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あなたを変える言葉集4

・世界を二つに分けなさい。あなたの力が及ぶ『意志の領域』と、他人の思惑や運命が支配する『外部の領域』である。店員の無愛想、肉体の衰え、避けて通れぬ死――これらはあなたの所有物ではない。しかし、それらをどう解釈し、どんな顔で迎え入れるかは、宇宙で唯一、あなただけに許された絶対的な領土である。この境界線を知る者だけが、理不尽という嵐の中でも、揺らぐことのない心の平穏を手にする

※外部の出来事に心を乱されるのは、自分の領土に他人の侵入を許しているのと同じである。



・理不尽な言葉を投げかけられたとき、それに怒りで応えるのは、相手の低俗な土俵に自ら降りていく行為である。あなたはただ、自分の高潔さを保つためだけに優しくありなさい。相手があなたを傷つけようと躍起になればなるほど、あなたの満面の笑みは、相手の悪意を無力化する最強の盾となる。他者の無礼は、あなたの価値を一点も損なうことはない。ただ、相手の魂の未熟さを露呈させるだけである



・すべてを奪われ、追放され、奈落に突き落とされたとしても、あなたの内なる宮殿が整っているならば、あなたは依然として王である。手元に残るものは何もないかもしれない。しかし、その『何もない』中で笑っていられる精神のゆとりこそが、人間が到達しうる最高の自由である。他者の評価や世俗の成功に依存しない魂は、誰にも破壊することができない。あなたはあなたのままで、世界を許し、愛し、そして超越していきなさい



・最後に笑う者が勝つのではない。どんな最中さなかにあっても「笑える者」が、すでに勝っているのである



・奪われうるものを「自分のもの」と思うから苦しみが生まれる。奪い得ぬものだけを「自分」と呼びなさい



・無愛想な者、理不尽な者は、あなたの平安を乱す侵略者ではない。彼らはあなたの忍耐と寛容を試すために送り込まれた『訓練官』である。相手が泥を投げてきたとき、あなたが花を投げ返すならば、汚れるのは相手の手だけであり、あなたの手には花の香りが残る。他者の欠点を指摘し、正そうとする労力を、自分の内面を整えるために使いなさい。あなたが常に紳士淑女として振る舞うなら、世界中の理不尽を集めても、あなたの気高さを傷つけることはできない

※相手の不徳を自分の不機嫌の理由にするのは、自ら進んで他者の奴隷になることと同じである



・この世に、あなたの機嫌を損ねる力を持つ人間は一人もいない。あなたがその許可を与えない限り。もし誰かの言葉で腹が立ったなら、それは相手が悪いのではなく、あなたの内の『何かが』その言葉に反応し、揺さぶられたのである。自分を観察し、自分を律し、自分を笑い飛ばしなさい。すべてを失い、裸で立たされてもなお、心にゆとりを持って空を見上げることができるなら、あなたを不幸にできる力はこの宇宙のどこにも存在しない



・最強の自由とは、何が起ころうとも『これでよい』と断言できる心の強靭さである



・不当な扱いに微笑みで応えるとき、あなたは加害者よりも一段高い次元の住人となる



・理不尽な状況は、あなたの魂がどれほど磨かれたかを測るための『抜き打ちテスト』である。平穏なときに優しくあるのは容易だが、嵐の中で微笑みを絶やさないのは、真に強靭な魂にしかできない。相手の理不尽に対して、あえて満面の笑みを返すとき、あなたは単に親切なのではない。自らの怒りをねじ伏せ、気高さを選んだ『勝利者』なのである。そのとき、あなたは相手のレベルに落ちることなく、自らのステージを一段引き上げているのだ

※怒りは弱さの露呈であり、微笑みは圧倒的な強さの証明である



・失うことを恐れるのは、それが『自分のもの』だと誤解しているからだ。この世で本当にあなたの所有物と言えるのは、あなたの意志と、その働きだけである。死が訪れるなら『還る時が来た』と言いなさい。追放されるなら『新しい旅が始まった』と答えなさい。手元にあるものを、いつでも手放せる準備ができている者だけが、何ものにも縛られない真の自由を享受できる。何も持たない者は、宇宙のすべてを友にできるのだ


※死なねばならないなら、歌いながら死になさい。縛られねばならないなら、思索しながら縛られなさい。それが運命に対する最高級の「皮肉」であり「礼儀」である



・怒りで反応するのは『反射』であり、微笑みで返すのは『選択』である



・最大の自由とは、最悪の状況下で『それでも私は幸福である』と宣言する権利のことだ



・相手の悪意を受け取らなければ、その悪意は送り主の元に留まり続ける



・あなたを傷つけるのは、他人の無礼な言葉でも、運命の過酷な仕打ちでもない。それらを『害悪である』と決めつける、あなた自身の『判断』である。店員の不機嫌を『侮辱』と受け取れば心に毒が回るが、それを『誰かの疲れが漏れ出したもの』と定義すれば、あなたの心は静かな慈悲の海となる。事象そのものは色を持たない。そこにどのような色を塗るかは、常にあなたの手元にある筆に委ねられているのだ

※出来事は選べなくても、その出来事に与える「意味」だけは、あなたが王として決定できる



・無愛想な者、理不尽な振る舞いをする者は、あなたの平安を奪いに来た泥棒ではない。彼らは、あなたの『寛容さ』と『忍耐力』を鍛え上げるために、天が特別に遣わした熟練のトレーナーである。彼らの無礼に動じず、満面の笑みで返すことができたなら、あなたは一つの階梯を上ったことになる。相手を憎む代わりに、『私を鍛えてくれてありがとう』と心の中で唱えなさい。その瞬間、理不尽はあなたの魂を輝かせるための砥石へと変わる

