第89話 視察前夜
フライハイト領、ノルド・ステーション。
宇宙港を見下ろす執務室には、今日も今日とて静かな電子音が響いていた。
俺、クロウ・フォン・フライハイトは、デスクに積み上がった膨大なデジタル書類と格闘していた。
領内の経済成長に伴い、決済すべき案件は指数関数的に増えている。
映画の興行収入、新素材の取引、他領からの移民申請……。
嬉しい悲鳴ではあるが、冒険活劇の主人公にしては地味なデスクワークだ。
「マスター、少し休憩なさっては?紅茶を淹れました」
傍らに控えるシズが、湯気の立つカップを差し出す。
「助かる。……まったく、勇爵ってのも楽じゃないな」
俺がカップに手を伸ばした、その時だった。
デスク上の通信端末が、けたたましい緊急コールを鳴らした。
表示された識別コードは『最高優先度』。
しかも、発信元は――
「……皇宮からの直通回線?」
俺は眉をひそめた。
嫌な予感がする。
俺は姿勢を正し、表情を「忠実な帝国貴族」のものに切り替えてから、通話ボタンを押した。
ホログラムが展開され、そこに一人の人物の姿が浮かび上がる。
透き通るような白磁の肌に、整った顔立ち。
一見すれば20代の美しい青年にしか見えない。
だが、その双眸だけが異様だった。
若々しい容姿とは裏腹に、数百年、いや数千年もの時を生きてきたかのような、底知れぬ深淵と倦怠。
そして何より、人間という種そのものを、足元の蟻のように見下す冷酷な光が宿っていた。
現元老院議長にして、不老不死の肉体を持つ皇族。
ゼルク・フォン・グラングリア殿下だ。
『――突然の連絡すまないね。フライハイト卿』
声もまた、若々しく張りがある。だが、そこには一切の温度がない。
ネメシス由来の遺伝子を体に取り込み、人の理を外れた化け物特有の響きだ。
「ゼルク殿下!これはこれは、お久しぶりでございます。本日はどうなさいましたか?」
俺は椅子から立ち上がり、恭しく一礼した。
腹の中では「何の用だ、不死身の小僧め」と毒づきながらも、声色はあくまで朗らかだ。
『ふん。……他でもない、卿の領地経営についてだ』
ゼルクは退屈そうに指先を弄びながら言った。
『先日、財務省から報告を受けてな。フライハイト卿とその寄子からもたらされる税収は、他領の平均の10倍……いや、それ以上だというではないか。短期間で辺境をここまで立て直したその手腕、実に卓越している』
「過分なお褒めの言葉、恐縮です。全ては陛下と殿下の御威光のおかげでございます」
『謙遜はよい。……そこでだ。余は、卿のその素晴らしい統治を、ぜひこの目で見たいと思ってな』
ゼルクの美しい顔が、サディスティックに歪んだ。
それは、新しい玩具を見つけた子供のような、あるいは実験動物を見る科学者のような残酷な笑みだった。
『是非とも、視察がしたいのだ』
来たか、と思った。
「視察」という名の「腹の中を探る行為」。
映画の公開で俺の実力に危機感を抱いた皇族連中が、動き出した証拠だ。
「なるほど、承知しました。殿下直々に足をお運びいただけるとは、領民一同、歓喜に震えることでしょう。……して、日程はいつ頃になりますか?」
『善は急げと言うだろう? 数日中には帝国首都星を立つ予定だ』
ゼルクはそこで言葉を区切り、まるでピクニックに行くような軽い口調で、とんでもないことを付け加えた。
『ああ、それと。……余も皇族の端くれだ。万が一、下賤な暴徒などに襲われては不快なのでな、護衛の帝国軍艦隊を10万隻ほど同行させる。……構わんな?』
10万隻。
それは護衛の数ではない。
小規模な国家なら一夜で滅ぼせる、侵略軍の規模だ。
俺の領地を包囲し、威圧し、何かあれば即座に攻撃できる態勢で乗り込んでくる気だ。
だが、俺は顔色一つ変えずに答えた。
「10万隻、ですか。殿下の尊い御身を守るためならば、少なすぎるくらいかと存じます。……はい、殿下。心よりお待ちしております」
