第102話 分離主義者
数日後。
新銀河帝国帝都、ノルド・ステーション。
その最奥に位置する皇帝執務室から、珍しく下品な、しかし心底楽しそうな高笑いが響き渡っていた。
「あっはっはっは!傑作だ!傑作すぎるぞクロエ!」
クロウは執務机をバンバンと叩き、涙を流して笑い転げている。
その手にあるのは、諜報省大臣クロエから送られてきた『極秘任務完了報告書』――通称『茶色の悲劇』レポートだ。
「高潔なお貴族様が糞尿まみれとはな!しかも、よりによって夜会の最中に!想像しただけで飯が三杯は食える!」
レポートには、現場の惨状を捉えた盗撮映像も添付されていた。
着飾った公爵夫人が汚物の雨に打たれて悲鳴を上げる様や、プライドの高い伯爵が黄金の便器から逆流した茶色い噴水に吹き飛ばされる瞬間が、克明に記録されている。
それは、クロウが長年抱いてきた旧帝国の腐敗した特権階級への嫌悪感を、最も原始的かつ痛快な形で晴らすものだった。
「まったく、クロエの奴、期待以上の仕事をしてくれる。これぞエンターテイメントだ」
ひとしきり笑い終えたクロウは、目尻の涙を拭いながら息をついた。
「それよりもマスター」
傍らで静かに控えていたシズが、氷のような冷静さで声をかけた。
彼女は主人の狂喜を冷ややかな目で見守りつつも、その電子頭脳では既に次の重要案件を処理していたのだ。
「なんだシズ?まだ笑い足りないんだが」
「笑っている場合ではありません。……フライハイト家が支援し続けてきた、旧帝国との『緩衝地帯』の領地群から、連名で新帝国への併合要請が届いています」
「ああん?」
クロウの表情から、一瞬にして笑みが消えた。
代わりに浮かんだのは、冷徹な為政者の顔と、隠しきれない不快感だった。
「……ああ、あそこの領主たちか」
緩衝地帯。
それは、新帝国と旧帝国の支配領域の間に広がる、広大な星系群のことだ。
面積にして銀河全体の約二割。
2000億の星系と、無数の居住可能な惑星が含まれる巨大なエリアである。
そこの領主たちは、クロウがまだ一介の勇爵だった頃から、彼の経済力と技術力に擦り寄ってきた連中だ。
クロウもまた、対帝国防衛の緩衝地帯として利用価値があると判断し、金銭面や技術面で多大な支援を行ってきた。
ジルブライト男爵家などが早々にクロウの傘下に入ったのとは対照的に、彼らはのらりくらりと態度を保留し続けてきたのだ。
「あいつらは典型的な日和見主義者だ。俺から支援物資は受け取るくせに、新帝国建国の時は『おめでとうございます』程度の祝電を一枚よこしただけで、あくまで籍は帝国貴族に残しやがった」
クロウは鼻を鳴らした。
彼らが何を考えていたかは明白だ。
もしクロウが失脚すれば帝国側に「我々は脅されていた」と言い訳し、成功すれば「実は応援していた」と擦り寄る。
両天秤にかけて、安全な場所から様子見を決め込んでいた卑怯者たちである。
「そもそもだ、シズ」
クロウの目に、剣呑な光が宿る。
「俺が勇爵としてこの地に戻って来た時のことを覚えているか?」
「はい。鮮明に記録しております」
かつて、クロウ・フォン・フライハイトは、そのあまりに強大すぎる経済力と軍事力を帝国中央から恐れられた。
真正面から潰すこともできず、かといって放置もできない。
そこで帝国が講じた策が、『勇爵』という大層な爵位を新設し、銀河の一割にも及ぶ広大な辺境領地を押し付けることだった。
名誉ある昇進に見せかけた、事実上の「追放」であり「封じ込め」だ。
広大すぎるがゆえに統治コストは天文学的数字になり、インフラも整っていない未開の地。
そこでクロウが経済的に破綻し、統治不能に陥って自滅するのを、帝国は座して待っていたのだ。
「あの時、俺は本当に困っていた。広すぎる土地、足りない人手、荒れ果てたインフラ……。まさに猫の手も借りたい状況だった」
クロウは指で机を叩く。
「その時、隣接する緩衝地帯の奴らは何をした?手を差し伸べたか?『お困りでしょう、協力します』と言ってきたか?」
「いいえ。彼らは静観していました。マスターが破滅するかどうか、賭けの対象にしていたという情報も傍受しております」
「だろうな。……あいつらは、俺が泥沼でもがいている時は高みの見物を決め込み、俺が自力で楽園を築き上げ、独立を宣言した途端に『おこぼれ』を求めてきやがった」
クロウは吐き捨てるように言った。
「それが今更、併合要請とはどういう了見だ?都合が良すぎるにも程がある」
