第33話 星下の誓い
地獄のような手術から一夜が明けた。
戦艦フェンリルの医療区画。
清潔な朝の光が満ちる部屋で、俺、クロウ・フォン・フライハイト男爵は、ベッドの上のシャルロットに向き合っていた。
彼女は今、俺が万能物質で生成した特製の『シンクロ・スーツ』――外部刺激を緩和するジェルを含んだ、第二の皮膚とも言うべき黒いボディスーツに身を包んでいる。
その四肢の先端、先日埋め込んだばかりの接続ポートが、鈍い銀色の光を放っていた。
「……準備はいいか、シャルロット」
俺の声に、彼女は緊張した面持ちで、けれど力強く頷いた。
「はい、クロウ様」
俺はサイドテーブルに置かれた「それ」を手に取った。
徹夜で調整を重ねた、彼女のためだけの義手と義足だ。
素材は高強度のオリハルコン合金。
表面は彼女の肌の色に合わせた人工皮膚で覆われており、見た目は生身の手足と遜色ない。
だが、その内部にはフェンリルの演算機能とリンクする、超高性能なアクチュエーターと感覚センサーが組み込まれている。
「装着するぞ」
俺はまず、右足のパーツを彼女の大腿部のポートに宛がった。
カチリ、という小さな音と共に、神経コネクタが接続される。
「……っ!」
シャルロットが小さく息を呑んだ。
痛覚信号ではない。
神経が通い、失われていた「足」の感覚が、100年ぶりに脳へと還流した衝撃だ。
「どうだ?動かせるか?」
彼女はおそるおそる意識を集中させた。
すると、義足のつま先が、ピクリと動いた。
足首が回り、膝が曲がる。
「あ……動く……私の足が……」
続いて左足、そして両腕。
全ての接続が完了した時、彼女は完全な五体を取り戻していた。
「さあ、立ってみろ」
俺は彼女の手を取った。
義手の指が、俺の手をしっかりと握り返してくる。
温度機能により、温かい。
シャルロットはベッドから足を下ろし、床を踏みしめた。
ジェルパッド内蔵の足裏が、床の感触を脳に伝える。
彼女は膝に力を入れ、ゆっくりと、震えながら腰を上げた。
10センチ、20センチ、50センチ。
視界が高くなっていく。
そして――。
「……立った」
彼女は立ち上がった。
100年間、天井から吊るされるか、床を這いずることしか許されなかった彼女が、自分の足で大地を踏みしめたのだ。
「あ、あぁ……」
バランスを崩しそうになった彼女を、俺は抱き留めた。
「焦るな。リハビリはこれからだ。……ほら、一歩踏み出してみろ。俺が支えてやる」
俺は彼女の両手を引き、導いた。
彼女は生まれたての小鹿のように震えながら、右足を前に出した。
そして左足。
一歩、また一歩。
病室の中を、俺たちはゆっくりと歩いた。
「歩いている……私、歩いています……!」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。
それは痛みによるものではなく、純粋な歓喜の涙だった。
自分の意思で動ける。
行きたい場所へ行ける。
その当たり前の事実が、彼女にとっては奇跡だった。
「ああ、上手だぞ。お前はもう、誰の所有物でもない。どこへだって行けるんだ」
シャルロットは泣き笑いのような表情で、俺の胸に飛び込んできた。
俺はその細い体を、スーツ越しに優しく抱きしめた。
その日の夜。
俺はシャルロットを「夕食」に招待した。
場所は、フェンリル最上層にある展望ラウンジだ。
照明を落とした室内。
直径1メートルほどの小さな円卓には、キャンドルの火が揺れている。
そして、壁一面の巨大なウィンドウの向こうには――。
「……綺麗」
シャルロットが息を呑んだ。
そこには、眼下に広がる帝国首都星の夜景と、その上に広がる満天の星空があった。
フェンリルは今、自動航行で帝国首都星の上空を回遊している。
100年間、窓のない「特別室」という名の密室に幽閉されていた彼女にとって、この無限に広がる宇宙は、何よりのプレゼントだった。
「座ってくれ。今日の料理は、自動調理器じゃないぞ。メイドのシズが腕によりをかけて作った特製コースだ」
俺は椅子を引き、彼女をエスコートした。
テーブルの上には、万能物質で生成した有機野菜を使ったサラダ、柔らかく煮込まれた肉料理、そして焼きたてのパンが並んでいる。
シャルロットは震える義手でスプーンを持ち、スープを口に運んだ。
一口飲んだ瞬間、彼女の動きが止まった。
「……おいしい」
ポロポロと、大粒の涙がスープ皿に落ちる。
「温かくて……優しい味がします……」
