第42話 弾劾裁判
帝国首都星。
銀河帝国の心臓部であり、100兆の市民が暮らすこの巨大都市は、かつてないほどの驚愕とパニックに包まれていた。
「け、警報!セントラル宙域に重力反応多数!」
「数が多すぎます!計測不能……10万、30万……なおも増加中!」
宙域管制センターの司令室は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
メインスクリーンを埋め尽くす赤い光点。
その数は、最終的に60万に達した。
60万隻。
それは、ローゼンバーグ貴族連合艦隊との戦争で勝利し、その敗残兵と艦艇を吸収して肥大化した、フライハイト男爵軍の全戦力だった。
先頭を行くのは、全長3000メートルの戦艦フェンリル。
その威容は、帝国の旗艦クラスさえも子供扱いするほどの圧倒的なプレッシャーを放っていた。
『クロウ・フォン・フライハイト男爵だ。元老院議長から直々にグライム公爵の護送依頼を受けている』
「ふ、フライハイト男爵!?60万隻で帝国首都星に!?周辺宙域で待機して下さい!現在、主要ドックは満杯です!」
『待機?断る。元老院の命令書には「直ちにグライム公爵を生きたまま連行せよ」とある。……お前は、帝国元老院の命令に逆らうつもりか?』
「ぐっ……!し、しかし、物理的に入港スペースが……!」
『スペースならあるだろう?第1区画の特別エリアがな。そこを使わせてもらう。……開けろ。開けなければ、こじ開けるまでだ』
フェンリルの主砲が、微かに唸りを上げた。
それは明確な脅迫だった。
60万の砲門が帝都に向けられている。
管制官は顔面蒼白になり、震える手でゲート開放のスイッチを押した。
「第3赤道ゲート……開放!第1区画への進入を……許可する!」
ズゴゴゴゴゴ……。
帝都の防壁が左右に開く。
その隙間を縫うように、60万の黒い艦隊が、我が物顔で内部へと侵入していった。
帝国首都星の空を、黒い戦艦の群れが埋め尽くしていく。
その光景は、瞬く間にニュースとして帝国全土に配信された。
『速報です!フライハイト男爵率いる艦隊が、帝国首都星に到達!その数、60万隻!懲罰戦争で300万の大軍を破った「戦争の天才」が、今、凱旋しました!』
街頭ビジョンを見上げる市民たちは、口を開けて空を見上げていた。
恐怖と、畏敬。
たった1万の兵力で300万を壊滅させたという伝説は、既に市民の間で神話のように語られていた。
彼らは今、歴史が動く瞬間を目撃しているのだ。
貴族たちでさえ、屋敷の窓からその光景を震えながら見つめていた。
あれが、たった一人の男爵が作り上げた軍勢なのか、と。
第1区画の特別エリア。
普段は皇帝や皇族、公爵クラスしか利用できない白亜の港が、黒ずんだ旧式艦や鹵獲艦で埋め尽くされていく。
その中に美しい白銀の流体金属装甲を備えた、戦艦フェンリルが、その巨体をゆっくりと着底させた。
タラップが降りる。
その先には、異様な光景が広がっていた。
「……ほう」
俺、クロウ・フォン・フライハイトは、フェンリルのハッチから外を見て、眉をひそめた。
『帝国近衛兵団』
皇帝を守護する最強の親衛隊だ。
身長が5mと巨大だが、その鎧の胸部は滑らかに隆起しており、腰のラインもくびれている。
純白の仮面の下にある素顔は分からないが、女性型のシルエットだ。
その数、およそ3万。
彼女たちは微動だにせず、白銀の壁となって俺たちを出迎えていた。
その仮面の奥にある瞳が、俺たち――60万の艦隊を引き連れて乗り込んできた不届き者を、値踏みするように見下ろしている。
「行くぞ」
俺は歩き出した。
右隣には、かつて「だるま姫」と呼ばれた妻、シャルロット・アト・フレイア。
彼女は、俺が贈った純白のドレスを纏っている。
その足取りは、義足であることを微塵も感じさせないほど堂々としていた。
左隣には、ドロイドのシズ。
そして、俺の後ろには、猿轡をされ、電磁手錠で拘束されたボロボロの男――グライム公爵が、ドロイド兵によって引きずられている。