「……しかし、彼らの通信には『悲痛な叫び』に近い切迫感が込められています。状況はっ迫しているようです」
「ふん……。まあいい」
クロウは椅子に深く座り直した。
「とりあえず全員を俺の前に連れてこい。話だけは聞いてやる。……ただし、少しでも舐めた口を利いたら、フェンリルの主砲の錆にしてやるがな」
「了解しました。彼らに招集をかけます」
シズが通信回線を開く。
銀河の歴史が、また大きく動こうとしていた。
***
一週間後。
ノルド・ステーションのハンガー。
普段は大型輸送艦が何隻も収容されるその広大な空間は、急造の謁見場へと姿を変えていた。
そこに集まったのは、総勢三万名以上の貴族。
彼らは皆、緩衝地帯を治める領主たちである。
男爵、子爵、伯爵。
きらびやかな礼服に身を包んでいるが、その表情は一様に暗く、憔悴しきっていた。
ハンガーの空気は重苦しい沈黙に支配されており、時折聞こえるのは衣擦れの音と、咳払いだけ。
その最奥、一段高い場所に設置された玉座に、クロウ・フォン・フライハイト皇帝が座している。
背後には、威圧感を放つドロイドのシズと、軍務大臣となった元帥ヴォルフが仁王立ちしていた。
「――頭が高い」
クロウの低い声が、マイクを通さずにハンガー全体に響き渡った。
三万の貴族たちが、ビクリと肩を震わせ、一斉に深々と頭を下げる。
「緩衝地帯の代表、前へ」
促され、一人の初老の男が進み出た。
アイゼンハルト伯爵。
緩衝地帯の中でも最大級の星系を治める実力者であり、古狸のような政治力を持つ男として知られていたが、今日の彼はまるで死刑台に向かう囚人のように顔色が悪い。
「陛下、貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます。……本日は、我々の領地を、貴国の領土として併合していただきたく参上いたしました」
アイゼンハルトは震える声で述べ、床に膝をついた。
それに続き、背後の三万人が波打つように跪く。
壮観な光景だ。
だが、クロウの視線は冷ややかだった。
「話だけは聞こう。……だが、その前に一つ聞きたいことがある」
クロウは頬杖をつき、つまらなそうに彼らを見下ろした。
「はっ、な、なんでしょうか……?」
「俺が数年前、帝国から『勇爵』の位と共に、この広大すぎる辺境領地を押し付けられた時のことだ。……あの時、帝国は俺が統治不能に陥って潰れるのを期待していた。事実、初期の俺は人手不足とインフラ整備に奔走し、まさに孤立無援だった」
クロウの視線が、アイゼンハルトを射抜く。
「その時、お前たちは何をしていた?」
「っ……!」
アイゼンハルトが息を呑む。
「お前たちはすぐ隣にいながら、俺に手を差し伸べなかった。俺が潰れるか、生き残るか、ワイン片手に眺めていただろう? ……困っている時には知らん顔をしておきながら、俺が成功して強大になった今、どの面下げて『助けてくれ』と言えるんだ?」
会場全体が凍りついた。
すすり泣くような声さえ止まった。
それは彼らが最も恐れていた、痛いところを突かれたからだ。
「……お、仰る通りでございます……」
アイゼンハルトは脂汗を流しながら、言い訳をせずに頭を垂れた。
「我々は愚かでした。陛下の力を測り損ね、帝国の顔色を窺い……ただの日和見を決め込んでおりました。その罪、弁解の余地もございません」
「ふん。正直でよろしい」
クロウは鼻を鳴らした。
「で?その日和見主義者たちが、なぜ今になって帝国を裏切る気になった?帝国に尻尾を振っていれば安全だったんじゃないのか?」
「それが……状況が一変したのです」
アイゼンハルトは拳を握りしめ、悲痛な声で訴えた。
「陛下が帝国中の大企業を買収され、その資産を引き上げられたことにより、旧帝国の経済は崩壊しました。税収は激減し、国家運営が立ち行かなくなっております」
「それは俺の知ったことではないな。俺は正当な商取引をしただけだ」
「はい、仰る通りです。……ですが、困窮した首都星の連中は、その皺寄せを我々辺境の貴族に向けたのです」
アイゼンハルトが顔を上げる。その目には、怒りの炎が宿っていた。
「先週、勅命が届きました。『国家非常事態につき、今年度の納税額を前年の十倍とする』と」
「十倍?」
クロウは片眉を上げた。
無茶苦茶だ。
ただでさえ重税国家である帝国の税率を十倍にすれば、領地の経済など瞬時に破綻する。
