第83話 メネシス養殖場
激しい閃光と爆発が宇宙の彼方で繰り返されている頃。
その喧騒から遠く離れたネメシスの本拠地、『ネスト』の上空には、不気味なほどの静寂が広がっていた。
クロウの乗る超弩級戦艦ラグナロクが派手なドンパチで敵の主力艦隊を引きつけている裏側。
100万隻の無人艦隊は、赤黒く変色した惑星の重力圏へと滑り込んでいた。
『――作戦領域に到達。対空砲火、なし。敵性反応、全て囮艦隊へ指向中』
旗艦ラグナロクのサーバールームに鎮座する戦略統合AI『オーディン』は、100万隻の艦船を自らの手足のように制御していた。
『スキャン開始。……地表より、多数の微弱な生体反応を確認。パターン照合……要救助者の女性と断定』
センサーが捉えたのは、地下深くに広がる地獄のような反応だった。
オーディンは即座に決断を下す。
『降下シークエンス移行。目標、地下プラントへの入口』
100万隻の艦隊が、一斉に高度を下げる。
眼下に広がる大地は、岩や土ではない。
地表全てがネメシスの細胞で覆われ、赤黒い肉塊が脈打ち、至る所から血管のようなパイプと触手が生えている。
この惑星は、もはや天体ではなく、宇宙空間に浮かぶ巨大な臓器そのものだった。
ズズズズズ……グチャリ。
無機質な着陸脚が、粘液に濡れた肉の大地を踏みしめる。
生々しい音と共に、鋼鉄の艦隊が「着陸」した。
本来なら、異物が接触した時点で惑星全土のネメシスが襲いかかってくるはずだ。
だが、周囲の触手はピクリとも動かない。
金属の塊である艦船には、「食欲」も「性欲」も刺激されないからだ。
クロウの読み通り、ネメシスは機械には一切興味を示さなかった。
艦内には、オーディンの愛想のない、しかし絶対的な命令音声が響き渡る。
『全ドロイド出撃。生命体探知モードを起動せよ』
ハッチが開放される。
「ラジャー!ラジャー!ラジャー!」
一糸乱れぬ機械音声と共に、銀色の奔流が地上へ溢れ出した。
投入されたのは、クロウがこの日のために量産した1兆体の戦闘用ドロイド。
そして、救助者を搬送するための救護輸送車が数千億台。
質量による暴力。
だが、それは破壊のためではなく、救済のための行軍だった。
***
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
無機質な足音が、肉の洞窟に響く。
ドロイド軍団は、地下深くへと続く生体トンネルをひたすら進んでいた。
壁面は常に蠕動しており、天井からは消化液のような粘液が滴り落ちている。
温度は高く、湿度は100%。
充満する腐臭。
だが、ドロイドたちは眉一つ動かさない。彼らには嗅覚も不快感もないからだ。
行く手を阻む触手の壁があれば、無言でレーザーライフルを撃ち込み、焼き払って道を作る。
ネストの防衛機構である小型のネメシスが時折現れるが、ドロイドを岩か何かだと認識しているのか、素通りしていく。
既に地下数キロメートル。
オーディンの演算処理が、マップデータを更新し続ける。
『深度5000到達。……前方に広大な空洞を確認。生体反応、多数』
ドロイド軍の先頭が、巨大な隔壁代わりの括約筋を焼き切り、その先へと踏み込んだ。
そこは、地獄の最下層だった。
「…………」
カメラドローンを通じてその光景を解析していたオーディンでさえ、一瞬、処理ラグを起こしかけるほどの光景。
見渡す限りの広大な空間。
天井も壁も床も、すべてが赤黒い肉で構成されたその場所には、数千億という単位の人間が「並べられて」いた。
銀河共和国の女性たちだ。
彼女たちは一人残らず、壁や柱と一体化した椅子のような生体器具に固定されていた。
四肢は太い触手によって拘束され、ピクリとも動かせない。
そして、その身に纏っているのは衣服ではない。
肌にへばりつくように巻き付いた、極薄の粘膜質の「触手の服」。
それは単なる拘束具ではなく、内側に無数の微細な突起を持ち、着用者の神経に直接干渉して、常に強制的な性的興奮と筋弛緩を与え続けるよう設計されていた。
彼女たちの瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
