怪異蒐集少女 ~放課後の証明~
〜誘蛾灯〜
校舎を出たら、すっかり日が暮れていた。ひんやりと乾いた空気は、もう冬の匂いだ。下校時間ぎりぎりまで残っていたのは私と京ちゃんだけで、他に誰もいないグラウンドを早歩きで横切っていく。
冷たい静寂のなかで、闇が濃度を増したような気がして、体に小さな震えが走る。
それを寒さのせいだと受け取ったのか、
「ね、鈴。ちょっとコンビニに寄っていこうよ。なんか、あったかいもの食べたい」
京ちゃんは返事も待たずに、ふだん行かないコンビニへと歩きだしてしまった。
二人とも遠回りになるから、それなら早く家に帰りたいんだけど、と呟いたけど、「あんまんか、肉まんか……」なんて真剣に悩んでいる京ちゃんは、私の抗議を黙殺してしまう。
もう中学生だから、帰り道にコンビニに寄っても怒られない。それが嬉しいのか、京ちゃんは何かとコンビニに行きたがる。
だから、何も不審に思わなかった。
ただ、暗闇で蒼白く光るコンビニがどこか不気味に思えて、立ち止まってしまう。それに気づいた京ちゃんが、いつものように、私の手を引っぱっていく。
この辺は五時でお店が閉まってしまう門前町で、周囲は都内とは思えないほど農地が広がっている。街灯も少ないから、夕暮れ時に空を飛び交う蝙蝠の姿も、すぐに闇に呑まれて見えなくなる。
そんなところに明るい建物があるのだから、むしろ安心するはずなのに――。
「明るすぎて、逆に怖い――っていう映画、あったよね」
私がそう言うと、怖いモノ好きの京ちゃんは即座にタイトルを挙げて、作品の〈魅力〉を懇切丁寧に説明しはじめた。
怖がりな私は、最近では京ちゃんの最後の言葉だけ拾って、適当に返事をするようにしている。
それを察している京ちゃんが、おどけて肩をすくめた。
「でもさあ、鈴だって、ホラー系の本とか読んでるじゃん」
「あれは違うよ」
私が読んでいるのは祖父の本棚に並ぶ民俗学の本であって、ホラーじゃない。たとえそのタイトルに、不穏な言葉が含まれていたとしても。
「そう? ホラーで助けてくれるのって、だいたい民俗学の先生じゃん。対処法を教えてくれたり、お札をくれたりしてさあ」
最近の京ちゃんはすっかり映画オタクだから、違うと説明しても、いまいちわかってもらえない。
相手に理解も共感もしないまま、それでも私と京ちゃんの会話は続く。
「ホラーといえばね、この辺のコンビニも〈出る〉んだって。それもセルフレジだけになって、店員さんがいなくなる夜間にね」
自動ドアが反応する一歩手前で、京ちゃんが立ち止まって言った。入るんなら早く、と促しても、京ちゃんの説明は止まらない。頭上を飛んでいる数匹の蛾が怖くて、私は目が離せない。
「店員さんがいないときは、明らかにお店の商品じゃないものが棚に並んでいるとか、お店から出られなくなるから〈しゃべっちゃいけない〉とか……誰が言い出したか、わからないけどね」
「そうだね。出られないなら、その話は誰が語ったの、ってなるもんね。……ねえ、まさか」
「うん。それ、このコンビニの話ね」
京ちゃんが振り返る。その顔は、にんまりと笑っていた。
――また、やられた。
京ちゃんが珍しく、図書館で試験勉強をやっていこう、なんて言いだしたときに、警戒しておくべきだった。
「京ちゃん、帰っていい?」
「できるならね。鈴は私のこと、放っておけないでしょ?」
自信に満ちた声は、経験に裏付けされたものだ。たしかに私は、怖いモノに首をつっこみたがる京ちゃんを、見捨てたりなんてできない。
京ちゃんが一歩踏み出して、自動ドアが開く。陳列棚に並ぶ、いつもの商品――のなかで、ソレは異様に浮いて見えた。
昭和レトロ、と言えば響きはいいけど、焦げ跡のあるくすんだ色のドロップ缶が一つ、他の商品に紛れ込んでいた。
当然のようにドロップ缶に触ろうとする京ちゃんの手を無言ではたいて、レジに向かう。
私たちの肩がそろって、びくりと跳ねた。
レジの内側で、店員さんが身をかがめて作業をしている。
「店員さん、いるじゃん」
セルフレジを通り過ぎて、京ちゃんが店員さんのほうに行こうとする。私の目はなぜか、天井の角――ドームミラーに引き寄せられた。
京ちゃんと私以外、誰も映っていない。
「――だめ、京ちゃん」
