第27話 新月の亡霊
帝国首都星が、最も深い闇に沈む刻限。
新月の夜。
人工的な光に守られた上層区画の煌びやかさとは対照的に、学園の敷地外れにある広大な森林地帯は、漆黒の帳に包まれていた。
その奥深くに、地図には載っていない廃校舎がある。
かつては研究棟として使われていたその場所は、今や腐敗した貴族学生たちの秘密の遊び場――『裏風俗街』へと成り果てていた。
上層階層、上空10,000メートル。
人工雲の中に静止する戦艦『フェンリル』のブリッジで、アレク・フォン・ジルブライトは震える手でコンソールを握りしめていた。
「……信じられない。本当にやるんだね、クロウ」
彼の目の前のメインスクリーンには、廃校舎のサーモグラフィー映像と、地上に展開したクロウたちの位置情報が映し出されている。
フェンリルの高度なセンサーは、建物の内部にいる人間の心拍数まで検知していた。
『ああ。準備は万端だ。観客の入りも上々。主演男優のケイオスもご在宅だ』
通信機から、クロウの落ち着いた声が響く。
彼は今、シズと共に地上に降り立っている。
「でも、本当に大丈夫なのかい?相手は武装した警備ドロイドも配置しているし、もし見つかったら……」
『見つかる?誰にだ?』
クロウが鼻で笑った。
『俺たちは今、そこには「いない」ことになっている』
地上、廃校舎前の森。
そこには奇妙な光景があった。
草木が風に揺れているが、そこには誰の姿も見えない。
だが、地面には確かに二つの足跡が刻まれていた。
「熱光学迷彩、正常に稼働中。遮音フィールド、展開完了。マスター、私の姿は見えていますか?」
「ああ、ヘッドアップディスプレイ越しならな。肉眼じゃ完全に透明だ。これなら目の前でダンスを踊っても気づかれまい」
声の主は、クロウ・フォン・フライハイト。
彼は今、フェンリルの武器庫から持ち出した最新鋭の『熱光学迷彩スーツ』に身を包んでいた。
周囲の景色をリアルタイムで投影し、熱源さえも遮断するこのスーツを着ている限り、彼は完全に透明人間だ。
隣にいるシズも同様である。
「さて、始めようか。アレク、照明と音響の準備は?」
『バッチリだよ。フェンリルの投影ユニット、ターゲットロック。……いつでもいける』
「よし。ベンケイ、出番だ」
『承知いたしました、マスター。この血塗られた鎧、存分に見せつけてやりましょう』
闇の奥から、ズシン、ズシンという重い足音が響いてきた。
現れたのは、身長10メートルの鋼鉄の巨人。
その装甲は、わざわざこの作戦のために赤錆色に塗装され、所々に演出用のどす黒い血痕がこびりついている。
手には身の丈以上の巨大なナギナタ。
モノアイが、不気味な赤光を放ちながら明滅している。
まさに、地獄から蘇った亡霊騎士の姿だ。
「作戦開始。派手に行け!」
廃校舎の一階、メインホール。
かつて講堂だったその場所は、悪趣味なネオンとベルベットのソファで飾られ、狂乱の宴が繰り広げられていた。
高価な酒の匂いと、紫煙、そして甘い香水の香り。
そこに混じるのは、5等民の女性たちの押し殺した悲鳴だ。
「おい、もっと酒を持ってこい!」
「この女、反応が悪いな。壊れてるんじゃないか?」
「あはは!次はどいつにする?」
上級貴族の学生たちが、下品な笑い声を上げている。
その中心で、玉座のようなソファにふんぞり返っているのが、ケイオス・フォン・ローゼンバーグだ。
彼は退屈そうにグラスを揺らし、足元に侍らせた女性の髪を乱暴に掴んでいた。
「チッ、つまらねえ。どいつもこいつも、すぐに怯えて泣き出しやがる。もっと骨のある奴はいねえのか」
ケイオスが毒づいた、その時だった。
ヒュオオオオオオ……。
突然、館内の空調が異音を立て、冷たい風が吹き荒れた。
同時に、照明が一斉に落ち、辺りは完全な闇に包まれた。
「な、なんだ!?」
「停電か!?」
学生たちが騒ぎ出した直後。
闇の中に、青白い人魂のような光が無数に浮かび上がった。
それは空中に漂い、苦悶の表情を浮かべた顔へと変わっていく。
『うぅぅ……』
『返して……』
『痛い……痛いよぉ……』
「ひっ!?な、なんだこれ!?ホログラムか!?」
アレクがフェンリルから遠隔操作している立体映像と、指向性スピーカーによる音響効果だ。
だが、薬と酒で酩酊している彼らにとって、それは現実の恐怖として迫ってくる。
ドンッ!!!
