第39話 完全包囲
帝国首都星とフライハイト領の中間宙域。
そこに浮かぶ惑星『ローゼハイム』は、宇宙空間から見ても息を呑むほど美しかった。
地表の半分以上が巨大なバラ園と森林で覆われ、淡いピンクと緑のコントラストを描いている。
それはローゼンバーグ公爵家の富と権力の象徴であり、同時に、数千億人の領民と奴隷たちの血肉によって維持されている人工の楽園でもあった。
その美しい星に向けて、今、銀河史上最大級の艦隊が静かに牙を剥こうとしていた。
戦艦フェンリル、メインブリッジ。
俺は艦長席に座り、眼下に広がるその惑星を見下ろしていた。
「綺麗な星だな」
俺はポツリと言った。
隣に立つシャルロットが、悲しげに瞳を伏せる。
「……はい。ですが、あの薔薇の肥料になっているのは、過労で死んだ5等民たちの死体だと聞いたことがあります」
「だろうな。あいつらの美学は、いつだって他人の犠牲の上に成り立っている」
俺は振り返った。
背後のスクリーンには、再編されたばかりの我が艦隊の状況が表示されている。
『セイレーン回廊』で鹵獲し、即席で編成した旧・ローゼンバーグ貴族連合艦隊。
その数、60万隻。
乗員はすべて、貴族に捨てられ、俺が拾い上げた元5等民たちだ。
彼らの士気は高い。
いや、殺気立っていると言ってもいい。
自分たちをゴミのように扱ったかつての主人たちへ、復讐する機会を今か今かと待ち望んでいるのだ。
「情報通りだな、シズ」
「はい、マスター。元ローゼンバーグ家の5等民クルーからの情報によれば、この惑星の防衛システムは鉄壁です。全土を覆う高出力惑星シールド。地対空迎撃レーザー砲台群。そして、駐留する地上軍は精鋭100万人」
「100万か。ご立派な数字だが……空を奪われた軍隊がどれほど脆いか、教えてやる必要があるな」
俺はマイクを手に取った。
全艦隊への号令だ。
「総員、配置につけ。これより作戦を開始する。ワープアウトは同時だ。一分の隙もなく、この星を包囲しろ。……空を、埋め尽くせ」
惑星ローゼハイム、宮殿『ローゼンパレス』。
その地下深くにある戦略司令室に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?何事だ!」
グライム公爵が飛び起きた。
彼は連日の深酒で顔をむくませ、目は血走っている。
周囲には、同じく逃げ込んできた貴族たちが、不安そうな顔で集まっていた。
「閣下!重力波感知!惑星軌道上に、多数の艦艇が出現します!」
オペレーターが叫ぶ。
「数、数は!?」
「10万……20万……いえ、50万を超えています!」
その報告に、グライムの顔色がパァっと輝いた。
「50万だと!?おお……おお!来たか!ついに来たか!」
彼は狂喜乱舞した。
フライハイトの戦力はたかだか1万隻(と彼は思い込んでいる)。
ならば、この50万という大艦隊は、間違いなく自分が要請した帝国の援軍だ。
「見たか、貴様ら!やはり帝国は私を見捨てなかった!元老院も皇帝陛下も、名門ローゼンバーグ家の重要性を理解しておられるのだ!」
貴族たちも歓声を上げた。
「助かった!」
「これで勝てる!」
「フライハイトなど捻り潰してやる!」
彼らは抱き合い、涙を流して喜んだ。
地獄の淵から天国へ舞い上がったような気分だった。
だが。
メインスクリーンに、その「援軍」の映像が映し出された瞬間、歓声は凍りついた。
空を覆い尽くす無数の艦艇。
その船体には、帝国の紋章ではなく、――フライハイト男爵家の紋章が描かれていたのだ。
そして、その艦影は、彼らがよく知っているものだった。
