第36話 ローゼンバーグ貴族連合
電撃的な結婚発表から数週間後。
銀河の情勢は、沸騰するマグマのように一気に臨界点へと達していた。
『懲罰戦争』
それはローゼンバーグ公爵家を筆頭とする「ローゼンバーグ貴族連合」による、私設軍を用いた大規模な武力制裁だ。
集結した艦艇数は、実に300万隻。
星の海を埋め尽くす鉄と悪意の壁が、今まさにフライハイト領へと押し寄せようとしていた。
対する我ら、フライハイト男爵軍。
表向きに稼働できる戦力は、武装商船や改修した旧式艦を含めても、わずか1万隻。
300対1。
数字にするのも馬鹿らしいほどの、絶望的な戦力差だった。
防衛艦隊旗艦となった、戦艦フェンリルのメインブリッジ。
普段は静謐なこの場所も、今は張り詰めた緊張感に包まれていた。
中央の円卓を囲むのは、フライハイト陣営の主要メンバーたちだ。
俺、クロウ・フォン・フライハイト男爵。
妻となったシャルロット・アト・フレイア。
副官のドロイド、シズ。
地上軍および艦隊指揮官、グレイ・ヴォルフ大佐。
そして、内政を取り仕切る執事、ギリアム。
メインスクリーンには、幾何学的なノイズと共に、青白い光で構成された「眼球」のようなインターフェースが浮かび上がっていた。
戦略統合AI『オーディン』だ。
こいつの本体であるメインコンピュータは、超弩級戦艦『ラグナロク』の中枢に鎮座している。
だが、超光速通信を介することで、ここ戦艦『フェンリル』でも、他の無人艦艇でも、距離を無視して同様に使うことが可能だ。
『――現状分析、終了』
オーディンの声は、以前よりも無機質で、冷徹な響きを持っていた。
『敵勢力:ローゼンバーグ貴族連合。艦艇数:推定300万隻。当方:フライハイト男爵軍。艦艇数:1万隻。戦力比:約300対1。勝率:0.0000%。結論:敗北確定』
「ケッ、相変わらず愛想のねえ野郎だ」
葉巻を噛み砕きながら、ヴォルフ大佐が悪態をつく。
彼の背後には、荒くれ者の部下たちが殺気立っているのが見える。
「300万だぞ、300万!俺の可愛い部下たちが一人300隻沈めなきゃならねえ計算だ。弾が足りねえよ」
「……弾薬の問題ではありませんな」
ギリアムが静かに紅茶を置いた。
その手は震えていないが、表情は険しい。
「敵の狙いは明確です。我が領の経済的中心地、『ノルド・ステーション』。資源惑星アグリアや、死の星エンドを焦土にしたところで、彼らの溜飲は下がりません。旦那様の成功の象徴であるステーションを破壊し、旦那様と奥様を公開処刑にする……それが彼らのシナリオでしょう」
「肯定」
オーディンが短く答える。
『敵進路予測:最短ルート。目標:ノルド・ステーション絶対防衛圏。戦略的価値の低いアグリア、エンドは無視される公算大』
シャルロットが、痛ましげに顔を伏せた。
白いワンピース姿の彼女は、今はまだ非戦闘員としてここにいる。
「私の……せいです。私がクロウ様のそばにいるから、こんな大軍が……。ノルド・ステーションには、多くの領民が暮らしています。彼らを巻き込むなんて……」
「シャルロット、自分を責めるな」
俺は彼女の手(義手)を握りしめた。
温かい。
この温もりを守るためなら、俺は全銀河を敵に回しても構わない。
「これは俺が選んだ喧嘩だ。それに、敵がステーションを狙うと分かっているなら、対策は立てられる」
俺はスクリーンを見上げた。
「オーディン。ラグナロクと惑星破壊兵器の使用は禁止だ。今回の戦争は銀河中に生中継されている。ロストテクノロジーを使えば、俺たちは『謎の超兵器を持つテロリスト』として、帝国正規軍に潰される。あくまで『辺境男爵の私設軍』という枠組みの中で勝つ方法を弾き出せ」
『条件受諾。超兵器の使用:凍結。代替案検索……』
数秒の沈黙。
AIにとっては永遠にも等しい思考時間の後、マップ上の一点が赤く点滅した。
『推奨戦域:座標B-77「セイレーン回廊」。ノルド・ステーションへの侵入ルート上に存在する、小惑星密集地帯。大型艦隊の並行移動不可。隘路効果を認める』
「なるほど、天然の要害か」
シズが補足する。
「ここならば、敵は隊列を細く伸ばさざるを得ません。300万の大軍も、一度に通れる数は制限されます。少数で大軍を食い止める唯一のポイントです」
『作戦案:機雷敷設による遅滞防御。岩礁地帯に全保有機雷を散布。敵先頭集団を粉砕し、残骸で航路を封鎖』
「それで、勝てるのか?」
俺が問うと、オーディンは即座に無慈悲な数字を突きつけた。
『否。敵戦力は過大。先頭の数万隻を「捨て駒」として機雷原を強行突破された場合、当方の機雷在庫が枯渇。突破後の艦隊戦における勝率:0.0001%』
ブリッジに重苦しい沈黙が落ちた。
0.0001%。