※最高の師は、優しき友人ではなく、あなたの心を揺さぶろうとする不機嫌な他者である



・相手の不機嫌を『自分の不幸せ』に翻訳してはならない



・人生は、あなたが配役を選べない舞台演劇である。ある時は王を、ある時は病人を、ある時は不当に扱われる市民を演じなければならない。だが、最高の名優は台本に文句を言わない。どんなに過酷な場面でも、その役を『気高く』演じきることに全力を注ぐ。理不尽な応対をされたなら、世界で最も寛容な紳士の役を演じなさい。追放されるなら、世界で最も心豊かな旅人の役を演じなさい。観客である神が喝采を送るのは、あなたの境遇ではなく、その『演じ方』に対してである



・誰かがあなたに暴言や不機嫌という『毒入りの贈り物』を差し出してきたとする。もしあなたが怒りで応えれば、その毒を受け取ったことになる。しかし、あなたが満面の笑みで『ありがとう』と返し、心穏やかに去るならば、その毒は行き場を失い、差し出した本人の手元に残るだけである。相手を許すのではない。相手の低俗さに、自分の高貴な魂を同調させないという『知的な拒絶』を選びなさい。あなたの微笑みは、悪意を無害化する最強の盾である

※怒りで応じることは相手のレベルまで自ら降りていく「魂の自殺」に等しい



・自由とは、どこにいるかではなく、どんな状況下で『どうあるか』を選べる力のことだ



・神から与えられた素質がどれほど小さかろうと、それをどう管理し、どう育てるかは完全にあなたの責任である。財産が少なくとも、それを疎かにせず、知性が乏しくとも、それを磨くことを忘れない。あなたが預かっているのは『結果』ではなく、研磨すべき『素材』なのだ。素材がダイヤモンドでなくとも、磨き抜かれた石は、放置された宝石よりも美しく光を放つ。手元にあるものを最大限に活かすこと。それ以上に誇らしい生き方はない



・『素質がない』という言葉は、しばしば『傷つきたくない』という臆病の変装である。他者と比較して劣っていることを気にする必要はない。本当の恥辱は、他者との比較で負けることではなく、自分にできる努力を放棄することである。あなたはあなただけの資質をもって、あなただけの人生という舞台を完璧に演じきればよい。エピクトテスがソクラテスに及ばずとも、エピクトテスとしての務めを果たしたように、あなたもあなたの持ち場で、最高の自分を目指し続けなさい

※能力の限界は天が決めるが、努力の限界はあなたが決める



・不平を言い、他人や運命を呪うためにどれほどのエネルギーを使っているか、自分を省みてみなさい。その負の力があるならば、それを『耐え忍び、克服する力』へと転換するのは容易なはずだ。不平を言う力がある者に、勇気がないはずがない。ただ使い道を間違えているだけなのだ。卑しい態度を捨て、天から授かった高貴な素質を証明してみせなさい。あなたの真価は、絶望的な状況下で、誰を恨むこともなく静かに立ち上がるその背中に現れる



・『どうして私だけが』と嘆く暇があるなら、『さあ、私を試してみろ』と運命を挑発せよ



・人生に嵐が訪れたとき、それを『罰』や『不運』と呼ぶのは、自らの魂を卑しめる行為である。真に目覚めた者は、天に向かってこう叫ぶのだ。『さあ、私を試しなさい。私には、あなたが授けてくれた不屈の力があり、この苦難を栄誉に変える準備ができている』と。困難とは、あなたの内なるダイヤモンドを磨き、その輝きを世に示すために用意された神聖な砥石なのである



・神があなたに与えなかったのは『平穏な環境』だが、代わりに与えたのは『いかなる環境でも平穏でいられる力』である



・神はあなたを憎んで困難を与えるのではない。優れたレスラーに強力な練習相手が必要なように、あなたの魂を鍛え上げるために、あえて手強い出来事を配役したのだ。嵐が来たとき、震えて座っているのは『自分は無力だ』と嘘をつく行為である。立ち上がり、『さあ、私の出番だ。このために私は鍛えられてきたのだ』と言いなさい。出来事はあなたを打ち砕くためにあるのではなく、あなたの内なる『高邁』という火を燃え上がらせるための薪である

※逆境はあなたを不幸にするために来るのではない。あなたが「いかなる者であるか」を証明するために来るのだ



・あなたが倒れるのは、重荷が重すぎるからではなく、自分の中の『支える力』を信じていないからだ



・あなたには忍耐力が授けられている。それは、穏やかな日々のためにあるのではない。あなたには大きな心が授けられている。それは、賞賛を受けるためにあるのではない。それらはすべて、嵐が来、理不尽が襲い、肉体が悲鳴を上げる瞬間にこそ、その真価を発揮するためにあなたの内側に配置された『神聖な機材』なのだ。道具を持ちながら、いざという時に『苦しい』と嘆くのは、剣を握りながら敵を恐れる兵士のようなものだ

※勇気も忍耐も、それが必要とされる「最悪の瞬間」においてのみ、あなたの所有物となる



・広大な海に一滴の泥水を落としても、海が濁ることはない。あなたの心が宇宙のように広大(高邁)であれば、道端の騒音や、他者の無礼、一時的な不自由などが、どうしてその平穏をかき乱すことができようか。不愉快なことに心を痛めるのは、あなたの心がまだ『一輪挿しの花瓶』のように狭いからだ。器を広げなさい。そうすれば、あらゆる困難はあなたの大きさを証明するための心地よい刺激へと変わる



・あなたには忍耐という盾があり、勇気という剣があり、高邁という光が授けられている。これらの道具は、平穏な日々の飾りにするためにあるのではない。困難が起きたときに嘆くのは、最新の救命具を持ちながら『溺れるのが怖い』と震えているようなものである。授かった力を本来の目的に使いなさい。そのとき、困難は『障害』から『活躍の機会』へと姿を変える



