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最後の切り札で召喚された対魔王戦の英霊(最終兵器)は囚人服の小娘だった

掲載日:2026/10/31

「お前のような薄汚い悪女など、我が帝国に必要ない!」


 王都の大広場に、皇太子ルドルフの冷酷な声が響き渡る。


 高く組まれた断頭台。その上に、ひとりの少女が跪かされていた。


 侯爵令嬢エレノア。


 つい数日前まで、帝国の次期皇妃と目されていた少女だった。


「そうだ! 皇太子殿下を呪おうとした魔女め!」

「人殺し! 帝国から出ていけ!」

「さっさと死ね!」


 民衆から罵声が浴びせられ、石や腐った野菜が雨のように降り注ぐ。


 額から血を流し、泥にまみれたエレノアは、震える声で叫んだ。

「違います……! 私は誰も呪ってなどいません! お願いです、信じてください!」


 しかし、誰も耳を貸さない。


「お父様! お母様! どうして……どうして助けてくださらないのですか!」


 彼女の両親は、貴賓席に座っていた。

 だが、父は顔を背け、母は扇子で口元を隠している。

 一度も目を合わせてくれない。


「ルドルフ殿下……!」

 最後の望みを託し、エレノアはかつて愛した男を見上げた。


 幼い頃からずっと一緒だった。 優しく微笑み、彼女の手を取ってくれた人。


 婚約を告げられた日、誰よりも幸せだった。


 だから、きっと何かの間違いなのだと信じていた。


「お願いです。私の目を見てください。私はあなたを愛して――」


「黙れ!」

 ルドルフの一喝が、彼女の言葉を遮った。

「見苦しいぞ、エレノア。お前のような罪人の言葉など、不愉快なだけだ! 執行人、さっさと済ませろ」


 彼は最後まで、彼女の目を見なかった。


「そんな……」


 首を固定される。


 冷たい木枠が肌に触れた。


「いや……嫌です……! 誰か、お願い……!」


 もう一度だけ、両親を見た。


 もう一度だけ、ルドルフを見た。


 けれど、誰も助けてはくれなかった。


「処刑執行!」


 縄が切れる鈍い音。

 風を切る刃の音。

 視界が回転し、逆さまになった世界の中で、エレノアは最後にルドルフの顔を見た。

 そこには、安堵の笑みが浮かんでいた。


(……ああ)


 その瞬間、彼女の中で何かが壊れた。


(私は……誰にも愛されていなかったのね)


 涙はもう流れなかった。


 ただ、胸の奥から、焼けつくような憎悪が湧き上がってくる。


(許さない……)


(私を裏切ったあなたたちを……絶対に、許さない……!)