口にはネメシスの太い触手が喉の奥深くまで押し込まれ、呼吸は確保されているものの、声を出すことはおろか、舌を動かすことさえ封じられている。
そして何より残酷なのは、彼女たちの腹部だ。
全員が臨月のように大きく膨れ上がり、胎内で脈打つ「異物」の鼓動が、薄い皮膚を通して外からも見て取れた。
ネメシスを、妊娠させられているのだ。
『……解析完了。個体管理システム、栄養供給ライン、排泄処理、そして強制妊娠と出産サイクル……すべてが自動化され、効率化されている』
オーディンは冷徹に事実を分析した。
これは単なる捕食者の巣ではない。
「人間」という資源を利用して、効率的にネメシスを生産するための工業プラントだ。
ネメシスの脅威的なところは、このおぞましい繁殖システムを自ら考案し実現している点にある。
奴らはただ本能で動く獣ではない。
他種族の生理機能を解析し、最大限に利用するだけの高度な知性と、倫理観の欠如した悪意を有している証左だった。
『要救助者を確認。……これより、救出活動を開始する』
オーディンの指令が飛ぶ。
『推定生存者数、6000億人。……急げ』
「ラジャー。救出を開始シマス」
1兆体のドロイドが一斉に散開した。
彼らは躊躇なく女性たちの元へ駆け寄ると、腕に内蔵されたビームサーベルを起動した。
ブォン、という低音と共に、青白い光刃が伸びる。
「拘束ヲ、切断シマス」
ドロイドは精密な動作で、女性の手足を縛る触手、そして口を塞ぐ触手を切断していく。
ジュッ、という音と共に肉が焼け焦げる匂いが立ち込める。
ビームサーベルの高熱は、切断面を瞬時に焼き固めるため、ネメシスの驚異的な再生能力を阻害する効果があった。
物理的な刃物で切れば、数秒で再生して再び絡みついてくるだろう。
だが、焼灼してしまえば、再生には時間がかかる。
「……ぁ……っ……」
口の触手が取り払われ、拘束が解かれた女性が、力なく崩れ落ちる。
それを、待機していたドロイドが優しく抱きとめ、すぐさま担架に乗せる。
彼女たちの意識は混濁しており、自力で歩くことはできない。
『輸送班、搬送急げ。救護輸送車へ収容』
ベルトコンベア作業のような効率さで、救出劇は進んでいく。
膨大な数のドロイドが、手分けして6000億人の鎖を断ち切っていく。
その間、壁面から生えた監視用の目玉や、巡回する小型のネメシスたちは、機械たちの行動をただの「環境ノイズ」として無視し続けていた。
彼女たちが連れ去られようとしているのに、反応しない。
ネメシスにとって「動けない獲物」は風景の一部であり、「金属の塊」は認識対象外なのだ。
『回収率、50%突破。……急げ、上空の囮艦隊が稼いでいる時間は無限ではない』
オーディンは計算する。
現在、クロウ率いるラグナロクは、数兆の敵艦隊の猛攻を一手に引き受けている。
その奮闘のおかげで、ネストの防御システムは機能不全になっているが、万が一、敵の主力の一部が引き返してくれば、この救出部隊もただでは済まない。
「……ぁ、あ……」
担架で運ばれていく一人の女性が、薄く目を開け、ドロイドの銀色の顔を見上げた。
そこにあるのは、かつて自分たちを襲った有機的な怪物ではなく、冷たく硬質な、しかし頼もしい鋼鉄の救世主。
彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
『全生存者の確保完了。撤退せよ』
数時間の作業の後、6000億人の女性たちは全て救護輸送車に収容され、無人艦隊へとピストン輸送された。
空になった地獄の工場には、切断された触手の残骸だけが散らばっている。
『全艦、離脱』
ズズズズズ……。
100万隻の艦隊が、静かに地表を離れる。
重力制御によって音もなく上昇し、再び赤黒い空へと舞い上がった。
ネストのネメシスたちは、地下の異変に気づく様子もなく、ただ本能のままに宇宙空間のラグナロクだけを見つめていた。
『作戦成功。……マスター、これより帰還します』
それだけ、上空での戦闘が激しく、敵の注意が完全に逸らされているということだ。
オーディンは救出した6000億の命を乗せ、主の待つ戦場へと艦首を向けた。