『うむ。話が早くて助かるよ。では、現地で会おう』
プツン。
通信が切れた。
ホログラムが消えた執務室に、重苦しい空気が流れるかと思いきや――俺は即座に表情を崩し、ふてぶてしくソファに座り直した。
「……見たか、あの目。人間を家畜か何かだと思ってやがる」
俺は不快感を隠さずに吐き捨てた。
見た目は若いが、中身は腐りきった老人。それが今の帝国の支配者層だ。
「10万隻の『護衛』だとよ。笑わせる」
それを見ていたシズが、冷静に分析を述べる。
「マスター。恐らく映画の効果ですね。視察と言いつつ、実情は『監査』……いえ、『捜索』でしょう。我が領内に、映画に出てきた『ラグナロク』が存在しないか、あるいは違法な超兵器の開発拠点が隠されていないか、物理的に探しに来るつもりです」
「だろうな。映画のリアルさにビビった連中が、尻に火がついて飛んでくるってわけだ」
ゼルクの狙いは明白だ。
10万の大艦隊で領内を埋め尽くし、強引に立ち入り検査を行う。
そして、少しでも怪しいものが見つかれば、それを口実に俺を断罪し、あわよくばラグナロクを没収するつもりだろう。
「ですが、10万隻もの艦隊に領内を歩き回られては、見つかるリスクがあります。……どうなさいますか?迎撃しますか?」
シズが物騒な提案をする。
俺は手を振って否定した。
「いや、迎撃したらそれこそ相手の思う壺だ。『反乱』のレッテルを貼られて総攻撃を受ける。……ここは、搦め手で行くぞ」
「搦め手、ですか?」
「ああ。奴らの目的は『隠された秘密を暴く』ことだ。つまり、コソコソと粗探しをしたいわけだ」
俺はニヤリと笑った。
「だが、奴らだけにジロジロ領内を見られるのも癪だな。……おい、シズ。ローレンスに連絡しろ」
「ギャラクティカ・ムービー社のローレンス社長ですか?」
「そうだ。奴はプロパガンダ映画を手がけた実績もあるはずだ。……今回の視察を、一大イベントにする」
俺は空中に指でタイトルを描くように動かした。
「タイトルはそうだな……『帝国の慈愛!美しきゼルク殿下が辺境の発展を視察される感動のドキュメンタリー』だ」
シズが瞬きをする。
「……ドキュメンタリー、ですか?」
「ああ。ローレンスに、最高級の撮影クルーと機材を用意させろ。カメラの数は数百……いや、数千台だ。ゼルク殿下が到着した瞬間から、24時間体制で密着取材させる」
俺は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「『領内の発展と殿下の来訪』という極上の素材だ。全銀河に生中継してやろう。……数千台のカメラと、1000兆人の視聴者の視線に囲まれて、コソコソと粗探しが出来ると思うなよ、殿下……」
皇族は、体面を何よりも重んじる。
特にあのゼルクのようなプライドの塊なら尚更だ。
「慈愛深い視察」という名目でカメラを向けられれば、彼らはその「役」を演じざるを得ない。
笑顔で領民に手を振り、工場の視察でも「素晴らしい」と褒めるしかない。
裏で軍隊を動かして強引な家宅捜索など、カメラの前では絶対にできないのだ。
「なるほど……。監視の目を逆に利用し、相手の手足を縛るわけですね。エンターテインメントを武器にするマスターらしい作戦です」
「そういうことだ。シズ、すぐに手配しろ」
「承知しました。ローレンス社長に連絡をとります。彼なら『独占スクープだ!』と飛びついてくるでしょう」
シズがテキパキと通信を始める横で、俺は次なる手を打つために別の回線を開いた。
相手は、要塞惑星『アイリス』に居る、クロエだ。
彼女は元・反帝国レジスタンスの幹部であり、今は俺の配下として、その豊富な実戦経験を買われ、要塞惑星の指揮を任せている。
『はい閣下!どうしましたか?帝国の艦隊を沈めろという命令ですか?』
勇ましい声と共に、軍服を着崩した女性のホログラムが飛び出す。
「物騒なことを言うな。……いや、あながち間違ってもいないが」
