第24話 鋼鉄の教室と学友
帝国首都星の朝は、人工太陽の完璧なスペクトルによって制御されている。
フェンリルの重厚な寝室で目覚めた俺は、シズが用意した朝食を胃に流し込み、再びあの忌々しい制服に袖を通した。
黒の生地に金糸の刺繍。
鏡に映る自分は、どこからどう見ても帝国の若きエリート貴族だ。
だが、その腹の底には、昨日の巨像の下で見た地獄の光景が、消えない炭火のように燻り続けている。
「行きましょう、マスター。今日の講義はドロイド工学、場所は『先端工学棟』です。キャンパスの西地区、第4セクターに位置しています」
シズがタブレットを操作しながら告げる。
俺は頷き、フェンリルのエアロックを出た。
エアカーで広大なキャンパスを移動し、目的の棟に到着した。
そこは、昨日教授と会った重厚な石造りの本館とは異なり、機能美を追求したガラスと金属の近代的な建物だった。
あちこちから排気ファンの回る音や、金属を加工する音が漏れ聞こえてくる。
オイルとオゾンの匂い。
帝国首都星の下層で嗅ぎ慣れた、働く現場の匂いだ。
不思議と、胸のつかえが少し取れた気がした。
「ここなら、息ができそうだ」
俺は独りごちて、講義室の扉を開けた。
講義室といっても、そこは巨大な工房だった。
天井クレーンが走り、床には無数の作業台が並んでいる。
そこかしこに、分解されたドロイドのパーツや、ホログラムの設計図が浮かんでいた。
「おや、君が噂の編入生か」
声をかけてきたのは、作業着のような白衣を着た初老の講師だった。
教授のような嫌味な気配はない。
純粋な技術屋の目をしている。
「クロウ・フォン・フライハイトです。本日から世話になります」
「うむ。ここは『ドロイド工学』の実習室だ。座学は最低限しかやらん。見て、触れて、動かす。それが全てだ。……君は特別編入だから単位は必須ではないそうだが、やる気はあるのかね?」
「ええ。機械いじりは嫌いじゃないんでね」
「結構。では、空いている席へ。今日の課題は、そこにある旧式警備ドロイドのアクチュエーター調整だ。マニュアルは端末に入っている」
俺は指定された作業台に向かった。
そこには、帝国の量産型警備ドロイドの上半身が転がっていた。
装甲を外され、内部フレームが剥き出しになっている。
「……随分と古臭い設計だな」
俺は呟きながら、工具を手に取った。
万能物質の力を使えば一瞬で新品同様にできるが、それでは授業にならない。
俺は純粋に、自分の知識と手先の感覚だけで挑むことにした。
シズのメンテナンスで培った技術と知識がある。
この程度の機械なら、目をつぶっていても直せる。
カチャ、カチャ、ヴィィィ……。
俺の手が流れるように動く。
非効率なエネルギー伝達回路をバイパスし、摩耗したギアの噛み合わせを調整する。
マニュアルには「交換推奨」とある部品も、少し削って角度を変えるだけで再利用可能だ。
「……ふむ。出力係数、15%向上。こんなもんか」
作業開始からわずか10分。
俺が電源を入れると、ドロイドのアームは滑らかに駆動し、規定値を遥かに超える反応速度を見せた。
ふぅ、と息を吐いて顔を上げると、周囲の視線が俺に集中していることに気づいた。
教室中の学生たちが、作業の手を止めて俺を見ている。
またか。どうせ「成金が」とか「野蛮な手つきだ」とか言われるのだろう。俺は身構えた。
「す、すげえ……」
聞こえてくるのは、予想外の言葉だった。
「あのアーム、あんなに滑らかに動くのか?」
「マニュアル無視だぞ。独自の回路設計だ」
「おい、あいつってまさか……」
一人の学生がおずおずと近づいてきた。作業着の袖をまくった、真面目そうな青年だ。
「あ、あの!失礼ですが、クロウ・フォン・フライハイト男爵ですよね?」
「……ああ、そうだが」
俺が答えると、青年の目が輝いた。
「やっぱり!『マター・ドロイド・インダストリー社』のオーナーですよね!?あの『セラフィム』シリーズを開発した!」
その言葉を皮切りに、周りの学生たちが一斉に押し寄せてきた。
「本物かよ!」
「俺、実家の作業用に『ワーカー』導入したんです!あれ、最高ですよ!故障率が今までの10分の1だ!」
「セラフィムの人工筋肉の構造、どうなってるんですか?特許公報見てもブラックボックスになってて……」
「男爵!次の新製品の予定は!?」
「お、おい……ちょっと待て」
俺は困惑し、後ずさった。
罵倒されると思っていたのに、これはどういうことだ?
