第56話 水の惑星ジルブラン
俺、クロウ・フォン・フライハイトは、愛機である戦艦『フェンリル』のブリッジに居た。
ただし、今回はいつものような大艦隊を引き連れての威圧的な行軍ではない。
護衛艦すら伴わない、フェンリル単艦での気ままな旅だ。
さすがに、友人の実家に艦隊で押し寄せたら、歓迎どころか侵略戦争と勘違いされてしまうからな。
「……暇だな」
「マスター、あと数時間で到着予定です。少しは落ち着いてください」
俺が退屈そうに欠伸をすると、傍らに控えていた秘書アンドロイドのシズが冷ややかな視線を向けてくる。
今回のメンバーは、俺とシズ。そして、
「クロウ様、お茶が入りました。クッキーも焼いてみたのですが...」
「パパ!見て見て!お絵描きしたの!」
愛妻のシャルロットと、養女のルル。
「ほうほう、ルル様はお上手ですな。この黒い丸は何ですかな?」
「これはね、パパが壊したわるい人のお城!」
「ほっほっほ、これは勇ましい!」
そして、老執事のギリアムだ。
まさに家族旅行といった風情である。
フェンリルは超光速航行の亜空間トンネルの中を順調に進んでいる。
俺はふと、窓の外の流れる光を見つめながら口を開いた。
「なあシズ。これから行く『ジルブライト領』ってのは、どんなところなんだ?アレクとは学生時代よくつるんでたが、あいつの実家の詳しい話は聞いたことがなくてな。『田舎だ』とは言っていたが」
シズは空中にホログラムウィンドウを展開し、即座にデータを読み上げた。
「ジルブライト男爵領は、辺境宙域に位置する3つの星系を統治しています。今回向かうのは、その主星であり、男爵家の本拠地がある『惑星ジルブラン』です」
「ふむ」
「惑星ジルブランは、帝国内では珍しく、未開拓の自然と広大な『海』が存在する惑星のようです。火山活動も活発ですので、地熱を利用した発電や、温泉も湧き出ているとの記録があります」
その言葉に、お絵描きをしていたルルが顔を上げた。目をキラキラさせて俺の膝によじ登ってくる。
「海?ねえパパ、海ってなあに?」
「ん?海か……」
俺は言葉に詰まった。
俺は生まれも育ちも宇宙コロニーだ。鉄とプラスチックと強化ガラスに囲まれた世界が全てだった。
地面といえば金属の床であり、空といえばドームの天井だ。
「いや、俺も宇宙コロニー育ちでな、本物の海というのは見たことがないから分からないんだ」
俺は苦笑しながらルルの頭を撫でた。
(俺が知ってる『海』といえば、惑星エンドにある『強酸の海』くらいだ)
そこに、紅茶を配り終えたギリアムが、優しげな笑みを浮かべて口を挟んだ。
「ギリアムは知ってるのか?」
「旦那様、私も実際に見たというわけではないのですが、知識としては。……そうですね、惑星の表面を覆い尽くすほどの、広大な水域です。すべてが塩水で満たされ、恒星の光を反射して、それはもう綺麗な宝石のような見た目をしているそうですよ!」
ギリアムは遠くを見るような目で語った。
シャルロットも懐かしそうに目を細める。
「私の故郷にも、海がありましたわ。夏になると、風に乗って潮の香りが届くのです。波の音を聞いていると、とても心が安らぐのですよ」
「へえ……宝石みたいで、いい匂いがするの?」
ルルは想像を膨らませているようだ。
帝国の現状を考えれば、ルルが海を知らないのも無理はない。
現在、帝国領内にある惑星のほとんどは、過剰な資源開発によって荒廃しきっている。
大気は汚染され、海は干上がり、地表は工場と採掘場だらけ。
とても人が住める環境ではない場所ばかりだ。
だからこそ、銀河に住んでいる人類の大半は、一生を密閉された宇宙コロニーの中で過ごす。
「人が住めるほどの綺麗な自然環境が残っている惑星」など、今の帝国では希少価値の極みだ。
それが許されるのは、環境維持に莫大な金をかけられる超特権階級の保養惑星か、あるいは――開発する資金すらなかった、ド田舎の未開惑星か。
どちらかだ。
「無論、アレクのところは後者だろうな」
俺は苦笑した。
貧乏男爵家と言っていた彼の言葉が思い出される。
だが、それは逆に言えば、帝国の魔の手から逃れた楽園である可能性もある。
「そろそろです、マスター。通常空間へ戻ります」
シズのアナウンスと共に、艦内に低いブザー音が鳴る。
窓の外、流れる光の帯が収束し、星々が静止した点へと戻る。
ワープアウト完了。
その瞬間、虚空に現れたのは、圧倒的な存在感を放つ俺の愛機『フェンリル』の姿だった。
全長3000メートル級。
帝国軍の戦艦を遥かに凌駕するその巨体は、最新鋭の「白銀の流体金属装甲」に覆われている。
装甲表面は水銀のように滑らかで、継ぎ目ひとつない完璧な鏡面を描いていた。
それが近くの恒星の光を一身に受け、目も眩むような白銀の輝きを宇宙空間に撒き散らしている。
まるで神話の狼が、星の光を纏って降臨したかのような荘厳さだ。
そして、フェンリルのメインモニターに、目的の星が映し出された瞬間――。
ブリッジに居た全員が、息を呑んだ。
