第78話 大統領と晩餐
超弩級戦艦ラグナロク、迎賓室。
そこは、無骨な軍艦の内部とは到底思えないほど優雅で、洗練された空間だった。
高い天井からはクリスタルのシャンデリアが柔らかな光を投げかけ、床には深紅の絨毯が敷き詰められている。
部屋の中央には、一本の巨木を切り出して作られた長大なテーブルが鎮座し、その上には、芸術品のような食器が整然と並べられていた。
「さあ、座ってくれ。粗餐だが、腹の足しにはなるだろう」
上座に着いた俺、クロウ・フォン・フライハイトが手で促すと、銀河共和国大統領ゼーベックとアトキンス提督、そして数名の側近が、恐縮した様子で席に着いた。
俺の周囲には、俺の「家族」と「腹心」が控えている。
正装に着替えたドロイドのシズ。
俺の最愛の妻シャルロットと、その手を握る愛娘のルル。
老練なる執事のギリアム、そしてフライハイト軍総司令官のヴォルフ。
最後に、この銀河出身の案内人、エリナリーゼだ。
「食事の前に、少しだけ説明しておこう」
俺はテーブルに並べられた料理を指し示した。
シズが腕によりをかけて作った、新鮮な野菜のサラダ、温かいスープ、そしてメインディッシュの厚切りステーキ。
「これらは全て、俺の領地で生産された『天然物』だ。合成ペーストでも、培養肉でもない。大地と太陽の恵みを受けて育った、本物の食材だ」
実際には、万能物質で分子レベルから組成を完全再現して生成したものだ。
だが、成分も味もDNA配列すらも、天然物と100%同一である以上、わざわざ能力のことを説明して混乱させる必要はない。
「ほ、本物の……肉と野菜、だと……?」
ゼーベックが、信じられないものを見る目で皿を見つめる。
彼らがおずおずとナイフを動かし、口に運んだ瞬間――その場が静まり返った。
カチャリ、とフォークが皿に当たる音だけが響く。
次いで聞こえてきたのは、すすり泣く声だった。
「……う、ううっ……」
「なんて……なんて豊かな味なんだ……」
大の大人が、国のトップたちが、子供のように涙を流して食事を貪っている。
生き残った1兆人の人類は、最後の砦であるイリス・プライム星系に押し込められ、そこで僅かな資源をリサイクルし、味気ない合成ペーストをすすって命を繋ぐことしかできなかったのだ。
彼らにとって、この食事は単なる栄養補給ではない。
奪われた「人間としての尊厳」と「平和な日常」の記憶そのものだったのだ。
俺は黙ってグラスを傾け、彼らが心ゆくまで「生」を噛み締めるのを待った。
満足げな、しかしどこか悲壮な彼らの横顔を見ながら、俺は改めて決意を固めていた。
これほどまでに生を渇望する者たちを、あの化け物どもの餌にはさせない、と。
***
食事が終わり、彼らの顔に生気が戻ったところで、俺たちは迎賓室の奥にある会議室へと移動した。
重厚な円卓を囲み、改めて向き合う。
空気は、感傷的な食事の席から、銀河の運命を左右する政治的・軍事的な会談のそれへと切り替わった。
「改めて自己紹介をしよう」
俺は彼らを真っ直ぐに見据えた。
「俺の名はクロウ・フォン・フライハイト勇爵。帝国貴族であり、帝国司法省大臣。……隣の銀河にある『銀河帝国』の大貴族だ」
その言葉に、一瞬だけ場がざわついた。
だが、予想していたようなパニックや敵意はない。
ゼーベックとアトキンスは顔を見合わせ、静かに頷いた。
「……やはり、そうでしたか」
ゼーベックが重々しく口を開く。
2メートルを超える巨躯に、額から生えたねじれた二本の角。
おとぎ話の『魔王』のような容姿を持つ大統領は、理知的な瞳で俺を見た。
「貴殿らの容姿……我々の記録に残る『原初の人類』そのものの姿。そして、彼女が導いてきたという経緯。……それらを考えれば、伝説にある『故郷の銀河』から来られたと考えるのが自然です」
「帝国、という言葉にアレルギーはないのか?」
俺が尋ねると、黒い肌と長い耳を持つアトキンス提督が苦笑した。
「我々にとって、帝国というのは数万年前の歴史書に出てくる『創造主にして支配者』の名です。確かに、我々の祖先を実験動物にした忌むべき存在ですが……貴殿は、我々を救ってくれた。過去の亡霊よりも、目の前の恩人を信じます」
「賢明な判断だ」
俺は頷いた。
彼らは、感情に流されず、現状を正しく認識できる理性を持っている。
これなら話が早い。
「ここに俺がいる理由は、エリナリーゼがワームホールを通って俺の領地まで流れ着き、助けを求めたからだ。……だが、それだけじゃない」
俺はホログラム・ディスプレイを操作し、二つの銀河の位置関係を表示した。
「俺の領地、フライハイト勇爵領には、お前らの祖先が逃げてきた際に使った『ワームホール』の出入口がある。……分かるな?もしお前らがここでネメシスに負け、食い尽くされれば、奴らは餌を求めてワームホールを通り、俺の庭に雪崩れ込んでくるということだ」
ディスプレイ上で、赤い矢印がワームホールを抜け、俺の領地を侵食するシミュレーションが映し出される。
「俺が加勢に来たのは、慈善事業じゃない。俺自身の領地を守るための『予防戦争』だ。……間に合って良かったよ。もう少し遅ければ、俺の領地が最前線になっていた」
「なるほど……。我々は、貴殿の防波堤として機能していたわけですか」
ゼーベックは納得したように言った。
それは冷徹な事実だが、彼らにとっても悪い話ではない。利害が完全に一致しているからだ。