 その怨嗟を最後に、エレノアの世界は暗闇に沈んだ。


 ◇


「――目覚めよ、偉大なる古の魂よ!」


「我らが命運を賭けた英霊召喚に応えよ!」

 幾重にも重なった男たちの詠唱が、巨大な神殿を震わせていた。


 床一面に描かれた巨大な魔法陣。その周囲には、山のような魔石が積み上げられている。


「魔力供給、限界まで上昇!」

「魔法陣の出力が安定しました!」

「成功だ! 成功したぞ!」


 眩い光が神殿を満たした。

 ロズワール王国の王宮魔術師たちは歓声を上げた。


 彼らが召喚しようとしていたのは、伝説に語られる古の英霊。

 魔王軍の侵攻によって滅亡の危機に瀕した王国を救う、最後の切り札だった。


 やがて光が収まり、魔法陣の中央にひとりの少女が姿を現した。


「……え?」

 最初に声を漏らしたのは、若い魔術師だった。


 そこに立っていたのは、伝説の聖騎士でも、神々しい聖女でもなかった。


 血と泥に汚れた灰色の囚人服を着た、ひとりの少女。


 その首には、生々しい処刑痕が残されている。


「な、何だ……あの娘は?」

「英霊ではないのか?」

「待て! 首を見ろ! あれは……処刑された者の傷跡だ! 死刑囚じゃないか!」


 ざわめきが広がる。


 そのとき、少女がゆっくりと顔を上げた。


 そして、笑った。

「……ふふ」

 最初は小さな笑い声だった。


 しかし、すぐに堪えきれないような高笑いへと変わる。

「あはははははは!」


「な、何がおかしい!」

 狼狽えた魔術師が思わず叫んだ。


「あなたたち……本当に面白いことをしてくれるのね」


 少女は自分の首に触れた。

 そこに残る、死の証。


 そして、目の前の魔術師たちを見回した。

「国家予算数年分もの魔石を使い、同盟国からの支援まで受けて、必死に呼び出した英霊が……まさか、私だったなんて」


「な、何を言っている?」


「あなたたちが同盟を結んでいる、ガルディア帝国。その帝国で、私はつい先ほど処刑された女よ」


 少女は優雅に微笑んだ。


「私の名前はエレノア。数日前までガルディア帝国の皇太子婚約者であり、侯爵令嬢だった者」


 そして、わずかに首を傾ける。

「もっとも、今はもう違うわね」


 その身体から、凄まじく禍禍しい魔力が噴き出した。


 神殿の空間が軋み、床に刻まれた魔法陣が悲鳴を上げる。

 魔術師たちの顔から血の気が引いた。

 これは、人間が持てる魔力量ではない。

 古代の神々にすら匹敵する、神話級の魔力だった。


「ま、まさか……!」


「そうよ」


 エレノアは笑みを深めた。


「あなたたちが召喚したのは、国を救う英霊ではないわ」

 その瞳に、凍りつくような憎悪が宿る。

「国を呪う英霊(おんりょう)よ」


「安心しなさい。あなたたちの国を滅ぼすつもりはないわ」


 エレノアの言葉に、魔術師たちは安堵しかけた。

 だが、続く言葉に再び凍りつく。


「この国は守ってあげる。それが、召喚された私の最初の契約だから」


「ほ、本当か……?」


「ええ。魔王軍の侵攻など、私にとっては些細な問題よ」


 エレノアは祭壇から一歩踏み出した。


「ただし、ひとつだけ覚えておきなさい」


 彼女の瞳が、暗く輝く。


「ガルディア帝国のために戦うことだけは、絶対にないわ。あの国を助けるくらいなら、私の魂が引き裂かれる方がまだましよ」


「し、しかし、あなたはこれからどうするつもりなのだ?」


「決まっているでしょう?」


 エレノアは、首の傷をそっと撫でた。


「少し、会いに行きたい相手がいるの」


「会いに……?」


「魔王よ」


 ◇


 魔王城。

 漆黒の玉座に座る巨躯の魔王は、単身で現れた人間の少女を見下ろしていた。


「ほう。人間がひとりで俺の玉座の間に踏み込んでくるとはな」


 魔王は愉快そうに牙を覗かせる。


「お前がロズワール王国に召喚された英霊か。抗うことをあきらめ、降伏に来たのか!?」


「いいえ。取引に来たのよ」


「取引だと?」


 エレノアは臆することなく魔王を見上げた。

「私と共闘して、ガルディア帝国を滅ぼしましょう」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 次の瞬間、魔王の眉が跳ね上がる。

