《荒らし時代~文体小理論》
文体については、たまに聞かれる部分であり、ココら辺に付いて、1度書いておきたいと思い、そこを突き詰めれば、やはり荒らし時代の話になってしまい、多少嫌味臭い所から入らなければならない。
また、この《200理論》エッセイ自体を多少マニアックな部類の連載と俺自信は考えている為、そこら辺の話も1つの知識程度に、幾つか入れ込みたいと思う。
掲示板ならワリカシ長文でも良いが、俺の荒らし経験の1つに、オンラインゲームでの荒らしというものがあった。
何百文字も入れられはしないわけである…。
その中で相手を不快にさせたり、バカにしたりする為には、コンパクトに纏めなければならず、文体自体は自然に出来上がった様に思い、読んでいて自然とリズムを取ってしまう書き回しは意識して作っているのか?―と、聞かれ「いやー意識はしていません。自然に出来上がったものなんですよー」くらいの事を書けばカッコ良くも見えるのだろうが、残念ながら、勿論、あんなものは意識はしているし、意識しているからこそ出来るものでもあるのだ。
オンラインゲームでの、荒らし時代は爆弾というユーザー名を付けていた。
「キチガイ爆弾しねwwwww」
まぁ、最後の方は、ココまで言えるヤツ際もいなくなってしまったが、実力が知られていないデビュー当時なんかは、とにかく目立つ新人というのは、風当たりが強いものであり、表から堂々と当たり前にこんな言われ方をしたりもしていた。
1人ならまだ良かった。
マトモに相手も出来たが、一気に何人、何十人と相手にしなくてはならない場面にも遭遇するわけである。
「いや。おまえが言うココは間違っている」
「しかし、あなたのソコは正しい」
ーと、1人1人を相手にしていたら霧が無く、その間にも横槍が入り、話が1本に纏まる事はまず無いのである。
そして、オンラインゲームという性質上、文字数も限られている。
当時はそんな語り口は持っていなかったのだが、今思い返すと、攻略法を見付けなくてはならないと自分自信が考え、また、そこを見い出す事自体に喜びを感じる様な部分が、俺の1つの性質の様にも感じてはいる…。
とにかく詰め込むとこから始めた…。
「おいおい!バカかい?おバカさん!オマエラ!何を言ってるの?1人じゃ!俺に言えないクセに!人数多けれゃ!強気になるねー!ギャハハハハハ!」
―と、言った具合で、文字というのは、そりゃー強気になれるわけであり、人数が多ければ多いほど、向こうは調子に乗ってしまうわけである。
しかし、大体パターンは決まっているのだ。
「爆弾しね」
「くたばれ」
「キチガイ」
ココラ辺は当たり前としても、荒らしに対し、ビビらせたがる思考で行き着いてしまえるパターンなんて、それ程は多くは無いのである。
掲示板等に現れるパターンの一部に、やたら法律や理屈を並べ、恐く見せたがるパターン…。
あなたの発言は憲法112条に触れています。他ユーザーに対し中傷した事により、警察の願い届けを出させて頂きたいと考え、また、個人に対する暴言も見られましたので裁判の手続の方にも移らせて頂きたいと思います。
―と、先に書くが、別になんでも無いのである。
全てハッタリというのは書き過ぎだが、まぁ、ゲームサイトごときの、ちょっとした「バカ」や「しね」や「くたばれ」に対し、動いて下さる程、警察は暇では無く、こんなものを、いちいち相手にしていたら霧が無いのである。
しかし、知識の無い人間はビビッてしまうわけだ。
「(え?ヤバくない?)」
「(おれ犯罪者?)」
「(警察来んの?)」
―と、不安に思う人間もいるだろうが、まぁ!大丈夫なわけであり「うるせーよ。バーーーーカ」と返してやって全く問題は無いわけである。
これも先に書いておくが、勿論細かく書けば、ネット内の事であっても警察が動く仕組みはちゃんとあるのだが、ほとんどの人間が、そんな事せず、また、やったにしろ、手続きの時間がやたら掛かり、すぐに動いてくれるものに関しては、殺人予告や自殺予告といった、簡単に言うと人間の死を感じさせるものであり、ワリカシ早い、個人情報の無断提示でさえ、警察が動き出すまでは数ヶ月掛かるのである。
そして、これも付け加えておくが、警察が動く方法、動きやすい方法、動かざるをえない方法もちゃんとあり、ズバリ、告訴をしてしまえば良いのである。
これは何に関してもそうなので、別の知識としても覚えといて欲しく加え書きをしておくが、ほとんどのバカな人間が相談という形でしか警察に呼び掛けを求めるから動かないのであって、逆に、それらしいハッタリをコチラが並べると、ビビるヤツは本当に多く、そして、分かりやすく、極端に返信スピードが遅くなり、決まって次に返って来るセリフが十中八九次の様なものである。
「警察いつ来るんですか?w早く呼んで下さいよ?wあれ?w来ないですねーw」
知識の無い人間はほとんどが、まずは、この返しになってしまうのである。
これを書いた時点でビビッているのがバレ、下手な荒らしになると「いやー。すぐ来るから、まぁ、待っとけ」等と返し、ハッタリが半分バレてしまったりもするが、ココは、そういう文章にビビッている相手なのだから、荒らし的立場を応援書きすると、その系列でドンドン攻め立てていけば良いのである。