「ですが、クロウ殿」
アトキンスが、鋭い視線を向けてきた。
「一つ、解せないことがあります。……貴殿は『帝国貴族』と名乗られました。しかし、我々の古い伝承や解析データによれば……かの帝国は、とっくの昔に『ネメシス』に支配されているはずではないのですか?」
その問いに、部屋の空気が張り詰めた。
俺の背後で、ヴォルフとギリアムが身構える。
だが、俺はニヤリと笑い、拍手を送った。
「素晴らしい。その認識は、極めて正しい」
俺の肯定に、共和国の面々が息を呑む。
「ああ。現在の銀河帝国上層部……特に『皇族』と呼ばれる連中は、既に人間ではない。ネメシスと同化した、あるいはネメシスそのものである化け物たちだ」
俺はエリナリーゼをちらりと見た。
「お前たちが受けたという『ネメシス同化実験』。……あれは、失敗したわけじゃなかったんだ。おそらく、帝国ではあの実験を何十世代と続け、より洗練された形で完成させたのだろう。人間の知性と姿を持ちながら、ネメシスの本能と能力を宿した『支配者種』をな」
「なんと……」
ゼーベックが拳を震わせる。
「つまり、今の帝国は、ネメシスもどきの皇族によって間接統治されているというわけだ。……そして、その国民の数は1000兆人に達する」
「せ、1000兆人……!?」
その数字を聞いた瞬間、ゼーベック大統領が絶句し、椅子から腰を浮かせた。
アトキンス提督も目を見開き、言葉を失っている。
「……信じられん。1000兆、だと?」
ゼーベックが、うわ言のように繰り返した。
「我々銀河共和国も、かつては栄華を極めました。全盛期には、この矮小銀河の数十億の星系に入植し、その総人口は10兆人を誇っていました。……我々は、それが文明の到達点だと思っていた」
彼は悔しげに拳を握りしめ、視線を落とした。
「しかし、ネメシスとの戦争が始まり……状況は一変しました。星々が焼かれ、食われ、我々は撤退に撤退を重ねた。10兆いた同胞は、度重なる虐殺によって9割が失われ……今や、このイリス・プライムに残る1兆人が全てです」
10兆から1兆へ。
その減少幅だけでも、彼らが味わった地獄の深さが知れる。
だが、俺が提示した「1000兆」という数字は、その全盛期の100倍だ。
「……お前たちの悲劇は理解した。だが、帝国の規模はそれすらも遥かに凌駕している。文字通り、桁が違うのだ」
俺は淡々と言葉を続けた。
「なぜ、それほどの人口を抱えているか分かるか?……答えは食料だ」
「しょ、食料……?」
「おそらく、数万年前の『対異生命体戦争』で、ネメシスは人類を滅ぼさず、あえて生かしたんだ。極限まで数を減らして抵抗力を奪い、記憶を消して洗脳し、文明を再建させた」
俺の脳裏に、遺跡のデータベースにあった不自然な歴史の空白が蘇る。
勝利の歴史などない。あったのは、敗北と飼育の始まりだけだ。
「そして、家畜のように増やした人間を、皇族という権威を利用して『徴兵』や『労働』の名目で拉致し、ネメシスに献上して捕食する。……あるいは、皇族自身が美味しくいただいているのかもしれん」
俺はテーブルを指で叩いた。コツ、コツ、という乾いた音が、静まり返った部屋に響く。
「安定的に餌を供給し、絶滅させない程度に管理する。……究極のエコシステムだ。さしずめ、現在の銀河帝国は、国家の皮を被った『ネメシスの巨大人間養殖場』だな」
静寂。
あまりにおぞましい真実に、誰も言葉を発することができない。
嘔吐感を堪えるように口元を押さえる者もいた。
「そうでしたか……。我々の祖先は、そのシステムを構築するための実験動物であり、脱走した『不良品』だったというわけですか……」
ゼーベックが、絞り出すように言った。
その声には、深い悲しみと、底知れぬ怒りが滲んでいた。
「ああ。もし、お前らの祖先があの時逃げ出さずに帝国に残っていたら、あるいは今回の戦争で負けていたら……お前らも洗脳され、未来永劫、家畜として飼い殺しにされていただろう」
俺は彼らの目を見て言った。
「だが、お前らは逃げ延び、そして今日まで生き残った。……だからこそ、俺たちはここで出会い、反撃の狼煙を上げることができる」
俺の言葉に、彼らの目に光が戻る。
恐怖ではなく、燃え上がるような使命感の炎だ。
「クロウ殿のおっしゃるとおりです。……我々は、家畜にはならない。この命尽きるまで抗います」
「いい目だ」
俺は満足して頷いた。
ここからは、具体的な「駆除」の話だ。
「ところで、だ。俺は帝国の事情には詳しいが、ネメシスそのものの生態については、まだ情報が足りない。……奴らは帝国にとっては数万年前の化け物だからな」
俺はゼーベックとアトキンスを見た。
彼らは数年間、この化け物と死闘を繰り広げてきた「ネメシスの専門家」だ。
「奴らの生態、弱点、繁殖方法、そして……親玉の居場所。知っていることを全て教えてくれないか?」
ゼーベックは大きく頷き、テーブル上のホログラム端末を起動した。
そこには、彼らが命がけで収集したネメシスの詳細なデータが映し出された。
「承知いたしました。……奴らの生態は、貴殿の想像を絶するほどに貪欲で、そしておぞましいものです」
魔王のような大統領が語り始める。
それは、二つの銀河を食い尽くそうとする捕食者との、決戦に向けた作戦会議の幕開けだった。