入り口の巨大な扉が、何かによって吹き飛ばされた。
分厚いオーク材の扉が、紙屑のように舞い、壁に激突して粉砕される。
「き、来たぞ!」
「誰だ!」
警備用のドロイドたちが銃を構える。
舞い上がる土煙の向こうから、赤いモノアイがギラリと光った。
『愚か者どもよ……』
腹の底に響くような、重低音の声。
『我は、貴様らが踏みにじった者たちの怨念なり……。裁きの時が来た……!』
ズシンッ!床石を砕きながら、赤錆色の巨人が姿を現した。
ベンケイだ。
その圧倒的な質量感と、禍々しい姿に、学生たちは悲鳴を上げた。
「うわあああ!なんだあの化け物は!」
「撃て!撃ち殺せ!」
警備ドロイドが一斉射撃を開始する。
無数のレーザーの嵐がベンケイに降り注ぐ。
だが――。
弾丸はベンケイの体をすり抜け、背後の壁に着弾した。
ビームもまた、彼の実体を捉えることなく虚空を突き抜ける。
「な、なんだ!?当たらないぞ!?」
「すり抜けてる!?ゆ、幽霊なのか!?」
パニックに陥る彼ら。
もちろん、これはフェンリルによる視覚欺瞞だ。
本物のベンケイは、ホログラムの像から数メートルずれた位置に立ち、熱光学迷彩で姿を消している。
敵がホログラムを撃っている間に、透明な実体が近づき――。
ドォォォォン!!!
見えないナギナタの一撃が、警備ドロイドをなぎ払った。
一瞬にして3体のドロイドがスクラップとなり、火花を散らして吹き飛ぶ。
「み、見えない攻撃だ!」
「呪いだ!呪い殺されるぞ!」
恐怖は伝染する。
学生たちは我先にと出口へ殺到し、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
取り巻きたちも、ケイオスを置いて一目散に逃走する。
「お、おい!待て!俺を置いていくな!クソッ、戻れ!」
ケイオスが叫ぶが、誰も振り返らない。
広いホールに、彼一人だけが取り残された。
『……残ったのは、貴様一人か』
ベンケイが、ゆっくりとケイオスに向き直る。
その巨大な影が、ケイオスを飲み込むように伸びた。
「く、来るな……!俺はローゼンバーグ家の次期当主だぞ!化け物風情が、俺に指一本でも触れてみろ!親父が黙っちゃいねえぞ!」
ケイオスは震える手で、腰のビームサーベルを引き抜いた。
ブォン、と赤色の光刃が形成される。
それが彼に残された、最後の頼みの綱だ。
「こ、これで斬り刻んでやる!消えろ!消え失せろ!」
ケイオスは涙目でサーベルを振り回し、ベンケイに特攻した。
光刃が巨人の足を薙ぐ。
だが、やはり手応えはなく、空を切るだけだ。
『無駄だ。貴様の剣など、怨念には届かぬ』
ベンケイの声が頭上から降ってくる。
次の瞬間。
ケイオスの背後で、熱光学迷彩を解除した「実体」のベンケイが姿を現した。
ヌッ。
巨大な鋼鉄の手が、ケイオスの目の前に差し出された。
「ひっ……!?」
ケイオスが振り向くと、そこにはホログラムではない、圧倒的な質量の「現実」があった。
彼は反射的にビームサーベルを突き出した。
熱の刃が、ベンケイの指に直撃する。
鉄さえも溶断するはずのエネルギー。だが――。
ジジジッ……プスン。
ベンケイの指先には、対ビームコーティングが施されている。
サーベルの刃は、ベンケイの指に触れた瞬間、霧散した。
傷一つない黒鉄の指が、そこにあった。
『……痒いな』
ベンケイは感情のない声で言い、親指と人差し指でサーベルのレーザー発生器を摘んだ。
「あ、あ、あ……」
パキン。
軽い音だった。
ケイオスが虎の子として持っていた最高級のビームサーベルが、まるで枯れ枝のようにへし折られた。
粉々になったパーツが床に落ちる。
ケイオスの思考が停止した。
暴力、権力、金。
彼が信じていた全ての力が、目の前の圧倒的な存在の前では無意味だった。
絶対的な死の予感。