「……何?」


「聞こえなかったかしら?」


「お前を召喚したロズワール王国と、帝国は同盟関係にあるはずだ。なぜ同盟国を滅ぼそうとする?」


「同盟国?」


 エレノアは心底おかしそうに笑った。


「あんな国、糞食らえだわ。それに同盟はあくまでロズワール王国とガルディア帝国の話。召喚された私には関係ないわ」


「……なるほどな」


「条件は二つよ」

 エレノアは指を二本立てた。


「ひとつ。私が帝国を滅ぼした功績として、ロズワール王国を私の領地として認めること」


「ほう」


「ふたつ。ロズワール王国から即時退却して、あなたが生きている限り、王国には一切手を出さないこと。これは魂に刻む契約にしてもらうわ」


 魔王はしばらく彼女を見つめていた。


 やがて、エレノアの首に残された傷跡に目を留める。


 その傷は、彼女がどのような最期を迎えたのかを雄弁に物語っていた。


「……くく」

 魔王の肩が震えた。


「くくく……ははは……」

 そして、玉座を叩いて豪快に笑い始めた。


「ハハハハハ! そうか、そういうことか! 傑作だ! 実に愉快ではないか!」

 魔王は腹を抱えて笑った。


「帝国は何を考えている!? 自らの首を絞めるために魔石を差し出したというのか! しかも、それによって召喚されたのが、自分たちが処刑した最強の怨霊とはな!」


「気に入っていただけたようで何よりだわ」


「面白い! その取引、受けてやる!」


 魔王が立ち上がった。


 その巨体から、凄まじい魔力が放たれる。


「我が魂に誓おう。ロズワール王国には、我が命ある限り一切手を出さぬ!」


「ありがとう」


「だが、ひとつ聞かせろ」


 魔王はエレノアを見つめた。


「帝国を滅ぼした後、お前はどうするつもりだ?」


 エレノアは一瞬だけ考えた。


 そして、微笑んだ。


「さあ。半年もすれば、私は消えるそうだから」


「半年?」


「召喚された魂の現界期限よ。だから、時間がないの」


「そうか……」

 魔王はニヤリと笑った。


「ならば、盛大に暴れてこい! 怨霊の令嬢よ! 人間どもに、自業自得という言葉の意味を教えてやれ!」


「ええ。楽しみにしていてちょうだい」


 こうして、魔王と怨霊令嬢の奇妙な同盟が結ばれた。


 ◇


 ガルディア帝国にとって、それは悪夢の始まりだった。

 最初に陥落したのは、国境に築かれた巨大要塞都市。


 最初、魔王軍の中に、単騎で駆け抜ける姫騎士の英霊の姿をガルディア帝国軍が見つけた時、守備隊に大きな歓声が上がった。

 あの魔力量、我々は救われたのだと、今からが反撃の時間だと!


