第47話 代官募集
帝国首都星。
銀河帝国の心臓部であり、100兆人もの人々が暮らすこの超巨大な人工都市は、数週間前に行われた歴史的な「勇爵位」の叙爵式の興奮も冷めやらぬ中、再び一人の男の話題で沸騰していた。
街頭の至る所に浮かぶ巨大なホログラム・スクリーン。
個人の情報端末、エアカーの車内放送。
あらゆるメディアが、そのニュースを繰り返し流している。
『――繰り返します。本日正午、勇爵クロウ・フォン・フライハイト卿の政庁広報部より、重大な発表がありました』
ニュースキャスターの興奮した声が響く。
『フライハイト勇爵は、先日皇帝陛下より賜った「銀河の1割」に相当する広大な旧ローゼンバーグ貴族連合の所領の統治に際し、現地の統治を代行する「代官」を広く募集するとのことです』
画面には、フライハイト家の紋章が映し出され、その下に募集要項がテロップで流れる。
『驚くべきはその条件です。学歴、身分は一切不問!求められるのはただ二つ。「卓越した経営手腕」と「燃え上がるような野心」のみ!』
キャスターが息を呑む。
『そして、面接を経てフライハイト勇爵家に採用された暁には……なんと!勇爵ご本人の資金負担により、帝国貴族としての「男爵位」への叙爵手続きが行われ、そのまま領地の一部、星系単位での統治を任されるとのことです!』
『資金は全額、勇爵が負担』
『貴族になれるチャンス』
その言葉の破壊力は凄まじかった。
『応募先は、フライハイト領ノルド・ステーション政庁4F政務課、もしくは――帝国全土に展開する「マター・ドロイド・インダストリー」直営店の特設カウンターまで!我こそはと思う方は、今すぐ応募を!』
街を行き交う市民たちは、足を止めて画面を見上げていた。
「おいおい、聞いたかよ!またあの勇爵様がとんでもないことを始めたぞ!」
酒場のテラス席で、労働者風の男がジョッキを叩いて笑った。
「男爵位を買うって……一体いくらかかると思ってるんだ?噂では、数兆クレジットは下らないらしいぞ?」
「京……いや、垓単位の金を動かす気かもしれん」
連れの男が首を振る。
常識では計り知れないスケールだ。
「一体いくら金を持ってるんだ、あの方は?帝国より金持ちなんじゃないか?」
「わからんな、ハハハ!だが痛快だ!あのすました貴族連中が、金さえあれば誰でもなれるって証明されちまうんだからな!」
市民たちは面白がっていた。
彼らにとって貴族とは、雲の上の存在であり、搾取する側だ。
その特権階級の壁を、新興の英雄が札束で殴って壊そうとしている。
これほど面白い見世物はない。
「マター・ドロイド・インダストリー」の直営店には、すでに長蛇の列ができ始めていた。
その中には、身なりの良い商人、目をギラつかせた若者たちの姿があった。
彼らの熱気は、帝国の停滞した空気を確実に熱し始めていた。
一方。
帝国首都星の中枢、帝国元老院。
数十万人の議員を収容する大議場は、市民たちの歓声とは対照的に、怒号と悲鳴、そして深い絶望に包まれていた。
「ふざけるなッ!!なんだこれは!どういうことだ!」
一人の議員が、手元の端末を床に叩きつけた。
画面には、例の「貴族募集」の広告が映し出されている。
「なんなんだ奴は!?一体いくら金を持っているというんだ!?男爵位の寄付金は、一枠につき最低でも2兆クレジットだぞ!?それを湯水のように……公爵家の総資産ですら、そんな真似はできんぞ!」
先日の叙爵式で、「統治不能な領地を押し付けてやった」とほくそ笑んでいた議員たちの顔色は、今は土気色に変わっていた。
別の議員が髪をかきむしりながら叫ぶ。
「クソッ、これでは我々の策が!我々は、奴を行政処理で忙殺させ、自滅させるつもりだったのだ!だが奴は、それを『金』と『外注』で解決しようとしている!」
「それどころではないぞ!」
ベテラン議員が震える指で空を指差した。
「銀河の1割だぞ!?その広大な領地を、奴が選んだ『代官』……つまり奴の手下どもで埋め尽くしてみろ!奴は帝国内に、自分に絶対服従する巨大な『フライハイト派閥』を作り上げることになる!」
数千、数万の新興貴族たちが、全てクロウの息がかかった者たちで構成される。
それはもはや、帝国の中に別の国ができるのと同じだ。
「ヒィィッ!わ、ワシの領地は、旧ローゼンバーグ貴族連合の所領との境界なのだ!隣の星系に、奴の手下の野心満々な新興貴族が赴任してきたら……。経済戦争を仕掛けられ、最初にすり潰されてしまう!」
境界付近に領地を持つ議員たちは、すでにパニック状態だった。
商売上がりの新貴族は、血統だけの旧貴族よりも遥かに狡猾で、ハングリーだ。
まともにやり合って勝てるわけがない。
議場は収拾のつかない混乱に陥っていた。
怒号、罵声、そして泣き言。
議長席に座るヴァルター・フォン・アインザッツ公爵は、杖で床を激しく打ち鳴らした。
ダンッ! ダンッ!