・ある出来事を『良い』とするか『悪い』とするか。その最終的な決定権を、神はあなた以外の誰にも与えなかった。隣人がどれほど騒がしくとも、上司がどれほど理不尽でも、あなたが『これは私の平穏を害するものである』と承認しない限り、それはあなたの魂の門をくぐることはできない。あなたの同意なしにあなたを傷つけることができる者は、宇宙のどこにも存在しないのだ。」 「思う・思わない」の判断権を死守せよ。それが、あなたがこの世で唯一、完全に行使できる権力である



・他人の振る舞いは『自然現象』であり、自分の怒りは『判断ミス』である



・人生の苦しみは出来事の重さではなく、あなたの判断という『天秤の歪み』から生じる



・不幸とは『起きたこと』ではなく、『起きたことに対するあなたの評価』の別名である



・ひとりでいる時間を『孤独』と呼ぶ者は、自らを壁の中に閉じ込める。しかし、それを『平静』や『自由』と呼ぶ者は、自らの魂を神聖な玉座へと導く。群衆を『騒音』と呼ぶ者は耳を塞ぐが、それを『祝祭』や『集会』と呼ぶ者は、生命の鼓動を共に楽しむ。事象そのものに性質はない。あなたが与えた名前こそが、あなたの生きる世界の正体となるのだ

※世界を呪う言葉を捨て、世界を祝福する名前を付け直しなさい



・神や運命を非難する者に、雷が落ちる必要はない。彼らが現にもっている『不満な心』そのものが、何よりも重い罰だからだ。孤独を嫌う者には『寂しさ』という罰を、親を疎む者には『親不孝な息子』という惨めな自己像を、他者を妬む者には『欠乏感』という地獄を与えておけばよい。天罰とは外から来るものではなく、あなたの思考が作り出す『不快な現在』そのものである

※あなたが不幸なのは、あなたが「不幸であること」を選択し続けているからに他ならない



・物が盗まれた、あるいは壊れたとき、あなたは驚くべきではない。服を失ったのは、あなたが服を持っていたからだ。頭痛がするのは、あなたが頭を持っているからだ。所有とは、いつか訪れる『返却』の予約票を握っているようなものである。持たざる者は何も失わない。あなたが何かを失って心を乱しているなら、それはあなたが自分のものでないものを『自分のもの』だと深く勘違いしていた証拠である



・腕時計を盗んだ者を恨む必要はない。彼は腕時計という安物のために、自らの『誠実さ』という最高級の財産を売り払ったのだ。あなたは鉄の塊を失っただけだが、彼は人間としての誇りを失った。この不公平な取引において、真の損害を被ったのはどちらか。冷静に観察しなさい。相手が自らの魂を汚してまで手に入れたものを、あなたが怒りという毒を飲んでまで追いかける価値など、どこにもない

※盗人はあなたの物を奪えるが、あなたの「上機嫌」まで奪わせるかどうかは、あなたが決めることだ



・『頭痛がします』と言うとき、あなたはまだ幸福だ。なぜなら、人間にない『ツノ』が痛むわけではないからだ。苦痛は、それが属する場所にのみ存在する。身体の痛みは身体に任せ、それを『耐え難い災い』と定義する心の暴走を止めなさい。所有があるところに損失があり、肉体があるところに苦労がある。それが自然のことわりだと納得したとき、すべての不運は、ただの『日常の出来事』へと溶けていく

※「なぜ私が」と問うのは、自然の法則を自分だけには適用したくないという、子供じみた我がままに過ぎない



・壊れやすいものを愛するなら、それが壊れたときに驚いてはならない



・富を失ったのではない。富を管理する『苦労』から解放されたのだ



・あなたを困らせる上司、無礼な店員、予期せぬ不運。彼らを『敵』と呼ぶのをやめなさい。彼らは、あなたの『寛容』という筋肉を鍛えるために、神が日給を払って雇ったトレーナーである。彼らが熱心に(理不尽に)役割を果たすほど、あなたの魂は強固な鎧を纏うことになる。練習が終わったとき、あなたは彼らにこう言うだろう。『私を鍛えてくれて、本当にありがとう』と

※最も不快な相手こそが、あなたを最も高い次元へと引き上げてくれる「恩人」である



・困難に直面したとき、『さあ、稽古を始めよう』と微笑む者こそが、真の自由人である



・不運を『練習』と呼ぶ習慣を身につけよ



・神はあなたを救うために手を貸すのではない。あなたを『自力で立ち上がれる強者』にするために、あえて足を払うのだ



・一流の競技者は、自分を持ち上げることすらできない非力な相手を喜ばない。同様に、高邁な魂を持つ者はささいな不運や小さな理不尽などには目もくれない。『神よ、もっと私を揺さぶるような、もっと骨のある困難をよこしてください。この程度の風で私の帆が破れると思っているのですか』。そうつぶやける者だけが、神の栄冠をその手に掴む資格を得る。あなたは安全な片隅で時間を浪費するために生まれてきたのではない



・皇帝お抱えの剣闘士たちは、自分を戦場へ連れ出せと監督に詰め寄る。彼らにとっての恥辱は傷を負うことではなく活躍の場を与えられずに檻の中で朽ちることだ。あなたもまた神聖な舞台の演者として自らの出番を今か今かと待ちわびていなければならない。理不尽な上司、避けられない病、突然の別れ――これらはすべて、神があなたを指名して放った『開演の合図』である。その時、涙を流すのか、それとも喜んで舞台へ駆け上がるのか

※「なぜ私なのか」と問うのではない。「ついに私の番が来た」と、魂を奮い立たせなさい。あなたが嘆いているその場所は、誰かが命を賭けても立ちたかった『栄光の舞台』かもしれないのだ