 しかし直ぐに希望は破れた。英霊は突撃したのではなく共闘しているとわかったからだ。英霊の馬はバイコーン、そして鎧もランスも魔族の物だからだ。


 帝国軍が誇る難攻不落の城壁は、エレノアがランスを一振りしただけで内側から崩れ落ち、英霊のバフで魔王軍は更に強さを増した。


 飛び交う魔法も、精鋭騎士の剣も、彼女には届かない。

 彼女の魔力の前では、帝国が誇る軍事力など紙細工も同然だった。



「なぜだ! なぜロズワールの英霊が魔王軍にいる!?」

「ば、化け物だ……!」

 逃げ惑う兵士たちが叫ぶ。


 その中を、首に赤い痕を残した少女が、静かに歩いていく。


「化け物……ね」

 エレノアは小さく笑った。


「あなたたちが作ったのよ。この膨大な魔力(うらみ)を」


 ◇


 次に彼女が向かったのは、かつて自分が育った侯爵領だった。


 懐かしい城。 庭園に咲く花々。 幼い頃、両親と過ごした部屋。

 すべてが、記憶の中と同じ姿でそこにあった。


 エレノアは城門の前で立ち止まった。


「お父様、お母様……」

 返事はない。


「私は、あなたたちに愛されていると思っていたわ」


 風が吹き、庭園の花が揺れる。


「どうして、あのとき助けてくれなかったの?」


 もちろん、答えはなかった。


 彼女はしばらく黙って城を見つめていた。


 やがて、ゆっくりと杖を掲げる。


「もぬけの殻か……冥府から帰った娘に言い訳ひとつ、する気もないのね……もういいわ」


 魔力が膨れ上がる。


「さようなら。私の、帰る場所だったはずの懐かしの我が家」


 炎が城を包み込んだ。


 そのとき、エレノアの頬を一筋の涙が伝った。


 だが、彼女はそれを拭おうともしなかった。


 ◇


 帝国軍は総力を挙げて迎撃した。

 しかし、結果は変わらなかった。


 魔王軍と英霊。


 二つの災厄を同時に相手にすることなど、どれほどの軍事大国であっても不可能だった。


 そして、ついに皇太子ルドルフ自らが前線に立つこととなった。

「エレノアを止めろ! あの女さえ倒せば、帝国は救われる!」


 だが、彼の声に応える兵士たちの顔には、恐怖しかなかった。


 彼らも知っていた。

 かつて断頭台で殺された少女が冥府より舞い戻り、今や帝国を滅ぼそうとしていることを。

 そして自分たちは正義という誇りもなく戦い、死ななければならないということを。


 その夜。

 魔王軍の野営地から離れた丘の上で、エレノアはひとり空を見上げていた。


「……まだ、足りない」


 あの日の罵声が耳に蘇る。


 石を投げる民衆。 目を背けた両親。 そして、安堵の笑みを浮かべたルドルフ。


「まだ、あの顔が消えない……」


「眠れぬのか?」

 背後から魔王の声がした。


「魔王……」


「無理もない。お前は死んでもなお、帝国に囚われている」


 エレノアは答えなかった。


 魔王は隣に立ち、同じように夜空を見上げる。

「だが、忘れるな。復讐を果たした後のお前は、目的すら失い、何も残らぬかもしれんぞ」


「構わないわ」


「本当にそう思っているのか?」


「ええ。私にはもう、何も必要ないもの」


 魔王は小さく鼻を鳴らした。

「……そうか。ならば、最後まで付き合ってやる」


 エレノアは少しだけ目を見開いた。

「あなた、意外と優しいのね」


「馬鹿を言え! 俺は魔王だぞ!」


 その言葉に、エレノアは久しぶりに声を上げて笑った。


 ◇


 一方、ロズワール王国では異変が起きていた。


 帝国へ向かった魔王軍の別働隊が、突然国境から撤退したのだ。


「本当に……攻めてこないのか?」


 王国の騎士たちは信じられなかった。


 だが、日が経っても魔族の姿は現れない。


 エレノアが帝国を攻めている間も、王国の村々は平穏を保っていた。


 やがて、王宮魔術師たちは気づき始めた。

 あの少女は、ロズワール王国との契約を守っているのだ。


 恐ろしい力を持ち、帝国を滅ぼそうとしている少女。

 それでも、彼女は自分たちとの約束を違えていない。


「……我々は、あの方を恐れるばかりで、何もしてやれていない」


 ある老魔術師が呟いた。


 その日から、王国の人々は少しずつ行動を始めた。

 魔王軍の野営地に近い街の住民が、食料を届けるようになった。


 ある村の少女は、花束を作ってエレノアの帰りを待った。

 老婦人は、彼女のために温かいスープを鍋に入れて置いていった。


 エレノアは最初、それらを受け取らなかった。


「死者に施しなど必要ないわ」


 そう言って、差し出された食事を断ったこともある。


 けれど、翌日も、その次の日も、食事は置かれていた。

 花も、手紙も、絶えることはなかった。


 ある日、小さな女の子がエレノアの前に立った。


「お姉ちゃん、これあげる!」


 差し出されたのは、小さな青い花だった。


「……私に?」


「うん! お姉ちゃん、いつも怖い顔してるから。これを見たら、少しは笑ってくれるかなって!」


 エレノアは花を見つめた。


 どう答えればいいのか、わからなかった。


「……ありがとう」


 それだけ言うと、女の子は嬉しそうに笑って走っていった。


 手の中に残された小さな花。

 その花を見つめながら、エレノアはふと気づいた。

 自分は、こんな些細な贈り物を受け取ったことがあっただろうか。

 誰かが自分のためだけに選んでくれた花。


 何の見返りも求めず、ただ笑ってほしいと願ってくれた人。


「……不思議な国ね」


 彼女は花を胸元にしまった。


 ◇


 そして、ついにその日が訪れた。


 帝国王城。


 あっけなく崩れ落ち、炎に包まれた玉座の間で、皇太子ルドルフは、なすすべもなく地面を這いずっていた。

 豪奢な衣装は焼け焦げ、自慢の軍隊は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、かつての威厳は見る影もない。