「鎮まれ!鎮まるのだ、諸君!」
ヴァルターの声がスピーカーを通して響くが、議員たちの動揺は収まらない。
額に脂汗を浮かべ、握った杖が微かに震えていた。
彼もまた、読み違えたのだ。
クロウという男が、ここまで規格外の「財力」と「発想」を持っているとは。
「まだ奴が反乱を起こすと決まった訳ではないのだ!これはあくまで、領地経営のための人材登用……今は……今は何もせずに静観する他ない!」
苦し紛れの言葉だった。
だが、議員たちは納得しない。
「静観だと!?指をくわえて死ねと言うのか!」
一人の議員が立ち上がり、ヴァルターに詰め寄った。
「議長!貴族の叙爵には、最終的に元老院の承認が必要です!奴から推された貴族候補は、全て元老院議長の権限で『不承認』としてください!そうすれば、奴の計画は頓挫します!」
「そうだ!不承認だ!」
「平民風情を貴族になどしてたまるか!」
「伝統と格式を守るのだ!」
議員たちが一斉に同調する。
そうだ、我々には「承認権」という最後の武器がある。
奴がいくら金を積もうと、我々が首を縦に振らなければいいのだ。
だが。
ヴァルターは、苦渋に満ちた顔で首を横に振った。
「……それは出来ん」
議場が静まり返る。
「な、なぜです議長!?」
「帝国法だ」
ヴァルターは呻くように言った。
「帝国法には、『所定の寄付金を納め、かつ犯罪歴等の欠格事由がない限り、叙爵は認められる』と明記されている。
これは、我々貴族が長年、財政難の際に商人から金を巻き上げるために作った法律だ」
ヴァルターは天井を見上げた。
「それに……何より、前例がある。他ならぬフライハイト卿自身が、金で爵位を買い、それを我々が承認してしまったという前例がな」
議員たちが息を呑む。
そうだ。
クロウという若い青年が男爵位を買った時、彼らは「カモが来た」と笑って承認した。
その前例がある以上、今さら「金で爵位を買うのはまかりならん」とは言えない。
それを否定すれば、貴族の地位も、そして帝国法そのものの正当性も崩壊する。
「適法な手続きで、正規の金を積まれては……不承認とする法的根拠がない。無理に却下すれば、それこそ奴に『元老院の横暴』という、反乱の大義名分を与えることになる」
残念ながらな……とヴァルターが呟くと、議員たちは椅子に崩れ落ちた。
自分たちが作った、自分たちのための法律に、首を絞められている。
「もうダメだ……」
「我々は……皆殺しだ……」
「あんな化け物に、喧嘩を売るんじゃなかった……」
議場を支配するのは、深い絶望。
彼らは想像した。
数年後、この議場が「フライハイト派」の新興貴族たちで埋め尽くされ、自分たちが放逐される未来を。
沈黙が続く中、ヴァルターは必死に思考を巡らせていた。
このままでは終われない。
何か、何かプラスの要素はないのか。
転んでもただでは起きないのが、帝国貴族の意地ではないのか。
彼は顔を上げ、一つの計算式にたどり着いた。
「……待て」
ヴァルターの声に、議員たちが力なく顔を上げる。
「仮にだ。仮に、フライハイト卿からの叙爵に伴う莫大な寄付金……それが全て国庫に入るとしよう。今回の募集で、取り潰しとなった数万の貴族家分の『空きポスト』が全て埋まるとすれば、その総額は京の位に届く天文学的な数字になる」
ヴァルターは軍事委員会の席を睨みつけた。
「軍事委員会!その金を、全て軍拡に回すとどうなる!試算せよ!今すぐ!」