シャルロットは、近衛兵の威容に一瞬怯えたように体を強張らせたが、すぐに背筋を伸ばした。
彼女はもう、怯えるだけの少女ではない。
俺の妻であり、60万の軍勢の女主人だ。
「フライハイト男爵。お待ちしておりました」
近衛兵の足元に、黒い礼服を着た元老院の使者が立っていた。
彼は冷や汗を拭いながら、恭しく一礼した。
「帝国元老院まで、我々がご案内いたします。……どうぞ、こちらのエアカーへ」
用意されたのは、皇族用の豪華なリムジン型エアカーだった。
俺たちはそれに乗り込み、帝国首都星の中心部にそびえ立つ、巨大なドーム状の建造物――帝国元老院へと向かった。
元老院、大議場。
数十万人の議員を収容するすり鉢状のホールは、静まり返っていた。
だが、その静寂は、爆発寸前の火山のような熱気を孕んでいた。
銀河の各地から集まった貴族議員たちが、固唾を飲んで俺たちの入場を見守っている。
中央の演壇。
その最前列に、俺とシャルロット、そしてシズのための「特別席」が用意されていた。
被告人席ではない。
来賓席だ。
これは、帝国が俺を「対等な交渉相手」として認めた証左でもあった。
そして、議場の中心にある円形の被告席。
そこに、グライム公爵が突き出された。
彼は床に膝をつき、猿轡を噛まされたまま、涙目で周囲を見回している。
かつては自分が座っていた上段の席から、今は同僚たちが冷ややかな視線を浴びせている。
味方だと思っていた者たちの目は、今や汚物を見る目へと変わっていた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
開廷の鐘が鳴り響いた。
議長席から、一人の老人が立ち上がった。
帝国元老院議長、ヴァルター・フォン・アインザッツ公爵。
白髪と長い髭を蓄えたその姿は、賢者のようであり、同時に老獪な政治家の威圧感を放っていた。
「諸君。この場に集まった元老院議員諸氏に、まずは感謝を」
ヴァルターの重厚な声が、音響システムを通して議場全体に響き渡る。
「帝国の秩序は、絶対である。その秩序を乱し、帝国の威信を傷つけた者がいるならば、それは断罪されねばならない。……此度は、グライム・フォン・ローゼンバーグ公爵の弾劾裁判を開廷する!」
おおぉっ!というどよめきが広がった。
ヴァルターは手元の資料を読み上げた。
「被告人グライムは、私利私欲のために300万の艦隊を動員し、無策な指揮によってこれを全滅させた。また、戦場においては部下を見捨てて逃亡し、貴族にあるまじき醜態を晒した。これは『利敵行為』に等しい大罪である!」
それを皮切りに、議員席から罵声が飛んだ。
「恥知らずめ!」
「死んで詫びろ!」
「帝国の恥晒しが!」
議場は瞬く間に、グライムへの罵倒大会の様相を呈した。
彼らは皆、全ての罪をグライム一人に押し付けようとしているのだ。
グライムは「違う!」「お前らも賛成しただろう!」と叫ぼうとするが、猿轡のせいで「んぐぐ!」という情けない声しか出ない。
俺は、その醜悪な茶番を、冷ややかに眺めていた。
これが帝国の正体だ。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
敗者に人権はない。
自分たちが生き残るために、昨日までの友を平気で生贄に捧げる。
ヴァルターが杖を突き、静粛を求めた。
「静粛に!……判決を言い渡す」
ヴァルターは冷徹な瞳でグライムを見下ろした。
「此度の罪により、グライム・フォン・ローゼンバーグ以下、ローゼンバーグ貴族連合に参加した全ての家を『取り潰し』とする!」
議場がどよめいた。
グライムだけでなく、彼に味方した数万の貴族家すべてを?
それは帝国の貴族地図を塗り替えるほどの大粛清だ。
「また、ローゼンバーグ一族、および関連貴族の全員を、爵位剥奪の上、5等民(奴隷)とする!」
グライムが目を見開き、ガクガクと痙攣し始めた。
5等民。
それは彼が最も蔑み、虫ケラのように扱ってきた階級だ。
自分が、その虫ケラになる?