・学んだことを行動で示さないのであれば、あなたはただの『言葉の墓場』である。何を、誰のために学んだのか。本を閉じた瞬間から、あなたの真の学びが始まるのだ。不平を言い、他人の幸運を妬み、自分の不運を嘆くために哲学を学んだのか。そうではない。いかなる状況下でも自分自身の王座を守り抜くために学んだはずだ。今、目の前にある困難こそが、あなたがこれまで費やしてきた時間の『価値』を決定する唯一の審判である



・子供が恐ろしい仮面を見て泣くように、大人は『死』や『労苦』という言葉の響きに怯える。しかし、仮面を剥ぎ取れば、そこにあるのは自然の一部であり、避けることのできない調和に過ぎない。汝が本当に恐れるべきは、死そのものではなく、『死を恐ろしいものだと信じ込む、汝の貧弱な判断』である。この恐怖心を切除しない限り、汝はどれほど長生きしようとも、生涯を震える奴隷として終えることになるだろう

※恐怖は「対象」の中にあるのではなく、それを見つめる「汝の眼差し」の中に巣食っている



・幸福とは、分子(所有物)を増やすことではなく、分母(欲望)を減らすことによって完成する。分母を無限に大きくする者は、分子がどれほど増えようとも、その価値をゼロに近づけてしまう。逆に、分母を最小限にまで削ぎ落とす者は、道端に咲く一輪の花、コップ一杯の水にさえ、宇宙規模の充足を見出すことができる

※多くを望むのをやめよ。そうすれば、あなたはすでに「すべてを得ている」ことに気づくだろう



・壺の中に手を入れ、欲しいものを掴んで離さないのは、あなたの意志が対象に固着している状態である。手が抜けないのは物理的な問題ではなく、あなたの意志が「すべてを掴む」という選択に縛られているからだ。指を緩めることは、何かを失うことではなく、意志をその拘束から解き放ち、本来の自由な選択ができる状態に戻すことである

※多くを望むことをやめれば、意志は滞りなく働き、必要なものは自ずと手に残る



・不足を感じるのは、持っているものが少ないからではなく、求めるものが多すぎるからだ



・口の狭い壺から手が抜けないのは、対象があなたを拘束しているからではない。あなたの意志が「すべてを所有する」という単一の選択に固着し、執着しているからだ。指を一本ずつ解くことは、何かを諦めることではなく、執着した意志を柔軟な状態に戻し、本来の「選択」という機能を回復させることである

※多くを欲しがる意志は自らを縛り、放す意志は自らを解放する



・誰かに罵られ、辱められたとき、心が波立つのはあなたが相手に反応することを「選択」したからだ。練習せよ。広場に立つ彫像を思い浮かべ、自分もまたその一部であると念じよ。彫像は殴られても怒らず、唾を吐きかけられても悲しまない。他人の言葉があなたの意志を傷つけることはできないと、骨の髄まで叩き込むのだ。 「私は石である」と言い聞かせることができたとき、あなたは他人の唇の奴隷から脱却する



・あなたは死や貧困、労苦を避けようと必死になるが、それらはあなたの力の及ばない領域にある。真の訓練とは、外側の出来事を避けるのをやめ、自らの内側にある「間違った判断」や「無節操な欲望」を徹底的に忌避することだ。避けるべきは病ではなく、病を「悪だ」と決めつけるあなたの心の不健全さである



・快楽に誘われたら、それが去った後の後悔を今すぐ先取りして想像せよ



・最もやりたくないことの中に、あなたの意志を自由にする鍵が隠されている



・快楽に誘われたら、快楽を味わっている自分ではなく、耐え抜いた後の自分を想像せよ



・快楽に誘われたら、その誘惑に勝った後の自分を誇らしく思う練習をせよ



・快楽を味わう前に、その後の虚しさを先取りして味わっておけ



・意志が快楽に傾いているなら、あえて不便を。労苦を避けているなら、あえて重荷を。自分の性質がどこに偏っているかを知り、その反対側へ自分を突き動かせ。この「逆方向への跳躍」なしに、長年の習慣で固まった意志が真っ直ぐに戻ることはない。 あなたが「やりたくない」と感じることこそが、今のあなたに最も必要な「意志の矯正器具」である



・自分を律する力とは、本能が『嫌だ』と言う方向に、あえて舵を切る力のことである



・「仕事がなくなった」。事実はそれだけだ。そこに「だから私は終わりだ」と付け加えるのは、あなたが自分自身についた嘘である。「病気になった」。事実はそれだけだ。そこに「だから私は不運だ」と付け加えるな。事実に余計な尾ひれをつけず、起きたことの輪郭だけを正確に記述せよ

※苦しみは出来事の中にではなく、あなたの「文体」の中に潜んでいる。文末に「不幸だ」という言葉を書き足すな



・「あの人が私を罵った」。事実は、誰かの口から空気の振動が発せられたということだけだ。そこに「私の名誉が傷ついた」という判断を重ねるから、あなたは腹を立てるのだ。名誉とはあなたの意志のあり方であり、他人の唇が届く場所にはない

※他人は音を立てる。あなたはそれを「辱め」と解釈する。その解釈こそが、あなたを刺す真の短刀だ



・「金がない」。それは財布の状態を示す客観的な報告だ。しかし「生活できない、惨めだ」と嘆くのは、あなたの意志が下した勝手な格付けである。貧乏を追い出す必要はない。あなたの心の中に居座る「貧乏は悪だ」という偏見を追い出せ。そうすれば、あなたは「金のない自由人」として、王よりも堂々と歩くことができる