指名された軍事委員会の役人は、慌てて端末を叩いた。
震える指で数字を入力し、計算を実行する。
「は、はい!ただいま!」
数秒後、結果が出た。
役人は画面を見て、あまりの数字に一度瞬きをし、それから引きつった顔を上げた。
「……で、出ました」
「いくらだ!どれだけの戦艦が作れる!」
議員たちが身を乗り出す。
金だ。
金さえあれば、軍隊を作れる。
軍隊があれば、クロウに対抗できるかもしれない。
役人は、震える声で答えた。
「仮に、今回の騒動で『取り潰し』となった数万の貴族家分の男爵枠……および付随する下級貴族枠を全て叙爵させ、その寄付金を全額軍事費に投入した場合。金額だけで言えば、銀河中の造船所を買い占めてもお釣りが来ます。資材、人員、ドックの稼働率……あらゆる物理的限界までフル稼働させたとして――最新鋭の戦艦、およそ1000万隻が調達可能です」
1000万隻。
その数字が告げられた瞬間、議会はどよめいた。
「い、1000万……!?」
「多い!今の正規軍の倍以上だ!」
「それだけあれば、勝てるか!?」
一瞬、希望の光が見えたかに思えた。
だが。
すぐに、その光は急速に萎んでいった。
議員たちの中に、冷静さを取り戻した者が呟いた。
「……待てよ。1000万隻?」
別の議員が頭を抱えた。
「……足りない」
「そうだ、全然足りないぞ!金はあっても、物理的にそれしか作れないのか……っ!そんな中途半端な数では、勝てるわけがない……!」
議場の空気が、再びどんよりと澱んでいく。
彼らは思い出したのだ。
先日の会議で出された、絶望的な試算を。
『クロウ・フォン・フライハイトを打ち破るには、1億8000万隻の艦隊が必要になります』
1億8000万に対して、1000万。
18分の1にも満たない。
しかも、相手は「自己増殖機雷」を持つ化け物だ。
中途半端な戦力を投入しても、それは火に油を注ぐようなもの。
いや、ヒュドラの餌をやって、さらに敵を増やすだけだ。
「ダメだ……。奴は300倍の敵を倒した男だぞ……。1000万隻など、奴の保有する増殖機雷の餌になるだけだ……」
「我々は、奴の金で軍隊を作り、その軍隊を奴に食べさせて、奴をさらに強くするだけなのか……?」
なんという皮肉。
なんという悪夢。
帝国のシステムそのものが、クロウというウイルスを増殖させる培地になっている。
重苦しい、窒息しそうな沈黙。
誰も発言しない。
できない。
その中で、ヴァルターが絞り出すように言った。
「……焼け石に水か」
老いた公爵は、一気に10歳老け込んだように見えた。
だが、彼は議長だ。
ここで「終わりだ」と言うわけにはいかない。
「だが……やらぬよりはマシだ。0よりは、1000万の方が、まだ交渉の余地が生まれる」
それは自分自身に言い聞かせるような、虚しい響きだった。
「1000万隻の宇宙戦艦の建造承認の決議を取る!……勇爵からの寄付金を原資として、帝国軍の再編と増強を行う!異議は……あるまいな?」
「異議なし」と言う声さえ上がらなかった。
ただ、無言の頷きと、ため息だけが波のように広がった。
こうして、帝国元老院は、クロウから巻き上げる金を使って、クロウに勝てないと分かっている艦隊を作るという、歴史上最も虚しい決議を行った。
帝都の空は青く澄み渡っていたが、元老院のドームの中には、帝国の落日を予感させる、黒く重い雲が垂れ込めていた。