彼らの目には、侮蔑の色など微塵もない。
あるのは純粋な尊敬と、好奇心だけだ。
「静粛に!席に戻りなさい!」
講師がパンパンと手を叩き、ようやく騒ぎが収まった。
だが、その後も俺に向けられる視線は熱いままだ。
俺が呆気にとられていると、隣の作業台にいた男が、クスクスと笑いながら話しかけてきた。
「驚いた顔をしてるね、男爵。もっと酷い扱いを受けると身構えていたのかな?」
振り返ると、そこには人の良さそうな好青年が座っていた。
亜麻色の髪に、意志の強そうな碧眼。
制服は着崩さず、袖口にはオイルの染みがついている。
手先は器用そうで、自分の課題も既に終えているようだ。
「……ああ、正直な。昨日は散々、『成金』だの『蛮族』だのと言われたからな」
「ははは、それは『本館』にいる連中の話だろ?ここは違うよ」
青年は作業用の手袋を外し、右手を差し出した。
「僕はアレク・フォン・ジルブライト。辺境のジルブライト男爵家の三代目だ。よろしく、クロウ」
「……ああ、よろしく頼む、アレク」
俺はその手を握り返した。
貴族特有のふにゃふにゃした手ではない。
タコのある、硬い手だった。
「教えてくれ、アレク。なぜここの連中は、俺を敵視しない?俺は金で爵位を買った、どこの馬の骨とも知れぬ男だぞ」
アレクは自身の作業台に肘をつき、教室を見渡しながら言った。
「見ての通り、この『先端工学科』に通っているのは、僕たちのような下級貴族や、新興貴族の子弟ばかりなんだ。実家は辺境で、領地経営に必死な連中さ」
彼は苦笑した。
「上級貴族のボンボンたちは、ここには来ないよ。彼らにとって、機械いじりなんて『下賎な労働』だからね。油にまみれるくらいなら、本館のサロンでお茶を飲んで、詩や芸術の話をしている方が高尚だと思ってる」
「なるほど。ここは貴族学校の中の『現場』ってわけか」
「その通り。僕たちは、実家の鉱山や工場を立て直さなきゃならない。だから、必死で技術を学びに来てるんだ。……そんな僕たちにとって、君は英雄なんだよ、クロウ」
「英雄?」
「そうさ。一代で巨万の富を築き、革新的な技術で『マター・ドロイド・インダストリー』を立ち上げた。しかも、その製品は性能が良くて安い。君は僕たちが目指すべき『成功』そのものなんだ。生まれや血統なんて関係ない。結果を出した『初代』の実力に、みんな憧れてるのさ」
アレクの言葉は、真っ直ぐで嘘がなかった。
俺は少しだけ、肩の力が抜けるのを感じた。
ここには、腐った貴族だけじゃない。生きるために必死な連中もいるのだ。
「……買いかぶりすぎだ。俺はただ、運が良かっただけさ」
「運も実力のうちだよ。それに、あの『セラフィム』の美しさ……あれはただの機械じゃない。君の美学を感じるよ」
(まあ、中身は爆弾付きの殺人兵器だがな)
心の中で付け加えつつ、俺は曖昧に笑った。
講義が終わり、休憩時間になった。
俺とアレクは、工学棟のテラスに出て、缶コーヒーを飲んでいた。
ここからは、キャンパス中央にそびえ立つ、あの女帝の巨像がよく見える。
「……なぁ、アレク」
俺は手すりに寄りかかり、巨像を見上げながら問いかけた。
「お前は、あれをどう思う?」
アレクの視線を追う。
アーデルハイト女帝の像。
そして、その足元にある、無数の人々を埋め込んだ礎。
アレクは一瞬、周囲を気にするように視線を巡らせた。
近くに他の学生がいないことを確認すると、声を潜めて言った。
「……こういうこと、あまり表立っては言えないけどさ」
彼はコーヒー缶を強く握りしめた。
「醜悪、だと思うよ。あれを見るたびに、吐き気がする」
俺は驚いて彼を見た。
貴族の口から、帝国の象徴を否定する言葉が出るとは思わなかった。
「……同感だ。俺も昨日、あれを近くで見て、はらわたが煮えくり返るかと思った」
「だよね。あそこには、数え切れないほどの人が埋められている。罪人だとか、反逆者だとか言われてるけど……元は同じ人間だ。それをあんな風に……見せしめにして、その上に立って平然としているなんて、どうかしてるよ」