※不足しているのは物ではなく、現状をそのまま受け入れるための「判断の筋力」である



・嘘をつくのをやめよ。起きたことを、ただ起きたこととして語る練習を積め



・「友人が私を裏切った」。事実はここまでだ。この後に「だから私は不幸だ」という一文を繋げてはならない。前の文章は外部の出来事だが、後ろの文章はあなたの意志が捏造した物語である。事実は事実として、そこで記述を止めよ

※出来事の報告者に徹せよ。そこに感情的な判決を下す裁判官を介入させてはならない。



・「財布を落とした」「約束を破られた」「病気が見つかった」。事実はそこで完結している。その後に「だから私は不幸だ」「人生は不公平だ」という二の句を継ぐのをやめよ。最初の文は世界が書いたものだが、次の文はあなたが勝手に書き加えた創作フィクションだ。事実に余計な一行を付け足さない、その潔さだけがあなたを救う



・「誰も何もくれない」ことは事実かもしれないが、それによって「あなたの価値が減る」わけではない。物がないことを「欠乏」と呼び、それを「不幸」と定義するのは、あなたの判断ミスだ。外側の器が空であることと、内側の意志が満たされていることは、全く別の問題である

※追い出すべきは空の財布ではなく、それを「悪」と見なすあなたの偏見だ



・「雨が降っている」。これは事実だ。「だから今日の予定が台無しで最悪だ」これはあなたの捏造だ。一つ目の文章で記述を止めよ。二つ目の文章は世界があなたに突きつけたものではなくあなたが自分自身に浴びせた毒である



・誰かに罵られたとき、正確にこう記述せよ。「あの人が、私に向かって特定の音を発した」。それだけだ。そこに「私は侮辱された」という言葉を混ぜるから、あなたは震えるのだ。侮辱とは、あなたの同意なしには成立しない幻想である



・あなたが「これはどうしても失いたくない」と思うその瞬間、その物はあなたの主人となる。高価な家具、便利な道具、築き上げた名声。それらを「かけがえのないもの」と呼ぶのをやめよ。それらは一時的にあなたの手元にある貸与品に過ぎない。物に執着しなければ、物はあなたを縛る鎖にはなり得ない

※あなたが所有していると思っているものが、実はあなたを所有しているのだと気づけ



・誰かがあなたを辱めたとき、あなたは「自分を鍛える絶好のチャンスが来た」と喜ぶべきだ。そこで腹を立てるのは、せっかく用意されたトレーニングを台無しにする行為である。相手の無礼というヤスリが、あなたの角を落とし、魂を滑らかに磨き上げているのだと確信せよ

※自分を磨いてくれる者に感謝せよ。それが、あなたに悪意を向ける相手であっても



・世間の人々は、金銭や名誉を得ることを「利益」と呼ぶが、哲人は「自分の意志を正しく保つこと」を唯一の利益と呼ぶ。誰かに辱められたとき、あなたが怒りに身を任せず、穏やかさを保てたなら、あなたは莫大な「利益」を得たことになる。他人が何をしようとも、あなたの性格が向上したのなら、その出来事はあなたにとって「善いこと」だったのだ

※あなたを磨いてくれる者に感謝せよ。たとえ、その人があなたを害しようとしたとしても



・世間の人間は、金銭を奪われることを「損」と呼び、罵られることを「害」と呼ぶ。しかし、それらを通じてあなたが「怒りに支配されない自分」を手に入れたのなら、それは莫大な「利益」である。外側の事物を失っても、内側の徳が増したのなら、その取引はあなたの圧勝だ。 あなたを攻撃する者に感謝せよ

※彼らは自らの魂を汚してまで、あなたの魂を磨く機会をあたえてくれているのだ



・あなたはもう、何かが起きることを恐れて震える必要はない。むしろ、運命に向かってこう言い放て。「さあ、望むものを持ってくるがいい。失敗でも、裏切りでも、身体の痛みでもいい。私はそれらすべてを材料にして、私の魂をより高貴に、より自由にするための糧にしてみせよう」と



・ヘルメスの杖とは、特別な才能ではなく、あなたの「同意の力」のことだ。起きたことに対して「これは私を傷つける悪だ」と同意するのをやめ、「これは私を鍛えるための有益な素材だ」と判断せよ。その判断の転換こそが、毒を薬に変え、絶望を希望へと変える唯一の魔術である

※出来事そのものに力はない。それをどう「使う」かというあなたの意志にのみ、全能の力が宿っている



・状況があなたを不幸にすることを許すな。あなたが状況を「幸福の踏み台」に作り変えよ



・『不運』を持ってこい。私はそれを『不屈』という黄金に変えてみせよう



・『最悪の事態』を持ってこい。私はそれを『最高の教訓』に変えてみせよう



・意志の杖で触れたものすべてが、あなたの徳を証明するための宝物となる



・世界があなたを地獄へ突き落とそうとしても、あなたの意志がそれを『天国への階段』に変えるだろう



・病、死、貧困。これらはそれ自体で「悪」なのではない。あなたの意志が形を与える前の、ただの「未加工の材料」に過ぎない。優れた彫刻家が石の質を問わずに見事な像を切り出すように、あなたも持ち込まれた素材を拒むな。意志という杖で触れれば、どんな泥であっても「気高さ」という黄金へと姿を変える



・「幸運が来ればいい」と願うのは、環境の奴隷である。あなたは運命に向かってこう言い放て。「何でも好きなものを持ってくるがいい。失敗、中傷、身体の痛み、あるいは死であっても。私はそれらすべてを私の手元で『利益』に変えてみせよう」と



・「幸運が訪れますように」と願うのをやめよ。それは他力本願の奴隷の祈りだ。あなたはヘルメスの杖を携え、運命に向かってこう言い放て。「何でも持ってくればいい。最悪の挫折でも、肉体の衰えでも、死の宣告でも。私はそれらすべてを、私の魂を磨き上げるための『利益』に変えてみせよう」と