 その前に立つのは、首に赤い痕を残した少女。


「エレノア……!」

 ルドルフは彼女の靴にすがりついた。


「頼む! 許してくれ! 命だけは助けてくれ!」


「あら。皇太子殿下ともあろうお方が、ずいぶんと情けない姿ね」


 エレノアは冷ややかに見下ろした。


「あの断頭台での威厳は、どこへ行ったのかしら?」


「違う! 違う! あれは仕方なかったんだ!」


 ルドルフは必死に叫ぶ。


「私は内からも外からも追い詰められていたんだ! 魔王軍に対抗する英霊召喚の魔石を隣国に渡すために、邪魔になったお前を呪い師に仕立て上げる必要があったんだ!」


「……そうですの?」


「公爵家からの支援を取り付けるには、公爵家との縁組みが必要だったんだ! お前の侯爵家も帝国と領民のためと了承した! お前の両親も、すべて知っていたんだ!」


 その言葉に、エレノアの瞳がわずかに揺れた。


「……そう」


「だが、私は違う! 本当はお前を愛していた! すべては帝国を国民を守るためだったんだ! 仕方がない選択だった!」


 ルドルフは涙を流しながら、彼女の手にすがりつく。


「もう一度やり直そう! 婚約を元に戻せばいい! お前は皇妃になれる! だから頼む、魔王を倒してくれ! 今ならヤツはお前を味方と油断している。たやすいではないか! そうだ、魔王を騙すための芝居だったと言えば貴族も国民も納得するはずだ!」


(死者が皇妃!?それにここまでやられて民衆が納得するわけないじゃない。よほど命が惜しいのね。その上、盟友の魔王を討ち取れ、笑わせてくれるわ……)

