第34話 卒業式
帝国首都星に、春が訪れた。
環境管理タワーの空調設定が「春季モード」に切り替わり、上層区画の空を覆うドームスクリーンには、柔らかな薄紅色の空が演出されている。
街路樹として植えられた遺伝子改良植物「サクラ・ネオ」が満開の花を咲かせ、人工の風に乗って、美しい桃色の花びらが舞い上がっていた。
それは、あまりにも完璧で、どこか作り物めいた美しさだった。
だが、今の俺には、その嘘くさい景色さえも少しだけ眩しく見えた。
今日、俺ことクロウ・フォン・フライハイト男爵は、帝国貴族学校を卒業する。
「……似合ってるじゃないか、アカデミック・ガウン」
先端工学棟のテラスで、俺は隣に立つ親友に声をかけた。
アレク・フォン・ジルブライト。
彼もまた、角帽に黒いガウンという正装に身を包んでいる。
「よしてくれよ。君こそ、特注のガウンかい?生地が高級すぎて浮いてるよ」
アレクが苦笑しながら、俺のガウンの裾を指差した。
俺が着ているのは、最高級のシルク製ガウンだ。
確かに、周囲の学生たちの既製品とは光沢が違う。
「まあな。最後の晴れ舞台だ。少しは着飾ってやらないと、理事長が泣くからな」
俺は軽口を叩きながら、眼下に広がるキャンパスを見下ろした。
広場には、着飾った卒業生たちとその家族たちが溢れかえっている。
半年前、俺がここに編入してきた時は、彼らの視線は冷ややかで、侮蔑に満ちていた。
だが今はどうだ。
俺たちがテラスに姿を見せると、下の広場からざわめきが起こり、畏敬の眼差しが向けられる。
「音速の殺戮者」
「だるま姫を従える魔王」
そんな二つ名と共に、俺はこの学園の伝説になっていた。
「……本当なら、俺はもっと早く卒業できたんだけどな」
俺は手すりに肘をついた。
特別編入生である俺には、単位の免除措置があった。
『スター・ライド・グランプリ』での優勝、そしてシャルロットの奪還という目的を果たした時点で、この学校に用はなかったのだ。
いつでも退学なり、早期卒業なりができた。
だが、俺は残った。
半年間、真面目に通い続け、今日という日を迎えた。
(といっても、半分はフェンリルでサボっていたが)
「アレク。お前が卒業するのを見届けるまでは、ここを去る気にはなれなかったからな」
俺の言葉に、アレクは少し驚いた顔をして、それから照れくさそうに鼻をかいた。
「……義理堅いね、クロウは。僕なんて、君の『金魚のフン』みたいなもんだったのに」
「馬鹿を言うな。お前がいなきゃ、俺はこの学園のルールも、シャルロットの居場所も分からなかった。それに……お前の技術力は本物だ。ナイトメア号の調整も、ベンケイの演出も、お前がいたから成功したんだ」
俺は真っ直ぐに彼を見た。
出会った頃の、オドオドしていた下級貴族の顔はもうない。
今の彼は、自信と知性に満ちた、立派な技術者の顔をしている。
「……ありがとう、クロウ。君に出会えて、本当によかった。君が僕の殻を壊してくれたんだ」
アレクは感慨深げに桜吹雪を見上げた。
「僕は、実家のジルブライト男爵領に帰るよ。辺境の貧しい領地だけど、ここで学んだ知識と……君に見せてもらった『常識外れの技術』のヒントを持ってね」
「ほう、領地改革か?」
「ああ。父上は古い考えの人だけど、説得してみるさ。鉱山採掘の効率化、ドロイドによる農業改革……やりたいことは山ほどある。僕たちの領地を、豊かで、誰もが笑って暮らせる場所にしたいんだ」
その言葉を聞いて、俺は嬉しくなった。
彼はもう、帝国の歯車ではない。
自分の頭で考え、自分の足で歩こうとする指導者だ。
彼のような貴族が増えれば、この腐った帝国も少しはマシになるかもしれない。
「いい心がけだ。……困ったことがあったら連絡しろ。資金でも、技術でも、武力でも、なんでも貸してやる」
「ははは、武力は遠慮しておくよ。君の『手助け』は、破壊とセットだからね」
「失敬な。建設的な破壊と言ってくれ」
俺たちは声を上げて笑った。
周囲の学生たちが、何事かとこちらを見上げるが、気にならなかった。
これは俺たち二人だけの、最後の時間だ。
「……さて、そろそろ行くか」
式典の開始を告げる鐘が鳴り響いた。
俺たちはガウンを翻し、講堂へと向かった。
卒業証書授与式は、退屈そのものだった。
理事長の長い訓示、来賓の祝辞、そして皇帝陛下への忠誠の誓い。
俺はあくびを噛み殺しながら、それらをやり過ごした。
だが、俺の名前が呼ばれた時だけは違った。
『総代、クロウ・フォン・フライハイト男爵』