自分たちが捨てて逃げた、自分たちの船だったのだから。
「ば……馬鹿な……」
グライムが呆然と呟く。
その時、司令室の全てのモニターがジャックされ、一人の男の顔が大写しになった。
『やあ、グライム。……随分と楽しそうじゃないか?パーティーの準備中だったか?』
黒髪に不敵な笑み。
憎きクロウ・フォン・フライハイトだ。
「き、貴様……!なぜ貴様がここにいる!その艦隊はなんだ!?それは我々の船だぞ!泥棒め!」
グライムがマイクに向かって喚き散らす。
クロウは冷ややかに笑った。
『泥棒?人聞きが悪いな。お前たちが「いらない」と言って捨てていったゴミを、俺が拾ってリサイクルしただけだ。……残念だったな、グライム。お前が首を長くして待っていた「帝国の援軍」とやらは、来ないぞ』
「な、なんだと!?」
『俺の相棒が、お前の救援信号を全部握りつぶしたからな。帝国首都星では今頃、お前は行方不明扱いだ。つまり……お前は見捨てられたんだよ』
グライムは膝から崩れ落ちた。
見捨てられた。
その言葉が、彼のプライドを粉々に砕いた。
『現在、我が軍は惑星ローゼハイムを完全に包囲した。逃げ場はない。……さあ、挨拶代わりの一発だ』
クロウが指を鳴らした。
「ま、待て! 話し合おう!金か?領地か?何でもやる!」
『いらないね。俺が欲しいのは、お前たちの絶望だけだ』
通信が切れた。
直後、空が裂けるような轟音が惑星全体を揺るがした。
宇宙空間。
惑星ローゼハイムを取り囲む60万隻の艦隊が、一斉に砲門を開いた。
「撃てッ!!」
全艦一斉射撃。
数百万のレーザー光束が、雨あられと惑星へ降り注ぐ。
だが、その光の雨は、地表に届く直前で不可視の壁に阻まれた。
バチバチバチッ!!
惑星シールドだ。
空全体がハニカム構造の光の膜で覆われ、レーザーを防いでいる。
「は、ははは!見たか!」
地下司令室で、グライムが引きつった笑い声を上げた。
モニターには、健在なシールドの数値が表示されている。
「無駄だ!無駄無駄ァ!この惑星シールドは、帝国首都星の防衛システムと同じ最新型だ!たかだか艦隊の砲撃程度で破れるものか!ここはこの星ごと要塞なのだ!」
貴族たちも安堵のため息をつく。
そうだ、まだ負けていない。
このシールドがある限り、彼らは手出しできない。
だが、フェンリルのブリッジで、俺はその様子を冷ややかに見下ろしていた。
「……硬いな。さすがは公爵様の別荘だ」
俺はシズに指示を出した。
「フェンリル、主砲発射準備。出力最大。……大陸一つ消し飛ばすつもりで撃て」
「了解。大出力レーザー砲、リミッター解除。エネルギー充填、完了しました」
俺は立ち上がり、右手を前に突き出した。
「グライム。お前の自慢の殻が、どれほど持つか試してみようか」
俺の手が振り下ろされる。
「発射ッ!!」
カッ――――――――!!!
フェンリルの艦首が割れ、そこから眩いばかりの極太の光条が放たれた。
それは、先ほどの60万隻の砲撃が霞むほどの、圧倒的なエネルギーの奔流だった。
光速で放たれたその一撃は、惑星シールドの一点に突き刺さった。
ギギギギギギギ……ッ!
空間が悲鳴を上げる。
シールドの出力が急上昇し、赤色に変わる。
だが、フェンリルの出力はそれを遥かに凌駕していた。
戦艦一隻の砲撃ではない。
これは、神話級の災害だ。
パリィィィィィィィンッ!!!
ガラスが割れるような音が、大気圏全体に響き渡った。
飽和したシールドが崩壊し、光の欠片となって降り注ぐ。
そして、余剰エネルギーが地表に到達した。
ズドォォォォォォォン……!!!