 エレノアはしばらく黙っていた。


 召喚されたときから、薄々気づいていた。

 あれほどの魔石が、どこから捻出されたのか。

 自分が処刑されることで、誰が利益を得たのか。


 けれど、最後の一片だけは信じたくなかった。


 父も、母も。

 自分を育ててくれた人たちだけは、違うと思いたかった。


「……お父様も、お母様も、知っていたのね」

 彼女は小さく呟いた。


「そうだ! だからもういいだろう! 全部終わったんだ! 私たちはやり直せる!」

 ルドルフが笑みを浮かべた。


 その瞬間、エレノアの胸から最後の温もりが消えた。


「……どこまでも醜い人」

 彼女はルドルフの手を振り払った。



「エレノア……?」


「あの日、私は何度も助けを求めたわ。あなたに、両親に、民衆に。けれど、誰も私の声を聞かなかった」


 杖の先に、まばゆい光が集まっていく。


「今さら命乞いをしたところで、不愉快なだけだわ!」


「待て! やめろ! 私は皇太子だぞ! 帝国の――」


「さようなら」


 エレノアは微笑んだ。


「愚かな小娘が愛してしまった、恥知らずで卑小な人殺し」


「やめろおおおおお!」


 極大消滅魔術が放たれた。


 ルドルフの絶叫も、王城も、帝国の栄華を象徴した玉座も。


 すべてが白い光に飲み込まれていった。


 こうして、ガルディア帝国は滅亡した。


 ◇


 約束の半年が訪れた。


 ロズワール王国の神殿。


 かつてエレノアが召喚された祭壇に、彼女は再び立っていた。


 足元から光の粒子が舞い上がり、身体の輪郭が少しずつ透き通っていく。


「ふん。本当にきっちり半年で消えるのだな」


 隣に立つ魔王が腕を組んだ。


「約束通り、ロズワール王国には我が命ある限り手を出さん。魂の契約も交わした。安心して消えるがいい」


「ありがとう、魔王」


「……ふん。礼などいらん」


 魔王はそっぽを向いた。


「お前のような面白い人間と別れるのは、少々惜しいがな」


 その後ろには、大勢の王国民が集まっていた。


 魔術師たちも、騎士たちも、街の人々も。


 みな、涙を流してエレノアを見つめている。


「エレノア様!」


「どうか、行かないでください!」


「あなたは我々の命を救ってくださった恩人です!」


「あなたを怨霊などと呼んだことを、どうかお許しください!」


 その中には、かつて花をくれた小さな少女の姿もあった。

 少女は泣きながら、両手で青い花束を抱えていた。


「お姉ちゃん! これ、あげるって約束したの!」


 エレノアはその花を見つめた。

 そして、ゆっくりと膝をつき、少女と目線を合わせた。


「……ありがとう。とても綺麗ね」


「お姉ちゃん、行っちゃうの?」


「ええ。もう、時間なの」


「また会える?」


 エレノアは少しだけ困ったように笑った。

「ごめんなさい。それは約束できないわ」


 少女の目から、涙がこぼれ落ちる。

 エレノアはそっと、その小さな頭を撫でた。


「でもね。あなたが大人になっても、この国が平和でありますようにって、ずっと願っているわ」


 そして、ゆっくりと立ち上がった。

 半年前の自分を思い出す。

 誰にも信じてもらえず、誰にも惜しまれず、ただ憎しみだけを抱いて死んだ少女。


 あのときは、もう二度と誰かを信じることなどできないと思っていた。


 けれど、今は違う。


 食事を届けてくれた人。 花をくれた少女。 不器用ながらも自分を気遣ってくれた魔王。


 この半年間に出会った人々の顔が、次々と浮かんでくる。


「……不思議ね」

 エレノアは空を見上げた。


「私は、復讐の鬼だったはずなのに……」


 涙が一筋、頬を伝った。

 それは、処刑台で流した涙とは違うものだった。

「最後に、こんなにもたくさんの人に惜しまれて逝けるなんて」


 彼女は微笑んだ。

「私……本当に幸せだったわ」


 光の粒子が、彼女の身体を包み込んでいく。


「エレノア!」

 魔王が声を上げた。


「お前のことは忘れん! この国は、必ず守り抜いてやる!」


「ええ。お願いね」


「そして、もし次に会うことがあれば――」


 魔王は言葉を切った。

 何を言えばいいのか、自分でもわからなかった。


 エレノアはそんな魔王を見て、くすりと笑う。

「そのときは、また一緒にお茶でも飲みましょう?」


「ああ……約束だ!」


「ふふ。楽しみにしているわ」


 彼女の姿が、完全に光へと変わる。


「ロズワールの皆さん。どうか、幸せに」

 最後の言葉を残し、エレノアは青空へと溶けるように消えていった。


 そこに残されたのは、彼女が守り抜いた王国と、数百年にわたる平和の約束。


 そして、空を見上げて泣く人々だった。


 ◇


 それから、何百年もの時が流れた。


 ロズワール王国は、魔王との契約によって長きにわたる平和を享受した。


 王国の歴史書には、ひとりの少女の名が刻まれている。


『叛逆の救世主、エレノア』


 かつて帝国に殺され、英霊(おんりょう)として召喚されながら、最後には王国を救った伝説の令嬢。


 その名は、世代を超えて語り継がれていた。


 歴史書には続きがあり、その両親は後に、娘の功績を頼りにロズワール王国に亡命を求めたが、ロズワール王国も民も相手にはしなかった。


 そして、魔王は今も生きていた。

 長い年月を経ても、彼は時折、空を見上げる。

 空が嘘のように青く澄み渡った日には、決まって思い出すのだ。


「……まったく。最後まで勝手な女だったな」

 誰にも聞こえない声で呟く。


 あの少女の笑顔。 冷たい言葉。 不敵な微笑み。 そして、最後に交わした約束。


 もう二度と会うことはない。


 それでも、魔王は青空を見上げずにはいられなかった。

 あの時の光の粒子が、まだ空のどこかで輝いて、ロズワール王国を見守って微笑んでいる気がして。

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