アレクの横顔には、嫌悪と悲しみが浮かんでいた。
俺は彼に、微かな親近感を覚えた。
こいつは、まだ「人間」だ。
「なあ、クロウ。知ってるかい?」
アレクは巨像から目を逸らさずに言った。
「あの像への抵抗感……世代を重ねるごとに、無くなっていくらしいんだ」
「どういうことだ?」
「僕の親父、二代目の男爵なんだけどさ。昔、あの像について聞いたことがあるんだ。『気持ち悪くないのか?』って。そしたら親父は不思議そうな顔をして言ったよ。『何がだ?あれは帝国の正義の証じゃないか。素晴らしい芸術だ』って」
アレクは自嘲気味に笑った。
「お祖父ちゃん――初代様は、あの像を嫌っていたらしい。でも、親父は平気だった。そして、上級貴族の連中を見てみろよ。彼らはあの像の前で、感動して涙を流すことさえある。彼らにとって、あれはグロテスクな死体の山じゃない。美しい秩序の一部に見えているんだ」
俺は背筋が寒くなるのを感じた。
それは単なる慣れなのか?
それとも、教育による洗脳か?
いや……もっと根深い、生物学的な何かが関わっているのではないか?
シズの言っていた「遺伝子への介入」。
それが、美的感覚や倫理観さえも作り変えているとしたら?
「僕は三代目だ。まだ、あの像を気持ち悪いと感じる感性が残ってる。でも……もし僕に子供ができたら?その子供は、あそこで笑って記念写真を撮るようになるのかもしれない」
アレクは恐怖に震えるように、自分の腕を抱いた。
「この学校にいると、時々怖くなるんだ。自分の中の『当たり前』が、少しずつ溶かされて、帝国の『常識』に塗り替えられていくような気がして……。だから僕は、必死で機械をいじってるのかもしれない。鉄と油の冷たい感触だけは、嘘をつかないから」
俺は無言で、アレクの肩に手を置いた。
彼もまた、戦っているのだ。
見えない怪物と。
自分を飲み込もうとする、帝国の狂気と。
「……安心しろ、アレク」
俺は力強く告げた。
「お前はまともだ。あれを気持ち悪いと感じる心が、お前が人間である証拠だ。その感覚を、絶対に手放すな」
「クロウ……」
「もし、この学校の空気がお前を変えそうになったら、俺のところへ来い。俺の船、フェンリルに乗せてやる。あそこなら、嫌になるほど現実的な油の匂いがするからな」
アレクは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「ありがとう。やっぱり君は、僕が思った通りの人だ。……仲間、って呼んでもいいかな?」
「ああ。俺たちは、同じ泥臭い工学の徒だろ?」
俺たちは拳を軽く突き合わせた。
この魔窟のような学校で、初めて「味方」と呼べる存在に出会えた気がした。
キンコンカンコン……。
次の講義の始まりを告げるチャイムが、無機質に鳴り響いた。
「さあ、行こうかクロウ。次は『流体回路学』だ。
教授が厳しいから、遅れると大変だよ」
「へえ、お手柔らかに頼みたいもんだな」
俺たちは空になった紙コップを捨て、教室へと戻っていった。
背後には、依然として女帝の巨像がそびえ立っている。
その冷たい影は、確かに俺たちの上に落ちていた。
だが、隣を歩く友の存在が、その闇を少しだけ払拭してくれているように思えた。
(……世代を重ねるごとに、抵抗感がなくなる、か)
俺は歩きながら、アレクの言葉を反芻していた。
1000年も生きる女帝。
異生命体の遺伝子。
そして、麻痺していく倫理観。
これらは全て繋がっている。
帝国というシステム自体が、人間を別の「何か」に作り変えるための巨大な実験場なのかもしれない。
だとしたら、急がなければならない。
アレクのような善良な魂が、完全に汚染されてしまう前に。
俺はこの学校の、そして帝国の秘密を暴き、その土台を粉砕する必要がある。
教室の扉を開けると、再びあの懐かしいオイルの匂いがした.
俺は小さく笑みを浮かべ、自分の席へと向かった。戦いはまだ始まったばかりだ。