ヴァルターは続けた。
「帝国とは勝利である。敗者は歴史を作れない。帝国に不要なものは、切り捨てなければならない。それが、数万年続く帝国の鉄則である!」
残酷だが、明確な論理。
議員たちは「帝国万歳!」と唱和した。
彼らは安堵していた。
グライムたちを生贄に捧げることで、彼を唆した自分たちは助かったのだと。
そして。
ヴァルターの視線が、俺の方へ向いた。
「さて……フライハイト男爵」
議場の視線が一斉に俺に集まる。
60万の大軍を率いる「魔王」。
彼を見る目は、恐怖と媚びへつらいに満ちていた。
「此度の戦争で、貴殿は被害者であり、同時に勝者である。帝国法に基づき、勝者には敗者の生殺与奪の権利が与えられる」
ヴァルターは、まるでプレゼントでも渡すかのように言った。
「今回の首謀人、大罪人グライムの具体的な処遇を決める権利を、貴殿に譲渡する。死刑にするもよし、一生奴隷としてこき使うもよし。帝国は、卿の決定に従い、それを実行する」
グライムが、祈るような目で俺を見た。
殺さないでくれ。
慈悲をくれ。
そんな声が聞こえてきそうだ。
俺はゆっくりと立ち上がった。
そして、ニヤリと笑いながら、グライムを見下ろした。
「……権利を譲渡する、か。ありがたい話だ」
俺は一歩、前に進み出た。
(グライム。俺が奴隷だった頃、お前は俺をゴミのように扱い、地獄へ突き落とした。……俺は地獄の底で、ずっと考えていたよ。いつかお前に、どんなお返しをしてやろうかと)
こいつは知っている。
俺が「0960番」と呼ばれた元奴隷であり、復讐のためだけにここへ戻ってきたことを。
俺は横にいるシャルロットを見た。
彼女は、グライムを静かに見つめている。
その目には、もう憎しみさえ浮かんでいない。
ただの憐れみだけがあった。
俺はヴァルターに向き直り、こう告げた。
「貴族学校……監獄棟の『特別室』。今、誰も使っていないそうだな?」
その言葉を聞いた瞬間。
グライムの表情が、恐怖を超えて絶望へと変わった。
「特別室」
それはかつて、シャルロットを閉じ込め、100年間、機械による拷問と薬漬けの日々を強いた場所だ。
死ぬことさえ許されず、ただ永遠に苦痛と陵辱を受け続ける地獄。
「ん……んあ、あああぁぁぁぁッ!!!」
グライムが絶叫した。
猿轡が外れそうなほど口を開け、狂ったように頭を床に打ち付ける。
嫌だ。
それだけは嫌だ。
死んだほうがマシだ。
あの時、宮殿で自決しておけばよかった!
「議長。グライムを、あの部屋に送れ」
俺は宣告した。
「手足を切断する必要はない。だが、あの『感度3000倍の薬』はたっぷりと使ってやってくれ。そして、あの拷問椅子に縛り付け、死ぬまで……いや、死なせないように管理して、永遠に悲鳴を上げさせろ」
議場は水を打ったように静まり返った。
あまりの残酷さ。
あまりの執念深さ。
議員たちは、自分たちが相手にしている男が、単なる「戦争の天才」ではないことを悟り、戦慄した。
ヴァルター議長でさえ、一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに頷いた。
「……よかろう。グライムを監獄棟へ送れば良いのだな?」
「そうだ。死よりも恐ろしい永遠の責苦こそが、帝国が反逆者に与える『慈悲なき鉄槌』だ!……そうだろう?議長?」
俺は帝国のスローガンを皮肉たっぷりに引用した。
ヴァルターは微かに口元を歪めた。
「……卿の言う通りだ」
ヴァルターが杖を振り下ろした。
「判決は決まった!グライムを連れて行け!監獄棟の『特別室』にて、永遠の罪を償わせよ!」
近衛兵たちがグライムを引きずっていく。
「殺してくれ!いっそ殺してくれぇぇぇ!」という彼の絶叫が、重い扉の向こうへと消えていった。
これで、終わりだ。
100年の呪縛。
シャルロットの悪夢。
そして俺の復讐。
全てが、最悪の形で決着した。
俺は大きく息を吐き、シャルロットの手を握った。
彼女の手は震えていたが、俺が握り返すと、強く握り返してきた。
ヴァルター議長が、再び俺を見た。
その目は、獲物を見る捕食者の目ではなく、対等な猛獣を見る目に変わっていた。
「フライハイト男爵。貴殿の要求は満たした。……一旦、帰ってよろしい」
「帰っていい?おや、祝勝会はないのですか?」
「ふん。調子に乗るな若造が」
ヴァルターは低い声で言った。
「だが、話はまだ終わっていない。我々はこの後、取り潰しされた所領の再編に関する議論が残っている。明日にまた来い」
「承知しました。では、また明日」
俺はマントを翻し、踵を返した。
背中に突き刺さる数十万の視線を感じながら、俺たちは堂々と議場を後にした。
グライムは堕ちた。
だが、俺の戦いはまだ終わらない。
最後に自由を手にする時まで。