・「病気になったらどうするか」と問うのは、戦場を前にして「敵が来たらどうするか」と震える兵士と同じだ。病気は、あなたが健康な時に学んだ「平静」が本物かどうかを示す、最高のデモンストレーションの場である。医者に媚びず、死に怯えず、ただ「自然の意志に従う人間は、かくも凛としていられる」という事実を世界に示せ



・貧乏、官職の剥奪、死刑の宣告。世俗の人々が「不幸」と呼ぶリストをすべて持ってくるがいい。ヘルメスの杖を持つあなたは、それらを「自由」や「自足」、「不屈」という名の黄金に書き換えることができる。あなたが正しく考えている限り、世界はあなたを幸福にすることしかできない

※「どうなるか」を心配するな。「どう扱うか」を決定せよ。それで十分なのだ



・「病気にならないように」と祈るのは、競技者が「試合がありませんように」と願うようなものだ。病気こそは、あなたが健康な時に培った「自足」と「忍耐」を世界に示す、最高のデモンストレーションの場である。寝台に横たわりながらも、精神だけは直立せよ。医者に媚びず、運命を呪わず、ただ静かに「自然の意志」を体現せよ



・病気になったとき、あなたは「なぜ私が」と嘆くのではなく、「ついに私の出番が来た」と喜ぶべきだ。健康な時に説いた「平穏」が偽物ではなかったことを証明する、これ以上の舞台はない。苦痛の中でも品位を失わず、死の影が差しても静かに微笑んでみせよ。言葉によらないその沈黙の説教こそが、世界に「自由な人間」の真実を教え込む



・『不運』を持ってこい。私はそれを私の意志で『羨むべき幸福』へと変えてみせよう



・哲学とは、人生に起きるすべての出来事を『自分にとっての利益』に書き換えるための無敵の翻訳術である



・格闘の師範が、最も有望な門下生に対して最も手強い練習相手をぶつけるように、ゼウスはあなたを鍛え上げるために、あえて困難な状況を差し向けている。苦痛、病、中傷。これらはあなたを打ちのめすための敵ではなく、あなたの魂を鋼に変えるための「神聖なスパーリングパートナー」である

※「なぜ私だけが」と嘆くのをやめよ。それは「なぜ私だけが、こんなにも期待されているのか」という栄誉への問いであるべきだ



・ヘラクレスを英雄にしたのは、エウリュステウスが課した不条理な難業の数々だった。ネメアのライオンやヒュドラがいなければ、彼は名もなき力自慢で終わっていただろう。あなたの人生に現れる「怪物」——理不尽な上司、癒えぬ病、突然の喪失——こそが、あなたを凡夫から英雄へと変貌させるための不可欠な「素材」である

※困難を「不運」と呼ぶな。それはあなたが「英雄」であることを証明するための、唯一の舞台装置である



・神はあなたを愛している。だからこそ、あなたを安逸という名の『腐敗』に放置せず、困難という名の『鍛錬』に投げ込むのだ



・人々はオリュンピアへ行き、他人が殴り合い、血を流すのを金を払って見物する。だが、目の前で一人の人間が「死」や「激痛」という強敵と取っ組み合い、自らの品位を賭けて戦っているというのに、なぜ立ち止まって見届けようとしないのか。病は不運ではない。それは、あなたがこれまで鍛えてきた「自制」と「不屈」が、実戦でどれほど通用するかを試す、人生最大のタイトルマッチである



・皮膚を焼く熱病は身体の故障に過ぎない。しかし、羨望、嫉妬、恐怖、満たされぬ欲求――これらこそが、魂を腐らせる真の病である。もしあなたが「死や貧困は悪ではない」という正しい判断ドグマを盾に持っているなら、熱病の中にいてもあなたは健康であり、牢獄の中にいてもあなたは自由である



・神があなたを、貧困や死という難題の前に立たせたのは、あなたを嫌っているからではない。むしろ、あなたを「このレベルの試練を与えても、決して屈しない強者」として、神聖な軍団の最前線に配置したのだ。不平を言うのは、あなたの指揮官ゼウスの眼力を疑う、最大の不敬である

※「なぜ私なのか」ではない。「私こそが、これにふさわしい」と胸を張れ



・病気は身体の不具合であって、あなたの『意志』の不具合ではない。機械の故障を、運転手の敗北にするな



・あれが手に入れば幸せになれるのに」という思いは、決して満たされることのない渇きだ。なぜなら、その欲望の対象はあなたの支配下にないからだ。自分の支配下にないものを欲することは、自ら進んで奴隷の鎖を首に巻く行為に等しい



・幸福を外に求めるのは自分の影を捕まえようとして走る子供の遊びに似ている



・探し物は、あなたが今立っているその足元————あなたの『心』の中に、最初から置かれている



・病気の果てに訪れるのは、肉体の分解という物理的な事実(死)に過ぎない。しかし、その手前であなたを震えさせ、卑屈な妥協を強いるのは「死への恐怖」という精神の病だ。この恐怖を抱いている限り、あなたはあらゆる脅しに屈し、他人の奴隷であり続ける

※死はあなたを傷つけない。死を「恐ろしい」と決めつけるあなたの誤解が、あなたを傷つけているのだ



・「死」の正体を暴き、それを単なる「退場」へと格下げせよ。舞台の幕が下りるのを、役者は「悪」とは呼ばない。それは単に「役割の終了」である。人生という劇においても、死とは衣装を脱ぎ、舞台裏へ戻ることに過ぎない。あらゆる読書も議論も、この一点 ———「死は恐れるに足りない」という確信——— を築くために捧げよ