それは作戦と呼べる代物ではない。
ただの悪あがきだ。
機雷が足りない。
圧倒的な数を前に、物理的なリソースが絶対的に不足している。
「……万策尽きたか」
ギリアムが深く溜息をついた。
ヴォルフも悔しげに拳を掌に打ち付ける。
「クソッ!いくら地の利があっても、弾切れじゃあどうしようもねえ!」
だが。
俺の口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「弾切れ?誰がそんなことを言った?」
全員の視線が俺に集まる。
「オーディン。お前の計算は『普通の機雷』を使った場合だろ?爆発して終わりの、使い捨ての機雷なら、そりゃあ足りないさ」
『……質問。使い捨てではない機雷が存在する?』
「あるさ。俺が作ればな」
俺は立ち上がった。
「敵は300万隻だ。つまり、そこには300万隻分の『鉄』と『燃料』がある。……これを有効活用しない手はないだろう?」
シズが、ハッとして俺を見た。
「マスター……まさか。『自己増殖』ですか?」
「正解だ」
俺は空中にホログラムを描いた。
それは、機雷が爆発し、散らばった敵艦の残骸を取り込んで、新たな機雷を生み出すシミュレーション映像だ。
「名付けて『ヒュドラ・システム』。機雷内部に、超小型の万能物質製造工場の種子を組み込むんだ。爆発と同時にナノマシン・シードを散布。シードは周囲のデブリ(破壊された敵艦)を『餌』として喰らい、その質量をエネルギーに変換して、数分で新しい機雷を構築する」
俺はヴォルフに向かってニヤリと笑った。
「敵を倒せば倒すほど、その死骸が新しい爆弾になって蘇る。敵が密集していればいるほど、餌は豊富になり、爆発的に増殖する。……これなら、弾切れの心配はないだろ?」
ヴォルフが目を剥き、それから腹を抱えて大笑いした。
「ギャハハハハ!最高だ!最高にイカれてるぜ、閣下!敵の死体を材料にして爆弾を作るだと!?悪魔でも思いつかねえよ!」
ギリアムも、呆れたように、しかし安堵の表情で眼鏡を直した。
「……確かに、それならば300万という数は、脅威ではなく『豊富な資源』となりますな。恐ろしいお方だ」
シャルロットは少し青ざめていたが、その目には強い意志が宿っていた。
「……残酷、かもしれません。でも、私たちが生き残るためには、それしかありません。やります。私も、手伝います」
俺は頷いた。
「オーディン。ヒュドラ・システム稼働時における勝率を再計算しろ」
『……パラメータ修正。自己増殖機能、付加。敵の密集度、及び資源変換効率を考慮。……再計算終了。勝率:98.7%。評価:敵艦隊の全滅は不可避』
「決まりだな」
俺は号令を下した。
「総員、配置につけ!
フェンリルの工場区画をフル稼働させる。
300万の客人を歓迎するための、とびきりタチの悪い『地雷』を量産するぞ!」
数時間後。
フライハイト領の境界宙域。
星々の光を遮るように、漆黒の大艦隊が進軍していた。
ローゼンバーグ貴族連合艦隊。
総旗艦である超巨大戦艦『グラン・ローゼン』のブリッジで、グライム・フォン・ローゼンバーグ公爵は、勝利を確信した笑みを浮かべていた。
「壮観だな……。これぞ、貴族の結束。帝国の正義の具現化だ」
彼の視界を埋め尽くすのは、味方の艦、艦、艦。
レーダーには、300万という途方もない数の光点が映し出されている。
あまりの数に、宇宙空間の重力バランスすら歪むほどだ。
「閣下、前方に『セイレーン回廊』を確認。小惑星帯の隘路です。敵が待ち伏せている可能性があります」
参謀が報告するが、グライムは鼻で笑った。
「待ち伏せだと?たかだか1万隻の蛮族崩れが、何をしようと言うのだ。機雷か?砲台か?そんなもの、我が軍の先頭集団だけで踏み潰せるわ!」
彼は通信モニターを開いた。
そこには、銀河中に配信されているニュース映像が映っている。
レポーターが興奮気味に、ローゼンバーグ貴族連合の威容を伝えている。
1000兆人の市民が、この歴史的な「処刑」を見守っているのだ。
「見ているか、銀河の愚民ども。そして、生意気な成金男爵よ。これが『格』の違いというものだ。貴様ごときが、伝統ある貴族に逆らった報いを、その身で知るがいい」
グライムは命令を下した。
「全艦、進め!隊列など気にするな!我先に進め!最大戦速で岩礁を突破し、ノルド・ステーションを火の海にせよ!最初にフライハイトの首を取った者には、褒美として惑星一つくれてやるぞ!」
ウォーッ!という歓声が通信回線を埋め尽くす。
300万の艦隊が、功を焦るあまり我先にと、雪崩のように小惑星帯へと殺到した。
彼らは知らなかった。
その先にあるのが、単なる機雷原ではなく、無限に増殖する死の迷宮であることを。