彼女が今まで与えられていたのは、家畜用の合成ペーストと、生きるためだけの高カロリー輸液だった。
「食事を楽しむ」という行為さえ、彼女は奪われていたのだ。
「全部食えよ。おかわりもあるからな」
俺は彼女が泣きながら食べる姿を、ただ静かに見守っていた。
やがて食事が終わり、ハーブティーの香りが漂う頃。
シャルロットが、改めて俺に向き直った。
「……クロウ様。何度お礼を言っても足りません。ですが……一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「なぜ……これほどまでに、私を助けてくださったのですか?」
彼女のサファイア色の瞳が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「私は亡国の姫。帝国にとっては反逆の象徴です。私に関わることは、貴方様にとってもリスクのはず。それなのに、なぜ?」
俺はカップを置き、少し視線を逸らして答えた。
「……前にも言っただろ。俺は将来、自分の国を作る。そのために、帝王学を修めた『統治経験のある人材』が欲しかったんだ。お前はそのための、優秀な参謀候補だ」
もっともらしい理屈だ。
嘘ではない。
だが、それだけではないことも、俺自身が一番よく分かっている。
「……マスター」
給仕のために控えていたシズが、冷ややかな声で口を挟んだ。
「生体反応に虚偽の兆候はありませんが……情報量が不足しています。まだ、伝えるべき『核心』があるのではないですか?」
「……っ!うるさい!今から言うところだ!」
俺は顔を赤くして怒鳴った。
このポンコツメイドめ、余計なツッコミを入れやがって。
シャルロットが驚いて目を丸くしている。
俺は咳払いをし、意を決して彼女に向き直った。
テーブルが小さい分、彼女との距離は近い。
その瞳から逃げることはできない。
「……シャルロット。参謀がどうとか、それは建前だ。本当の理由は、もっと単純で……馬鹿げたことだ」
俺は深呼吸をした。
肺の奥まで空気を入れ、覚悟を決める。
「一目惚れだったんだ」
「……え?」
「あの監獄棟の拷問ショーで。初めてお前を見た時……あんな酷い状態だったのに、お前の目は死んでいなかった。その強さと、悲しげな美しさに、俺は心を奪われた」
シャルロットが呆気にとられている前で、俺は自分の「正体」を語り始めた。
「俺は、お前が思っているような生まれついての貴族じゃない。俺は元5等民だ。名前すらなく、番号で管理されるゴミ屑だった」
俺は拳を握りしめる。
「今から一年位前だ。俺は帝国首都星で、ある公爵の些細な機嫌を損ねた。……ただそれだけの理由で、俺は処刑ポッドに詰め込まれ、生きたまま宇宙へ投棄されたんだ。宇宙のゴミ捨て場と呼ばれる、死の星へな」
彼女が息を呑む気配がした。
「だが、俺は死ななかった。偶然にもその星で、旧時代の遺産……『万能物質製造工場』を見つけた。俺はそこにある膨大なゴミと資源を喰らい、武器を作り、資源を精製し、這い上がった。今持っているこの男爵の爵位も、そこで得た資源を使って、辺境の腐敗した代官から買ったまがい物だ」
俺は自嘲気味に笑った。
「俺は復讐のために戻ってきた。だが、それだけじゃない。生きるのに必死で、女性を愛する余裕などなかった俺が……あのショーでお前を見た瞬間、理屈が吹き飛んだ」
俺はシャルロットの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「国を追われ、尊厳を踏みにじられ、それでも折れなかったお前。……俺もお前と同じ、帝国に捨てられた『持たざる者』だった。だからこそ、お前をあんな場所に置いておけなかった。ただ、お前が欲しかったんだ」
一気にまくし立てると、俺はポケットから小さな箱を取り出した。
中には、俺がハンマーでミスリルを叩いて作った、手製の指輪が入っている。
工場で生産したものではない。
俺の力加減がそのまま形になった、少々形の歪んだ、世界に一つだけの指輪だ。
「……俺と、結婚してほしい」
俺は指輪を差し出した。
「俺は貴族だが、中身はただの野蛮な男だ。だが、お前を守ることだけは誓う。これからの人生、俺と一緒に生きてくれないか」
シャルロットは指輪を見つめ、そして俺を見た。
彼女の脳裏に、100年間の苦しみの映像がフラッシュバックする。
暗闇、激痛、屈辱、絶望。
だが、それらは今、目の前の男がくれた温かい食事と、優しい言葉、そしてこの美しい星空によって塗り替えられていく。