俺が壇上に上がると、会場の空気が張り詰めた。
誰もが息を呑み、俺の一挙手一投足を見守っている。
俺は理事長から証書を受け取り、軽く敬礼をした。
理事長の手は微かに震えていた。
「頼むから何もやらかさないでくれ」という心の声が聞こえてきそうだ。
俺はニヤリと笑い、マイクに向かった。
予定されていた答辞の原稿など、持っていない。
「……諸君。この学校は、クソだった」
会場が凍りついた。
「だが、クソの中にも真珠はあった。俺はここで、最高の友を見つけた。それだけで、ここに来た価値はあったと言える」
俺は会場を見渡した。
「貴族だの平民だの、1等民だの5等民だの。そんな肩書きは、卒業証書より薄っぺらい紙切れだ。大事なのは、何をするか。自分の魂に従って生きているか、だ」
俺は証書を高々と掲げた。
「俺は行く。お前らも、せいぜい退屈な人生を送らないように足掻くんだな。……以上!」
俺が壇上を降りると、しばらくの沈黙の後、パラパラと拍手が起こり、それはやがて爆発的な喝采へと変わった。
特に、先端工学科の連中や、下級貴族の学生たちが熱狂している。
俺は手を振り、颯爽と会場を後にした。
式典が終わり、エアカー乗り場。
俺とアレクの別れの時が来た。
「じゃあな、アレク。元気でやれよ」
「君もね、クロウ。……また会えるかな?」
アレクが少し寂しそうな顔をする。
辺境の男爵領と、これから俺が向かう場所は離れている。
だが、俺は笑い飛ばした。
「当たり前だろ。言ったはずだ。今度、お前の実家にも挨拶しに行くってな」
俺は親指で、天上のドックの方角を指した。
「全長3000メートルの戦艦フェンリルで、お前の領地の上空に乗り付けてやるよ。お前の親父さん、腰を抜かすだろうな」
「うわぁ……。本当にやりそうだから怖いよ。父上、心臓が弱いんだから手加減してくれよ?」
「善処する。……だが、歓迎の宴は用意しておけよ?俺は食い物にはうるさいからな」
「分かったよ。領地一番の酒と、最高のジビエ料理を用意して待ってる」
俺たちは固い握手を交わした。
言葉はもういらなかった。
アレクがエアカーに乗り込み、空へと消えていくのを見送った。
「……行ったか」
俺は一人、桜舞う空を見上げた。
短かった学生生活。
潜入工作のつもりが、随分と濃密な時間を過ごしてしまった。
ムカつくことも多かったが、振り返ってみれば、意外と悪くなかった。
青春の真似事、というやつも、案外楽しいものだ。
「さて……」
俺はポケットから通信端末を取り出した。
感傷に浸るのはここまでだ。
俺には、やるべきことがある。
「シズ、迎えに来い。シャルロットとベンケイも一緒にな」
『了解しました、マスター。フェンリル、出航準備完了しています。……いよいよですね』
「ああ。遊びは終わりだ」
数分後。
巨大な影が学園の上空を覆った。
光学迷彩を解除した戦艦フェンリルが、その銀色の巨体を現したのだ。
卒業生たちの悲鳴と歓声が入り混じる中、俺は降りてきたタラップを登った。
艦内に入ると、そこには見違えるほど元気になったシャルロットが待っていた。
黒いシンクロ・スーツの上から、白いドレスを羽織っている。
義手と義足の動きも滑らかで、もう俺の支えがなくても走り回れるほどだ。
「おかえりなさいませ、クロウ様!卒業、おめでとうございます!」
彼女が満面の笑みで駆け寄ってくる。
俺はその体を抱き留め、キスをした。
「ただいま、シャルロット。待たせたな」
「いいえ。……さあ、行きましょう。私たちの『家』へ」
俺たちはブリッジへと向かった。
「総員、配置につけ。これより本艦は、フライハイト領……惑星エンド宙域へ帰還する!」
ゴゴゴゴゴ……。
フェンリルの反応炉が唸りを上げ、巨大な船体が浮上する。
眼下には、桜色の帝国首都星が小さくなっていく。
さらばだ、偽りの楽園よ。
次に来る時は、客としてではない。
解放者としてだ。
俺はモニターに映る星の海を見据えた。
これから戻るフライハイト領で、俺はある重大発表を控えている。
それは、帝国の支配構造を根底から覆す宣言だ。
準備は整った。
資金も、武力も、人材も揃った。
俺はニヤリと笑った。
「震えて待ってろ、銀河1000兆の市民たちよ。そして、帝国の豚ども。ここからが、本当の『戦争』だ」
フェンリルは青白い光を放ち、超光速航行へと突入した。
光の彼方へ消えゆくその軌跡は、これから始まる激動の時代の、最初の一閃となるだろう。
俺の野望は、まだ始まったばかりだ。
楽しみで仕方がない。