「あのー…御存知無い様なので一応は書いておきますが、ネットポリスからの警察手続きになりますので、普通に連絡は明日ですよ」
―くらいの付け足しをしておけば「はいはいwそんなんで警察は動きませんからwハッタリですねw」―と、半分は自分の望みや、願いを託しての書き込みになってゆき「まぁ、そんな事をしても無断だと思いますよ。お互い暴言を吐いたのだし、警察にいったら、両方捕まっちゃうと思いますしw運営にいうのは勝手ですが、きっと2人供退会処分ですよねw」―と、コチラも簡単に書き直すと「無かった事にしませんか?」と言いたいだけの降参書き込みであり、その後はそこに絞りイジメてゆけば良いのである。
そして、そんな事をしている頃から、俺の文体や書き回しは特徴的だと言われていたが、それを意識し出したのは、このサイトに登録してからであり、さらに書くとメンタイ先生と電話をしたりしたからである。
毎回では無いが、作品によっては、漢字をカタカナにする事もある。
理由はソッチの方が読みやすいからである。
それ以外はない。
辞書で調べる等と謳う人間もいるが、根本的な話、そもそも書き手側が辞書で調べなくてはならない程に難しい漢字であるなら、読者にも同じだけ難しい思いをさせるだけなので、ドチラにしろ適切では無い様に、俺自信は感じ、そう結論付けてもいる。
描写の話をする…。
知っての通り、俺は200などでは特に簡単に書く事が多い。
「青々とした晴天の広がりを見せる中、歩を進め、俺は1人の女性と出逢った」
―等は余計なものだと俺は考え、バカだとさえ感じてしまう。
こんなものは次の様にしてしまえば話は簡単である。
「イイ感じに晴れまくっていたので散歩に出掛けたら、女と出逢いました」…の方が明らかに分かりやすい。
そして、なにより自然なのである。
逆に、分かりにくく書く人間は、友達にこの話をする時「昨日さー。青々とした晴天が広がってからさー。外へと歩を進めたんだけどさー。そこで見知らぬ女性と巡り合わせたんだよねー」など、と言うのか?―と、俺自信は思ってしまえ、とにかく不自然にしか思えないわけである。
もう、こんな部分に関しては自分の言葉で書けば良いし、分からない漢字はカタカナにしてしまえば良いとも書いておく…。
知識なんて特にいらないのだ。
バカな俺でさえ、これだけ自由にアイデアを組み合わせる事が出来るのだから、尚且つ、知識をギッシリ詰め込んでいる人間が、これ程までに何千、何万という大量の文字数を使い、さらに200程度の字に負けているとなれば、毒舌的に書くのでは無く、敢えて俺自信の気持ちを率直に書くが、単純にバカだとしか思えないわけである。
逆にセンスのある人間にしか今の200に乗り出せていないのはそこからでもあり、大人の言い訳も幾つか聞いた事はある。
まず、全否定から入るセリフが「200文字小説は小説ではない」というセリフがあったが、それは議論を戦わせるまでも無く「200文字小説は小説ですよ。さようなら」で話が付いてしまい、単純明快にドチラが正しいのかは特にセンスが無くとも普通に考える人間ならばお分かりだろう。
「200文字小説は簡単だ」
これも今となっては廃れたセリフである。
そして、ココも書いてはおくが、確かに1つ前までのアイデアを軸としない、それらしい描写を並べただけの起承転結を求めない200であれば、確かに200は簡単であり、誰にでも書く事は出来る。
そして、その単純さや明快さが、俺の武器の1つであり、中学生は愚か、小学生でも十分伝わる文字運びしか見せてはいない。
その中で、俺の文字が分からない、という人間は文章では無く、俺の思考や作品の意識が伝わらないだけである。
そりゃーそうだ。
ストーリーや文体に関しては、小学生にだって分かる書き回しであり、特に200はそこを意識した作品も多い。
なにより単純に読んで面白いものが1番だと思っている。
そして、荒らし時代も含め、その様な訳の分からない半分はくだらないプライドや傲慢さが自分自信の文体を作り上げていった様には思っている…。
そして、最後にココは書いておきたいが、今起きている200の広がりは俺1人の力では無く、オオヨソ、年齢やIDの若いユーザーによって、レベルを上げあっているのである…。
俺はそのキッカケというか土台というか、とにかく道と書けば、多少格好良すぎる気もするが、オオヨソそんな物を作ったと考えるのであれば、気兼ね無くその道に、マンションを建て、ビルを建て、俺がビックリする位の遊園地を建ててくれれば良いと思っている…。
そして、俺のこういった強気な書き回しは、荒らし時代に学んだ部分であり、良い物は良いと認めながらも、反発していかなければならない部分は多々あり、それは一概にドチラが面白いかは、余計な技術論で作品を見ない、感性と直感力のある人間には分かるのである…。
だから俺の文字はナンパーセントかの人間にはシッカリ伝わるのである。
理由は当たり前の事しか書かないからである。
そして、そういう人間には俺なんてブッ飛ばし、倒してしまえば良いとは爽やかな部分で思え、それでも負けないと、強気になれるのは、やはり荒らし時代からの事であり、荒らしでは無くなった今でも、当たり前の事であるなら、そんな気持ちは持ち続ければ良いとも思ってはいる…。