「はい。しかも、『現金がない場合は、領民、資源、土地、あらゆる資産を売却してでも納めよ』との但し書き付きです。……さらに、未達の場合は『反逆』とみなし、帝国軍を差し向けて領地を接収するとの通達が……」
会場から、嗚咽が漏れる。
彼らは追い詰められていた。
払えば破産と飢餓。
払わなければ軍事侵攻。
どちらに転んでも破滅しかない。
「それで?俺様に文句でも言いにきたのか?『お前のせいで税金が上がった』と?」
クロウが意地悪く問うと、アイゼンハルトは激しく首を振った。
「いいえ!滅相もございません!企業の買収は市場経済において当然の経済活動でございます。我らが腹を立てているのは、陛下ではなく、辺境を鑑みない首都星の連中です!」
「続きを言ってみろ」
「彼らは……あの中央の豚どもは、辺境に一切投資をしません!インフラ整備も、災害対策も、すべて我々の自腹です。なのに、税金だけは容赦なく搾り取り、我々は揺すれば金が出てくる財布だと思っている!」
アイゼンハルトの声が熱を帯び、ハンガーに響く。
「我々は、もう限界なのです!旧帝国のくびきから抜け出したい!領民を売り飛ばすことなどできません!……陛下!どうかお力をお貸しください!我々を、貴国の臣民として受け入れてください!」
「「「お願いします!陛下!!」」」
三万人の叫びが轟いた。
それは魂の叫びだった。
彼らは生き残るために、プライドをかなぐり捨ててクロウに縋り付いているのだ。
クロウは目を閉じ、数秒の沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「なるほど、事情は分かった」
貴族たちの顔に、希望の光が差す。
「だが――ダメだ」
その光は、クロウの一言で絶望の闇へと叩き落とされた。
「え……?」
アイゼンハルトが呆然と口を開ける。
「だ、ダメ、とは……?」
「聞こえなかったか?『断る』と言ったんだ」
クロウは立ち上がり、冷酷に言い放った。
「お前らは日和見主義者だ。さっきも言ったな?俺が困っていた時、お前らは助けなかった。……新帝国に恭順したと見せて、旗色が悪くなった途端に考えを変えるかもしれない連中を、どうして俺が守ってやらなきゃならん?」
「そ、それは……!」
「今、帝国が怖いから俺のところに逃げてきただけだ。もし明日、帝国が盛り返したら、お前らは平気で俺の背中を撃つだろう。……俺の国に必要なのは、覚悟のある者だけだ。お前らのようなコウモリ野郎には席はない」
「……っ……はい……」
アイゼンハルトがガックリと項垂れる。
反論の余地はなかった。
彼らの行動原理が保身であったことは事実だからだ。
会場全体が、お通夜のような空気に包まれる。
このまま帰れば、彼らを待っているのは帝国の搾取と、領地の滅亡だけだ。
クロウはその様子をじっくりと観察し、彼らの心が完全に折れたのを確認してから、ふっと空気を緩めた。
「――だが」
その一言に、全員が顔を上げる。
「お前らが、どうしてもと言うなら……『禊』が必要だな」
「み、禊……ですか?」
「ああ。俺の国に入りたければ、身を清めてこいということだ」
クロウは不敵な笑みを浮かべた。
それは、救いの手と言うにはあまりに血生臭く、しかし甘美な誘惑の笑みだった。
「今から俺が言う、気に食わない貴族を消してこい」
「け、消す……?」
「そうだ。この世から消せと言っている」
クロウはシズに目で合図を送った。
シズが指を鳴らすと、ハンガーの空中に巨大なホログラムリストが表示された。
「こちらが、新帝国が敵対視する『排除対象リスト』です」
そこには、1000家以上の領主の名前が羅列されていた。
アイゼンハルトはそのリストを見て、目を剥いた。
「こ、これは……!ルードヴィヒ公爵家に、シュタイナー侯爵家……!?いずれも旧帝国の重鎮や、大貴族ばかりではありませんか!」
リストアップされていたのは、緩衝地帯やその周辺に領地を持つ貴族の中でも、特に悪名高い連中だった。
中央に太いパイプを持ち、今回の増税を主導した者たち。
「奴らは、5等民を劣悪な環境に置いて搾取し、虐待し、私腹を肥やしている豚どもだ。……俺の統治下に入れるには、あまりに穢れている」
クロウの声に、ドス黒い殺気が混じる。
「我が新帝国の国是は『自由』だ。奴らのような、民を家畜扱いする外道と同じ空気を吸うつもりはない。……お前らが、その貴族どもを物理的に潰せるなら、併合を認めてやる」
会場がどよめきに包まれた。
「へ、陛下、正気ですか!?我々に『内戦』をしろと仰るのですか!?」