・ストアの賢者は言う。「部屋の空気が煙たければ、外へ出ればよい」と。死という扉が常に開かれていることを知る者は、どんな逆境も「耐えられない」と嘆くことはない。いつでも立ち去る自由があるからこそ、あえて留まって勇敢に戦うことができるのだ

※死を味方につけよ。出口を確保した者だけが、人生という戦場を誰よりも大胆に駆け抜けることができる



・奴隷は主人から解放されることを願うが、いざ自由の身になると、今度は「飢え」や「情欲」や「世間体」という、前の主人よりもはるかに残酷な新しい主人の言いなりになる。あなたが「もしこれさえ手に入れば自由になれる」と言っているその「これ」こそが、あなたを繋ぎ止める新しい鎖だ

※場所を変え、地位を上げても、あなたの「欲望」が消えない限り、あなたはただ、檻の広い刑務所に引っ越したに過ぎない



・成功とは、しばしば『より贅沢な牢獄』への入居手続きに過ぎない



・奴隷は主人から解放されることを願うが、いざ自由の身になると、今度は「空腹」や「家賃」や「孤独」という、前の主人よりもはるかに冷酷で休みのない主人の顔色を伺い始める。あなたが「この仕事さえ辞めれば」「この場所から逃げ出せれば」と考えているなら、あなたはただ、より広い檻へ引っ越そうとしているだけだ

※場所を変えても、あなたの「渇き」が消えない限り、あなたは永遠に何かの物乞いであり続ける



・もしあの指輪(富の象徴)が手に入れば、生活にゆとりができる」と夢見る者は、すでにその指輪に精神を支配されている。それを手に入れるために卑屈な努力を重ね、手に入れた後はそれを守るためにさらに神経をすり減らす。あなたが「これがないと幸せになれない」と定義したすべての事物は、あなたの首にかけられた新しい「手綱」である

※真の自由人とは、富の中にいても、それをいつでも捨てられる準備ができている者のことだ



・人々は「生きて人の役に立ちたい」と言うが、そのために自らの品位を汚し、卑屈に生き長らえるなら、もはや誰の役にも立っていない。むしろ、死ぬべき時に死ぬべき理由のために毅然と命を置くこと。その「見事な退場」こそが後に続く人々に運命に屈しない勇気という名の、最も価値ある遺産を与えるのだ

※生者の言葉よりも死者の「最後の一撃(決断)」の方がはるかに雄弁に真実を語ることがある



・ソクラテスが脱獄を選ばず、毒杯を仰いだのは、彼が死にたかったからではない。自分が説いてきた「正義」を完成させるためだった。もし彼が卑怯に生き延びていたら、彼の教えはただの空論として忘れ去られただろう。彼が死んだことでその記憶は不滅の松明となり、数千年にわたって私たちの魂を照らし続けている

※完成された死は、不完全な生が到達し得ない「永遠の有用性」を獲得する



・優れた役者は、舞台に長く留まることではなく、自分の出番を完璧に演じ、最高のタイミングで幕を下ろすことに心を砕く。神があなたに「退場」を命じたなら、それを「奉仕の終了」と嘆くのではなく、「完成の儀式」として受け入れよ。あなたが潔く去る姿を見て、人々は「自由な人間とは何であるか」を初めて理解する

※死は敗北ではない。それは、あなたの「美徳」という名の劇を完遂させる、最終的な演出である



・ソクラテスは死後もなお、どの生者よりも多くの人間を導き続けている



・『どう生きるか』への回答は、しばしば『どう死ぬか』の中に隠されている



・ただ死を想うだけでは足りない。今日、自分が辱められ、鞭打たれ、故郷を追われる姿を克明に描き、その最中にあっても「私の意志は依然として私の支配下にある」と言い切る練習をせよ。不測の事態に驚くのは、あなたの「返却の練習」が不足している証拠だ

※最悪の事態を「知っている」ことに変えよ。そうして初めて、あなたは運命という暴君の支配から卒業できる



・鞭打たれる練習をせよ。肉体の痛みよりも、それによって『心が乱れること』を最大の辱めとせよ



・人々は「あの大金が手に入れば」「あの地位に就ければ」と夢想するが、いざそれを手に入れても、太陽の熱は変わらずあなたを焼き、海は相変わらず荒れ狂う。外側の世界は、あなたが誰であろうと関係なく、その本性に従って動くからだ。同じように、あなたの内なる不安も、対象を手に入れただけでは消えはしない

※場所を変え、持ち物を変えても、あなたの「不満を抱く癖」を変えない限り、あなたは永遠に安らぐことはない



・自由とは「足し算」ではなく、分母を減らす「割り算」である。世間は、手に入れるもの(分子)を増やすことで満足を得ようとする。しかし分母である「欲望」が無限であれば、答えは常にゼロに近づく。真の自由とは、分母である欲望を限りなく小さくすることだ。欲しいものを手に入れる努力を欲しがらない自分を作る努力へと切り替えよ

※満たされないのは、供給が足りないからではない。あなたの「欲しがる力」が強すぎるからだ



・「これさえあれば幸せになれる」という考えは、喉が渇いて海水を飲むようなものだ。飲めば飲むほど渇きは激しくなり、あなたはますます事象の奴隷となる。あなたが「必要だ」と思い込んでいるもののリストを、毎日一つずつ削り取れ。 持っていないことを嘆くのをやめ、持たなくても平気な自分を誇れ。それこそが、王者にのみ許された真の贅沢である



・あなたはこれまで、外側の障害を取り除こうと必死に汗を流してきた。だが、その努力を自分の内側にある「期待」や「拒絶」を制御することに向けたことはあるか。世界を自分の思い通りに作り変えることは不可能だが、自分の心を整えることは今すぐにでも始められる

