しりとり】という200を作った…。
会話のみ。
平仮名のみ。
2つの縛りを入れ、新しさを提示した200であり、縦に長さを持たせ、そこの部分でリズムを作り出した…。
実験的な200は一時増え、今は無くなった…。
ココは定期的に息を吹き返す分野である…。
廃れた訳では無いが、何人かが意識的に火を付ける事により、周りは暴れ出すのだ…。
パターンが出尽くしたわけでは無いが、実利的な話を加えると【小説家になろう】というサイトで、短編板の性質を考えたのなら、時間帯も含め、微妙な流れがあり、今でも余韻は残るが、200と200で無い物がハッキリ別れきってしまい、一時は喧嘩をしている様にも見えた。
最初俺が200を書き出した時期は、200に対しての免疫が無く、また、特に新しさも必要としないガラガラに開いていた所に200を潜り込ませるだけで、ある程度目立たす事が出来たのだ…。
そして、増えた。
俺の新しさを当たり前に見れるといった、基準が1つ上の人間が、強気にとーよー200を作りあげ、その後200を書く人間も、一切書かない人間も、どこかで繋がりを持てたら等とは思い、落書き帳をフリーの場とした…。
数名が意識的な書き込みを頑張っていてくれる為、俺も文字を乗せやすい場所とはなっている。
そして、ここでは、自分の弱い部分を沢山見せていきたいという思いから、そう振る舞う様にもしている。
上から目線で書く事は簡単であり、これをやれば、偉くなった気になってしまう人間もいるが、そうでは無い、そういう人間は一時的に他人の評価を下げる事が出来ても、結局は自分の評価を下げ、自分自身の文字の価値を下げてしまっているのである。
100本で良いので説得力を持たす作品を作り、あとは敢えて対等な立場にまで自分を下げてしまえば、本当の意味で、人は人を分かり出すのである…。
そして、1番重要なのが面白い作品を作る事である。
作品が良くなければ、なんにもならないし、発言力もなくなる。誰にも相手にもされなってしまうのは当たり前である。
ウソっぱちの作品なら幾ら作っても意味は無いのだ。
アマチュアだろうと、プロだろうと、そんな事を目指す、目指さぬ、諦めた等をグズグズ言う必要は無いし、自分の能力と生活に自信が無い証拠でもある。
とにかく書くしかないわけである…。
俺のせいで小説家を諦めたというヤツも確かに何人かいるだろうが、俺のせいで小説を書いてみたい、書くキッカケになったという人間がいるのも事実であり、俺はそういう事を言われると嬉しくはなり、やはり強敵にも思えてしまうわけである…。
なぜなら、俺が書く、小説の世界の門を、堂々とノックし、真正面から盗みに来ているからであり、対等だからこそ、尊敬をされ、またコチラも尊敬したいと思えるわけである。
200の世界を自由に泳ぎ出した作家達に、1つ、2つ、毎回、何かは伝えたつもりではいるが、そんな1つ2つでは飽きたらないのか、ここから3つも4つも吸収してしまう人間に、これまた俺自信が驚いていたりはするわけであり、そんな人間がいるからこそ、俺もチョロチョロと200を遊ばせてみたいとも思えるわけである…。
By/とーよー