京ちゃんを、セルフレジのほうに引っぱっていく。ドームミラーに視線を向けたら、京ちゃんもすぐに気づいてくれたけど、その京ちゃんが笑顔で怖いことを言った。
「でもさ、私たち、もうしゃべってるじゃん」
久しぶりに視られた、なんて、京ちゃんは機嫌よく出口に向かう。私も恐る恐る、自動ドアの前に立った。
――開いた。
それに、普通に出られる。
外の寒さなんてもう気にならなくて、京ちゃんと公園のブランコに並んで座って、さっきのことを話し合う。
「しゃべっても大丈夫ならさ、あの禁止事項って、何を指してたわけ? もちろん、条件がそのまま伝わっているって仮定したら、だけど」
と、京ちゃんが、ちょっとつまらなそうに言う。そうだね、と私も同意する。噂は伝言ゲームだから、正確には伝わらないし、時には悪意で禁止事項の内容が変わっていたりもする。京ちゃんにさんざん付き合わされたから、その辺は身をもってわかっている。
「二十四時間空いていて、何も買わなくても誰でも出入りできる……って、よく考えたら怖いかもね。コンビニに幽霊が入ってくる話、けっこうあるもんね」
京ちゃんのその言葉に、私はふと思い出した。
「禁止されていたのは、〈取引相手との接触〉じゃないかな」
「取引相手って?」
「普通のコンビニにない商品があったよね。あれの持ち主のこと。沈黙交易……無言交易ともいうけど。特定の場所に品物を置いて、自分のものと交換するの。言語が違う――〈未知の相手〉との、接触を避ける交易法なんだけど。それっぽいなあって……」
「妖との交易だったってことかあ。接触って、セルフレジはノーカウント?」
「無機物だから、大丈夫じゃないかな」
「ほら、やっぱり、最後は民俗学の解説が入るじゃん」
そう言って笑いながら、京ちゃんがいそいそとリュックを開ける。取り出したものを見て、私は眩暈がした。
「でもさ、これを持っていたら、何か起こりそうじゃない?」
京ちゃんが、あの不自然に古いパッケージのドロップ缶を上機嫌で揺らしている。カチャカチャと、飴とは少し違うような音がしている気がするけど、私はそれよりも、背後が気になってしかたなかった。
――何かが、後ろに立っている。
そんな気配がして、私は怖くて振り返ることができない。
私のほうが〈敏感〉なのか、こういうとき、京ちゃんは遅れて気がつく。
早く気づいてくれないかな、と思っていたら、京ちゃんがあんまんを突き出してきた。
「付き合ってくれたお礼に、半分あげる」
「まあ、今日はそれで許してあげる」
そう言いながら、私は京ちゃんと分けようと思って、多めに買っていたお菓子をあげたから、結局は物々交換みたいになる。
「人ってさ、好きだよね、交換。でもさ、おかしくない? 直接の接触を避けるくらい、〈未知の相手〉が怖いのに、それでも交換したかったなんてさ」
と、京ちゃんがしみじみと言う。
京ちゃんにあげたお菓子を眺めて、私はちょっと考えてみる。「交換する必要はないけど、交換したいから、多めに収穫したりする」なんて文章を、私はどこで読んだのだろう。
無言交易は、平和と略奪の中間にあるもの。言葉も、物理的な接触もないのに、そこにたしかに〈やり取り〉が存在する。
交換を、〈繋がり〉という言葉に置き換えたら、何か見えてきそうな気もする。もしかしたら、後ろに立つ何かが、求めているモノも――。
「二十四時間、明るくて誰でも入れる建物は、誘蛾灯みたいなもの……なのかもね」
私の言葉に感じるものがあったのか、後ろの〈何か〉にやっと気づいた京ちゃんが、意外そうな顔で私を見る。
「鈴も度胸ついてきたよね」
「私はいまも、怖いモノだらけだよ」
だから、あなたは私を見捨てられないと、胸を張って言える京ちゃんが、眩しくて仕方ない。
「怖いモノ、本当は好きなくせに。鈴だって、まだ諦めてない――というか、期待してるでしょ?」
私と京ちゃんの、秘密の話だ。子どもにしか視えない、今はもうたどり着けない、妖の宿。そこに居たヒトの、寂しげな横顔。
京ちゃんの言う通りだった。いつかまた、そこにたどり着く日を夢見て、私は今日も手を引かれるまま、妖の噂を追いかけてしまうのだ。
了
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*『うつせみ屋奇譚 妖しのお宿と消えた浮世絵』(角川文庫)、後日談。