アイゼンハルトの声が裏返った。
「そうだ、やるんだ」
クロウは平然と言い放った。
「お前らは幸い数が多い。三万家の軍事力を結集すれば、1000家程度の腐った大貴族など、普通にやれば勝てる。数で押しつぶせ」
「し、しかし……!そんなことをすれば、帝国への明確な反逆行為となります!もし失敗すれば、我々は一族郎党、処刑されます!」
「今帰っても、税金が払えずに野垂れ死ぬんだろ?どうせ死ぬなら、戦って死ね」
クロウの論理は冷酷だが、真理を突いていた。
「それに、これをやったら、お前らはもう二度と旧帝国には戻れない。……帝国の重鎮を殺し、牙を剥いた反逆者になるんだからな」
これこそが、クロウの狙いだった。
日和見主義者たちに、後戻りできない橋を渡らせる。
共犯者として血で手を汚させることで、新帝国への絶対的な忠誠を誓わせるのだ。
「退路を断て。覚悟を示せ。……それが、俺の求める『禊』だ」
あまりに過酷な条件に、貴族たちは動揺する。
だが、クロウは追い打ちをかけるように、残酷な事実を突きつけた。
「悩んでいる暇はないぞ?」
クロウが指を2本立てる。
「『2週間』だ」
「……はい?」
「シズ、解説してやれ」
「はい、マスター」
シズが戦況シミュレーション図を表示する。
「軍を起こし、ターゲットの貴族領へ侵攻を開始すれば、当然、帝国首都星へ援軍を要請します。……我々の試算では、帝国軍の主力艦隊が要請を受けて出撃し、この緩衝地帯へ到着するまでに、およそ2週間かかります」
ザワッ……と会場が戦慄に包まれる。
「2週間……それしか、ないのですか?」
「そうだ」
クロウが冷徹に告げる。
「俺は旧帝国と『不可侵条約』を結んでいる。だから、お前らが『旧帝国の貴族』として内戦をしている間は、俺は指一本貸してやらん。それは内政干渉になるからな」
クロウはニヤリと笑った。
「だが、もし2週間以内に内戦を終わらせ、俺への『禊』を済ませて我が国の領土として併合が完了していれば……話は別だ。俺は『自国の領土と国民を守る』という名目で、堂々と軍を動かし、帝国軍を追い払うことができる」
そこまで言って、クロウの声がドスを利かせたものに変わる。
「逆に言えば、2週間以内にケリをつけられなかった場合……お前らは帝国軍の艦隊到着と同時に、『旧帝国の反乱分子』としてすり潰されて終わりだ。俺は不可侵条約がある以上、目の前でお前らが殺されていても助けられん」
「なっ……!?」
アイゼンハルトの顔から血の気が引く。
それは、まさにデスゲームの宣告だった。
戦闘開始から2週間以内に1000家を滅ぼし、併合手続きまで完了させなければ、ゲームオーバー。
「やるか、やらないか。選べ」
クロウの問いかけに、もはや迷っている時間などなかった。
アイゼンハルトの目に、狂気にも似た決意が宿る。
「……やります!やってみせます!2週間以内に、必ずや奴らの首を陛下の下へ!!」
「「「うおおおおおおおっ!!やるぞ!!」」」
3万人が吼えた。
彼らは窮鼠となり、死兵となったのだ。
「いい返事だ。……兵站は我が国の民間企業が全面バックアップしてやる。ドロイドも弾薬も食料も無限に使え」
「感謝いたします!!」
貴族たちが一斉に出撃準備へと走ろうとしたその時、クロウが立ち上がった。
「待て。もう一つ、言い忘れていた」
全員が足を止める。
「俺も行くぞ」
「……は?」
アイゼンハルトが呆然と振り返る。
皇帝自らが、戦場へ?
「勘違いするな。俺は『観戦武官』として現地に向かうだけだ」
クロウは楽しげにマントを翻した。
「お前らが本当に覚悟を決めて戦うのか、それとも帝国軍の影にビビって逃げ出すのか……。フェンリルに乗って、特等席で高みの見物をさせてもらう」
「観戦、武官……ですか?」
「ああ。安心しろ、俺は手を出さん。条約があるからな。……ただ、俺の目の前で無様な戦いを見せたらどうなるか、分かっているな?」
その言葉は、どんな督戦隊よりも恐ろしいプレッシャーだった。
2週間後に迫る帝国軍。
上空には、最強の戦艦フェンリルと、冷徹な皇帝の視線。
彼らはもう、死に物狂いで勝つしか生き残る道はないのだ。
「肝に銘じます!!」
アイゼンハルトは震えながら敬礼した。
こうして、タイムリミット付きの、あまりに過酷な内戦が幕を開けた。
銀河の2割を巻き込む大掃除。
それを後ろから眺める「魔王」の存在に怯えながら、貴族たちは進軍を開始するのだった。