生物としての本能的な恐怖が、彼の理性を粉砕した。
「あ……あぁ……」
ジョロロロ……。
静まり返ったホールに、水音が響いた。
ケイオスの股間から、染みが広がっていく。
そして、鼻をつく異臭。
恐怖のあまり、彼は失禁し、脱糞していた。
プライドの塊だった貴族の、あまりにも無様な姿。
『汚いな。これだから人間というのは……』
ベンケイが呆れたように呟き、巨大な顔をケイオスの目の前まで近づけた。
モノアイの赤い光が、ケイオスの瞳孔が開いた目を覗き込む。
『二度と、我が同胞に手を出すな。次はないぞ』
「あ……あぶぅ……」
ケイオスは白目を剥き、泡を吹いて、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
気絶。
精神の限界を超えた恐怖による、完全な意識消失だ。
「……終わったか」
闇の中から、透明化を解除した俺が現れた。
隣にはシズもいる。
俺は汚物にまみれて失神しているケイオスを見下ろし、鼻をつまんだ。
「やれやれ。公爵家の御曹司が、随分な醜態だな。これじゃあ『貴族の品位』も形無しだ」
「マスター。彼の精神状態をスキャンしました。重度のトラウマ反応を確認。今後、暗闇や大きな音、そして『赤い光』を見るたびに、パニック発作を起こすでしょう」
シズが冷静に分析する。
「十分だ。これで、二度と裏でコソコソ悪さはできまい」
俺は視線を奥の部屋へと向けた。
そこには、騒ぎに怯えて固まっている女性たちがいた。
俺はシズに頷く。
「シズ、彼女たちを保護しろ。フェンリルの医療ポッドで治療した後、希望者はオメガ・ドックへ移送だ。記憶処理も忘れるなよ。今日のことは『悪い夢』として処理してやれ」
「かしこまりました。……皆様、もう大丈夫ですよ。こちらへ」
シズが優しく声をかけ、女性たちを誘導する。
ベンケイは入り口に立ち、仁王立ちで周囲を警戒していた。
『マスター。手応えのない相手でした。……ナギナタの錆にもなりません』
「ハハッ、全くだ。だが、いいショーだったぞ、ベンケイ。帝国映画賞ものだ」
俺は通信機に指を当てた。
「アレク、聞こえるか?作戦完了だ。完全勝利だぞ」
『……見てたよ。凄いね、本当に。あんな風に壊れるケイオス、初めて見たよ。正直、ちょっと可哀想になるくらいだったけど……』
アレクの声には、安堵と、少しの畏怖が混じっていた。
『でも、これで学園も少しはマシになるかな』
「ああ。少なくとも、夜道で女をさらうような真似はなくなるだろうさ」
俺は倒れているケイオスの胸ポケットに、一輪の花を挿した。
『マター・ドロイド・インダストリー』のロゴが入った、黒い造花だ。
これが俺からの、無言のメッセージだ。
「いつでも見ているぞ」という警告。
「帰ろうか。フェンリルの風呂が恋しい」
俺たちは静かに撤収した。
後に残されたのは、廃墟と化した裏風俗街と、汚物にまみれた一人の元・暴君だけだった。
翌朝。学園はハチの巣をつついたような騒ぎになっていた。
「廃校舎に5等民の亡霊が出た」
「巨大な鎧の騎士が、ケイオス様を襲った」
「ケイオス様が発狂して病院送りになったらしい」
噂は尾ひれをつけて広がり、いつしか『血塗られた亡霊騎士』の怪談として定着した。
そして、誰もが恐れて近づかなくなった廃校舎は、後日、フェンリルのレーザー機関砲による「不審火」によって跡形もなく消滅した。
証拠隠滅も完璧だ。
俺は教室で、青ざめた顔で登校してきた取り巻き連中を見ながら、アレクと顔を見合わせてニヤリと笑った。
ざまあみろ。
これが、5等民の逆襲だ。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
俺たちの戦いは、帝国の根幹を揺るがすまで終わらない。




