第45話 フライハイト領への帰還
帝国首都星を背にした俺たちの艦隊の威容は出発時よりも遥かに強大に見えた。
先頭を行くのは、全長3000メートルの戦艦フェンリル。
それに続くのは、鹵獲した60万隻の大艦隊だ。
帝国の喉元にナイフを突きつけ、大罪人グライムを地獄へ送り、そして「勇爵」という新たな称号と、広大すぎる領地を分捕って帰還する。
まさに、凱旋と呼ぶにふさわしい光景だった。
フェンリルのブリッジで、俺はメインスクリーンに広がる星の海を見つめていた。
「マスター。間もなく、フライハイト領、ノルド・ステーションに到達します」
シズの報告に、俺は深く息を吐き、肩の力を抜いた。
「やっと帰ってこれたか。……長かったな」
「はい。帝国首都星での滞在は数日でしたが、数年分の寿命が縮まるような出来事の連続でしたから」
隣に立つシャルロットが、労るように微笑んだ。
彼女もまた、この旅で大きく成長した。
かつて怯えていた少女の面影はなく、今は堂々たる「勇爵夫人」の風格を漂わせている。
「だが、休んでいる暇はないぞ。俺たちは、銀河の1割……数千億の星系という、とてつもない荷物を背負わされたんだ。これからは、帝国首都星の往復なんか目じゃないくらい過酷になる」
俺は苦笑した。
あの古狸どもめ。
だが、見ていろ。
必ずこの巨大な領地を飲み込み、消化してやる。
「全艦、減速。……俺たちの『家』に、勝利の報告をするぞ」
ノルド・ステーション。
かつては辺境の寂れた宇宙ステーションに過ぎなかったその場所は、今やフライハイト領の心臓部として、活気に満ち溢れていた。
60万隻の艦隊が姿を現すと、ステーションからは無数の作業ポッドや小型艇が飛び出し、紙吹雪のような光の粒子を撒き散らして歓迎した。
通信回線は、領民たちの歓声で埋め尽くされている。
『勇爵様万歳!』
『クロウ様!シャルロット様!お帰りなさいませ!』
『俺たちの英雄だ!帝国の鼻を明かしてやったぞ!』
彼らは、俺がまだただの男爵だった頃からついてきてくれた、古参の領民たちだ。
その数、およそ10万人。
彼らは元々、貧しい開拓民や、他領から流れてきた食い詰め者だった。
だが、俺が「万能物質」による産業革命を起こし、豊かな生活を提供して以来、俺に絶対の忠誠を誓ってくれている「家族」だ。
フェンリルが専用ドックに接舷する。
俺たちがタラップを降りると、そこには10万人の領民たちが、満面の笑みで待ち構えていた。
「おかえりなさいませ、閣下!」
代表の老人が、涙ぐみながら俺の手を握りしめた。
「ニュースで見ましたぞ!あの憎きグライムを捕らえ、公爵以上の地位に就かれたと!ああ、なんという名誉……!我らは誇らしい!貴方様の領民であることが、誇らしいですぞ!」
ワァァァァッ!という歓声がドックを揺らす。
そこには、帝国首都星の貴族たちが向けてきたような恐怖や媚びへつらいはない。
純粋な尊敬と、親愛の情だけがあった。
俺は胸が熱くなるのを感じた。
そうだ。
俺が守るべきは、まずはこいつらだ。
100兆人の新領民の前に、この10万人の笑顔を守り抜く。
それが俺の原点だ。
「……ただいま戻った!皆、留守を頼んで悪かったな!」
俺が手を上げると、再び歓声が爆発した。
その夜。
ノルド・ステーションのメインホールを貸し切り、大規模な祝勝パーティが開かれた。
主催は領民たちだ。
彼らはこの日のために、蓄えていた物資を惜しみなく放出してくれた。
会場に並ぶ料理を見て、シャルロットが目を丸くした。
「すごい……!これ、全て『有機食品』ですか?」
テーブルの上には、瑞々しい野菜のサラダ、本物の肉を使ったローストビーフ、甘い香りを放つ果物の山が並んでいる。
帝国において、工場で合成されたペースト状の「合成食」ではなく、土で育てられた本物の食材は、宝石にも匹敵する贅沢品だ。
一般市民の口に入ることはまずない。
だが、農業プラントを拡張し続けてきた我が領では、これが日常になりつつあった。
「ああ。うちの農場プラントの最高傑作だそうだ。帝国首都星の貴族だって、こんな新鮮なトマトは食えまい」
俺は真っ赤なトマトを一つ手に取り、かぶりついた。
甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。
合成食料にはない、命の味がした。
これは、万能物質で生成されたコピーではない。
領民たちが汗水垂らして育てた、正真正銘の本物だ。
「さあ、シャルロット様も!シズ様も!今日は無礼講です、食べて飲んで歌いましょう!」
領民の女性たちが、皿いっぱいの料理を勧めてくる。
シャルロットは「ありがとうございます」と微笑み、シズも「データ記録、味覚センサー調整……美味です」と珍しく感情を見せていた。
音楽が鳴り、ダンスが始まる。
俺はグラスを片手に、その光景を眺めていた。
平和だ。
ここだけは、戦火も政争も及ばない楽園だ。
だが。
俺の視線は、ホールの窓の外――ステーションを取り囲む、漆黒の宇宙へと向けられた。
そこには、入りきらなかった60万隻の艦隊が、星の光を遮る壁のように停泊している。
