第75話 赤色超巨星
時空の界面が、悲鳴を上げている。
俺たちを乗せた超弩級戦艦『ラグナロク』と、それに追従する100万の無人艦隊は、今まさに物理法則の境界線――ワームホールの内部を航行していた。
「ぐっ……!なんだこの揺れは……!超光速航行の時とは比べ物にならんぞ!」
艦長席の肘掛けを強く握りしめながら、俺は呻いた。
視界の全てが極彩色に歪み、ぐるぐると回転している。
通常の重力制御装置がまるで機能していない。
船体そのものが軋み、20キロメートルという巨体が木の葉のように翻弄されているのが分かった。
「重力震、さらに増大中。空間湾曲率が安定しません!このワームホール、内部構造が荒れ狂っています!」
オペレーター席のシズが、冷静さを保ちつつも緊迫した声を上げる。
「宇宙が生み出した天然の獣道だ!舗装されているわけがないだろう!――総員、衝撃に備えろ!舌を噛むなよ!」
俺の檄がブリッジに響く。
隣の座席では、エリナリーゼが青ざめた顔でシートベルトにしがみついていた。
彼女の祖先は、亜光速船でこの荒波を越えたのか。
正気の沙汰ではない。
「出口反応、確認!あと30秒で通常空間へ復帰します!」
「いよいよ出るぞ!いきなりネメシスが待ち構えているかもしれん!総員戦闘配置につけッ!」
俺の号令一下、ラグナロクに乗艦するヴォルフ配下の精鋭5万人が一斉に動き出す。
同時に、艦の中枢である戦略統合AI『オーディン』が起動した。
『――戦略AIオーディン、起動。周辺宙域の脅威予測を開始。仮想戦闘シミュレーション、パターン2000万通りを展開中……』
無機質だが頼もしい電子音声が響く。
万能物質で作り上げた最高傑作の頭脳だ。
こいつがいれば、100万の無人艦隊を手足のように操ることができる。
「抜けるぞ!3、2、1……アウト!!」
光の渦が弾けた。
ワームホールの出口が開く。
俺たちは未知の銀河、矮小銀河へと飛び出した。
だが――。
「なっ……!?」
「眩しいッ!?」
そこに広がっていたのは、漆黒の宇宙でも、待ち受ける敵の大群でもなかった。
光だ。
網膜を焼き尽くさんばかりの、圧倒的な紅蓮の光。
ブリッジの遮光フィルターが瞬時に最大濃度へ切り替わるが、それでも視界が真っ白に染まる。
「警告!至近距離に高熱源体!これは……恒星です!」
シズが叫んだ。
「恒星だと!?ワームホールの出口が星の目の前にあるのか!?」
「目の前ではありません!デカすぎるのです!このスペクトル……赤色超巨星!直径およそ10億キロメートル!銀河最大クラスです!!」
10億キロ。
既知銀河にある恒星など、比較にすらならないほどのサイズだ。
ワームホールの出口は、この老いて肥大化した巨大恒星ののすぐ外側に開いていたのだ。
「ちっ、運が悪い!シズ、面舵一杯!最大戦速で離脱しろ!焼かれるぞ!」
「了解!緊急回避!!」
全長20キロのラグナロクが、巨体を軋ませながら旋回する。
背後の100万隻の艦隊も、AIオーディンの同期制御により一糸乱れぬ動きで追従する。
だが、巨大すぎる恒星の引力と、吹き荒れる熱波が俺たちを逃がそうとしない。
「前方に高エネルギー反応!プロミネンスが来ます!!」
真紅の壁が迫る。
恒星の表面から噴き上がったプラズマの奔流。
それはまるで、星そのものが俺たちを拒絶して振り上げた巨大な腕のようだった。
その大きさは、惑星数個分にも及ぶ。
「避けきれません!突っ切ります!」
「シールド出力最大!エネルギーを回せ!」
ゴオオオオオオオオオオッ!!
真空のはずの宇宙空間で、船体が激しく振動し、轟音のような錯覚を覚える。
俺たちは、灼熱の「輪っか」――プロミネンスのアーチの中をくぐり抜けていた。
窓の外は地獄の釜の底だ。
あらゆる計器が警告音を鳴らし、温度計が危険域を振り切る。
「シールド損耗率、上昇!40%、50%……!表面装甲温度、3000度を突破!」
「くそっ、しぶといな!耐えろ!俺が作った船は、こんなぬるま湯でやられたりしねぇ!」
俺は生産者としての矜持を叫びつつ、ふと湧き上がった「疑問」に顔をしかめた。
(……待てよ?)