「…………」
そこには、青があった。
深い、吸い込まれるような藍色から、鮮やかなエメラルドグリーンへのグラデーション。
表面の7割以上を水が覆い、白い雲が流れるように渦を巻いている。
陸地には緑が溢れ、荒涼とした茶色い地肌などどこにも見当たらない。
宇宙の暗闇に浮かぶ、巨大なサファイアのようだった。
「すげえ……」
俺は思わず席を立った。
これまで数々の星を見てきた。資源惑星、ガス惑星、都市化された人工惑星。
だが、これほど生命力に溢れ、美しい星は見たことがない。
「帝国首都星も遠くから見ると、光り輝いていて綺麗だったが……これはそれ以上だな。人工の光じゃなく、星そのものが輝いているようだ」
「はい……。昔の、私の国の母星にそっくりです!」
シャルロットが感極まったように声を潤ませ、窓ガラスに手を添える。
彼女の故郷は帝国に滅ぼされたが、その美しい記憶はこの星と重なったようだ。
「きれい!!!!パパ、あれがお水なの!?お風呂より大きいよ!」
ルルが窓に張り付いてはしゃいでいる。
「おお……これが海に包まれた惑星ジルブランですか!なんと美しい……長生きはするものですな!」
ギリアムもハンカチで目元を拭っている。
全員が、その圧倒的な「青」に感動していた。
無機質なコロニー暮らしの俺たちにとって、それは魂を揺さぶられる光景だった。
その時、コンソールから通信アラートが鳴り響いた。
『警告!警告!所属不明艦、貴艦はジルブラン宙域に無許可で侵入している!直ちにIDを提示せよ! ……って、えっ!?うそっ!?』
通信機から聞こえてきたのは、凛とした女性の声。
事務的な警告メッセージ――だったはずが、途中から素っ頓狂な悲鳴に変わった。
『その艦影!まばゆい白銀の装甲……3000メートル級の巨体……!まさか、まさか!?』
モニターに、現地の宙域管制官の顔が表示される。
眼鏡をかけた知的な雰囲気の女性だ。
だが、彼女は画面越しにフェンリルを見て、眼鏡がズレるのも気にせず絶叫した。
『キャアアアアッ!!嘘でしょ!?フライハイト勇爵家の旗艦、フェンリルだわッ!!!?ほ、本物よ!雑誌で見たやつより何倍も大きい!綺麗!キラキラしてるぅぅぅ!』
「……なんだこいつ」
俺は呆気にとられた。
管制官とは思えない黄色い声というか、ただのファンと化している。
『な、なんでこんなド田舎に!?侵略ですか!?いや、むしろ歓迎です!サインください!私、勇爵様の特集記事の切り抜き全部持ってます!あとで一緒に写真撮ってください!』
「落ち着け。侵略じゃない」
俺は苦笑しながら、通信のマイクをオンにした。
「ああ、俺はクロウ・フォン・フライハイトで間違いない。今日はプライベートだ。ちょっと友人のアレクに会いにきたんだが、着陸許可出してくれるか?」
俺が名乗ると、女性管制官は「ひゃうっ!」と奇妙な声を上げて顔を赤らめた。
『ご、ごご、ご本人様の声!?し、失礼しました!えっ、アレク様の友人!?ちょ、至急政庁に確認します!お待ちください、絶対切らないでくださいね!ああっ、この会話録音して家宝にしなきゃ!』
画面が「保留中」の文字に切り替わる。
ブリッジに微妙な空気が流れた。
「……マスター、女性人気も凄まじいですね」
「うるさいぞシズ。まあ、攻撃されるよりはマシだろ」
しばらくすると、保留音が切れ、再び通信がつながった。
だが、今度は先ほどの女性ではない。
聞き慣れた、懐かしい、少し疲れているが温かみのある声が響いた。
『……こちらジルブラン政庁。入港許可を出すよ。まったく、本当に来るやつがあるか』
モニターに、栗色の髪をした青年が映し出された。
アレク・ジルブライト。
学生時代と変わらない、人の良さそうな顔立ち。
だが、少し精悍さが増しているように見える。
「よう、アレク。久しぶりだな」
俺が手を上げると、アレクは目を丸くし、それから破顔した。
『クロウじゃないか!久しぶり!もしかして、あの約束を守ってきてくれたの?「いつかフェンリルで乗り付ける」ってやつ』
「ああ。男に二言はないからな。ちょっと遅くなったが、約束通り驚かせに来てやったぞ」
『ははは、驚いたなんてもんじゃないよ。管制塔が大パニックだ。うちの新人管制官なんて、興奮しすぎて過呼吸起こしかけてるよ』
アレクは楽しげに笑った。
『相変わらず律儀だね、君は。……本当に、よく来てくれた。歓迎するよ、我が貧しき、しかし誇り高き故郷へ』
「ああ、楽しみにさせてもらうぞ。お前の自慢の『海』とやらをな」
『期待しててくれ。今の季節の海は最高だぞ』
通信が切れると、シズが着陸シークエンスに入った。
「惑星ジルブラン、大気圏突入軌道へ移行。重力制御、正常。降下を開始します」
白銀の巨艦フェンリルが、ゆっくりと機首を下げる。
恒星の光を反射して輝くその機体は、まるで青い海へと飛び込む銀の流星のようだった。
「パパ!いくの!?」
「ああ、行くぞルル。本物の海を見にな」
俺たちは期待を胸に、美しき水の惑星へと降り立つのだった。