彼女の心は、もう決まっていた。
「……はい!」
彼女は椅子から立ち上がり、涙でぐしゃぐしゃになった笑顔を見せた。
「はい!喜んで!貴方は私を地獄から救い出してくれた……私のヒーローです、クロウ様!」
俺は彼女の左手を取り、薬指に指輪を嵌めた。
義手の指だが、それは確かに彼女の一部だった。
銀色のリングが、星の光を受けて輝いた。
夕食後。
俺は自室に戻り、ベッドに腰掛けていた。
高揚感と、少しの気恥ずかしさが残っている。
プロポーズなんて柄にもないことをしてしまったが、後悔はない。
その時、ドアのチャイムが鳴った。
モニターを見ると、そこにはシャルロットが立っていた。
慣れない義足で、一歩一歩、ここまで歩いてきたのだ。
「……入れ」
ロックを解除すると、彼女が入ってきた。
先ほどのスーツ姿のままだが、その頬は朱に染まり、瞳は潤んでいる。
そして、その全身から発せられる雰囲気で、俺は彼女が何を求めてここに来たのかを察した。
俺は鈍感な主人公じゃない。
だが、こればかりは頷くわけにはいかない。
彼女が口を開く前に、俺は先手を打った。
「シャルロット。気持ちは嬉しいが……駄目だ」
「……え?」
彼女が悲しげに眉を下げる。
「お前は、感度が3000倍なんだ。普段の生活でさえ、スーツで保護していなきゃならない。そんな状態で……俺たちが『まぐわう』なんて、無理だ」
俺は諭すように言った。
「性行為による刺激は、今の皮膚接触の比じゃない。極度の快感は、お前にとって脳を焼かれるような苦痛になるはずだ。あの特別室で……散々受けた責苦と同じになってしまう」
俺は彼女を傷つけたくない。
愛しているからこそ、抱くことはできない。
「もし、子供が欲しいというなら、体外受精で人工子宮を使えばいい。フェンリルの設備なら可能だ」
俺は淡々と、しかし優しく提案した。
「俺がいた5等民の世界じゃ、それが一般的だ。愛だの恋だのは関係なく、ただ労働力を効率よく確保するためにな。……俺自身も、そうやってタンクの中で『生産』された人間の一人だ。だから、無理をして体を重ねる必要はない」
俺の言葉は、論理的で、彼女を思いやるものだったはずだ。
だが、シャルロットは首を横に振った。
そして、ゆっくりと俺に近づき、ベッドの端に手をかけた。
「……違います、クロウ様」
彼女は真っ直ぐに俺を見つめた。
その瞳には、かつてないほどの強い意志の光が宿っていた。
「かつて、私に自由がなかった頃……あの部屋で、私は幾多もの男たちに、機械に、犯され続けました。それは恐怖であり、屈辱であり、ただの苦痛でした」
彼女の手が、震えながらも自身のスーツの胸元に触れる。
「ですが……今は違います。私は、自分の足でここに来ました。誰に命令されたわけでもない。私の意思で、貴方を求めて来たんです!」
「シャルロット……」
「痛くてもいいんです。それが貴方の愛なら、私は受け入れたい。体外受精なんて嫌です。私は、貴方の体温を、鼓動を、愛を……この体で感じたいんです!」
彼女は叫び、そして懇願した。
「お願いします、クロウ様。私を……抱いてください。私を『女』にしてくれませんか?」
それは、彼女の魂からの叫びだった。
ただ守られるだけの存在ではなく、愛し愛される対等のパートナーになりたいという願い。
その覚悟を前にして、これ以上拒むことは、逆に彼女を傷つけることになる。
俺は観念したように息を吐き、そして優しく微笑んだ。
「……分かった」
俺はベッドの端を叩いて、彼女を呼んだ。
「おいで、シャルロット。……手加減はするが、止めて欲しくなったらすぐに言えよ」
「はい……!」
彼女は花が咲くように笑い、俺の腕の中に飛び込んできた。
スーツ越しの感触。
だが、その奥にある彼女の体温は、確かに熱く燃え上がっていた。
その夜。
彼女の悲鳴にも似た甘い声が、何度も俺の部屋に響いた。
それは苦痛によるものでもあっただろう。
3000倍の感度は、彼女の脳を何度もショートさせかけたはずだ。
だが、彼女は決して「止めて」とは言わなかった。
俺の背中に爪を立て、涙を流しながら、それでも俺を求め続けた。
それは、彼女が100年ぶりに取り戻した「生」の実感であり、俺たち二人が交わした、魂の契約の儀式でもあった。
翌朝、彼女は気絶するように眠っていたが、その表情は満ちている。
その日以来、彼女は定期的に夜、俺の部屋を訪れるようになった。
義足の足音は日に日に力強くなり、俺たちの愛もまた、確かな形を帯びていくのだ。