あの中には、俺の新しい「剣」となった兵士たちがいる。
元ローゼンバーグ貴族連合軍の捕虜であり、俺が解放し、雇い入れた元5等民たち。
一隻につき約2万人。
合計、120億人。
ステーションの住民の10万倍以上の人間が、あの冷たい鉄の箱の中で待機しているのだ。
「……彼らを忘れるわけにはいかないな」
俺はシズを呼んだ。
「シズ。全艦隊への通信回線を開け。それと……『あれ』の準備はできているな?」
「はい、マスター。フェンリルの万能物質工場、フル稼働中。120億人分の食事コンテナ、積載完了。無人輸送船団、発進準備よし」
俺はニヤリと笑った。
手元のトマトを見つめながら呟く。
「ステーション内の農業プラントじゃ、外に居る奴ら……120億人の分までは作れないからな。だが、フェンリルの工場なら話は別だ。……派手に行くぞ」
宇宙空間に浮かぶ、無数の戦艦。
その一隻一隻の艦内食堂や居住区画には、兵士たちがすし詰めになっていた。
彼らは元々、使い捨ての奴隷兵として扱われていた者たちだ。
戦闘が終わっても、帰る故郷はなく、待っているのは冷たい合成食と硬いベッドだけ……それが彼らの常識だった。
だが、今日だけは空気が違っていた。
艦内放送のスピーカーから、新しい主、クロウの声が響いたのだ。
『――勇爵軍、全将兵に告ぐ。総帥のクロウ・フォン・フライハイトだ』
兵士たちが一斉に姿勢を正し、モニターを見上げる。
そこには、パーティ会場でグラスを掲げるクロウの姿が映っていた。
『ステーションに入りきらず、すまないと思っている。だが、俺はお前たちを仲間外れにするつもりはない。俺たちは共に死線を潜り抜け、あの腐った貴族どもに一泡吹かせた共犯者だ』
クロウはニヤリと笑った。
『今日は祝勝会だ。俺の領民たちが食べているのと、同じものを食わせてやる。ステーションの畑じゃ足りないが、俺が腕によりをかけて作った特製品だ。……外を見ろ。俺からの奢りだ!』
兵士たちが舷窓に殺到する。
彼らが見たのは、圧巻の光景だった。
旗艦フェンリルの巨大な格納庫が開き、そこから無数の光の粒が吐き出されたのだ。
それは、数千、数万もの無人輸送船の群れだった。
まるで天の川が流れるように、輸送船団は60万隻の艦隊の隅々にまで散らばっていく。
ドォォォォン……。
各艦のドックに、輸送船が次々と着艦する。
ハッチが開き、そこから運び出されたのは――山のような「料理」のコンテナだった。
湯気を立てる厚切りのステーキ。
色鮮やかな野菜の煮込み。
焼き立てのパン。
そして、冷えたビールやワインのボトル。
「な……なんだこれ!?」
「に、肉だ!本物の肉だぞ!?」
「おい、これ……合成ペーストじゃない!
匂いがする!いい匂いがするぞ!」
兵士たちがどよめく。
これらは全て、クロウが戦艦フェンリルの万能物質製造工場を使って生成したコピー食品だ。
だが、その分子構造は本物の有機食品と完全に同じ。
味も、食感も、栄養価も、帝国首都星の高級レストランのそれと変わらない。
120億人分の食事を一瞬で生成し、それを輸送船で全艦に配給するなど、常識では考えられない物量作戦だ。
『味は保証する。好きなだけ食え。好きなだけ飲め。今日だけは、階級も規律も忘れろ』
クロウの声が優しく響く。
『お前たちはもう、番号で呼ばれる奴隷じゃない。自由の名の下に集った、誇り高き俺の兵士だ。……自由の味を、噛み締めろ!』
その言葉が、兵士たちの心の堰を切った。
「う、うあぁぁぁ……!」
一人の兵士が、ステーキにかぶりつき、泣き出した。
美味い。
今まで食べてきた、無味無臭の合成ペーストとは違う。
肉汁が溢れ、力が湧いてくる味だ。
「美味い……美味いぞぉぉ!」
「俺たち、人間扱いされたんだ……!」
「万歳!クロウ閣下万歳!」
「フライハイト勇爵万歳!」
120億人の大合唱が、宇宙空間を震わせた。
彼らは貪るように食べ、互いに肩を抱き合い、涙を流して喜んだ。
輸送船が運んできたのは、単なる食料ではない。
彼らが「人間」としての尊厳を取り戻した証だった。
ステーションの窓から、行き交う輸送船の光の列を見ていた俺は、満足げに頷いた。
「……単純な奴らだ。だが、今はその単純さが頼もしい」
シャルロットが隣に来て、そっと俺の腕に触れた。
「彼らは一生、あなたについていくでしょう。胃袋を掴まれた男は、裏切りませんから」
「だといいがな。だが、これで120億の軍隊は、名実ともに俺の手足となった」
俺はグラスを干した。
宴はまだ続く。
だが、俺の頭の中はすでに冷徹に次の手を計算していた。
120億の兵士。
60万の艦隊。
そして、数千億の星系と100兆の民。
手駒は揃った。
盤面は巨大すぎるが、やることは変わらない。
奪い、与え、支配する。
「……食ったら働いてもらうぞ、野郎ども」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、光り輝くノルド・ステーションの夜景を見下ろした。
そこには、帝国の黄昏と、俺たちの時代の夜明けが混在していた。