※外側の勝利は「運」に左右されるが、内側の勝利は100%あなたの「意志」に委ねられている



・自由とは、欲しいものをすべて手に入れることではなく、何も欲しがらない状態のことである



・物質を増やすことで自由になろうとするのは、火に薪をくべて火を消そうとするようなものだ



・もし誰かがあなたの金を奪ったなら、あなたは「金」という外的なものを失ったが、代わりに「この程度のことでは乱されない心」という内的な宝を買い取ったのだ。金はいつか必ず消えるが、鍛えられた不動力は一生あなたのものだ

※失ったものの価値を数えるのをやめ、その代償として手に入れた「精神の筋力」を誇れ



・金で『平穏』が買えるなら、あなたは安い買い物をしたことになる。損失とはそのチャンスのことだ



・取引を忘れるな。運命が何かを奪うとき、それは必ずあなたに『徳』という報酬を提示している



・誰かがあなたの物を盗んだり、壊したりしたとき、心の中でこう唱えよ。「これが私の『安らぎ』のために支払う代価である。これが『乱されない心』という名の果実を手に入れるための、安すぎる授業料である」と



・「壊れるもの」を売って「壊れないもの」を買う



愛着のある品が壊れたなら、それを悲しむのではなく、あなたの「受容力」を鍛える研石とせよ。外的な事象はすべて「壊れる本性」を持っている。それらが壊れる際、あなたの「不動の意志」が微塵も欠けなかったなら、あなたはゴミクズを売って純金を買い取ったことになる

※失われたのは物質であり、得られたのは「運命に屈しない精神」である。どちらがより高価な資産であるかは、言うまでもない



・不幸とは『支払うべきものを支払いたくない』という我儘の別名である



・壊れた大切なものと引き換えに『怒らない心』を買えるなら、それは人生で最も安い買い物である



・幸福とは、外側の天候を気にすることではなく、内側に『不変の晴天』を保つことである



・『失う』のではない。『返却する』のだ。この言葉を呼吸のたびに繰り返せ



・ソクラテスが気難しい妻に耐えたのは、彼が弱かったからではない。荒れ馬を乗りこなす者が、どんな馬をも御せるようになるのと同様に、最も扱いにくい人間と平穏に暮らせるならば、全宇宙の誰と対峙しても乱されない自分になれると知っていたからだ



・誰かがあなたに水を浴びせ、あるいは言葉の暴力を振るったとしよう。濡れたのはあなたの「服」であり、響いたのは「空気の振動」に過ぎない。もしあなたがそれを「侮辱された」と判断しなければ、あなたの魂は一点の汚れもなく、乾いたままでいられる

※被害者になるかどうかを決めるのは、相手の行動ではなく、あなたの「解釈」である



・息子が言うことを聞かない、隣人が礼儀を知らない。それは彼らの魂の病であり、彼らの落ち度である。なぜ他人の失敗のために、あなたが自分の心の平穏という財産を支払わねばならないのか。あなたの唯一の職務は、彼らがどうあろうとも、自分だけは「正しく、穏やかで、親切であること」を維持することだ

※他人の狂気に、自分の正気を差し出すな



・ソクラテスにとっての妻は、戦士にとっての『重い鎧』と同じだった。それが彼を強くしたのだ



・誰かが叫び、子供が泣き、周囲が騒がしいとき、それを「静寂を妨げる邪魔もの」と考えるな。むしろ、それらを「精神の集中力を高めるためのトレーニング・マシン」として歓迎せよ。外部の嵐の中でも読書に没頭し、思索を深めることができたなら、あなたは場所を選ばない「真の自由」を手に入れたことになる

※真の静寂とは、周囲が静かなことではなく、内側が静かなことである



・誰かが怒鳴っている。それは『空気が激しく震えている』という物理現象に過ぎない



・恐怖の正体は、あなたの「過大評価」にある。暴君が恐ろしいのは、あなたが「命」を過大評価しているからだ。貧困が恐ろしいのは、あなたが「快適さ」を過大評価しているからだ。それらを「なんの価値もない、自分に属さないもの」として定義し直せ

※対象の価値を貶めることは、自分自身の魂を格上げすることに他ならない



・自信とは、外側の勝負に勝つことではなく、「何が起きても、私は正しく判断し、正しく耐えることができる」という自分自身への確信である。外的な事象を「無価値」と切り捨てるたびに、その切り捨てた分だけ、あなたの「意志」の純度は高まっていく



・『失って困るもの』を一つ減らすたびに、あなたの自信は一つ深まる



・誰かがあなたより高価な車に乗り、広い家に住み、賞賛を浴びているのを見て、なぜ自信を失う必要があるのか。それらは「運」や「他人の気まぐれ」という、あなたとは無関係な領域での出来事だ



・あなたが何かに怯え、自信をなくしているとき、あなたは必ず「自分に属さないもの」に高い値段をつけてしまっている。貧困が怖いのは「快適さ」を、中傷が怖いのは「他人の唇」を過大評価しているからだ



・自信とは、自分の外にある『ゴミ』を、ゴミだと正しく認識することから始まる



・他人があなたを「愚かだ」と思うとき、その「思い」はどこにあるか。それは他人の脳の中という、あなたから最も遠い場所にある。あなたがその場所に手を伸ばし、わざわざ自分の心に持ち帰って苦しむのは、他人の家のゴミを拾い集めて自分の宝物庫に入れるようなものだ

※他人の意見は、その人の所有物であって、あなたとは一寸の関わりもない



・「自由とは意志の及ばないことを手放すことだ」と、あなたは何度も耳にし、読んできたはずだ。それなのに、誰かの一言で顔を赤らめ、夜も眠れなくなるのはなぜか。あなたは「自由」を学んだのではない。ただ「自由という言葉」を覚えただけだ

※真の学びは、中傷を受けたその瞬間に「これは私のものではない」と微笑んで立ち去る、その足取りの中にのみ存在する


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