無人地帯の荒野に着弾した光は、地殻を抉り、核のキノコ雲を遥かに超える巨大な火柱を上げた。
衝撃波が大陸を駆け巡り、宮殿を激しく揺さぶる。
地下司令室は、大地震に見舞われたかのような揺れに襲われた。
シャンデリアが落ち、貴族たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ば、馬鹿な……!シールドが……一撃で!?ありえん!あんな火力を持った戦艦など、存在していいはずがない!」
グライムはモニターにしがみついた。
「シールド消失」「被害甚大」の文字が赤く点滅している。
裸だ。
もはや、この星を守る壁は何もない。
再び、モニターにクロウの顔が現れた。
今度は、背景に崩壊した大地の映像を背負っている。
『……どうだ、グライム。貴様ご自慢のシールドとやらは、今の一撃で無くなったぞ。次はない。次は、その宮殿のど真ん中にブチ込んでやる』
クロウの声は、死神のように冷たかった。
グライムは震えながらも、最後の強がりを叫んだ。
「う、撃てるものなら撃ってみろ!この宮殿の地下シェルターは、核攻撃にも耐える特殊合金製だ!貴様の攻撃など、びくともせんわ!我々はここで、何年でも籠城してやる!」
彼は本気だった。
自分さえ助かればいい。
この地下深くの安全圏に引きこもっていれば、いつか嵐は過ぎ去ると信じ込んでいるのだ。
クロウは、呆れたように溜息をついた。
『……本当におめでたい奴だな。お前は安全圏にいていいよな。だが……お前を守る地上軍100万人はどうだ?』
「な、なに?」
『彼らはシェルターの中にはいない。地上の基地で、塹壕で、あるいは街の中で……今、剥き出しの空を見上げている。俺の大艦隊と、この悪魔のような主砲に狙われてな。彼らは今、惑星ごと焼かれる恐怖を抱いているんだ』
クロウの視線が、カメラ越しに鋭さを増した。
『グライム、お前と話すことはもう何もない。……俺が話したいのは、お前じゃない』
クロウは操作盤を叩いた。
通信対象が切り替わる。
司令室だけではない。
地上の軍事基地、市街地のモニター、兵士たちの携帯端末。
この惑星の全ての通信機器に、クロウの声が響き渡った。
『惑星ローゼハイムの地上軍将兵、及び5等民の諸君。俺はクロウ・フォン・フライハイトだ』
地上。
空を見上げ、震えていた兵士たちが、一斉に端末を見た。
『状況は見ての通りだ。空は俺たちが制圧した。お前たちの主、グライム公爵は、自分だけ安全な地下に隠れ、お前たちを見捨てた』
兵士たちの間に動揺が走る。
事実だ。
貴族たちは誰一人として前線に出てきていない。
『俺は、無益な殺戮は好まない。だが、俺の妻を侮辱したローゼンバーグ家だけは許さない。……そこで、取引をしよう』
クロウの声が、悪魔の囁きのように響く。
『俺は、1日待ってやる。1日後に、俺はこの星を焼き払う。フェンリルの主砲と、60万隻の一斉射撃で、この星を死の星に変える』
兵士たちが息を呑む。
先ほどの一撃を見れば、それが脅しでないことは明らかだ。
『だが……もし、お前たちが主人を裏切り、グライム公爵の身柄を俺に差し出すと言うのなら。俺は慈悲を与える』
「う、裏切りだと!?」
地下司令室で、グライムが叫ぶ。
『この星への攻撃は中止し、お前たちの命を保証しよう。さらに、貴族への反逆罪……そんなものは、俺の力で全て揉み消してやる。俺の領地で、新しい生活と職を与えてもいい』
クロウは、究極の二択を突きつけた。
『見捨てられた主人のために、無駄死にするか。それとも、自分たちの手で未来を掴み取るか。……選べ。タイムリミットは24時間だ』
通信が切れた。
残されたのは、不気味なほどの静寂。
だが、その静寂の下で、何かが確実に崩れ落ち、そして燃え上がろうとしていた。
地下司令室にいるグライムは、まだ事の重大さに気づいていなかった。
「はっ、何を馬鹿な……。私の兵士たちが裏切るわけがない。彼らはローゼンバーグ家に絶対の忠誠を誓っているのだ!下賎な男爵の口車になど乗るものか!」
彼は笑い飛ばそうとした。
だが、周囲にいる貴族たちの顔色は蒼白だった。
そして、家令の老人が、震える声で告げた。
「……閣下。地上軍との通信が……全て途絶えました」
「なに?回線故障か?」
「いえ……。彼らが、自ら回線を切ったのです。そして……基地周辺の監視カメラに、異変が」
モニターに映し出された映像。
そこには、銃口を空ではなく、宮殿の方角へ向けて行軍を開始する、無数の兵士たちの姿があった。
忠誠心?
そんなものは、惑星シールドと共に砕け散ったのだ。
薔薇の園は今、主人の血を求める棘だらけの迷宮へと変貌しようとしていた。