俺の乗るラグナロクは、万能物質で強化された最新鋭の軍用艦だ。
そのシールドを持ってしても、この損耗率だ。
だが、隣に座っているエリナリーゼは、つい5年前、あの旧時代の民間船でここを通ってきたはずだ。
(数万年前の祖先なら、まだ恒星が小さかったという理屈も通るかもしれん。……だが、彼女自身はどうだ?彼女はつい5年前、あの貧弱なシールドしか持たない旧式船で、この灼熱地獄を突破し、暗礁宙域へたどり着いた。しかも、船体には熱による損傷など微塵もなかった)
現代の軍用艦ですら溶解しかねないこの環境を、なぜ骨董品の民間船が無傷で抜けられた?
このルートを通る時だけ、恒星活動が弱まっていたとでも言うのか?
そんな奇跡でも起きない限り、物理的にあり得ない。
俺はちらりとエリナリーゼの怯えた横顔を見た。
彼女自身が何か特別な操作をしたようには見えない。ただ、恐怖に震えているだけだ。
(……つくづく、豪運に恵まれた奴だな)
俺は呆れ半分、感心半分でそう結論付けた。
おそらく、本当にたまたまプロミネンスの隙間を縫うように航行したか、あるいは星が彼女を見逃したか。
どちらにせよ、こいつはとんでもない悪運の持ち主らしい。
戦場においては、実力以上に頼りになる才能だ。
「抜け……ました!熱源体からの距離、拡大中!」
シズの声が、俺の思考を現実に引き戻した。
数分の地獄のような時間の後、視界が開けた。
真っ赤なプラズマの嵐を抜け、俺たちは安全圏へと脱出したのだ。
振り返れば、そこには視界を覆い尽くすほどの巨大な、あまりに巨大な赤い星が鎮座していた。
「……ふう、なんとか生き延びたか」
疑問は残るが、今は先を急ぐ時だ。
俺は居住まいを正し、ホログラム・ディスプレイにこの矮小銀河の星図を展開させた。
「エリナリーゼ。お前の仲間……生き残りの人類はどこにいる可能性がある?」
「……あ、あの……」
彼女は震える指で、星図の一点を指し示した。
「ここ……ここから約1光年先にある、『イリス・プライム星系』よ」
「イリス・プライム?」
奇しくも、俺の要塞惑星アイリスと同じ名を持つ星系か。
「ええ。私たちの銀河でも特に資源が豊富で、工業化が進んでいた星系なの。……そして何より、ネメシスの発生源から、最も遠い位置にあるわ」
彼女は説明を続けた。
ネメシスはこの銀河の反対側から現れ、星々を食い尽くしながら進んできた。
イリス・プライムは、言わば人類最後の砦となる場所だ。
「私が故郷を脱出してコールドスリープに入ったのは5年前。その時点では、まだイリス・プライムは陥落していなかった。……向かうなら、そこが一番生存者がいる可能性が高いわ」
「5年前の情報か……。状況が変わっている可能性はあるな」
「でも、あそこには大規模な防衛艦隊と、衛星に宇宙要塞があったの!簡単に滅びたりはしないはずよ!」
彼女の言葉には、祈りが込められていた。
俺は頷いた。
1光年。宇宙規模で見れば、目と鼻の先だ。
だが、その距離が命運を分ける。
「よし、目的地は決まった。イリス・プライム星系だ」
俺は艦長席から、全艦隊に向けて通信を開いた。
「全艦に通達!これより、本艦隊は生存者救助のため、イリス・プライム星系へ向かう!ネメシスとの遭遇戦も予想される。警戒を厳となせ!オーディン、索敵範囲を最大展開しろ!」
『了解。長距離センサー・リンク確立』
「行くぞ!この銀河の絶望を、俺たちがひっくりかえしてやる!」
「「「了解!!!」」」
5万の兵士の声が重なる。
俺は前方を指差した。
「全艦、超光速航行!!」
合図と共に、ラグナロクの巨大なエンジンが時空をねじ曲げる咆哮を上げた。
周囲の100万隻の無人艦も一斉に光となる。
謎多き赤色巨星の不気味な光を背に、銀河最強の生産者が率いる大艦隊は、最後の希望が眠る星系へと跳躍した。