俺は真剣な声色で告げた。
「ゼルク殿下が、10万の艦隊を引き連れてフライハイト派閥の所領に査察に来る。……お前たちの存在がバレるのはまずい」
物理的に存在する巨大要塞惑星が見つかれば、一発でアウトだ。
今は惑星エンドの衛星軌道上に浮いているが、これを目ざとい監査官たちに見せるわけにはいかない。
「アイリスを隠す必要がある。暗礁宙域に移動させておけ」
『ええっ!?アイリスを移動ですか?』
クロエが不満げに声を上げる。
『待ってください閣下!アイリスには熱光学迷彩と流体金属装甲があります!帝国軍のレーダー網なんて完全に無力化できますし、目の前にいても風景と同化して絶対に気づかれませんよ?わざわざ動かす必要なんて……』
「慢心するな。……いいか、アイリスは直径1万キロの巨体だ」
俺は諭すように言った。
「いくら迷彩で見えなくても、センサーに映らなくても、物理的にはそこに『在る』んだよ。10万隻もの艦隊がうろちょろするんだぞ?もし一隻でも、何もないはずの空間に激突してみろ。『見えない壁』の存在がバレて、一発でアウトだ」
『あ……』
クロエが言葉を詰まらせる。
確かに、1万キロの質量をごまかすことは物理的に不可能だ。
事故が起きれば誤魔化しが効かない。
『……確かに、そうですね。ぶつかられたら終わりですもんね』
「分かったら急げ」
『了解です、閣下!』
クロエとの通信を切り、俺は最後の仕上げにかかった。
「……さて。カメラで縛り、証拠は隠した。あとは『物理的な圧力』への対策だな」
ゼルクは10万隻の艦隊を連れてくる。
いくらカメラがあっても、あの冷酷な男が逆上して武力行使に出た場合、丸腰では危険だ。
「礼儀」には「礼儀」で返さなければならない。
俺は回線を開いた。
相手は、フライハイト軍総司令官、ヴォルフだ。
『閣下、どうしたんだ?また何か、面白い作戦か?』
ヴォルフのいかつい顔が表示される。
背景には、ラグナロクのブリッジが見える。
口調は丁寧だが、その眼光は鋭く、歴戦の猛者としての迫力を漂わせている。
「ああ、面白いことになりそうだぞ、ヴォルフ」
俺はニヤリと笑った。
「ゼルク殿下が、フライハイト派閥の所領を査察しに来る。……直々に10万隻の艦隊を引き連れてな」
『10万……?フッ、物騒な「視察」だな。完全に喧嘩を売りに来ているな』
ヴォルフが獰猛な笑みを浮かべ、手袋を締め直す音が聞こえた。
「ああ。そこでだ。……殿下の尊い御身を守るために、我々も最大限の『護衛』を出す必要があるだろ?」
俺の意図を察したヴォルフが、深く頷く。
『なるほど、そういうことか。……腐っても皇族、生半可な数では失礼に当たるからな』
ヴォルフは冷静に、しかし楽しげに計算する素振りを見せた。
『相手が10万……万全を期して、こちらは60万隻が必要だな』
「分かってるじゃないか、ヴォルフ」
60万隻。
俺の保有する表向きのフライハイト軍の全軍を動員する。
10万の敵に対し、6倍の戦力で「護衛」するのだ。
それは事実上の「包囲」であり、「完全封鎖」である。
「60万隻で、ゼルクの艦隊をガッチリとガードして差し上げろ。前後左右上下、全方位からな。……奴らが怪しい動きを一切出来ないように、親切丁寧にな」
『了解。……殿下の艦隊、肝を冷やして逃げ出すかもな?まぁ、最高のお出迎えを期待してくれ』
ヴォルフが力強く敬礼し、通信が切れる。
「……ふぅ」
俺はソファに深く沈み込み、天井を見上げた。
メディアによる監視。
証拠の隠滅。
そして、圧倒的戦力による包囲。
「歓迎準備は万端だ。……さあ、いらっしゃいませ、不老不死の若造殿」
俺の唇が、捕食者の形に歪んだ。
数週間後、このノルド・ステーションは、銀河で最もスリリングな舞台となるだろう。
カメラの前で、あの涼しい顔が引きつるのを見るのが、今から楽しみで仕方なかった。




